背広!(Expense)
「おーいはじめ! 昼飯にしようぜ。菅野さんもいいだろ?」
美緒のちょっとしたカミングアウトからちょうど一週間後の昼休み。駈がはじめと美緒に声をかける。
「うん。一緒に食べよ」
「おれも美緒も弁当だけど、今日お前はなんだ?」
「おれも今日は弁当……って、無い! 無い! しまった! 持ってくるのを忘れたか……自分としたことが……」
「カケル君お弁当忘れちゃったの?」
「ああ、仕方が無いからパンでも買ってくることにするよ。ところではじめ君、いやはじめ様。残念ながらパンを買う金子も忘れてしまったみたいなので、五百円ほど用立てしていただければ助かるのだけれど……」
「かけるちゃーん! どこー?」
「ゲッ! この声は姉貴!」
「かけるちゃんったら、お弁当忘れちゃうんだもん。おねえちゃん学校まで持って来ちゃった」
「恥ずかしいから学校でちゃん付けはやめろよ。それに、用がすんだらとっとと帰ってくれ」
「あっ、はじめ君!」
「わかばさん?」
わかばはあらゆる意味でクラスの注目を一身に受けるも、それを全く気にする様子も無く、はじめに声を掛ける。
「へぇーっ、はじめ君、かけるちゃんと同じクラスだったんですねぇ。あっ、はじめ君。ちょっと来てもらえますか?」
わかばははじめの腕を引っ張ったまま階段の踊り場まで連れて行く。
「どうしたんです?」
わかばの口元が緩んでいるように見える。
「例の提案書のことなんですけど、今日の午前中に速達とレタックスが来ましてね。二社が面会日時を指定してきたんです。これもはじめ君のおかげですね。どうもありがとう」
「二社も……。いや、まだうまくいったわけじゃ無いですし、とにかく落ち着いてくださいよ。あくまで『予選』を突破しただけの話ですから」
「もちろん。そういうわけで今度の金曜日、一緒に東京に行きましょうね」
「いや、ちょっと待ってくださいよ。平日だから学校ですよ。学校休んで東京に行けって言ってるんですか」
「はい」
「何言ってるんですか! 高校生に学校サボれって!」
「それは、その……その時しか無いですから」
「どういうことです?」
「学校は毎日ありますけど、面会はその日一日、その時が勝負だと思ったので……はじめ君がいると、心強いなって思って……」
確かにわかばの言うとおりだ。学校は毎日あるし、一日休んだ程度なら授業内容のキャッチアップもそんなに難しいことでは無いだろう。しかし、はじめの存在が心強いかどうかは別として、面会はその時その場所でしか行なわれない勝負の場であることは想像がつく。ベンチャーキャピタルも一企業だ。学校があるから面会は土日にしてくれというリクエストは受け入れてくれるはずなど無いことは、社会人経験の無いはじめでも容易に想像がつく。
「わかりました。時間はいつです?」
「午後一時と午後三時ですよ」
「よく同じ日にアポイントメントが入りましたよね」
「そうですね。ちょっとしたミラクルですね」
「そういうわけで放課後、工場跡のショッピングモールの前で待ってますね」
「どうしてショッピングモールなんです?」
「東京の会社に行くのに、学校の制服で行くつもりですか?」
「ねぇ、カケル君のお姉さんと何の話をしてたの?」
美緒は怪訝そうな表情をしながらはじめに対して事情聴取を開始する。
「いや、ほらっ、先日のお礼だよ。先日、CDプレーヤーを修理したんだ」
「ふーん」
美緒は腑に落ちないと言わんばかりの表情をしながらはじめの顔をじっと見つめる。一方駈はウインナーを頬張りながらニヤニヤしている。この男、やはり家のどこかではじめとわかばの会話を盗み聞きしていたのだろう。
「ところで、今日は生徒会室に来れるよね」
「いや、それはちょっと無理そうなんだ」
「どうして? いや、ちょっと買い物頼まれちゃったからさ……」
「だったら一緒に行こうか? 生徒会休むくらいなんだから、大変な買い物なんでしょ?」
「いや、それも大丈夫だから。つかさ会長には今日は行けないけど、ファイルは今晩アップロードするって伝えておいてくれるか?」
「だったら自分で直接言って」
「……わかったよ」
はじめは鞄からスマートフォンを取り出し、常駐してあるIPフォンアプリを最大化すると、階下にある三年生の教室で昼食を摂っているであろうつかさ会長にコールする。校内中を網羅している無線LANのおかげで、通信費は一切かからない。
「はい」
「つかさ会長、お昼時にすみません。今大丈夫ですか?」
「はじめ君。どうしたの?」
「今日の生徒会なんですけど、放課後に急用ができてしまって、お休みをいただきたいのですが……」
「いいわよ」
つかさから、割とあっさりと了解の返事が来る。
「あのっ、例のファイルは今晩アップロードしておきますんで」
「うん。お願いね。ところで、近くに美緒ちゃんがいたら代わってもらいたいんだけど」
「あっ、はい。ちょっと待っててください」
「美緒、つかさ会長が代わってくれって」
はじめは美緒にスマートフォンを手渡す。
「もしもし? はい……ええ、それはもうできてます。はい。へっ? は、はぁ……。わかりました。それでは、失礼します」
美緒はIPフォンアプリの回線を切り、スマートフォンをはじめに返す。
「ワタシも放課後急用ができたから生徒会を休むね」
午後三時十五分。授業が終わると、滅多に使わない裏口から学校の外に出る。十分ほど歩き、アンダーパスをくぐったすぐ右手の、かつてはたばこ工場だった跡地にショッピングモールは建っている。
「すみません。もしかしてお待たせしちゃいました?」
核テナントであるスーパー側の入口で待つわかばに声を掛けると、わかばは満面の笑みをはじめに向ける。
「ううん。大体この時間に学校が終わるって分かってましたから、今来たところですよ」
おそらく彼女の答えは嘘だ。駈に弁当を届けたのが十二時四十分。今の時刻は午後三時半を少し回ったところ。ここから小田井までの所要時間を考えると、わかばは二時間半近く、この近辺で時間を潰していたに違いないと思うと、何だか申し訳ない気持ちになってくる。
「ほらっ、どうしたんですか? 行きましょ!」
わかばははじめの左手を引っ張り、建物の中に入っていく。
「うーん、いろいろ下見して思ったんですけど、やっぱりはじめ君の体格だったら、三つ釦かなぁ……」
スーツの選び方など知らない田舎の県立校の男子生徒の横で、わかばはあれこれ独り言を言いながら、迷うことなくスーツを三着手に取り、はじめに手渡す。やはりわかばは二時間半近くの時間をこの場所で潰していたのだろう。
「試着しろってことですか?」
「もちろんっ!」
はじめはわかばのリクエストに応じ、スーツを試着をしては脱ぎ、また別のスーツを着ては脱ぐという作業を延々と繰り返す。どうやらどれもわかばの琴線に触れるものではなかったらしく、はじめも段々と疲れてきたが、十一回目の試着でようやく納得したらしく、店員に、濃紺の三つ釦スーツの裾上げを依頼している。
「いやぁ、終わったぁ……」
「はじめ君、何言ってるんですか? 今度はワイシャツですよ」
「いや、ワイシャツは制服を流用すれば……」
「ダメですよ。制服のワイシャツは材質でいかにもって感じですから。それに制服のワイシャツを使い回したってバレたら恥ずかしいですよ」
「そんなもんですか?」
「そんなもんですよ。あっ、すみませーん。ワイシャツのオーダーメイドをお願いしたいんですけど!」
「オーダーメイド? それって高いんじゃ……」
「そんなことないですよ。一万円出せばお釣りがきますから。だから気にしないで」
ある程度の収入を持っている大人なら一万円は大した金額ではないだろうが、時折大人が発する、子どもとは違う金銭感覚の話を耳にすると、『大人ってすごい』と思う一方で、何故か悔しいと思うのはどうしてだろう。
二十代後半と思しき店員が手際よく、メジャーを使ってはじめのネックやチェスト、リーチのサイズを測り、承り伝票に記入していく。わかばは、はじめの好みなどお構いなしに襟や材質を指定している。
結局スーツ上下・ワイシャツオーダー・ネクタイ三本しめて七七,六五〇円という、はじめの一年間の『国家予算』レベルの金額がレジに表示されるも、わかばは一切臆することなく八十二銀行発行のゴールドカードを差し出し、一回払いでサインを済ませる。
「あのっ、いいんですか? お金とか……」
「いいんです。これは『前払い』ですから。さ、帰りましょ」
「は、はぁ……」
わかばの危なげな運転を知るはじめとしては、彼女の運転する車に乗ることはできれば避けたかったのだが、一連の行動の流れから、それは無理だろうと観念し、はじめは助手席に乗り込む。わかばは助手席のはじめがシートベルトを装着するかしないかのタイミングで、出口に向かって車を動かし始める。公道に出る段になり、わかばは方向指示器を出すつもりだったようだが、間違ってワイパーを動かしてしまっている。
「あらあら。またやってしまいましたね。今の車にしてからしょっちゅうやっちゃうんですよ」
どうやら国産車と輸入車とでは方向指示器とワイパーのレバーは逆に取り付けられているらしい。
車は国道十八号線に入り、小田井方面に向かっている。
「あれ? 高速は使わないんですか?」
「うん。急いでいるわけじゃ無いですし、高速代が勿体無いじゃないですか」
ついさっき、七七,六五〇円をゴールドカードで支払った人とは思えない答えが返ってくる。
「それにしても、男物の服に妙に詳しいんですね。彼氏の服もあんな風に選んでいるんですか?」
「えっ? 私、彼氏はいないですよ」
「そうなんですか? 結構モテそうなのに」
これはお世辞ではなく本当に思ったことだ。
「うーん、たぶん男の人の服に詳しくなったのは、お父さんやかけるちゃんの服を選んであげてるからじゃないかなあって。ほら、うちは私が小六、かけるちゃんが二歳の時にお母さんが死んじゃってから、家のことはずっと私がやってるから」
「そうだったんですか……知らなかった……」
三里塚家の事情はよく分からないが、言われてみたら、駈から父親の話を聞いたことはあっても、母親の話は全く聞いたことが無かった。二歳の頃に死んだということは、駈の中には母親に関する記憶はあまり無いのだろう。今思い返せば、わかばの年齢と、存亡が懸ったFMあさまの一社員という立場に似合わぬゴールドカードは、三里塚家の家事と家計の一切を握っている証なのかも知れない。
それにあの日、わかばは『やり切ってない』と言っていた。もしかしたらあの時教えてくれたように、『この年齢になったら○○できていなければいけない』という意味もあるのだろうけど、短大卒業後、引き続き家の中で母親役を求められ、家事手伝いになることによって社会とのつながりが断たれ、世間から隔離されることを恐れ、唯一の社会とのつながりであるFMあさまを失うことへの恐れ故に出た言葉なのかもしれない。
「それでは、スラックスの裾上げとワイシャツは遅くとも木曜日の午後に宅配便で届くみたいですから。金曜日の朝六時半に駅前でお待ちしていますね。ばいばい。今日は楽しかったですよ。デートみたいで」
はじめの家の前で、わかばは車のドア越しにそう言い残すと、車は南のほうへ走り去る。夏至が近いせいか、夜六時過ぎであるにもかかわらず、外はまだ明るい。
わかばとしては、次に会うのは金曜日の朝と言う意味で言ったのかも知れないが、何の準備もしないまま、丸腰で東京に行くつもりなのだろうか。当然提案書を郵送し、それに返事が来ている以上、ベンチャーキャピタルの二社も、FMあさまが何たる組織かという簡単な情報は知ってはいるだろうが、提案書だけでは見えない、もう少し突っ込んだ説明を求められることになるだろうし、想定される回答を準備しておくことに越したことは無いだろうと考え、夕食後にIMで三人を呼び出し、プレゼンテーションの内容を議論することにした。




