第一話
「そんな……嫌だよ勇人! 行かないで! 死んじゃやだ……っ!」
大切な人が泣いている声がした。彼女は次々と大粒の涙をこぼし、その滴は勇人の胸元にぱたぱたと落ちて服を濡らす。
泣かないで、俺は死なないよ。――そう言いたい、この手で抱いて安心させてやりたい。なのに、もう腕が持ち上がらない。
「……ぅ」
「何っ!? 勇人?? ……うそ、ダメっやだやだやだ! 勇人ぉッ!!!」
ああ、でも。死ぬのが彼女じゃなくて、俺で良かったな……。
それが、異世界に召喚された勇者の最後の記憶。
「お待ちしておりましたわ。勇者様」
……と思ったら、次の瞬間には真っ白な空間で、金髪ロングの外国人女性にお出迎えされたんだけど。これはなに????
***
事の始まりは二年ほど前から。
当時、十七歳の一般的な男子高校生だった勇人は、予備校からの帰り道で唐突に意識を失った。そして目が覚めた時――見たことのない石造りの荘厳な広間の中央で、時代錯誤な格好の人間たちに囲まれていたのだ。
床に突っ伏していた勇人が起き上がりながら周囲を確認すると、自分と同じような立場の人物が三人居ることに気がついた。
それが後の大冒険を共にする仲間たちであった。
一人は勇人と同い年の、女子高校生。呆けた顔で座り尽くしている。彼女のジョブは『魔法使い』だ。
一人は十二歳の、幼さの際立つ少年。今にもこぼれんばかりの涙を目に浮かべている。彼のジョブは『斥候』だ。
一人は四十歳の、平凡的なサラリーマン男性。現実逃避かのように無表情で棒立ちしている。彼のジョブは『僧侶』だ。
そして勇人のジョブは『勇者』だと、彼の左手の甲に浮かんだ紋章を指して、何やら偉そうな態度の人間は言った。
「頼む、この通りだ。どうかその力で、我々の世界を救ってくれ……!」
玉座にかけていた王様が立ち上がり、深々と頭を下げた。異例の対応に周囲はざわめき、王様の側近が頭を上げさせる。
彼らが言うには勇人たちは異世界に召喚されたらしい。僧侶が死んだ魚のような目をして「ワァ、異世界召喚だぁ」などとこぼす。
どうやらこの中世ヨーロッパ風のファンタジー世界では、魔王軍と人間の国による熾烈な争いが続いているらしい。ついに滅亡の危機に瀕した人間側は、各国の専門家を集め異世界の住人に助けを求めた。
異世界の住人は、この世界に召喚されると、この世界の神により加護が授けられる。その特別な力を用いて、どうにかこうにか魔王軍を撃退してくれ……と。
「そんな無茶な……。俺たちは人を殴ったことすらない、すごく平和な国の生まれなんですよ!?」
「そうです! 元の世界に返して!」
王様の願いに好意的だったのは、夢現状態の斥候だけだった。現実が見えていない、とも言う。
そんな彼らに偉そうな人のうち、紫に金の刺繍が施された、より偉そうな服をまとった男が告げた。
「我々人類は、貴方がたの召喚で人材も資源も使い果たしました。卑怯を承知で申し上げます。もし、魔王を倒すことができたならば、魔王の心臓を媒介に再び異界への門を開くことができるでしょう」
「本当に卑怯ですね。貴方がたは、私達に死ねとおっしゃるのか。私以外は、まだ幼い子どもだと言うのに……」
「本当に……申し訳ございません……」
僧侶が悲壮感に溢れた言葉を投げると、彼は顔を伏せて謝罪した。どうやら負い目はあるらしい。
結局のところ帰れない以上は、できることから始めるしかない。勇人一行は準備を整え、旅路についた。
試練の訪れは旅を始める前からだった。
「この世界、上下水道がない……」
シャワーを浴びたいと異世界人に頼んだ魔法使いが、この世界の現実を知った瞬間の言葉である。なんとこの世界、魔法が存在するが故か、衛生環境が最悪なのだ。
なんでも魔法で出した水で流せば良いと考えているらしく、汚物でも油でもなんでも川に流しっぱなし。そして万人が魔法を使える訳ではないので、下流ですくった水を、水仕事に使用することもある。
他にも現代と比べてあまりに稚拙な文化の発展度合いで、一行はすぐに音を上げた。
だが冒険をやめることはできない。彼らの「絶対に元の世界に帰る」という決意が固まったのは、とある事情もあった。
「ママ、パパ、兄ちゃん……ぐすっ、ひっぐ」
そうして、斥候が人目を忍んでしくしくと家族を恋しがり泣くのだ。彼はまだ小学生の親離れしていない子どもなのだから、ホームシックにかかるのは必然であった。
最初こそは夢かゲームか、と魔王退治に意欲的な斥候だったが、徐々に現実が見えてきて突如爆発したのだ。
年長者の僧侶があの手この手で気をそらすが、斥候のホームシックが和らぐには相応の時間を要した。
――彼らはひたすら戦った。時には退却し、時には辛勝し、それでも一人も欠けることなく魔王城にたどり着いた。
「ハハハハハ!! よくぞここまで来たなと褒めてやろう! 異界の勇者よ、我が直々に相手をしてくれる!」
魔王城の最奥にて、念願の魔王は勇者一行を待ち受けていた。
ここまで約二年……。本当に長かった。
倒せども倒せども、どこかから湧き出てくる恐ろしい魔物たち。魔七将だの四天王だの、手を変え品を変え物量で押してくる魔物は、ある意味では勇者一行の役に立った。何の役にだって? 当然、経験値の供給だ。
「うるせーッ! もうお前で最後だろうが! 大人しく死ね!!」
力を迸らせる魔王に怯むことなく、勇人は道中で手に入れた伝説の勇者の剣を振るう。どんなに滅茶苦茶な使い方をしても刃こぼれ一つしない、勇人の愛剣だ。
これを手に入れるにも一ドラマあったが、そんなことは些事と吐き捨てる程度には、一行の心は荒んでいた。なんせ旅をしている間に、ほぼ二歳も歳を取ってしまったのである。
こんな誕生日プレゼントを買う店すらない世界で。こんなクリスマスもバレンタインも正月も、ゴールデンウィークも夏休みもない世界で。来る日も来る日も休みなく、魔物魔物魔物魔物魔物!
「うおおおお! 死ね魔王ッ!」
一行の心が真に一つとなった瞬間である。
――しかし、魔王と直接剣で打ち合っている勇人は、早い段階で気がついた。
(なんだ? 魔王から受けた傷に、自動回復が効かない……?)
「ヴォルツザーク!」
勇人が雷魔法を唱えると、紫色の激しい雷撃が魔王を襲う。それしきでダメージを受ける奴ではないが、一旦距離を取った。
「どうしたの?」
「いや……」
近くに居た斥候に尋ねられ、勇人は思わず言い淀んでしまった。なにか漠然と、嫌な予感がする。
「前衛は俺一人でいい。皆は援護してくれ」
「え~、僕も?」
「弓持ってるだろ!」
不満げな斥候に強く言って、勇人は再び魔王の間合いに飛び込む。勇人の覚悟を感じたのと、己の死を悟ってか、魔王は最後まで後衛に直接攻撃をしかけることはなかった。
後方で回復やバフを担う僧侶も、少しして魔王の剣によるダメージには、回復魔法が効かないこと察した。しかし僧侶は完全な支援職で、勇人の代わりに戦うことはできない。それに魔法がダメでも、上級回復薬などのアイテムは効く可能性もある。
だから何も言えなかった。特に……勇人と両想いの魔法使いには。
「ぐっ――ぅおおッ!」
腹部を勇者の剣で刺し貫かれた魔王が、最後の力を振り絞って反撃する。魔王が振るった剣を避けきれず、勇人の左肩から斜めに、大きな切り傷が走った。
「勇人くん!」
思わず危険も顧みず僧侶が駆け寄る。崩れ落ちる勇人を抱きとめ、道具袋の中から取り出した上級回復薬を使用した。……だが勇人の傷は回復しない。
「ちょっと、魔王が死んだかも分からないのに危険じゃない!」
魔法使いの心配の声を聞いて、ようやく僧侶は魔王の生死を確認した。幸いなことに魔王はすでに事切れており、自分たちが帰るための心臓も無事そうだ。……まさか、勇人はそのために奴の腹部を刺してとどめを?
僧侶は腕の中の勇人を見下ろす。彼の息は徐々にか細いものになっていた。
「……二人とも、勇人くんに最後の挨拶を……」
「はあ? 何言ってんの? 早く回復してあげてよ!」
僧侶は勇人をゆっくりと地面に寝かせながら、顔を伏せたまま魔法使いに告げた。
「……やってるんです。ずっと」
「え?」
「傷がっ治らないんです!!」
ぽかんとしていた魔法使いの顔が、僧侶の泣き顔でそれが事実だと理解した瞬間、みるみる内に絶望の色に染まる。彼女は全力で勇人の元に駆け寄った。
「勇人兄ちゃん死ぬの……?」
「……」
「そんなこと言わないで、勇人はまだ生きてる! あ、ねえそうだ……呪いは? 解呪してよ!」
勇人の横に跪いた魔法使いは、一縷の望みをかけて僧侶に懇願した。しかし彼は無言で首を横に振る。
僧侶も最初は魔王の呪いの可能性を疑い、解呪を試みたのだ。すぐに原因は呪いではないと分かったし、当の魔王もすでに事切れている。もう勇人を助ける方法を聞き出すこともできない。
なにより、早い段階で察した勇人が仲間にも告げず、すべての直接攻撃を自分で対処するようにしていた。いくら勇者と言えども魔王の攻撃を完璧に捌くことはできない。蓄積したダメージは、とうに彼の限界を超えている。
仮に解決法があったとして、もう間に合わないのだ。
「そんな……嫌だよ勇人! 行かないで! 死んじゃやだ……っ!」
魔法使いが大粒の涙をこぼしながら、勇人の体の覆いかぶさり叫んだ。苦手な回復魔法を必死にかけ続けている。無駄と知りながらも、彼女はそうせずに居られなかった。
「……ぅ」
「何っ!? 勇人??」
その時、魔法使いの声が届いたのか、勇人が薄く目を開く。何かを告げようとしてか、唇を小さく震わせた。
勇人の声を聞こうとして、魔法使いは彼の口元に耳を寄せる。しかし――彼の唇が言葉を紡ぐことはなかった。
糸の切れた人形のように、ぐったりとする身体。完全に光の消え失せた瞳。それらが意味するのはただ一つ、この旅で幾度となく遭遇した……死だ。
「……うそ、ダメっやだやだやだ! 勇人ぉッ!!!」
暫くの間、辺りには魔法使いの慟哭と、斥候の幼い泣き声だけが響いていた。




