7-4
【9】
「安心したまえ。死ぬ瞬間は映らない」
いくつものロゴが映った後、遂に映画が幕を開ける。この作品は冤罪をかけられた男が裁判で負け死刑になるまでの日々と、彼の死後に遺族が立ち上がり逆転無罪を勝ち取るというあらすじだ。無実の男は当初やるせなさに慟哭するが、次第にその心境が変わっていく。
話が進み男と妻の面会シーンになる。
『こうなってくると、自分がやったんじゃないかと思えてくる』
『しっかりして……あなたじゃないでしょ?』
『どうかな、少なくともここの連中はそう思ってるみたいだけど』
何もかもを諦め精神的に憔悴し切った男の姿は酷く痛ましく、冤罪であることを知る者からすれば酷くやるせない。粳部は次第に処刑のことを忘れていく。いつの間にか谷口が車内に戻り、たまに小さな画面を観ていた。
時間が進み男は房の小窓から空を見上げ、看守は房を覗き込む。
『今日は静かだな』
『ようやく、ここに居る理由が理解できた』
『理由?』
『誰も悪くない。皆、自分に従っただけだ。その結果がこれってだけ』
安らかな殉教者のような表情を浮かべる男を見て、粳部はこの物語が悲劇なのか何かが分からなくなっていく。絶望の果てにある種の悟りに至った彼を待つのは死だけ。自分を死に追いやる者を許す彼の姿は、この世の何よりも憐れだ。
更に時間が経ち処刑の直前。首にローブが掛かった男が警官に話をする。
『憎みはしない。そしてこれは悲劇でもない』
それだけ言い残すと場面が変わり、遺灰を持つ遺族の場面へと変わる。男に感情移入し切っていた粳部はやりきれなさで眉をひそめた。粳部が普段こういう映画を観ない理由は、感情の豊かさから辛くなってしまうからだ。
粳部が一つ呟く。
「無常ですね……」
「……どうかな」
それだけ返す映画監督。映画は終盤に近付き、被害者が男の無実を証明する為に再審請求を行う場面に移る。この映画は男が処刑されて終わりではない。男の妻は弁護士と話す。
『最善を尽くしますが、あちらの頑固さは相当ですよ』
『知ってます。無実の人を一人殺すくらいには頑固ですね』
『……では、彼の敵討ちと行きますか』
『いえ、敵討ちじゃありません』
弁護士が軽く首を傾げ、眼鏡をくいっと動かす。粳部は弁護士役をしているのが映画監督なのが気になったが、今更それを突っ込んでも仕方がないと思い諦めることにした。
『裁判に不備があったとを証明できれば、私はそれでいいんです』
『……』
『あの人が望むのは』
『……そうですか』
そして裁判所に場面が変わり、裁判長がこう言った。
『無罪』
短いエンドロールが流れる中、粳部は映画を見終えて奇妙な満足感を感じている。最初はおぞましい物を観る覚悟をして、最悪の場合はDVDを取り出してでも止めようと思っていた彼女だった。だが、最後にはただただ映画に見入っていた。
そこに、男の残虐性はない。
「……こんな映画も作れるんですね」
「普通の映画だったな、残虐じゃない」
「残虐性を極限まで減らしてみたんだ。これはこれで悪くないね」
自信ありげにそう語る男の姿は普通の『映画監督』であった。出来の良い短編映画を観たというシンプルな感想だけを覚えた粳部は、何がなんだか分からなくなっていく。それは作品と作者は似るのか似ないのかという問題。
映画監督の処刑への憧れは、一体どこから来ているのか。
「……どうして処刑の映画を撮るんですか?」
「愚問だね」
彼はマンションを見ながら一切表情を変えず、安らかな表情で話を続ける。
「人はいつだって清らかな物を崇める。私も同様だってことさ」
その言葉の意味は粳部にはまだ分からない。だが、それは今はまだというだけ。
【10】
「調子どうだ?こっちは仕事が大分片付いた」
「遅いですよ鈴先輩!まあ……進捗ないのでいいですけど」
「悪いな粳部。大捕り物で忙しかったんだ」
別件を片付けて藍川が様子を見に来た。ビルの屋上、双眼鏡を持った粳部と映画監督が彼を出迎える。谷口は別の場所で監視を行い、二か所からの監視に切り替えて捜査していた。冷える夏の夜空の下、彼らは眠らない街を見守り続ける。
映画監督は双眼鏡でマンションを見下ろす。
「藍川、何か進展はあったかね?」
「マンションの住人を洗い直した。全員アリバイがある」
「何者なんですかねこの人……詳細も戸籍もなし」
粳部がポケットから折り畳んだ手配書を取り出す。どこにでも居そうな特徴のない手配書の男。木を隠すなら森と言うが、人を隠すのなら人混みだ。
藍川がフェンスに近付き足元を見下ろす。
「そもそも彼は何しに来たのか。あの部屋にスタジオはないだろう」
「スタジオって……まあ、動機が謎ですね」
「犯行の下見はどうだ?マンションの住人の八割が女性だぞ」
「いや、実はミールメーカーの被害者は性別しか共通点がない」
女性を攫い、子供を作って最後には処刑する。自分の中に悪魔が居るという妄想を振り払おうとする最悪の犯罪者。犯行の共通点は被害者が女性であることくらいだが、そうなると浮かぶ疑問は何故子供を作るのか。
藍川が小脇に抱えていた封筒から資料を取り出す。
「これを見てくれ」
「何ですこれ?」
「孤児院に置き去りにされた子供の記録だ。実に四十一人」
六年間で確認されたミールメーカーの子供は四十一人に上る。彼らは生まれて間もない状態で孤児院や教会の前に捨てられ、両親を知らずに育っていた。だが、その方が彼らにとって幸せだろう。真実を知らずにいられるのだから。
粳部が資料に目を通す。
「DNAを調べたら被害者のが検出され、そこから犯人のも判明って経緯だ」
「これだけなら強姦が目的に見えますが……」
「彼はビデオ内で私は種の繁栄を願うと。殺した分、子供を作ってるのかも」
「人を数でしか見てないと……?」
確認されている被害者は十一人だが、ビデオ内で死亡が確認されているのは四人だ。もし彼が殺した分子供を作っていると考えた場合、知らない所で相当の犠牲者が出ている可能性がある。途端に粳部の背筋が寒くなった。
その時、映画監督が藍川の方を向く。
「問題なのはいつ生まれたかではないのかね?」
「ん?どういうことだ映画監督」
「四十一人の内、三十八人は四年以内だ。一気に増加してるのさ」
「あっ……確かに三人は最初の二年に生まれてますね」
「……被害者女性も四年で増加しているな」
最初の二年はおかしくなかった。いや、犯行をしている時点でおかしいが今程ではない。直近の四年の中でミールメーカーの凶行は過激になったのだ。この四年間に何があったのか。それがミールメーカーの正体を探ることに繋がる筈だ。
「ビデオは最初の二年に二本が出た。ただ、残りの二本は四年の間だ」
「……あれ、頻度落ちてません?」
「ああ。君は観てないから分からないが、クオリティも落ちてるぞ」
「知りませんよクオリティなんて!」
人の死にクオリティもクソもない。だが、映画監督からすれば重要な問題だった。ビデオの作りが四年の間に悪くなっているということは、彼に大きなヒントを与えてくれる。その間の心境の変化が何かの情報をもたらす筈なのだ。
「殺し方が雑なのさ。三つ目はナイフ。四つ目はチェーンソーだ」
「……残虐なことに変わりないじゃないですか」
「問題大有りだろう!明らかにやる気をなくして編集も雑だ!」
悪魔の存在を世に訴えかける目的で作られたのが、あの残虐なビデオ。最初の二年は力を入れて編集を行っていたが、四年間に被害者が増加しビデオの作りは雑になった。これは何とも本末転倒な話だが、そうなった理由は何なのか。
「忙しくて作りが雑に……?」
「私は処刑の為に寝る間も惜しんでいるというのに……!」
『谷口だ。会話は聞いていたが、一ついいか?』
その時、三人の耳元の無線機に谷口からの通信が入る。別の場所からマンションの監視を行っていた彼だったが、無線で三人の会話の内容に耳を傾けていた。粳部も無線を傾聴する。
『ビデオの暗号が解けたんだが、関係する一文がある』
「何?解けた?君才能あるね」
『人は恐怖から学ぶ。命はその為の燃料。明かりで夜を克服せよ』
「……もしかして、主張を通す為の脅し目的で?」
ミールメーカーの殺人の動機が明らかになった。解かれた暗号には明確に答えが書かれており、謎に包まれていた異常者のベールが剝がされていく。彼は自身の、悪魔に関する妄想を世界に広める為に誰かを殺し、脅しに使う。
粳部が呆れ果てた顔をする。
「やはり脅し……いや、警告だったわけだね」
『……悪魔が殺せと囁く。奴は私の右耳を奪った。あの川は死の源泉だ』
「……右耳?」
重要な単語がある。右耳が奪われたというのはどういう意味か。あの川は死の源泉という言葉も何らかの意味を含んでいる。必死に意味を考える粳部だったが、持ち前の知識が不足している為に答えに辿り着けない。
映画監督が考え込む。
「監督さん、何か分かりませんか?」
「恐らく……遺伝病か、鉱毒などの汚染で右耳を失ったのか?」
『可能性はあるな。奴の育った地域を絞り込めるかもしれん』
「よし……三人は監視を続けてくれ」
そう言うと藍川は資料を封筒にしまって歩き出す。長い間凍り付いていた事件は、六年経ってようやく進展を見せた。
【11】
「頭が痛い!」
ミールメーカーが机の上の物を薙ぎ払う。机に倒れてのたうち回る男は倒れたコップを掴むと、ふらふらと棚に向かい酒の瓶を取り出す。彼は震える手で酒を溢れる程注ぎ込むと、鎮痛剤を取り出して酒と一緒に飲み干した。
絶対に正しい飲み方ではない。ソファに倒れ込む。
「クソっ……うるさいぞ!お前の思い通りにはならない!」
誰も何も言っていないというのにミールメーカーは一人で叫ぶ。その声に返答する者も当然居ない。激しい頭痛と幻聴に悶え苦しむ彼はソファで暴れ、薄暗い照明の下で苦しみ続ける。
暫くすると痛みが和らいだのか落ち着きを取り戻し、彼が上体を起こした。
「ぐ、愚民に叡智を授けないと……やはり悪魔には勝てない!」
異常な男の発言に意味はない。自身の妄想を実現する為に犯行を繰り返し続ける怪物が、まともな筈がないのだ。
ミールメーカーは立ち上がり、まだふらつきながら廊下に出る。床も壁も天井もコンクリートで囲まれた広い空間に窓はなく、閉鎖された世界は酷い圧迫感を持っていた。そんな廊下を歩き続け、端の部屋の扉を開けると中に入る。
部屋にはいくつもベッドが設置され、カーテンで中は見えない。
「ギョロ目め……仕事が多いんだよ」
カーテンに近付きそれを引くと男は中に入る。ベッドに横たわっていたのは四肢を失い拘束された女性。目と耳、口を縫われた女は外界の情報をシャットアウトされ、点滴やチューブからの栄養摂取がなければすぐに死に至る状態だった。
これはもう人間ではない。
「……こいつはもう駄目そうだな……来い三番、出荷だ」
彼がそう呟くとベッドの影から一体の概怪が現れる。二つの頭を持ち両目を縫われた奇妙な怪物は小さく奇声を上げながら、女性の体に触れるとそれを液体のように吸い上げて取り込み影の中へと消えた。ベッドには誰も残っていない。
彼はベッドに背を向けてそこを離れ、部屋の奥に居た別の概怪を見つめる。
「成長の促進。これのおかげで生産量は上がったが……何だこれ」
十字架の形をした奇妙な概怪が、彼の視界に鎮座していた。ミールメーカーの召使のように行動する概怪達。それは決して彼が特別な力を持っていたりするわけではなく、全てはギョロ目の力によるもの。
彼は概怪について何も知らされていない。
「概怪って何だ……ギョロ目は何をするつもりだ」
ある日、彼に協力したいと言って現れた謎のスポンサー。ギョロ目は見返りに死体が欲しいだけと言って彼と契約を結んだが、数年経った今でもミールメーカーにはその目的が見えてこない。だが、それは彼にとって重要ではない。
「まあ、いいか」
彼にとっては、脳内の妄想の悪魔を振り払うことの方が優先事項だった。




