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追憶!(Endearing)

「二人ともさすがね。はじめ君、美緒ちゃん。新しい子が来たら、一から教えなきゃいけないどころか、電器屋さんに行ってパソコンを買うところからやらなきゃいけないかなって覚悟してたんだけど、その必要が無かったわね」

 月曜日。夕暮れの生徒会室。会議用デスクで作業をしているはじめと美緒の背後に回り込んだつかさが二人の頭をなでなでしながら予算編成の労をねぎらう。

 藤井高校は文部科学省のIT教育推進校とやらに指定されているらしく、校内の至る所に無線LANの電波が飛んでおり、BYODブリング・ユア・オウン・デバイスの一環として教職員・生徒会役員・委員会と班活動の長は事前に自分が所有するPCやスマートフォン固有のMACアドレスを登録さえしておけば、自由にネットにアクセスできる仕組みになっており、ストレージサーバー上に置かれた生徒会運営にまつわるファイルを共有したり、IPフォンアプリを使って生徒同士や教師と内線電話のような使い方をすることも可能となっている。ただ、こんな便利なシステムを全校生徒に開放しないのは、セキュリティ上の問題と、インモラルな生徒によるインモラルな動画の閲覧によるスループット低下を未然に防ぐためであろうというのは、誰かに訊かずとも容易に想像がつく。もっとも、MACアドレスを学校側に握られている以上、アクセス権限を与えられた生徒の中に、コンプライアンスに反したイリーガルコンテンツをダウンロードしようとする兵は皆無だ。

「いや、つかさ会長やみやこ副会長が色々教えてくれたんで、何とかここまでやれました」

「ワタシも、最初は貸方とか借方とか、意味がよく分かってませんでしたから」

「それでも飲み込みが早いからびっくりしちゃった。美緒ちゃん、今度簿記三級でも受けてみたら?」

「そぉですかぁ? やってみようかなぁ」

「美緒。調子に乗るなよ」

「そんなことないもん」

 はじめは美緒の反論に苦笑しつつ、すっかり冷めてしまったイングリッシュ・ブレックファーストを一口飲む。自分の場合はたまたま、父親の会社の決算時に、家族総出プラス税理士の五人で決算書の作成を手伝わされた経験が生きただけの話だ。過去の経験が思わぬことで役に立つとはまさにこのことだろう。

「美緒、だったら受けてみたらどうだ。簿記三級」

「なによ。調子に乗るなと言ってみたり、受けてみろと言ってみたり、言ってることがめちゃくちゃじゃない」

「うん。まぁ……」

「ところで、前から二人に訊きたかったんだけど」

 つかさがはじめと美緒の肩に手をかける。つかさの左胸が、はじめの右肩に触れる。

「な、何です?」

 はじめの声は裏返っている。

「もしかして二人って付き合ってる?」

「ちがいますちがいます!」

「付き合ってません!」

 はじめと美緒は、つかさが『て』と『る?』を発する間の、少し喰い気味のタイミングでオーバーアクション気味に否定する。

「そうなの? いつも一緒にいるからてっきり付き合っているものかと思ってたんだけどね」

「あの、よく言われるんですけど、保育園から今までずっと同じだったんで、その延長線上ですよ」

 これは二人の関係に興味を持った者に対して言い続けているものであり、今となっては、はじめも説明に慣れてしまっている。

「そうですよ。同じ学校だと、色々用事とかあるじゃないですか。色々と」

 美緒もはじめの言葉にフォローを入れる。

「だったらほら、こんなカワイイ子なのに、小田井中学校の男の子たちは誰も美緒ちゃんに興味を持たなかったの?」

 つかさは至極まっとうな疑問をぶつけてくる。

「それは昔はまるで男みたんがががががが……」

「ワーッ! ワーッ!」

 美緒がいきなりはじめの口をおさえ、大声で叫びながらはじめを睨んでいる。どうやら過去の自分のことは黒歴史として葬り去りたいらしい。もしかしたら、高校入学を機に見た目とキャラを変える、いわゆる『高校デビュー』を狙って近辺の高校ではなく、小田井中学からの進学者が少ない藤井高校に行くことにしたのだろうか。

「どうしたの?」

 つかさは怪訝そうな表情をしながらはじめと美緒の顔を交互に見る。

「「いえ。何でもないです」」

 はじめと美緒はユニゾンで答える。

「とは言っても、二人は既に私経由で間接キ……」

「わーっ! わーっ!」

 今度ははじめが大声で叫び、両手をじたばたさせてつかさの言葉を必死に遮る。これを美緒に知れては、折角美緒の脳内から消去した記憶が蘇ってしまう。

「そ、それじゃ、おれたちはこれで失礼します。美緒、帰ろう」

「う、うん……」

 はじめは自分のMacBook Proと美緒のピンクのバイオノートを立て続けにシャットダウンし、大急ぎで美緒を生徒会棟の建物から引っ張り出した。


 学校から上田駅までの道のりでも、しなの鉄道の車内でも、美緒は不機嫌そうな表情をしながらずっと黙っている。

 小田井駅で電車から降り、跨線橋を渡って改札口を抜けるまで沈黙が続いていたが、美緒がはじめの制服の上着の左袖をつまみ、二回引っ張る。おそらくこれから『お説教タイム』が始まるのだろう。はじめはそれに抵抗するでもなく、そのまま待合室のベンチに腰を下ろす。

「まぁ、最初に釘を刺さなかったワタシも悪いけどさ、どうして言わなくてもいいこと言っちゃうの?」

 美緒が会話の口火を切る。

「あれは話の流れというか、そうとしか言いようがなかったからさ……」

「それでもさ、嫌だったんだよう」

「何が?」

「高校の人に昔のワタシを知られるのが!」

「どうして?」

「だって……あんな小さいおっさんみたいだったワタシのこと、知られたいわけないじゃない!」

 美緒はいつの間にか目にうっすら涙を浮かべている。はじめの脳裏に、涙を浮かべながら協力を乞うてきたわかばの姿がよぎり、美緒と重なっている。それと同時にはじめの脳内には、中学時代の美緒の姿がプレイバックされる。


* * *


 小田井町立小田井中学校は町にある唯一の中学校であり、町内にある北小学校と南小学校に通っていた子どもは、引越したり私立に進学でもしない限り、自動的に小田井中学校に進学することになる。

 中学に入学した当初、北小出身者、南小出身者同士で固まっていたが、時間が進み、いくつかの学校行事をこなしていくにつれて自然と融合が始まり、子どもたちはあまり出身小学校のことを意識しなくなっていく。やがて男子、女子の例外なく、三々五々いつも共に行動するグループが複数形成され、男女別に、運動ができて見てくれも良いグループが最上位につき、勉強ができるグループや、部活動で地区大会に行けるほどのレベルを持つ者で構成されるグループが二番手や三番手につき、可も無く不可も無い、いくつかの中間層を経て、下位層にはオタクや『ブス山さん』が属するという一種のヒエラルキーが形成されていく。いわゆる『スクールカースト』と呼ばれるやつだ。

 はじめは「毒にも薬にもならないフツーのヤツ」という理由から、駈は「あらゆる知識を持ち合わせ、頭も良いが、それが役に立ったためしがない」と見做されたことから、同じ中位グループとして行動を共にしていたが、今思えば駈は上位グループに属するのが面倒だったから敢えて与太郎を演じ、自ら進んで中位グループに属していたとも思えなくもない。一方美緒は、部活動でも県大会に駒を進めることができるほどの実力者ではあったが、浅黒い肌に髪型は部活ショートそして貧乳という、まさに小さなおっさんのような風貌だったため、女子の中下位グループに甘んじていたが、中学三年の夏休み中に開催された最後の大会で部活動を引退した直後から、変化は段階を踏んで訪れた。

 第一段階として貧乳だったはずの美緒の胸は夏休みの間に急成長を遂げ、九月一日の始業式の朝、男女を問わずクラスの注目を一心に集めた。夏休みの間に一緒に受験勉強をしていて、日に日に大きくなる胸を密かに観察していたはじめと駈を除いては。

 次に第二段階として、浅黒かった美緒の肌が、部活動引退後、直射日光に照射される時間が少なくなったせいか、日に日に白くなり、霜降の頃に入ると、雪のような柔肌になっていた。

 最後に第三段階として、受験を控え、美容室に行くことを失念していた美緒の髪は無秩序に肩まで伸び、髪を伸ばすという経験が初めてだった美緒は、どうすれば良いか分からず、暫定的に佐久平のショッピングモールのテナントである百円均一ショップで購入した黒いゴムで髪を縛り上げることにしたところ、はじめの反応が良かったため、引き続き髪を伸ばし続けることにして現在に至っている。

 美緒の急激な変化は、周囲にも思わぬ影響をおよぼした。今まで、上位グループから空気のように扱われていたのが嘘のように、校内でも美人が集まるとされるグループからたびたび誘いが入るようになり、それに戸惑いを覚えた美緒が、はじめと駈に相談を持ちかけたのだ。

「スクールカーストってやつは一旦固定するとなかなか動かないものだけど、菅野さんのケースは非常に珍しいよ。もしかしたらその気になれば『政権交代』も夢じゃないかもね」

 クラス内のパワーバランスについて何一つアドバイスができないはじめの代わりに、駈はテンションを高くしてはしゃいでいる。

「もう、カケル君、ワタシは本気で悩んでいるのにぃ!」

 美緒は少し膨れている。

「美緒、駈には何か考えがあるみたいだから、ちゃんと聞いてみよう。あと駈、お前は真面目にやれ」

「ごめんごめん。まぁ、その気になれば『政権交代』もできなくもないだろうけど、どうせあと二ヶ月で『解散』するんだ。今更大きな犠牲を払ってトップを目指す必要もないだろうよ。本題はここからだけど、さっきも言った通り、スクールカーストは一旦固定するとなかなか動かない。いや、正確に言うと、上位の人間がヘタ打って格下げの憂き目に遭うことはあっても下位の人間が上位に動くことは九十九%無い。なぜなら、能動的に下位グループから上位グループへの移籍を試みようとした場合、その人間が移籍しようとするグループに相応しい人物かどうかを既存のメンバーは阿吽の呼吸で審査して、全員の同意が得られなければ移籍は認められないし、全員が移籍に同意する確率は限りなく低い。移籍を拒まれるだけならまだいい。移籍をするということは、今まで属していたグループを抜けることを意味するから、移籍を拒まれたからと言って、おめおめ元のグループに出戻ることは許されない」

「残された道は『孤立』しか無いってことか。リスクとリターンを考えたらかなり割の合わない話だよな。そりゃおれも同じ立場だったら『停滞』を選ぶだろうし、現に今もそうだからな」

「賢明な選択だね。でもこれは能動的、つまり自分から志願した場合のケースだよ。今回の菅野さんのケースは、上位グループからオファーが入る非常に珍しいケースだ。上位グループの内部でも暗黙のうちに合意形成は得られているから、移籍そのものは比較的スムーズにいくだろうね。でも、自分以外のメンバーは、表向きフレンドリーに接しているようでも、意識しているのか無意識なのかは別として、腹の中では『この成り上がりが!』と思っているだろうね。その感情が何かのきっかけで表に噴出した場合、上位グループから追放されることもありうる」

「やっぱり『孤立』じゃないか。だったら、オファーを断るのは?」

「それも難しいね。断ろうものなら、上位グループのメンバーは高いプライドを傷付けられ、いじめの対象にして一気に最下層まで叩き落とすかも知れないね」

「うわぁ、面倒臭え!」

 はじめは思わず声を上げる。

「まったくだよ。だから菅野さんは相談してきたんだろうし、僕は君とともに行動を取っているのさ」

 駈は本気とも冗談とも取れる発言をする。

「で、結局ワタシはどうすればいいの?」

 もっともな質問だ。美緒は駈の仰々しい講釈を訊きたいわけでは無いのだ。

「そうだねぇ。僕から言えるのは、オファーは受けるべきだと思うよ。でも、上位グループの中ではあくまでオブザーバーに徹して、決してイニシアチブを取ろうとはしないことだね」

「つまりお客様と言うことか」

「ま、言い換えればそう言うことだね。お客様なら丁重に扱ってくれるだろうし、元のグループにも『呼ばれたから仕方なく』という言い訳が立つ」

「なるほどね」

 美緒は納得したような表情を浮かべる。

「まぁ、どうせ二ヶ月で卒業だから、上位グループというものを体験してみるのもいいものだよ。どうせだったらその勢いで高校入ったらスタートダッシュかけて、本当の意味で上位グループに食い込んでみるのもいいかも知れないね」

「えっ、無理無理無理無理!」

「『無理』って四回言ったな」

「いや、今の菅野さんならできるんじゃないかな。お洒落で垢抜けたキャラになるとか、生徒会役員を目指すとか。生徒会はヒエラルキーの最上位に位置するからね」

「生徒会? ワタシ今まで学級委員すらやったことないのに。でも、そうだなぁ……うーん、生徒会は無理でも、それ以外は何とかしたいなぁ。とにかく二人ともありがとね」


* * *


「ごめん」

 小田井駅の待合室で、はじめは美緒に謝る。

「でもおれや駈は、美緒は美緒のままだって思ってるから。あっ、誤解するなよ。何て言うか、その、確かにキ……キレイになったのは嬉しいんだけど、なんか、だからと言って過去の自分を否定されちゃうと、昔から……駈は中学からだけど、一緒につるんでいたことも否定されたみたいで何だか寂しいっていうか……」

「うん。ワタシも言い過ぎた。ごめん。今も昔も変わらずにワタシと接してくれたのは、はじめちゃんとカケル君の二人だけだったのに……」

 気が付けば、美緒の顔からは笑みがこぼれている。

「ねぇ」

「ん?」

「謝ったついでに、一つカミングアウトしていい?」

「うん」

「実は中学の卒業式の日に、ある男の子に告白されてね」

 これか。つくもが言ってた噂というのは。

「へぇ……。そうなんだ」

 はじめはわざとすっとぼける。

「続きが気になる?」

 美緒は悪戯っぽい笑みを浮かべながらはじめに問う。

「美緒から振った話だろ。カミングアウトするのかしないのか、どっちなんだ」

「うん。結論から言うと断ったんだけどさ」

「どうして?」

「どうしてって言われてもねぇ。正直言うと、その男の子が一〇〇%ノーマークだったからびっくりしたというのもあったんだけど、好きだって言われてワタシも悪い気はしなかった。しなかったんだけどさ……」

「しなかったけど、何だよ」

「何か、ワタシのことちゃんと見てたのかなぁって思うと、何だか冷めちゃってね。どっちにしろ断るつもりだったけどさ」

 何となくだが、はじめには美緒の言わんとすることは容易に想像がつく。美緒は本当はその男に問いたかったのだろう。君が好きになったのは巨乳で雪肌なポニテのワタシなのか、それとも貧乳で浅黒い部活ショートのワタシなのか? と。

「そっか」

「怒らないの?」

 美緒が意図の分からない質問をしてくる。

「どうしておれが怒る必要がある?」

「告白のこと、内緒にしてたから」

「それは美緒自身の問題だろ。おれが口出しすることじゃねぇよ」

「それもそうだよね。あと、もう一つカミングアウトしたいことがあるんだけど」

「まだあるのかよ。金なら貸さないぞ」

「違うって。卒業式の日に告白してきたの、三人だったんだ」

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