第十八話 月樹・ミモザ
「山中くーん、今から部活行くの?」
美術部の部室がある文化部棟の2階にあがる途中で、竹下さんに呼び止められた。
「うん。竹下さんも?」
「うん!あのさ、じゃあ部活が終わった後に、その……」
「何?」
「あのね……」
「何?」
「良ければ……一緒に帰らない?」
「ごめん、僕今日帰る途中で花屋に寄ろうと思ってるから……」
「わ、わかった。こちらこそごめんね。じゃあまたね」
手を振る竹下さんに笑顔を返す。
せっかく誘ってくれたのに申し訳ない。
今日は僕にとって初めての、正式な部員として部活に参加できる日だ。
れいれいに倣って僕も入部届のハンコは「音咲」にした。
仮入部したときみんなすごい絵を描いていたけど、僕にもついていけるかなぁ……
長い廊下を曲がると、「美術部」と書かれたプレートが見えた。
このプレートは、毎年3年生の先輩が綺麗にデザインして描いているらしい。
カラフルに塗られたそれは、他の部室にかかった物とは別格に煌びやかで、改めて先輩たちの凄さを思い知らされる。
「あれ?えーっと、君は……山中君だったっけ?」
「はい!こんにちは」
「こんにちは。美術部に入ってくれてありがとう。そこに突っ立ってないでこっちおいでよ」
扉の前で呆然と立っていると、中から先輩が出迎えてくれた。
仮入部の時にはたしか水彩で犬の絵を描いていた人だ。
名前はえっと……
「あー絵具忘れた!おい犬井、絵具貸してや」
「今日じゃなくていつも忘れてるじゃん……まぁ貸すよ、仕方ないなぁ」
そうだ。彼は犬井先輩。
今日も画用紙に犬の絵を描いている。
犬井先輩の隣で絵具を借りているのはたしか猫矢先輩。
あの二人は仮入部の時もいつも一緒にいた。
犬井先輩は淡くて優しい感じの絵をいつも描いているのに対し、猫矢先輩は力強くて鮮やかな絵を描いている。
性格も正反対なのに、二人はとても仲が良い。
なんでだろう。
うーん……
「えっと、君誰やっけ?一年生?」
どうでもいいことを考えていると、猫矢先輩が声をかけてきた。
「あっ、はい。山中月樹です」
「ふーん、山中ね。ウチ猫矢いうねん。よろしくな!」
「よろしくお願いします!」
にかっと笑う猫矢先輩。
僕も挨拶を返す。
「ほな、そこ座り。あそこに紙なんぼでもあるから好きなもん描いてええで」
「ありがとうございます」
たしかに紙が山積みされているエリアがある。
僕はそこから一枚紙を取ると、猫矢先輩の隣に座った。
愛用の鉛筆を筆箱から抜き出すと、紙に押し当てる。
さぁ、どんなものを描こうか。
深呼吸して紙を見つめる。
「犬井、ほんま犬好きやねんな。また描いてるやん」
ふと隣の会話が耳に入った。
じゃあ、僕の好きなものってなんだろう。
音、いや、それよりも……
「猫矢さんもいつも猫描いてるじゃん」
「それはウチの苗字が猫矢やから仕方なく描いてんねん」
「いや、苗字と描く題材は関係ないと思う」
描くものを決めればあとは手が勝手に動いてくれる。
シャッと黒鉛が紙に擦り付けられる音。
一つ一つの線が、完成する絵を構成している――そう考えたら、絵がすごく壮大なものに感じてくる。
「ていうか、犬井も苗字に犬ついてるもんな」
「僕の場合も苗字と描く題材は関係ないけどね」
「そうかねぇ……」
白と黒だけでも、鮮やかな色彩を思い浮かべて手を動かすと、次第と色が見えてくるように感じる。
鋭く、優しく、形を想像して僕は手を動かし続けた。
「で、山中は何描いてるん?」
話が僕に振られた。
僕の手元を覗き込む猫矢先輩。
「おおっ!!なんか独特な世界観っちゅうか……綺麗やな」
「そんなことないです」
「そんなことあるって」
首を横に振る僕のところに、犬井先輩も覗き込みに来た。
「本当だ、凄いね。何の花?」
「ミモザっていう花です。ミモザを一房ガラスに閉じ込めたら綺麗に見えそうだなと思って、水晶玉に入っているみたいな感じにしてみたんですけど……」
「すごいね。水晶玉の透明感も表現できてるし」
「いや、そんなことないです……先輩の方がすごいです」
ミモザ。花言葉は、思いやりだ。
この先輩たちにぴったりの花。
うん?花……花といえば。
はっとした。
帰りに花を買おうと思っていたのに、教室に財布を置いてきた。
「すみません、教室に忘れ物したので取りに行ってきます」
部室のドアを開け、外に飛び出す。
すると、そこには見知った人影があった。
「あっ!」
ツヤツヤのボブヘアに丸眼鏡の女の子が、隣の部室に入ろうとしていた。
「リンス!」
思わず声をかける。
「……っ!」
一瞬振り返ったリズさんは、何も言わずに隣の部室に入っていった。
前に話したときに部活は隠したいようだったけど……
隣の部室のプレートを見た。
そこにはこう書かれていた。
『文芸部』




