第一話
「はぁ~~~~~」
とある男爵家の屋敷の少年の部屋で、未来ある若者の深い深い溜息が聞こえてくる。
その陰気臭い溜息を吐く少年、男爵家の長男――アルノルト=フォン=クラインミヘェルは、只今この世に生を受けて10年という短い人生の中で、最大のピンチを迎えている。
「ああーーーーー!もう、なんなんだよアレ?流石におかしいだろ!?」
アルノルト少年は独り言を盛大に口から溢しながら、両手で頭を抱え唸っている。
それもその筈、なぜなら――
「なんでユリアは、いきなり学園破壊するほどの魔法を使えるようになってんだよっ!?」
――なぜなら、そう、自分の幼馴染が化け物になってしまったからだ。
アルノルトが隣に住んでいる幼馴染の少女を気になりだしたのは、いつ頃からだろうか?
住む屋敷が隣同士で両親の仲が良く、幼い頃からアルノルトとユリアーナは顔を合わせる機会が多かった。
同じ年齢であるから、初めての友達であり、初めての同格の者であり、初めての異性でもあった。
小さい頃の彼らは、何をするにも二人だった。
勉強するのも、ダンスをするのも、遊ぶのも、風呂に入るのも、そして、悪さをして怒られるのも一緒で、まるで仲の良い兄妹の様に育ってきた。
だが、いくら兄弟の様に育ってきたと言っても、年が近く、一番身近な異性だ。
その兄妹の様な感情が、恋に変わってもおかしくはなかっただろう。
いや、物語などでいえば『王道』と呼ばれる展開だ。
その様な者同士が結ばれる話は掃いて捨てるほどごまんと存在するのだから、自然な事だったのだろう。
しかし、アルノルトがその恋心に気が付いても、急に態度を変える事が出来なかった。
いくら貴族の子弟として育てられても、あの年頃の少年はダメだと分かっていても、どうしても気になる女の子にちょっかいをかけてしまう。
もしかしたら、彼の行動には貴族の子弟として育てられたから『結婚が自由でないという事が分かっていた』のも影響していたのかもしれない。
ユリアーナに悪戯してしまう年相応に幼き面はあるものの、彼とて馬鹿ではない。
特に彼は男爵家の跡継ぎなのでいつまでも悪戯小僧ではいられないし、将来の事や家の事に関しては幼き頃から学んでおり、婚姻についてもそれなりに知識を持っているのだ。
この世界の貴族の結婚は家同士の結婚でもある。
いくら親同士の仲が良い言えども、貴族の結婚は家同士の繋がりの強化や、勢力の拡大や、より良い跡継ぎを手に入れる為の手段でもある。
ユリアーナは魔力量が同年代の貴族の子弟と比べても多く、もしかしたらそれを目当てに、自分の家より家格の高く、優秀な家の子弟から結婚を申し込まれるかもしれない。
それが分かっているから、アルノルトが結婚を申し込んでも、彼より良い縁談があればアルノルトが望んでもユリアーナとの結婚出来る可能性がなくなってしまうだろう。
その苛立ちと焦燥感がどうしても拭いきれなかった。
そして、その感情もあるが故に、アルノルトはユリアーナをからかい、文句を言い合う関係が唯一の彼女との接し方の様に思ってしまったのだ。
――しかし、状況が変わってしまった。
あのままユリアーナがただ魔力の多いポンコツ娘のままならば、アルノルトが騎士となり、アルノルトが望めばそのまま結婚する事は出来ただろう。
アルノルトとしては、このルーマー王国で成人として認められる15歳までに、彼女にポンコツのままでいてもらい、自分が騎士と成り、なんとか決着をつけるつもりだった。
――しかし、状況が変わってしまったのだ。
しかも、最悪とも言っていい方向に、だ。
アルノルトの想い人であるユリアーナが、魔術師としてとんでもない成果を上げてしまった。
あれを成果と呼んでいいかは甚だ疑問ではあるが、彼女の魔法の破壊力だけは証明してしまった。
近くでその光景を目の当たりにしたアルノルト少年が、思わずユリアーナに土下座してしまうぐらいの破壊力だった。
魔法の規模で言うと、最低でも『戦術級魔法』に分類されるだろう。
そして、ユリアーナの魔力はまだ限界ではない事から、そのまま成長すると『戦略級魔法』になる可能性もあり、その破壊力は国が注目してもおかしくないものだ。
そこまでいくと、ただの騎士の息子であるアルノルトには手出しが出来なくなってしまう。
「くそぅ……俺はどうしたらいいんだ」
アルノルト少年は絶望的な今の状況に頭を抱えるが、それでも諦めきれずに打開策を考え続けた。
しかし、当たり前の事だが10歳の少年が考えただけでは、いい案を考え付く事が出来ない。
それでも幼馴染で好きなあの子が、急に強力な魔法が使えるようになって焦ってしまう。
アルノルト少年はそんな悩みを抱えたまま夕食の時間になり、屋敷の一階にある食堂で、彼の両親と共に夕食を取っていた。
考え事もあり、食もあまり進まなかった。
「なんだアルノルト?食欲がないのか?」
「い、いえ。そんな事は……いえ、少し悩みがありまして」
すると、アルノルトを心配した父親が彼の様子に気が付き話しかける。
アルノルトは、初めは誤魔化そうとするが、ここで「これはいい機会ではないか?」と思い、思い切って父親であるスヴェンに相談する事にした。
「ほう、なんだ?言ってみなさい?」
「あの、ユリアの事です」
「ああ、その事か……」
「ユリアはこのままじゃ、国に……他の上級貴族に嫁入りする事になるのですか?」
「ふむ、本人から聞いたわけではないが……確かに宮廷では、我が友エグモントの所にそのような話を持ってくるような動きは、確かにあるな」
「ほ、本当ですか!?」
「落ち着きなさい」
「す、すいません」
自分が思っていたよりも早く事態が進行していることに焦りを覚える。
アルノルトの父親であるスヴェン=フォン=クラインミヘェルは騎士団のエリートで、ユリアーナの父であるエグモント=フォン=イッテンバッハは宮廷魔術師で、友人でもある。
エグモント本人から聞いたわけではないと言ったが、宮廷で聞いたというのなら、スヴェンが話した内容は確度の高い情報だろう。
「それでその話が本当だとして……お前はどうするのだ?」
「僕が……ですか?」
「そうだ。アルノルト、お前が思っていたように、魔法が上手く使えなかったユリア嬢はお前の嫁になる可能性は、確かにあった。しかし、今は『学園破壊』と言う悪名かもしれんが、あの魔法の一撃で有名になってしまった。そう、お前の事など関係ないとでも言わんばかりに、だ」
「……はい」
「それで、お前はどうしたいのだ?何が出来るのだ?」
「僕は……」
そう言われて、アルノルトは拳を握り黙り込んでしまった。
あれから何度も考えて、自分は『10歳の少年に出来る事などない』と結論を出してしまっていたからだ。
それを見たスヴェンは「はぁ」と溜息を吐きアルノルトを見据え、吠える様に怒鳴る。
「男なら好きな女ぐらい自分の手で守れるようにならんか!」
「……えっ」
スヴェンのまさかの言葉にアルノルトは言葉を失った。
ここで「なぜ自分がユリアの事が好きな事が分かったのか?」や「男ならナンタラカンタラという精神論なのか?」という疑問もあったが、それよりも――
(あんなヤバい魔法砲撃が出来る幼馴染を守る……だと!?)
――その父親の考えに驚愕した。
「なんだ?私はおかしなことを言ったか?幼き者を守るのは騎士として当然であろう?」
アルノルトからしたら、我が父はおかしなことしか言っていない。
あの強力な魔法砲撃を目の当たりにしたアルノルトは、ユリアーナの事は庇護対象ではなくなっていた。
魔法が上手く使えないポンコツな幼馴染ではなく、今はたくさんの人を守る側に立ったと思っていた。
自分の手から離れてしまったと思っていたのだ。
しかし、父であるスヴェンは、ユリアーナの事を今も『友人の娘』として『騎士の守るべき者達』として見ている。
いくら強力な魔法が使えようと、年幼きただの女の子として見ている。
その言葉に、父スヴェンの覚悟に、雷にでも打たれたかのように、アルノルトは心打たれた。
そう、いくら強力な魔法が使えようと、彼女は自分と同じ10歳の子供でしかないのだと気付かされたのだ。
「そう……ですね……僕が間違っていました。僕は……僕は強くなります!」
「うむうむ!それでこそ我がクラインミヘェル家の男児だ!!」
「はいっ!父上!」
そして、父と子はここに分かり合った。
何ひとつ解決していないし、良い案が浮かんだわけではないし、ただの精神論を語り合っただけなのだが、父と子は分かり合ったのだ。
ちなみに、このような人達の事を世間では『脳筋』と呼ぶのだが、暑苦しい精神論で通じ合う親子にツッコミを入れる者は、幸か不幸かこの部屋には誰一人いなかった。