3 “姫様パワー”の力
百人規模の兵隊が、列を成して崖道を進む。
右手には切り立つ岩壁がそびえ、左手にもほぼ直滑降の勾配。遙か眼下には、傘のように枝のふくらんだ松の木が生い茂って森林を広げている。
兵士らは徒歩だが、列の先頭付近には馬車がある。
後ろには長蛇の列が続いているが、前にはたったの四人ほどしか配置されていない。そんな偏った守りを伴って、戦いへ赴くには似つかわしくない、きらびやかに装飾された一台である。
もし周りに兵士がいなければ、山賊の格好の的になるだろう。光り物が好きな小鬼の類にだって狙われるかもしれない。
道は舗装などされていないので、とにかく揺れる。
だが車内でディアナが腰を埋めているクッションはとても上質らしく、彼女は余裕で呑気に冒険小説を読みふけっていた。
「やっぱり離せ、下ろせ、帰らせろ!!」
片や車外で、木柱に縄で固く縛りつけられているラシュディとしては、車輪が石に乗り上げる度に背を叩かれるような衝撃が走るのだからたまったものではない。
「今日び戦争の捕虜だってもうちょっとマシに扱ってくれるぞ」
「だがそこならば、行く先がよく見えるであろ? 案内役にはうってつけじゃ」
後ろからディアナの声だけが届いてきた。御者台に担ぎ立たせた柱は、たしかに見晴らしは良い。見晴らしだけは。
「景色の問題じゃねーんだよ」
そして気が気でないのは、やはりこの崖道の幅だ。馬車で通るにはギリギリに狭く、何度も車輪を踏み外しそうになっている。
本当ならもっと安全に北へ向かう方法はある。
だがラシュディは早いところディアナに旅を諦めてほしかったため、近道という名目で、敢えてこの危険な経路を紹介した。
しかしディアナは、迷わず強行突破を決断。
「危険」を「冒す」と書いて「冒険」と読むのじゃ――彼女は『白銀の勇者の冒険記』を手に見せながら、目を輝かせてそう言ってのけた。
何を言ってんだこの女、とラシュディは思い、また思わずその通りに口走ってしまったのだが、その時点で磔にされていて、既にどうしようもなかったのである。
「どうしてもこのまま進むんなら、せめて手綱は俺に握らせてくれよ。危なっかしくて見てられねえ」
「大丈夫。落ちるときは、わらわも一緒じゃ」
「大丈夫じゃねえよ。落ちないようにするのが大事だろ」
「そも、ただの詩人に馬の扱いが出来るのか?」
「俺は昔、荷馬車の御者をやってたんだ。経験はあるぜ」
「そうは言っても、おぬし、解いたら逃げるであろ?」
「そんなわけねえだろ。俺は、なんだかんだ言っても仕事には誠実な男だぜ……おい、何か言えよ……おいって!!」
ラシュディは取り繕ってみせるも、ディアナの返事は一向に無かった。
そうこうしているうちにふと、岩壁の角を曲がった先で、反対側から歩いてきた者と鉢合わせになった。
相手は一人、赤みのあるクセっ毛の女だ。年の頃は二十前後か。
己の身体ほどもある大きな荷物を背負っており、頑丈で山歩きにも適した鋲打ち革を中心とした服装をして、さらに腰にはクロスボウを提げている。
ラシュディが赤毛の女を値踏みするように見ていると、兵士の列に驚いていた彼女も視線に気付いたのか、見上げて目を合わせた。
「へ……」
女はつぶらな灰緑色の瞳をさらに大きく見開き、顔を引きつらせ、一歩退いた。
改めてラシュディが自身の姿を省みれば、屈強な鎧兵士に付き添われ、磔にされて担ぎ上げられているという状況だ。
これでは晒し者にされた重罪人だと思われても仕方がない。まっとうな人間なら怯えるのも無理はないだろう。
「へ、変態やー!!」
女が絶叫した。犯罪者呼ばわりされるよりも傷つく。
「なんでだ!!」
「聞いたことあるで。世の中にはこういう、わざと痛めつけられて気持ちようなる、けったいな趣味の人がおるって」
「これは趣味でやってるわけじゃねえ。っていうか、俺のどこが気持ちよさそうなんだ!?」
「目付きとか、体付きとか、腰付きとか。あと、縄の食い込み具合」
「言いがかりだ」
「しかもそれを、こんな大勢の人に見られるのが好きと」
「誤解だ」
「でもそんな格好、女王様に鞭で打たれるのが好きに決まってるやん」
「お前のその、思い込みの激しさと、基準の偏りは何なんだ?」
「なんじゃ、騒々しいのう」
二人がわめき合っていると、ディアナが車窓から顔を覗かせてきた。
「出たー!! 女王様や!!」
「女王ではない。わらわは王女じゃ」
「似たようなもんやろ。むしろ年が若い分、もっとえげつない感じになってるで」
「まるで違うぞよ」
ディアナは少し、むっとしたような声を上げる。
「それに先ほどから趣味がどうのと耳に聞こえておるが、この旅は此奴の趣味ではないぞ。わらわの意向じゃ」
「ほらやっぱり、そういうアブナイ趣味やん!!」
「愚弄するのか? 危ない道を通ってこそ気高く、そして盛り上がるのであろ?」
絶妙な間で、微妙に噛み合わない会話。
「姫さん。ややこしくなるから、あんたもう黙っててくれねえかな」
「なぜじゃ、ラシュディ!?」
出来れば頭を抱えてしまいたい。
すると、ふと後方で、雷のような音が鳴った。空は青いというのに。
続いて届くのは、兵士らの悲鳴だ。
ラシュディは首だけ回して目端で、ディアナは馬車の窓から身を乗り出して、様子を窺えば兵の列は混乱を極めていた。
「敵襲か? 何奴じゃ? 報告せよ!!」
ディアナが問いかけても、まともに答えられるものはいなかった。きっと兵士たちの誰もが、わけが分からないのだろう。
あるものは黒焦げになって、あるものは首や腋から血しぶきを上げて、またあるものは倒れた仲間につまずいて、ばらばらと崖下に落ちている。
やがて血と煙のにおいをまとって、死体の道を踏み越えてきた敵が、ラシュディとディアナの視界にも姿を現した。
赤や黄を基調として目に痛いほど派手な配色の、ぶかぶかした服。
先端にふさふさ飾りの付いた帽子。
そして、白塗りの笑顔をかたどった仮面――道化の格好をした者は、右手に構えた細身の突剣の先をディアナに、空いた左手を天にそれぞれ向けている。
使命に準じて突進する兵を剣と蹴りで落としつつ、なおも掲げたままの左手のひらの上、空中に黒い点が生まれた。程なくそれは拳大にふくらみ、絶え間ない火花と破裂音を伴う雷球へと姿を変えていく。
「姫さん、よけろーっ!!」
ラシュディが叫ぶ。
直後に道化師は腕を振りかぶった。
高速の雷球は一直線にディアナを狙う。
そして雷鳴とともに、馬車が弾けた。
「無事か!?」
「なんとか、のう」
命中した馬車の屋根は、半分が一瞬のうちに炭と化して、すぐに風と消えた。
いよいよ馬がいなないて暴れ、その拍子に後ろの車輪が踏み外れてしまう。
車体は傾き、さらにラシュディの柱は衝撃で根元が緩んで、ほぼ横倒しの体勢になった。どうにかぎりぎり、馬が踏ん張っていてくれるおかげで落ちずに済んでいるだけだ。
「これはまさか……魔法か?」
それを横目にディアナは、焦げ残った木板を指で突きながら感嘆した。
魔法――一部の人間や、異形の怪物が先天的に持つ特別な力の総称。その使い手について、人間の場合には魔法使いと呼ぶのが一般的である。
「これほどのものは、わらわも初めて見る……凄い……凄いぞ。凄いではないか!?」
「言ってる場合か!?」
そしてこの期に及んでディアナの顔は引きつりながらも、声はうわずっている。
魔法はそれ自体、さして珍しいものではない。割合にして十人に一人は魔法使いだと言われている。
ただし普通は、例えば爪の先に小さな火を灯すだとか、口からクモの糸を吐けるだとか、力の規模としてはその程度である。
他人よりも夜目が利く、などのように地味すぎて本人に自覚が無い例もあるそうだ。
そのなかで、生計を立てるのに役立つ便利な能力は一万人に一人、まして簡単に人を殺せるほど強い力ともなれば百万人に一人とも言われるまでに希少である。またその力の大きさ故に、良くも悪くも普通の人生が送れないとも聞く。
北ロマーニャ王国の首都でさえ人口が十万人規模であるご時世、いま目の前にいる相手は、それこそ冒険小説の中でしか知られていないような存在なのである。
ディアナが感心している間にも、道化師は剣を突いて彼女に一直線。
寸でのところで車内に頭を引っ込めてかわされると、道化師は脚を止めることなく屋根を蹴って跳び、攻撃目標を御者と前方の兵士数名に定め直して、すぐさま彼らを沈黙させた。
「しかしこれが、状況が状況でなければ、のう……」
ディアナの目線が兵士らの惨状を再び捉えると、興奮を抑えきれなかった自分を恥じるように、また直後には声を調子を改めた。
馬車の前後にあった列は全滅し、今や道化師とディアナの間にいる人間は、縛られたまま仰向けになっているラシュディだけだ。
「あかーん、もうダメやー!! 死ぬー!! 殺されるー!!」
赤毛の女は道化師の後ろで腰を抜かし、顔もくしゃくしゃに泣き叫んでいる。
「嫌やー!! 死ぬ前にせめて、金貨でいっぱいにした風呂で、最高級ワインを浴びるくらいに呑みたかったー!!」
「案ずるな、旅の者よ。此奴の狙いは、あくまでわらわのようじゃ」
実際に仮面の外から窺える限り、赤毛の女には目もくれず、ラシュディにも一瞥しただけだった。ここに至って道化師はディアナと距離を保ち、再び雷球を溜めている。
「そのために、無駄に兵たちを散らしたことは見過ごせぬ」
ディアナはおもむろに物陰から姿を晒した。
「バカ、隠れてろって」
「これ以上、無関係なものを巻き込むわけにはゆくまい。民を守るは高貴なる者の務めである故に」
「じゃあ俺を巻き込むなよ」
ラシュディの柱を踏み越え、御者台を蹴る。
対する道化師は彼女が跳躍した瞬間に合わせ、雷球を放った。
空中では避けようがない。
しかしラシュディは、このままお姫様が黒焦げになるという最悪の予想に反して、繰り広げられた光景に目を疑った。
なんとディアナは、雷球を唐竹割りで叩き消したのである。
彼女の長剣は兵士から拝借していたものであり、何の変哲もない無銘のもの。普通であれば、剣ごと丸焦げにされるはずだ。
「それに、命を狙われるなど今に始まったことではないからのう」
なのにディアナは、平然と着地してみせた。
「なんだよ姫さん。あんたも魔法が使えるんじゃねえかよ?」
「節穴か? これは魔法などではない」
「じゃあ何だ? 魔法じゃなかったら何なんだ?」
「おぬしも詩人ならば、わらわの勇姿から目を離すでないぞ」
彼女の全身から、金色に煌めく粒子が溢れ出る。
「これぞ、我が“姫様パワー”の力じゃ」
そして光は蛍のように舞って剣に集まり、刀身に化粧を施した。
「……“姫様パワー”の力?」
なるほど、分からない。
「詳しい話は後じゃ。あちらも真剣で臨むつもりぞ」
見れば道化師は細身の剣を腰に差し、代わりに雷球を剣の形に変えていた。
空いた右手を左に沿え、両手で一振りの武器を構える型に直して、一層の集中した気配が窺える。
わずかな呼吸の間を置いて、両者はほぼ同時に踏み込んだ。
相対する金と黒が、何度も甲高い音を立てて切り結ぶ。
「稀代の魔法使いよ。貴様とは茶会を設けてゆっくり話をしたいところじゃが、不届き者を捨て置くわけにはゆかぬのもまた事実」
競り合って、ディアナは仮面に迫った。
「まずは、我が忠臣らの亡骸より、その卑しい足をどけるがよい!!」
金色の粒子は輝きと勢いを増し、徐々に黒い雷剣を押し返していく。
劣勢になった道化師は右手を離し、腰の剣を抜いて不意を突こうとした。
だがディアナも片手を空け、突剣の鍔を掴み制した。首も動かさずに、おそらく勘だけでの反応だ。
「姫さん、なんでそんなに戦い慣れてんだ?」
「王女たるもの、剣術を嗜んでいて当然であろ?」
続いて道化師はディアナの腹を蹴りながら、掴まれた剣を手放し後転して離脱。すぐに体勢を立て直す。
「さて、貴様が、わらわを狙う理由は何ぞ?」
ディアナは奪った突剣を捨て、長剣を大上段に構える。
「どこの手の者じゃ? 西のノルマンドか? それとも東のジェルマか?」
近隣諸国の名を挙げて問いかけるが、道化師は沈黙を貫いていた。
「あるいは、遙か北の魔王が動いておるのか?」
遠い伝説の存在を例に出しても、反応は相変わらず。
「答えぬならばそれも結構。その目障りな雷ごと、へし切ってくれよう」
ディアナが語気を強めると、激しく噴き上がった金色が刀身を覆って、まるで柱のようだ。
「全てを打ち砕く斬撃、それこそ不敬の輩には相応しい」
「切るんじゃねーのかよ!!」
「返り血が少なくてよいではないか」
「んなわけあるか」
「スパーダ王室流剣術が奥義……壊剣・荒熊!!」
一足で間合いを詰めて振り下ろす。
しかし道化師に退いていなされ、勢い余って地面を打った。
大量の土煙が巻き上がり、金と黒の輝く軌道だけが浮かんで見える。
致命的に体勢を崩したはずのディアナだったが、跳ね返るほどの俊敏さで立て直し、振り下ろされる雷剣を打ち払う。
弾き飛ばされた雷剣は、岩壁を衝撃で大きく抉った。
「圧倒的じゃねえかよ」
土煙が晴れたとき、ディアナは剣先を道化師の首に突きつけていた。
「勝負あり、じゃな」
道化師は微動だにしない。
むしろ動きがあったのは、ずっと上方だ。
先の雷剣で岩壁に走った亀裂が広がり、次第に崖全体が均衡を失い、ついには土砂崩れとして襲いかかってきたのである。




