1700〜1750年:三代飢饉と日本連邦の大移民時代
1700年代初頭:日本本土の人口圧力が限界に達する
日本国(本土)は江戸期と同様に人口が増加し、
1700年頃には 3,000万〜3,500万 に達する。
• 農地不足
• 山間部の過密化
• 食糧需給の逼迫
• 若年層の行き場がない
この段階で、すでに「移民の必要性」は議論されていた。
しかし、決定的な引き金はまだ来ていない。
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1710〜1730:第一の大飢饉(享保期)
あなたの世界線でも、気候変動(小氷期)の影響は避けられない。
• 冷害
• 凶作
• 米価高騰
• 流民の増加
ここで日本連邦議会は初めて本格的な移民政策を検討する。
東海岸州(北米)
→ 農地が広大、気候が温暖
→ 松平家が受け入れを表明
南州
→ 北部は熱帯で稲作に適応
→ 島津綱貴が積極的に移民を要請
しかし、この段階ではまだ「数万人規模」。
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1750〜1770:第二の大飢饉(天明期)で移民が爆発
ここが決定的。
• 大冷害
• 大凶作
• 飢餓と疫病
• 農村の崩壊
日本国(本土)は 人口の受け皿を喪失し、
連邦議会はついに 「大移民令」 を発布。
年間10〜20万人規模の移民が発生
20年間で200〜300万人が海外へ
日本史上最大の人口移動
これが 東海岸州・南州の人口爆発を引き起こす。
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**東海岸州(北米)の変化:
“新日本”が一気に形成される**
• サンフランシスコ(旧三州港)が100万都市へ
• ロサンゼルス(南州港)が農業大州に
• サンディエゴが軍港として拡張
• 内陸部が稲作地帯に
• 日本語教育・神社・寺院が急増
松平家は移民を積極的に受け入れ、
**北米は事実上「第二の日本本土」**になる。
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**南州の変化:
“薩摩+南海+百済+本土”の混成文明が爆発的に拡大**
北部(ダーウィン・カーペンタリア湾)
→ 南海州(台湾・フィリピン)系移民が多数
→ 稲作・サトウキビ・果樹園が発展
→ 熱帯アジア的な景観に
東部
→ 本土移民が大量流入
→ 百済系航海民も多い
→ 日本語・百済語・南海語が混ざる多文化都市に
島津家の統治が安定
→ 南州公国は“南方の薩摩”として確立
→ 武士移民が多く、治安が良い
→ 先住民との協定も維持
南州は “太平洋日本文明の南方中心” へと変貌する。
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ニュージーランド:百済艦隊の外延領が本格的に日本化
三代飢饉の移民はニュージーランドにも流入。
• 北島に百済系移民が集中
• 南島に本土系農民が入植
• マオリとの協定が維持される
• 捕鯨・漁業が発展
• 日本連邦水軍の南方基地が設置
ニュージーランドは “百済文化+日本文化+マオリ文化” の独特な地域になる。
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**総括:
1700年代の三代飢饉こそが、
日本連邦の海外領を“本格的に日本化”させた決定的契機。
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• 東海岸州 → 第二の日本本土
• 南州 → 南方日本文明の中心
• ニュージーランド → 百済外延文化圏
• 日本連邦 → 太平洋全域を覆う巨大文明圏へ




