1960年代以降のアラブ
Ⅰ. なぜ1960年代以降のアラブで戦争が頻発するのか
あなたの世界線では、アラブは 三重の緊張 を抱えています。
◆ 1. ETO(欧州)とTOTO(海洋)の利害が真っ向から衝突
ETO
:石油が必要。陸軍顧問団を派遣し、共和派・民族主義政権を支援
TOTO(日本・英国)
:海上交通路(SLOC)を守るため、王政・保守政権を支援
石油と海路をめぐる文明圏の代理戦争 が避けられない。
◆ 2. アラブ内部の対立が激化
王政 vs 共和派
イスラム保守 vs 世俗民族主義
都市エリート vs 砂漠部族
石油富裕国 vs 非産油国
これらが外部勢力の介入で“戦争”に変わる。
◆ 3. ロシアの空白化で“北からの脅威”が消えた
史実のようなソ連の圧力がないため、 アラブ諸国は 自由に内戦・革命を起こせる。
Ⅱ. 1960年代:アラブ戦争の連鎖開始
1960年代は 革命とクーデターの連続 で、 そのたびに ETO と TOTO が介入する。
◆ 1. 1961–63:アラビア半島革命戦争
共和派(ETO支援)
王政(TOTO支援:日本・英国)
紅海・アデン湾の海上交通路をめぐる戦争。
TOTOは海軍で港湾を封鎖し、 ETOは陸軍顧問団で内陸部を支援。
結果: 王政が辛うじて生き残るが、半島は分裂状態に。
◆ 2. 1964–66:北アフリカ民族主義戦争
リビア・アルジェリアで民族主義政権が台頭(ETO寄り)
旧王政・保守派がTOTOに支援を求める
地中海沿岸がETOの勢力圏に傾く。
◆ 3. 1967:紅海危機
紅海沿岸の港湾をめぐり、 共和派(ETO)と王政(TOTO)が衝突
日本連邦海軍が介入し、海上交通路を確保
TOTOが海の支配権を維持。
Ⅲ. 1970年代:戦争が“地域全体の構造”になる
1970年代は アラブ世界が完全に二極化 する。
◆ 1. 1971–74:メソポタミア戦争
共和派政権(ETO支援)
王政連合(TOTO支援)
石油地帯が戦場となり、 ETOは陸軍装備を大量供給、 TOTOは空軍・海軍で制空権を確
保。
結果: 国境線が固定されず、戦争は継続。
◆ 2. 1975–78:アラビア湾岸戦争
産油国の王政がTOTO寄り
内陸の貧困国がETO寄り
石油価格が世界的に乱高下。
◆ 3. 1979:アラブ大分裂
アラブ世界は完全に二つに割れる。
TOTO陣営:湾岸王政・紅海沿岸
ETO陣営:北アフリカ・メソポタミア・内陸部
Ⅳ. 1980年代:泥沼化と“文明圏代理戦争の最高潮”
1980年代は アラブ戦争のピーク。
◆ 1. 1980–85:大アラブ戦争
複数の戦争が連結し、 アラブ全域が戦場 になる。
北アフリカ戦線(ETO優勢)
メソポタミア戦線(拮抗)
アラビア半島戦線(TOTO優勢)
紅海戦線(TOTO海軍が制海権)
東地中海戦線(ETOが陸軍で圧倒)
◆ 2. 1986–89:停戦と分割
TOTOが海を支配
ETOが陸を支配
アラブ世界は“海洋文明圏 vs 大陸文明圏”の境界に
Ⅴ. アラブ世界の構造変化
1960〜80年代の戦争の結果、 アラブは 三つのブロック に分裂する。
1. TOTOブロック(海洋文明圏)
アラビア湾岸王政
紅海沿岸
インド洋側の港湾国家
日本・英国の海軍基地が存在
海上交通路を守る“海洋アラブ”
。
2. ETOブロック(欧州文明圏)
北アフリカ(アルジェリア・リビア)
メソポタミアの共和派国家
内陸の民族主義政権
陸軍中心の“大陸アラブ”
。
3. 中立・分裂地域
レバノン
シリア内陸
砂漠部族地域
永続的な不安定地帯。
Ⅵ. これらの戦争は“ETO vs TOTO の文明圏代理戦争”である
史実の米ソ冷戦とは違い、 あなたの世界線の代理戦争は 文明圏の性格がそのまま戦争の
形に現れる。
◆ ETO(欧州文明圏)
陸軍中心
共和派・民族主義政権を支援
資源確保が最優先
北アフリカ・メソポタミアに強い
◆ TOTO(海洋文明圏)
海軍中心
王政・港湾国家を支援
海上交通路の確保が最優先
アラビア湾岸・紅海に強い
◆ 結果
時代 になる。
アラブは 海洋文明圏と大陸文明圏の境界線 となり、 1960〜80年代は 絶え間ない戦争の
**最終結論:
1960年代以降のアラブは、 “ETO vs TOTO の文明圏冷戦”の最前線となり、 革命・内
戦・国家間戦争が連鎖的に発生する。**
1960年代:革命とクーデターの連鎖
1970年代:地域全体の戦争へ拡大
1980年代:大アラブ戦争として泥沼化
海洋アラブ(TOTO) vs 大陸アラブ(ETO)
アラブ世界は三分裂し、恒久的な緊張地帯となる




