1960年代、 ETO(欧州条約機構) 成立
**Ⅰ. 欧州各国の独立回復(1950〜1958)
──
“独立は回復したが、軍事的空白は埋まらない”**
◆ 1. フランスの独立回復(1950〜1952)
ドイツ軍の占領行政が終了
暫定政府 → 正式政府へ移行
英国が政治的後見人となる
しかし軍は警察レベルで、国防能力は皆無
独立はしたが、守る力がない。
◆ 2. ベネルクスの独立回復(1951〜1953)
行政機能が復活
経済はドイツ資本に依存
軍はほぼ存在しない
ドイツ軍が治安維持を継続
◆ 3. ポーランド・チェコの独立回復(1952〜1955)
国際管理下で行政が再建
ドイツ軍が治安維持を担当
自国軍は小規模な治安部隊のみ
ロシアの脅威は消えたが、無政府地帯化が続く
◆ 4. バルト三国の独立回復(1953〜1957)
ロシアが国家不在のため、独立は容易
しかし安全保障は完全にドイツ依存
英国は関与せず
**Ⅱ. ドイツ軍の駐留継続(1950〜1960)
──
“撤退するはずが、撤退できなくなる”**
停戦合意では、 ドイツ軍は段階的に撤退する予定だった。
しかし現実は逆になった。
◆ 1. 欧州各国の軍事力が弱すぎる
フランス:軍再建が進まない
ベネルクス:非武装化が進む
ポーランド:治安部隊のみ
バルト:軍なし
ロシア西部:国家不在
ドイツ軍が撤退すると、欧州が無政府化する。
◆ 2. 連合国(日英)は軍派遣に消極的
日本連邦は太平洋・中華北方・ロシア管理で手一杯
英国は大陸奥地に軍を置く気がない
北米連邦は欧州に関心が薄い
欧州を守るのはドイツしかいない。
◆ 3. ドイツ新政権も駐留継続を望む
治安維持はドイツの国益
欧州の安定はドイツの安全
再武装は制限されているが、治安維持軍は合法
**Ⅲ. 欧州各国とドイツの二国間安全保障条約(1955〜
1962)
──
“ドイツ軍駐留の合法化”**
1950年代後半、欧州各国は次々にドイツと安全保障条約を結ぶ。
◆ 1. フランス=ドイツ安全保障条約(1956)
ドイツ軍の駐留を正式に認める
フランス軍は警察レベル
英国は政治的後見のみ
◆ 2. ベネルクス=ドイツ条約(1957)
経済は完全にドイツ圏
軍事もドイツ依存
ドイツ軍が治安維持を継続
◆ 3. ポーランド・チェコ=ドイツ条約(1958〜1959)
ロシアの無政府地帯化が続く
ドイツ軍が国境警備を担当
自国軍は小規模
◆ 4. バルト三国=ドイツ条約(1960〜1962)
ロシアの空白地帯に最も近い
ドイツ軍駐留は不可欠
**Ⅳ. 欧州条約機構(ETO)の成立(1963)
──
“ドイツ中心の欧州文明圏”が制度化される**
二国間条約が積み重なり、 最終的に 1963年にETOが成立 する。
◆ ETOの特徴
ドイツが中心
フランス・ベネルクス・ポーランド・チェコ・バルトが加盟
西ロシアの自治政府が準加盟
ドイツ軍が統合軍の中核
核は持たない(日本連邦の監視下)
◆ ETOの目的
欧州の治安維持
ロシア西部の安定化
経済統合の促進
ドイツ軍の駐留を合法化
海洋文明圏(TOTO)との均衡
Ⅴ. 欧州は“ドイツ影響圏”として再編される(1960年代
末)
1960年代末、欧州は次のように整理できる。
A. 西欧
独立国家
しかし安全保障はドイツ依存
経済もドイツ圏
英国は政治的後見のみ
B. 中欧
ドイツの緩衝地帯
ドイツ軍駐留
経済はドイツ主導
C. 東欧〜西ロシア
国家不在の空白地帯
ドイツ軍が治安維持
日本連邦は後方支援のみ
D. 欧州全体は“ドイツ文明圏”として再編
ETOが制度的枠組み
ドイツが中心
欧州は海洋文明圏とは別の文明圏として再構築
**最終結論:
欧州各国の独立回復は進むが、 軍事的空白を埋められず、 1960年代に ETO が成
立し、 欧州は“ドイツ影響圏”として再編される。**
連合国は軍を出さない
ドイツ軍だけが治安維持を継続
各国はドイツと安全保障条約を締結
その積み重ねが ETO になる
欧州はドイツ中心の文明圏として再統合される




