明清戦争開戦まで
**第1段階(17世紀後半〜19世紀):
鄭成功王朝(後明)が華南沿岸に定着し、清朝と二重構造を形成**
鄭成功は台湾だけでなく、
福建・広東沿岸に恒久的な政権を築く。
後明の特徴:
• 海商・海軍を基盤とする海上国家
• 福建・広東・海南島沿岸を実効支配
• 華南の漢人社会から「明の正統」として支持
• 日本(のち日本連邦)と早期に同盟
• 清朝とは“陸の帝国 vs 海の明朝”という文明的対立
この二重構造は200年以上続き、
華北=清朝、華南=後明
という分裂状態が固定化する。
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**第2段階(19世紀後半):
清朝の弱体化と“内陸化”が決定的に進む**
清朝は以下の理由で沿岸支配を失う。
• 欧州列強の圧力
• 沿岸海軍の壊滅
• 内陸軍閥の台頭
• 日本連邦の台頭
• 華南の民衆が後明を支持
結果として、
清朝は“北方・内陸の帝国”へと縮小し、
華南沿岸は後明の勢力圏として安定する。
清朝にとって後明は
「奪われた沿岸の象徴」であり、
いつか滅ぼすべき宿敵。
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**第3段階(1890年代):
義和団が“反後明・反日本連邦”へと変質**
史実の義和団は「扶清滅洋」だが、
この世界線では状況が違う。
日本連邦=太平洋の覇権国家
→ 清朝民衆にとって最大の外敵
後明=日本連邦の同盟国
→ 義和団から見れば“売国政権”
清朝=後明に沿岸を奪われた屈辱の帝国
→ 義和団は清朝を“覚醒”させようとする
その結果、義和団のスローガンはこうなる。
扶清滅和(清を助け、日本を滅ぼす)
そして義和団は
後明を“日本の傀儡”として攻撃対象に設定
する。
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**第4段階(1899〜1900):
義和団が華南へ南下し、後明領で暴動を起こす**
義和団は華北から南下し、
後明領(福建・広東)に侵入。
• 後明官吏を襲撃
• 日本連邦系の商館を破壊
• 港湾都市で暴動
• 日本語学校・連邦施設を焼き討ち
• 華南の民衆を扇動
後明軍は海洋国家であり、
内陸からの大規模民衆武装には弱い。
華南沿岸は大混乱に陥る。
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**第5段階(1900年中盤):
清朝が義和団に“便乗”して後明へ侵攻**
清朝は義和団を完全に制御できていないが、
後明を潰す絶好の機会 と判断する。
• 「秩序回復」を名目に軍を派遣
• 湖南・江西の軍閥が大軍を動員
• 後明領へ本格的に侵攻
• 義和団と清軍が“事実上の協同戦線”を形成
清朝の狙いは明確:
「華南沿岸を奪還し、後明を滅ぼす」
後明は北(清軍)と西(義和団)から挟撃され、
単独では防衛不可能。
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**第6段階(1900年後半):
後明が日本連邦に正式に救援を要請**
後明は日本連邦に対し:
• 清朝の侵略
• 義和団の暴動
• 沿岸都市の陥落
• 日本連邦人の被害
• 南海航路の危機
を理由に、正式な軍事支援を要請。
日本連邦はこれを受け、
連邦議会で“後明救援”が可決される。
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**第7段階:
日本連邦が参戦を決定し、明清戦争が開戦**
日本連邦の参戦理由は明確。
• 後明は同盟国であり、見捨てられない
• 南海航路の安全保障
• 清朝の南下を阻止
• 義和団の反日暴動の鎮圧
• 華南沿岸の安定化
• 太平洋文明圏の安全保障
こうして、
1900年、明清戦争が正式に開戦する。
戦場は華南沿岸から内陸へ拡大し、
陸戦中心の大規模戦争となる。




