第三十六話
セレスティア王国の隣国、ローシュタイン帝国は強大な軍事力を有する大国家だ。そんな隣国を相手にセレスティア王国が支配を免れているのは、国家間に大陸一の広大な河川が存在しているためである。
貿易上、非常に重要な意味を持つ河川であり、その支配権を帝国に明け渡していることもあり、セレスティア王国は無事でいられている。
帝国側としても、良くも悪くも魔の森次第なセレスティア王国には旨味がないのだろう。
アステリアは、シリウスと共に何度か帝国を訪れていた。第二王子は外交官として無難な立ち位置であり、アステリアも婚約者として同行することがあったのだ。となれば、転移魔法のアンカーを設置して当然である。
「少し久しぶりだな」
と高台から街を見下ろす姿はハヤトのものだ。まさかアステリアの姿で隣国に不法入国するわけにはいかない。
しかし最近はシェイプシフトを使いすぎていて、お淑やかな淑女の振る舞いを忘れそうだ。どうしても前世の姿になると、根が出てしまうのだよな……。だから本当はハヤト=アステリアと知られたくなかった……。
そんなことを考えながら、アンカーを設置した林を出て街を目指す。平野部に広がる大きな街は、帝国の首都であり交易の要所だ。
捕虜の女の姉が居るということは、普通に考えれば傭兵団の活動拠点でもあるのだろう。皇帝のお膝元で活動する傭兵団ってことは、つまり御庭番のような皇帝直属の組織なのでは……?
恐ろしい想像をしてしまう。尚、悲しいかな母国は情報戦に弱すぎて、帝国にそんな組織が存在するかすら知らない。
捕虜の女から言われた通りの病院を尋ねる。個人医院という話だったが、確かにあまり良い立地でもなく、古ぼけた建屋であった。
ハヤトはドアノッカーをゴンゴンと鳴らすが、反応がない。
「……おじゃましまーす」
中に人の気配はあったため、声をかけながらドアをくぐった。「すみませーん」と人の居る二階に向かって、階下から呼びかける。そのまま無断で階段を上ると、ようやく白衣を纏った医者らしき老人が顔を覗かせた。
「なんだ、アンタぁ」
「いやあ急にすみません。こちらにフェルさんがいらっしゃると聞いて、お伺いさせていただきました」
「……誰からだ」
老人はパッと見て八十歳近い、腰の曲がった男だ。しかしハヤトに警戒して、低く唸るような声で問い詰める姿には、どこか凄みを感じる。退役した元軍医だと言われても、納得してしまいそうだ。
「猫娘と言うように言付かってます」
「そうか。アイツぁついにヘマしやがったか。ふん、だから俺は早く辞めろと言ったんだ」
「……」
「外に出れやしねぇ。妹も来やしねぇ。そしたらアイツはどうなる……」
そう言って歪んだ表情を隠すように、老人は病室のある方向を見た。捕虜の女の姉、フェルという女性が寝ている部屋だろう。
捕虜の女は老人を「ジジイ」と言っていた。互いに「猫娘」「ジジイ」と、きっと幼い頃からそう呼び合うほどの関係だったのだ。彼には捕虜の女の無事を伝えたいが、死んだと思われた方が好都合なので何も言えない。
「俺は、彼女からフェルさんを託されました。フェルさんのご病気についてお聞かせ願えますか」
「……おう。資料にまとめてある。持ってけ」
よたよたと歩き出す老人について歩く。
「アンタ、フェルをどうすんだ」
「治せと言われましてね。そのつもりですよ」
「ふん、口で言うだけなら簡単だろうがよ」
「予算と人員は用意してきました。やれるだけやってみます」
老人は机の引き出しから、紐で綴じられた分厚いファイルを取り出した。それを乱暴にハヤトの手に叩きつけ、険しい顔で告げる。
「やれ。やると言え。じゃなきゃフェルは渡さねぇ」
「……必ずフェルさんを治してみせます。俺が全責任を負いましょう」
「言ったな? 俺ぁ、嘘が嫌いだ」
そうして老人はハヤトをフェルの病室へ案内した。
病室はこじんまりとしていたが、一人部屋だった。無機質な部屋の中で、女性がベッドから起き上がり窓の外の風景を眺めている。
老人は驚いたような声で言った。
「なんだ、起きてたのか」
「……珍しく、お客さんの声がしたので」
「ちっ、寂れた病院で悪かったな」
目を細め、かすかな微笑みを浮かべる女性。彼女が捕虜の姉のフェルか。
ハヤトがペコリと頭を下げて、突然の来訪の非礼を詫びると、彼女は「いいえ」と力なく笑う。……そんな彼女の肌は、ところどころが本物の魚のようにウロコ状になっていた。
「フェル。わりぃな、足を見せてやってもいいか」
「かまいませんよ」
老人がフェルの足元にかかっていた布をはぐと、その下からほぼ全てが大きなウロコで覆われた足が出てくる。不治の病と聞いて多少の覚悟はしていたが、それでもハヤトはギョッとしてしまった。
――魚人化症。女の方が発症率が高い、血液を媒介に感染する病気だ。肌がウロコに置き換わっていき、最終的には生命維持に必要な器官を失って死に至る。別に魚人のようになったからと言って、海に適応できるわけではない。
「薬で進行を抑えることはできるが、一度ウロコになった皮膚が戻らねぇ。不治の病だ」
「完治の前例はひとつもないと?」
「ない。元々感染率が低い上に、血液でしか感染しねぇんだ。そもそも症例もろくにありゃしねー」
「そうですか……」
ハヤトが何も言えないでいると、フェルは「ふふっ」と自嘲じみた笑いを漏らす。
「性行為で未発症の男から女に伝染ることが多いから、売女の病気として有名なんです。病院にかかれる人なんかあまり居ませんよね」
「……俺が治療法を見つけて、正しい知識を広めて、そんなこと言えないようにしてやりますよ」
「うふふ、それは大きく出ましたねえ」
ころころと笑うフェルの足に布をかけてやると、彼女は「紳士ですね」などとまた可笑しそうに言う。完全に空元気だ。諦めたような笑顔が、痛々しくて仕方がなかった。
妹が裏稼業で必死に稼いだ金を、ただ浪費するしかできない。なんと虚しいことだろうか。
ハヤトは泣きたい気持ちをぐっと堪え、フェルの目を見つめる。彼女はきょとんと首をかしげた。
「ご無礼を承知でお願いしますが、お体に触れてもよろしいですか?」
「……? はあ」
「では、失礼して」
「ひゃぁあっ!?」
布で足元を巻き込むように、ぐるりとまとめながら両腕を体の下に差し込む。そのままフェルを横向きに抱き上げると、彼女はここに来て一番元気な悲鳴を上げた。老人も慌てふためいている。
「なっ、何をするんだアンタぁ!」
「このままフェルさんをお連れします。彼女は死んだものとして頂きたい」
「はぁっ!?」
「あ、フェルさん。危ないんで、俺の首に腕回してください」
ハヤトがそう言うと、フェルは恐る恐る言われた通りにする。ウロコになってしまった皮膚は固くてひんやりとしていて、不思議な感覚だとハヤトは思った。
「申し訳ないが彼女の無事を知らせることはしません。ただ、貴方にはフェルさんは元気にしていると思っていて欲しい」
「……本当か?」
老人は震える声で言う。ハヤトはただ深く頷いた。
フェルは片方の腕を老人に向けて伸ばした。それを見た彼がしわしわの両手で、フェルの手を包み込む。彼女の手に額を寄せると、祈るように口を開いた。
「達者でな。フェル」
「はい。どうか……お元気で。長い間、ありがとうございました」
名残惜しそうに手が離され、二人は静かな別れの挨拶を終える。ハヤトはそれを確認すると、転移魔法を発動させた。
忽然と姿を消したハヤトとフェル。病室では一人取り残された老人が、目を溢れんばかりに見開いて固まっている。
「なにもんだ、アイツぁ……」
その日。長らく病を患っていた女性が、ひっそりとその短い生涯に幕を下ろした。
身寄りのない女性の葬儀は執り行われず、病が拡散されないよう、遺体も医師の手により焼かれたという。




