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【6】
「昨日も和服でしたけど、暑くないんですか?」
「ああ、このままキムチ鍋食べるぞ」
逆光が、駄菓子屋の入り口に佇む粳部を照らしている。今日は昼頃に粳部から連絡を受けて待っていたのだ。連絡して欲しいとは言ったが、まさかここまで早いとは藍川も思わなかった。眩みそうな光の先に居た粳部が店内に足を踏み入れると、店内の駄菓子を見渡す。
「本当に駄菓子屋なんですね」
「おお、アイスも売ってるぞ」
「……棒アイスあります?」
「あるぞ」
アイスケースから二本取り出し、近寄った粳部に一本手渡した。藍川は残った一本の袋を破り、暑さで溶ける前にとあずきバーを噛み砕く。粳部もアイスに口を付け、そのまま本題に入り始めた。
「私、どうなってるんですか」
「……」
何とも言えない。部外者の彼女に暫定の情報を話すことはできないものの、そもそも分かっていることがそう多くない。今の彼女が何なのか、正直なところ誰にも分からないのだ。
それを知らない彼女は自分の腕を握る。
「あの怪物に腕を千切られました」
唐突な報告に彼は思わずアイスの棒を噛み千切ってしまった。うっかり飲み込んで少し焦ってしまう。だが、気にするべきはそんなことではなく彼女の方だ。
「制御できなかったのか!?」
「勝手に出てきて……突然、腕を……」
強く握っているその腕は確かに繋がっている。昨日と同様に、壊れた状態から傷も残さず元に戻ったのだ。時間を巻き戻すように。常識と理解を超えて。生物としてのラインを超えた彼女が何をしようと、もうおかしいことは何もない。
彼女が責めるように彼を見つめる。
「昨日の怪物はどうしたんすか、先輩とあの男の人は何なんですか」
「それは答えられない」
「何かあれば電話しろって……言ったの鈴先輩ですよ?」
言った。彼女を巻き込まないように、これ以上苦しめないように彼はそう言った。だが、結局それで何ができたというのだ。ただこうして彼女の話を聞いただけではないか。あれはただの気休めでしかなかったのだ。彼は分かっている。自分がやっていることはただの自己満足でしかないことを。
彼女を巻き込まないことは彼女を救うことと同義ではない。
「腕が繋がってるなら……俺にできることはない」
「先輩!」
「……望んで地獄を見る奴なんて居ないだろ」
保護観察を受けている現在の彼女に彼ができることと言えば、緊急時にその身を守ることだけだ。まあ、彼女の腕が千切られたという連絡が来ていなかったのはどう考えても監視役の不手際だ。
「元の体に戻れるなら幾らでも見ますよ」
「それは現実を見ていない馬鹿の論理だ」
「なら見せてくださいよ!現実とやらを!」
それを見せたくないから、今彼はこうしている。
今起こっている一件について話せば、彼女をこちらに引き込むことになってしまう。足を踏み入れてはいけない場所に彼女を手招きしてしまう。故に彼は嫌なのだ、だから嫌なのだ。
「……会うべきじゃなかったんだ」
高校生活が終わった時点で、彼はもう彼女に関わるべきではなかった。そこで区切りを付けて二度と会わないように、違う世界の住人だと思うべきだったのだ。彼が彼女を呼ばなければこうはならなかったのかもしれない。まだ何も分かっていないがあの接触が事の発端となった可能性はある。
その時、誰かが店内に足を踏み入れる。
「自由に出せるのか?あの怪物を」
「谷口……来たのか」
仮面を付けた男、谷口が粳部に近寄る。このタイミングで彼がやって来たということはどこかで話を盗み聞きしていたのだろう。どう見ても不審な男を恐れて彼女は後退りするが、すぐに彼が誰なのかを思い出して嫌そうな顔をする。それもそうだ、記憶に新しい昨夜に自分を殺そうとしてきた男なのだから。
「昨日の仮面の……」
出る瞬間を見計らっていたということは、下手をすれば昨夜から監視していたのかもしれない。彼女の腕に関する報告が来ていないのは彼が止めていたからとも考えられる。しかし、彼が痕跡を残す筈はない為に追求することはできない。藍川の『権能』を使わなければ無理な話だ。
だが、昨夜よりも穏やかである為に即殺害という考えはないようだ。
「出せるのかと聞いている」
「谷口、俺達が出る幕は……」
「出せる」
そう断言する粳部。決意を秘めているかのように、執念を灯すかのように、その口から溢れた言葉には熱がある。それは藍川が彼女に求めていなかったことだ。彼からすれば一生、こんな風にはなって欲しくなかった。
強くなっても、砕け散るのは一瞬なのだから。
「なら、ここでやって見せろ」
そう藍川が言うと、粳部が目を閉じて意識を集中する。昨夜にあの黒い怪物を操作した時のように、自分の手足のように操り始める。その次の瞬間、棚の影からヌッと奴が顔を出した。黒い、何とも形容し難いその姿。影から歩き出した怪物が足を止め、粳部が差し出した食べかけのアイスをそのまま飲み込む。
完全に制御下に置いている。
「ほら、バッチリっすよね」
「……なら、何で腕を千切られたんだ」
「それは……」
理由が分からない。粳部が制御しているというのに何故彼女に逆らって攻撃するのか。そして、何故完全に再生するのか。粳部を殺すことが目的ならば再生させる必要はない。何をしたいのかがその動向からさっぱり分からないのだ。
谷口は黒い怪物をまじまじと観察し、肩の力を抜く。
「やれやれ、予定が狂うがスカウトには十分だな」
「谷口、保護観察で検査に協力させればそれでいい筈だ」
「本人がそれを望んでいると、お前が一番分かっている筈だが?」
嫌な返しをしてくる。どうやらこの状況で一番余裕がないのは藍川のようだ。困惑してばかりの粳部にすら負けそうな始末である。彼には歯痒い話ではあるがこの状況で彼女の加入を防ぐ方法はもう殆どない。彼が彼女の推薦を拒んだとしても谷口が他の職員に推薦させようとするだろう。
「それは……」
「俺にあれだけ傷を負わせられるなら、軽く見積もって等級はγ以上だ」
「粳部はそんなに優秀な奴じゃない」
「それに不死身だ。こんな怪物聞いたことがない」
「お前も似たようなもんだろ」
仮面の奥に隠している感情を何となく読み取る藍川。確かに戦力としては申し分がないのは事実だ。流石に谷口と比較すれば彼に軍配が上がるものの、同じ土俵には辛うじて上がっている。完全に怪物だ。
粳部が口を開く。
「……こいつを消して、普通の人間に戻りたいんです」
それは藍川の唯一の言い訳が完全に消え失せる瞬間だった。
やはり、どうしようもないのだ。誰がこの運命を仕組んだのかは分からない。誰がこの先に起きうる地獄を願ったのかも分からない。それでも彼女はこの道を進まなければならなかった。どうあろうと選ばなければならなかった。いつまでも少女のままではいられないのだから。
「元の体に戻る為なら何だってやってやりますよ!汚い手だって!」
「お前、それでいいのか?」
「仕方ないの一言で済む話です」
その時、何故かラジオの電源が入る。このラジオはコンセントに電源コードを挿していないのだが、一体どういう原理で動いているのか。静観していた筈だった『彼女』がこの場に介入してきたことだけは、確かに分かっていた。
ラジオ特有のノイズが流れた後、そこから女の声が流れる。
『良いんじゃないですか?粳部さんなら戦力としても申し分ない』
「うわああ!?ら、ラジオが喋った!?」
「ラジオは喋るだろ」
「そういう意味じゃなくて!意思持ってるじゃないですか!」
どうやら、ラジオは粳部の加入を歓迎しているようだ。昨夜の出来事に関しては藍川が徹夜して報告書を提出していた為に、その時の情報とここに彼女が来てからの情報で判断したのだろう。抜け目がない彼女のことだ。
「……仕事がやけに早いじゃないか」
『重症とは言え、等級がΩの谷口さんに傷付けられる人はそう居ませんよ』
「と、等級っすか……」
『おまけに不死身。このレベルの人材はお二方くらいです』
やけにうるさいノイズが辺りを包み、怪しい悪寒が藍川の心を乱す。
「で、この人は誰っすか?」
『ああ私、ラジオです。以後お見知りおきを』
ふざけた言い方をしているが彼女がラジオという名前であることは事実だ。その凶悪な能力によって組織内での存在価値を高めた女。そして、藍川のチームのリーダーを担う怪物。実際、優秀な人材だろう。
谷口がラジオの方を向く。
「ラジオ、良いだろう?三人の推薦であればスカウトは可能だ」
『ええ、私と貴方……三人目の藍川さんも推薦すれば可能ですとも』
粳部が小さく手を挙げる。何故ただのラジオで会話ができるのかは後回しにしようという顔をしていた。
「えーっと、そうすると何か教えてくれるんですか?」
『知る権利を行使できる内容であれば、知ることはできる』
知る権利、というところが嫌らしい言い方だ。
「何を知ってるんですか?あなた達って」
『持っている知識に限り、知っていますよ」
ラジオは右も左も分からない粳部をダークホースとして手元に置いておきたいのだ。不死身の肉体に黒い怪物の運動能力。それらを解き明かして組織に貢献させるという手もあるが、解き明かせずとも未知数の戦闘能力を持った粳部を部下に置くことは大きな利点だ。
しかし、粳部を使い潰させはしない。
「粳部、話がある」
退室する藍川を追い、彼女は炎天下の外に出る。彼の背中は姿勢が良いが、一人分の寂しさを纏った姿はどこか弱々しい。粳部にとって大きな筈だった藍川の存在が、今は酷く小さく見える。何気ない日常の一カットに過ぎないこの光景に、粳部が強い違和感を覚えるのは自身の無知を知ったからか。
店から少し離れ、小川の上に架かっている橋の真ん中で藍川はその足を止めた。振り返ることもなく前だけを見据えて。
「具体的な話はまだしてない。今なら、引き返してなかったことにできる」
「どうして露骨に止めるんすか!」
「俺が経験者だからだ」
藍川が何を経験したのか、粳部には分からない。酷く怯えているような弱々しい彼になってしまった理由があの謎の人物達にあるのか、それとも昨夜の怪物なのか。どちらとも取れる交錯した現状で答えを見出すことはできないが、今の彼が何かを恐れていることだけは粳部にも分かる。
粳部は彼を見据えたまま眉をひそめて呟く。
「そんなに私のことが嫌いですか」
「……何故そう見える?」
ゆっくりと粳部の方に振り向く。その表情は最早泣きそうだった。
正直なところ粳部には分からない。長いこと連絡を取っていなかった彼が誘いを送ってきた時は、粳部はその以外さと唐突さに驚かされたものだ。しかし、今思えばそれが異常だっただけで彼が彼女のことを嫌っていない証拠はない。
粳部は今、彼に発破をかける為にわざと強い口調で話している。
「お前が怖いだけだ。目を離した隙に死んだら、姉に何て言えばいい」
「……お姉ちゃんは関係ないでしょう」
「そうか?……そうかもな」
粳部からすれば、このタイミングで彼女の存在がチラつくとは思わなかったことだろう。粳部来春、数年前に失踪してしまった粳部の姉。かつて藍川と交際していたものの全てを捨て、どこかに消えてしまった少女。頭の外へと消えていった彼女がフラつき、今になって現れるだなんて。
だが、居ない人のことはどうだっていい。
「私は!自分の体を滅茶苦茶にされて、泣き寝入りなんてしませんから!」
この不死身の体は死なないという点では便利かもしれない。今までにできなかった不可能も多少は可能となり、考え方によっては面白い生き方ができることだろう。だが、死なずに常識を外れて再生する彼女を見て一般人が何を思うのかは別だ。当事者である彼女だって怖いのだから。
「その強さは利用されるし、時には折れる。硬度故にだ」
「鈴先輩は私にどうなって欲しいんすか」
「……お前に、俺が見たものを見て欲しくないだけだ」
ただ俯く彼。止めるのは経験故かそれとも私情故か。彼女は前者であれば受け流すだろうが、後者であれば少し嬉しく思うだろう。だが、どうだろうと彼女を止めることはできない。会わなかった数年に藍川が経験したことが、碌でもないことだという察しは彼女にもつき始めている。
藍川に近付く。
「鈴先輩、私が見たいのは真実です。現実です」
「なら目を逸らさないか?打ちひしがれないか?そんな心がお前にあると?」
「……どうっすかね」
それは分からない。彼女は自分のことに完全な自信を持てるわけではないのだ。おまけに他人の全てを分かるわけでもない。
距離感を把握し難い人の心という特大の地雷、彼女が向き合うことなく逃げた人の道。今になって、彼女はこうして彼と面と向かって戦う羽目になっている。これもまた自業自得だ。きっと今までのツケを払っているのだろう。
だがそれでも、こんな彼女でも知っていることがある。
「でも、胸の内にあるものが……執念染みてることは分かります」
彼女は他人と距離を置きがちな人間だが、時には詰めることもある。詰めたいと思う人と出会うことがある。そう思うことのできた彼らが今どうしているのかは分からない。連絡の取れなくなった彼らがどうなったのかは知らないが、彼だけは目の前に居る。彼女の目の前に。
彼が顔を上げ、彼女を見つめた。
「自分の心に誓えるか?」
「自分の神に誓います」
「不死身も怪物を呼ぶ力も……ずっとある保証はないぞ」
「そんな保証、ない方が良いんすけどね。元の体に戻りたいんすから」
鋭い視線が彼女の心を貫く。想いを見抜くかのように、彼女の体を貫く。これからどうなってしまうのかはやはり彼女には分からないし、彼女が元に戻れる保証もない。もし戦いの最中に力を喪失し傷を再生できなくなってしまった時、彼女は間違いなく死に至る。
それでも、彼女を前に進ませるのは秘めた執念かそれとも狂気か。どちらにしろ、彼女がおかしいことには変わりない。だが、少しおかしいくらいでなければ、あの怪物とやっていくことなどできないのだ。
「はあ……蛮勇も勇気の仲間である」
「誰の言葉ですか?」
「俺の言葉だ」
粳部をジッと見つめていた藍川の瞳がそっぽを向き、小川の方へと視線が下りていく。あんな化け物が潜む街だというのに、ここはやけに静かな場所だ。
藍川が肩から力を抜くと、覚悟を決めたような瞳を粳部に向ける。
「……決まりだ」
遂に藍川も溜飲を下げた。やけに頑固だった先の彼は消え去り、比較的いつもの彼に近い穏やかそうな顔が現れる。これで落ち着かなかった粳部の気分も少しはマシになりそうである。まあ、彼女の懸念は未だ消えていないのだが。
その時、谷口が遠くから彼らに呼びかける。
「長いぞ、予想より一分長い」
「……人を待つのが下手くそだな」
「待たせる方に問題があるだろう」
谷口と言われた仮面の男性、彼が片手に例のラジオを持って彼らに近付いてくる。話が終わるのを今か今かと待っていたのだろう。何故ラジオを持っているのかと疑問に思う粳部だったが、その謎はこれからすぐに解けることになる。
谷口が粳部の前に立つ。
「谷口だ。昨日の非礼を謝罪しよう」
「ああ、粳部音夏です……どうも」
彼女はやはり彼をどこかで見たような気がしていたのだが、どうしても肝心なところが思い出せない。それは俗に言うデジャブ、既視感。いつかにこんな感じで自己紹介していた気がするのだが、一体それはいつのことだっただろう。
彼女が考えを巡らせていたその時、彼の手にあったラジオがノイズ混じりに喋り始める。
『これで三人の同意が得られました。ようこそ『蓮向かい』へ』
「……蓮向かい?」
蓮向かいという名前はかなり洒落が効いている。それが組織の名前なのか役職の名前なのか、何か意味あり気なネーミングに一体それが何なのか分からず粳部は困惑する。説明が面倒なのでそれはまた今度にしようと思う藍川であった。
距離を詰めてきた藍川が説明する。
「蓮向かい、国々が隠し続けた諜報機関だ」
『そして私達みたいな超人、司祭と呼ばれる存在で主に構成されてます』
「し、司祭……へっ?」
超人、司祭。唐突に出てきた謎の単語に困惑する粳部。繋がらないこれらの言葉の意味を、今の彼女は理解できない。
「司祭と言っても、祈りはしないがな」




