7 かしましい森の朝
急いで戻ったラシュディが目にしたのは、縄に足をとられて、空中でジタバタもがくディアナの姿だった。
彼女が動くたびに、樹上で縄に括られた鉄針が擦れて鳴る。
実はディアナのもとを離れる前に、罠を張っておいた。何者かが彼女に近付けば作動する、捕獲警報装置である。
だが逆に、これは彼女が迷子になるのを防ぐためにも作用するのだ。
「よお、姫さん。お目覚めかい」
「ラシュディ、貴様、この悪趣味な仕掛けはどういうことじゃ。これが詩人のやることか」
絡んでいた縄を解くラシュディを、ディアナは潤んだ瞳で睨み付ける。
「俺は昔、羊飼いの夜番をやっていたことがあるんだ。狼除けだよ」
「それより第一、わらわを残して勝手に出歩くなど言語道断じゃ。貴様には案内役としての自覚が足らぬ。金輪際、わらわの許可なく傍を離れることは許さぬぞ」
「へいへい、悪かったよ。でも、寂しいからって泣くことないだろ」
ラシュディは長い細縄を束ねてより合わせ、自分の腰に巻き直した。この罠に使った縄は、ベルトも兼ねていたものだ。
「泣いてなどおらぬわ。この王女たる者が、十五にもなって」
ディアナは立ち上がって土を払い、ふんと顔を逸らした。
「目からこぼれてるそれが涙じゃないなら、何だってんだ」
「これは……月の雫じゃ」
「なんだそりゃ」
「わらわは月の女神の子孫であり、祝福を受けし高貴なる身じゃからな」
「そうか……まあ、そういうことにしといてやるよ」
「憐れむでない!!」
ラシュディの彼女を見つめる目は、拙い言い訳する子を温かく見守る親のそれだ。
「そも、わらわが寂しいなど、何を根拠に言うておるのじゃ?」
「俺の膝で寝ておいて、よく言うぜ」
彼女が勇者の名を呟いたことは伏せつつ、夜更けの出来事を教える。
「……ラシュディよ。おのれの自尊心を満たすためだけに、虚言を用いて他者を貶めるのは感心せぬぞ」
しかしディアナは、しばらく思案する素振りをしてから、ばっさり切り捨てた。どうやら本当に無自覚だったようだ。
「嘘じゃねえって」
「男の若い身空で、孤独暮らしをこじらせた結果がこれか」
「おい」
「わらわも、身の貞操を考えねばならぬかのう、よよよ」
「話が飛びすぎてるぞ」
「だが、気にするでないぞ。妄想……空想の豊かさは、詩人の情緒にも繋がることじゃからな。このディアナ、理解はしておる」
「俺を憐れむなよ」
ディアナの手が、ぽんっとラシュディの肩に置かれる。
「さておき、おぬしは全体、どこに行っておったのじゃ?」
「見つけたで。この変態!!」
ラシュディが答えるより早く、草を分けて赤毛の女が駆け込んできた。
「よく追いついてきたな。でも変態は止めろ」
「逃がすか。ウチにあんなことしといて、タダじゃおかへんからな」
肩で息をする赤毛の女と、面倒くさそうに小さなため息をつくラシュディとを、交互に見やってディアナは目を細める。
「なるほど、ラシュディ。貴様にとって、女を釣ることなど朝飯前というわけか」
「お前は俺を何だと思ってるんだ」
「その台詞、ウチがあんたに言いたいわ」
このままでは話の線が絡まって厄介だ――そう感じた矢先、一瞬の静寂を待ち構えていたかのように、三人の腹が揃って鳴いた。
「……飯あるけど、お前も食うか?」
ちょうど猟果は三人分ある。
「旨いもんやったら、それでさっきのはチャラにしたる」
「じゃあ任せとけ。俺は昔、大衆酒場で料理人をやっていたことがあるんだ」
「腕によりをかけるがよいぞ」
そうして話が決まるなり、女性陣は木根に腰を下ろした。
「手伝わねえのかよ!!」
「わらわが仕事を奪っては、かえっておぬしに失礼であろう。仕事には相応しい身分があるのじゃからな」
「どういう理屈だ」
「ほらウチ、料理とか苦手な人やん?」
「知らねーよ。よくそれで一人旅が務まるな」
ラシュディは文句を言いながらも、女から火打金を借り、適当に拾った石に打ちつけた。淀みない手際で、散らした火花を種火にして薪を燃やす。
そしてねずみを地に置いて向き直り、胸の前で両手を合わせて小さく頭を下げた。
この両手を合わせる所作は、死したものへの礼儀だと、かつて『手品』の師匠から教わったものだ。
「さて、ここで遭うたのも何かの縁じゃ」
ラシュディがねずみの皮にナイフを入れている間に、ディアナは赤毛の女に手を差し出す。
「わらわはディアナ=ルネ=スパーダ。あっちのあれは、ラシュディ=サルヴァン」
「ウチは、行商のカレンや。カレン=パッシ。よろしゅう」
赤毛のカレンは、ディアナに握手で応じた。
「ディアナってあれ、お姫様と同じ名前やん。珍しい」
「北ロマーニャ王国が第二王女じゃ」
「そう、それな」
ラシュディは、はらわたを取りつつ、首を回して様子を窺う。
「ウチはフローレンツァまで行くんやけど、お二人さんはどちらまで?」
王都フローレンツァとは、北ロマーニャ王国における首都の名である。ディアナら王族の政治的拠点としてだけでなく、運河を用いた物資流通の要として商業の中心にもなっている。
「魔王の城までじゃ」
ディアナは立ち上がり。ぐっと拳を握ってみせた。
「えっと、ちょい待ち。魔王? なんでそんなことなっとるん? マジで言ってんの?」
「無論、本気に決まっておろう」
ラシュディが串に刺したねずみに塩をまぶし、じっくり火で焙っている間に、ディアナは事のあらましを語った――『白銀の勇者の冒険記』の内容と、その最新刊を待ち焦がれた挙句に著者のもとへ押しかけ、事情を聞いて今に至るまでの経緯を。
対するカレンは呆気にとられていた。
さすがに付いて行けないといった様子だ。
「待って整理させて……ディアナが本物のお姫様で、上でピエロの人と戦っとった女の子?」
「先から、そうじゃと言っておろうに」
わずかの間を置いて、カレンは笑い飛ばそうとする。
「いやいや、嘘やん。お姫様がこんなとこにおるわけないし、髪の色だってちゃうし」
「ふむ。髪と目については、今すぐには証を立てられぬのじゃが」
ディアナは不服そうに唸ると、胸元から青玉石のペンダントを掲げてみせた。
「この石と紋様が、わらわの身を明らかにしようぞ」
言われてカレンは、青玉石に目を凝らす。
そして澄んだ石の底に、花冠を被る鹿と月をかたどった金地の紋を認めて、顔が青ざめた。
「……王家の証やん!? 噂には聞いたことあるけど、ほ、本物なん?」
「これを持つことが許されておるのは、世界に何人もおるまい」
「あー、いやいや、これはこれは、お姫様とは知らんで、失礼してました、ほんま」
カレンは手のひら返しで、頭を低くした。これもまた商人の鑑である。
「畏まらずともよい。わらわは寛大じゃからな。楽にしてよいぞ」
ディアナもまんざらではなさそうだ。
「そう言ってくれると助かるわ。ウチ、堅苦しいの苦手な人やねん」
「おい、焼けたぞ」
一方では、こんがり、香ばしい姿焼きの完成である。
するとラシュディの手元に視線を向けたディアナが、ぎょっと目を丸くした。
「な……何じゃそれは、ね、ね、ねずみではないか!?」
「出来上がってから言うなよ!!」
「貴様、ラシュディ、貴様、わらわの口に、そんな下劣な生き物の肉を入れようとは、どういう魂胆じゃ。おのれ」
お姫様の金切り声に、ラシュディは大きくため息ひとつ。
「あのな、こいつは街でどぶを泳いでるようなのとは違う。木の実ばっかり食べてるから臭くないし、変な虫も付いてない」
「しかし、ねずみであろ?」
「ねずみだよ」
ディアナは歯痒そうに頬を引きつらせた。
「……そうか、そうか。さては、嫌がるおぬしを無理やりに連行したことを恨んでの仕打ちじゃな? 汚いぞ。なんと狭量な男じゃ」
「別に恨んでねえよ」
「でも、仕方ないではないか。そうでもせねば、おぬしは来なかったであろう」
また月の雫がこぼれそうだ。
「なあ、姫さん。衣食足りて礼節を知る、ってことわざ聞いたことあるか?」
「東方の金言じゃな。学のあるわらわは、もちろん知っておる」
「腹が減ってたら、姫様らしい高貴な振る舞いだって出来ないんじゃないか?」
鷹は飢えても穂を摘まず、ということわざもあるのだが、この際それはそれである。
「……しかし、ねずみであろ?」
「ねずみだよ」
促されるままに串を受け取ったディアナだが、まだ口に運ぼうとまではしない。
「いいか? 世の中には、いろんな国や人がいる。そいつらごとに文化も常識も違う」
「そのくらい承知しておる」
「それこそ、ねずみの肉が貴重品で、国をあげて客を迎えるときに使われることだってあるだろう。っていうか、実際にある」
「信じがたいことじゃ。げに、恐ろしい」
「問題はそのとき、お前はどうする。王女として、国を代表して招かれたとき、最上級のもてなしを蔑ろにするのか」
地位も名誉も関係ない森の中で、論理の強引さを自覚しながら、さも正論を説くかのように装ってラシュディは迫る。
「…………しかし、ねずみであろ?」
「ねずみだよ」
「もうええわ、このやり取り!!」
待ちくたびれたカレンが横から、姿焼きを一本ひったくる。
そしてかぶりつき。
「うん、旨いやん。ええ感じの塩加減やし」
「だろ?」
ラシュディも一口がぶり。肉汁が顎を伝う。
その様子を眺めて、ディアナは喉を鳴らした。
改めて串に目を落とし、深呼吸をしてから、目をギュッと閉じて、恐るおそる姿焼きの足先を噛んだ。
ひと欠片の肉を口に含んで、ゆっくり咀嚼していく。
わずかの間を置いてから、飲み下すと同時に目を見開いた。
それからは速く、一心不乱に口を動かす。
程なく肉を平らげるや、ラシュディを見上げて声を荒げた。
「貴様、美味しいではないか!!」
「なんでキレ気味に言ってんだ」
「小柄な割に意外と汁気に富んで、ほんのり甘味もあって、噛むたびに旨味が溢れて、軟骨がまたコリコリとして、肝まわりもさほど苦くなく、むしろ森の恵みを凝縮したような深みを醸して、わらわが今まで食べたことのない、とても新鮮、ではないか!!」
「めっちゃ気に入ってるやん」
「おかわりはどこじゃ!!」
「ねーよ」
「獲ってまいれ!!」
「腹具合なんてのは、ちょっと足りないくらいが丁度いいんだ」
ラシュディは姿焼きの小骨をゴリゴリと噛み砕いた。




