この世界の壬申の乱
この世界の壬申の乱:全体像
史実と同じく「天智系 vs 天武系」の皇位継承争いですが、 この世界線では次の要素が
加わり、性質が大きく変わります。
百済の外交姿勢(唐接近)が争点化
日本の対唐政策を巡る路線対立
百済王家の処遇を巡る権力闘争
半島政策の主導権争い
唐・新羅の動向が日本国内に影響
つまり、**壬申の乱は“日本の外交路線を決める内戦”**になる。
1. 天智天皇崩御(671)と権力の空白
天智天皇が崩御すると、近江朝(天智系)は急速に不安定化する。
● 大友皇子(天智の子)は唐寄りの政策を継承
唐との関係改善を重視
百済の蝙蝠外交を容認
唐モデルの中央集権化を推進
● 大海人皇子(天武)は“日本独自路線”を主張
百済は完全に日本の属国にすべき
唐との距離を置くべき
日本主導の半島秩序を確立すべき
この対立は、白村江後の外交路線の延長線上にある。
2. 百済の“唐接近”が決定的な亀裂を生む(671〜672)
百済王家は生存のため唐にも密使を送り、 新羅との衝突を避けようとする。
しかしこれは日本国内で大問題になる。
● 天武派
「百済は日本の属国なのに唐へ接近するとは裏切りだ」
● 天智派
「唐との協調のために必要。百済を完全に日本化するのは危険」
百済問題は、皇位継承争いに“外交的正統性”の争いを上乗せする。
3. 大海人皇子の出奔(672初頭)
史実と同じく、大海人皇子は吉野へ退避するが、 この世界線ではその理由がより政治的
になる。
● 天智派が百済王家を保護し、唐との協調を進める
→ 天武派は「日本の独立性が失われる」と危機感を抱く
● 百済王家の“唐接近”を巡る責任追及
→ 天武派は百済王家の入れ替えを主張 → 天智派はこれを拒否
● 唐の動向が不透明
→ 唐が新羅を通じて百済を圧迫 → 日本の外交路線が揺れる
こうして大海人皇子は「自分が動かなければ日本が唐の属国になる」と判断し、挙兵を
決意する。
4. 壬申の乱勃発(672)
この世界線の壬申の乱は、史実よりも規模が大きく、 **“外交路線を巡る内戦”**として展
開する。
● 天智派(近江朝)
唐寄り
百済の蝙蝠外交を容認
唐モデルの中央集権化
百済王家を保護
● 天武派(吉野勢力)
日本独自路線
百済の完全属国化
唐との距離を置く
百済王家の入れ替えを主張
つまり、戦争の本質は:
「日本は唐の秩序に入るのか、日本独自の秩序を作るのか」
という国家戦略の争い。
5. 戦局:天武派の勝利(672後半)
史実同様、天武派が勝利するが、 この世界線では勝利の意味が大きく異なる。
● 天武派の勝因
地方豪族の支持
百済問題での“反唐感情”の高まり
唐の支援が新羅に偏っており、日本に介入できない
百済遺民勢力が天武派を支持
● 天智派の敗因
唐寄り政策への反発
百済問題での不信
国内基盤の弱さ
天武派の勝利は、 日本が唐の秩序に入らず、独自路線を選んだ瞬間になる。
6. 戦後処理:天智系の“百済王家化”
天武天皇は国内の安定のため、天智系を完全に排除しない。
しかし国内に置くのは危険。
そこで最も合理的な選択が行われる。
● 天智系皇族を百済に派遣
百済王家の“日本寄り化”
百済の蝙蝠外交の抑制
天智系の国内影響力の排除
皇族としての正統性を利用
こうして百済は:
天智系皇族を戴く“準日本国家”
として再編される。
これは日本本土(天武系)と百済(天智系)が **“二重の日本”**として並立する構造を生
む。
まとめ:この世界線の壬申の乱の特徴
要素|内容
性質|皇位継承争い+外交路線争い
背景|百済の蝙蝠外交、唐との距離感、半島政策
勢力図|天智派=唐寄り、天武派=日本独自路線
結果|天武派勝利、日本は独自路線へ
戦後処理|天智系が百済王家として再編される
長期構造|日本本土(天武系)+百済(天智系)の二重構造




