7-3
【6】
「殆どの暗号は解析されたが、一つだけ解けてないのがあるんだよ」
「他の暗号はどうでしたか?」
「『私は羊飼いを騙した。囁いたのは本当に天使か』不思議な言葉さ」
そう言って映画監督はポケットからUSBを彼女に手渡す。粳部がそれをインパネ上のノートパソコンに挿すと、そこには『私は羊飼いを騙した』『囁いたのは本当に天使か』『西の星の光は正しいのか?』『天使が既に乗っ取られていると何故誰も気が付かない』などの一見すれば意味不明の文章が映る。
「ミールメーカーは特定の宗教の否定が目的なんですかね?」
「その要素を多く含んでるね。彼の儀式は実に反抗的なものだ」
「と言うと?」
「特定の宗教に反発する文言が多い。特にキリスト教に懐疑的らしい」
この犯人の異常性はある種の筋が通る。常人には理解できない手段ではあるが、彼の目的は見えてきた。悪魔崇拝か、それともまた別のカルトか。
映画監督が牛乳を飲み干す。
「被害者の失踪場所から、犯人は日本人だろう」
「彼は悪魔への造詣は深い……だが、そこが妙だ」
状況が理解できるようで理解できず粳部は頭がパンクしそうになる。だが、依然として興味からかやる気自体は失われていない。犯行を繰り返す犯人の深層心理。悪魔のような犯罪者がどこに向かうのか、彼らは知らなければならない。
「彼は悪魔を否定する発言と、肯定する発言をしている」
「悪魔崇拝者ってわけでもないんですね」
「なら、犯人は一体何なんだ」
「彼は悪魔に憑りつかれた精神病患者。過去に悪魔払いを受けたかも」
そう言うと彼は運転席から身を乗り出し、粳部のパソコンを持つとカーソルを移動して文献を探す。そしてある個所を見つけると粳部に見せた。その報告書の中には悪魔祓いを受けた患者についての記録があった。
「調べたらビンゴ!似た話をする悪魔祓いを受けた男が居る」
粳部がパソコンの資料を読み取っていくと、ある発言の内容が目に留まる。
「悪魔に憑りつかれたと言う男が、悪魔祓いをしに霊媒師へ……」
「羊飼いは騙された。悪魔は天使を騙る……俺の中に悪魔……これ!」
「ビデオ中で繰り返される言葉さ。悪魔に憑かれる妄想をしてる」
何度も使われる度に粳部の脳裏に蓄積されていく言葉。悪魔に対しての警告があると思いきや、『三位一体を侮辱する』という言葉や『私は羊飼いを騙した』などの悪魔側の言葉もビデオには紛れていた。意味したことは、悪魔の人格に悩まされる極めて普通の人間が居たということ。
粳部がページをスクロールすると、ある文言があった。
「同志コーバス・リーに捧ぐ?……これ何です?」
「こいつはアメリカの連続殺人犯だ。悪魔崇拝者だったとか」
「えっ?……ニュース見て影響受けたとか?」
「良い推理だが。惜しいね粳部君」
粳部の推理を映画監督が評価する。しかし、今回の答えはそれではない。犯罪者の中にはテレビや新聞から影響を受けて犯行に及ぶ者が居る。しかし、ミールメーカーの場合は違う。
「コーバスの事件は残虐過ぎて、報道規制されてる。通常知りえない」
「……じゃあどこで仕入れたんですかね」
「さあ……でも、犯行に共通点がある。儀式形式の殺人さ」
「警察から犯行の情報を入手したか……知り合いかだな」
谷口の推理は正しい。同志コーバス・リーという親しさを感じさせる言葉は、彼らの関係を暗示している。情報が漏れない筈の事件を知っているのだから、何らかの繋がりはある筈だ。
「話は戻るが悪魔祓いの会計時、男はバッグからある物を落とした」
「えっ?ああ……パスポートと身分証ですね」
「大量の身分証さ。彼が常に身分を偽ってる証拠だよ」
簡単に身分を偽装できるということは、本名を名乗ることはないということ。裏社会に精通した住人であり、簡単には正体を探れないように偽装工作をしているわけである。
そして、粳部は再びモニターに手配写真を表示して見比べた。
「……似てなくもないですね」
「だろ?最有力候補と思ったんだがね、一枚上手だったよ」
映画監督が前を向き、お茶のペットボトルの蓋を閉めた谷口が口を開く。
「ウチの全データベースを参照した。似た顔の男は存在しない」
「……はい?」
「戸籍どころか名前も不明。片手の指よりデータのない男だ」
【7】
曇り空の午後、一人の男が路地裏を歩く。彼は古い家屋が立ち並ぶ路地裏を通り抜け階段を降りると、複雑な通路を奥へ奥へと進む。家の下にある奇妙な通路を抜けた先、再び階段を降りると錆びたスナックの看板があった。もう誰も来ることのない閉店した店。
男は建付けの悪い戸を引くと入店する。夜逃げでもしたのか、店内に残された椅子や缶、瓶には埃が被っていた。男は何も気にせず奥へ進むとテーブルの上の椅子を地面に置き、そこに座る。宙を舞う埃がゆっくりと落ちた。
「来たぞ」
その言葉を号令に、彼の横の空間がひび割れて広がる。光が差さず何も見えない闇は広がり続け、やがて人が一人通れるだけの穴ができた。男は少しも動揺することなく、その亀裂の成長を見守る。
そして、鎧を着た何かが出てきた。
「やあ、ミールメーカー。久しぶりだね」
「久しぶりだな、ギョロ目」
黒い鎧のような外見の人物は亀裂から床に足を下ろすと、彼から少し離れた机の上の椅子を手に取り、床に置き座る。鎧の人物は中身が分からず正確な身長が割り出せないものの、鎧の高さ自体は百九十センチ近くあった。
何よりも目を引くのは頭部に付くギョロ目だ。彼は声色の違う複数の声を同時に出す。
「相変わらず派手にやってるね。新作は撮るのかい?」
「生憎、モチベーションがなくてな」
「ふーん、そう。何か飲むかい?酒の一本はあるだろう」
そう言うとギョロ目が腕を上げた瞬間、店のカウンターの向こうで一匹の概怪が立ち上がる。一本のワインとグラスを持った概怪は奇怪な声を上げながら歩き、それらを机に置いて影の中に消えた。ミールメーカーはその光景をマジマジと見ながら胸ポケットから栓抜きを取り出す。
「全く、栓抜きも渡せよ」
「悪いねえ。君が持ってると分かってたからね」
彼が栓を抜いてワインをグラスに注ぐ。濁ったワインは刺激的な香りがし、二杯注ぎ終えた段階でミールメーカーがあることに気が付きボトルを置いた。
「腐っているな。これは」
「まあ、空き家のワインに期待しちゃ駄目ってことさ」
「捨てるか」
「いや、自分は飲もう」
ギョロ目は立ち上がらず、何らかの力を使ってグラスを自分の手元に引き寄せる。そして、それを頭から被る。ワインは鎧を滴って落ちていき、隙間から中へと入る。その鎧の表面に脈打つ血管があった。それは明らかに鉄製ではない。
目元に垂れるワインは、まるで涙のようだった。
「人が飲むものじゃないねえ!」
「お前が言うと意味が違うな」
ギョロ目がグラスを置く。全身を何らかの肉の鎧で覆った怪物の王は、外付けされた頭のギョロ目を忙しなく動かす。ミールメーカーはあれが本当の目ではないことを理解していたが、その鎧の奥にある本体の姿は見通せない。
ギョロ目が足を組む。
「最近、期待してた投資先が潰れてね。ガッカリだよ」
「投資ねえ」
「広陵団の爆破テロ、最後の花火はショボかった。あれじゃ隅田川だ」
「邪魔でも入ったのか?」
テロリストの広陵団。彼らは最後に手製の爆弾をトラックに積み爆破テロを試みたが、故障により起爆に失敗。最終的に爆破したものの被害は本来想定された規模から大きく減少していた。それも粳部達の尽力によるものである。
「噂の蓮向かいがやったとか。死体は回収できたけどね」
「よく分からんが邪魔な連中なんだろう?」
「君も警戒するといいよ。実に狡猾で、対応は慎重さが求められる」
「慎重さを求めてるのなら、こっちの仕事を増やさないでくれ」
声色を変えずに文句を言うミールメーカー。抗議の意思を秘めた視線はギョロ目ではなく、鎧の隙間に吸い込まれる。だが、奴はそんな視線も意に介さない。
「まあ、人間は畜産に適さないしね……君には苦労をかけるよ」
「俺の啓蒙活動の時間を奪わないでくれ」
「啓蒙って……あのビデオがかい?」
「俺は頭から悪魔を追い出したいんだ」
ミールメーカーは虚ろな目でそう呟く。悪魔に憑りつかれた男はそのことしか考えられない。彼の行動の全ては自分を苛む衝動から逃れる為。全ての人にビデオを通して啓蒙を授けなければ、彼の望みは叶わない。
「あれは世界に真実を伝える聖典だ。悪魔は既に世界を乗っと……」
「あーいいよそういう話は。自分にはサッパリだし」
「……今日は何の用だ?」
「君の人間牧場の話さ。生産量を増やして欲しくて」
ミールメーカー、その名前の由来は彼が人間の生産者であることから。女性を拉致して強姦し子供を作り、できた子供は孤児院などに置いて行く。そして女性を処刑する。悪魔に憑りつかれた男からすれば造作もないことだ。
「言っておくがやる気はないぞ。やりはするが」
「死体が足りないんだ。よろしく頼むよ」
「……俺が何故子供を作るのか、お前は覚えてるか?」
何人もの子供を作った男の動機。人を捕まえては処刑する男が何故新たな命を作るのか、ギョロ目には興味がなかった。だが、一応彼を満足させる為に聞いてみることにする。
「覚えてないけど、それは?」
「殺したらその倍生み出す。子供を産ませて帳尻を合わせるんだよ」
一人を攫っては二、三人を産ませて元を取る。とても正気とは思えない計算ではあるが、ミールメーカーは既に六年間で四十一人の赤子を孤児院に預けていた。母体の安全を考えない人物だからこそ、最悪の愚行をやってのけたのだ。
「悪魔の存在を世に知らしめたいだけで、誰かに死んで欲しくはない」
「被害者全三十一名、産まれた子供は百二十人……半分は自分が徴収したけど」
「お前が殺すせいでバランスが取れん……どうしてくれる」
そんなこと知らないとばかりに両手の掌を空に向けるギョロ目。こんなふざけた態度をしているが、こんな奴に大量の子供が殺されたわけである。どうやら、天におわす者は相当な子供嫌いらしい。慈悲は欠片もないと見た。
男はワイングラスを手に取り、傾けて中身を揺らす。
「悪いけど計画に死体が必要なんだ。君の牧場には期待してるよ」
「……俺の仕事量も考えて欲しいんだがな」
【8】
「いつの間にか夕方ですねえ……」
「状況に変化なし。やり方を変える必要があるね」
運転席と助手席の映画監督と粳部。リクライニングを倒して夕焼けを眺める粳部は、進展のない捜査にやきもきもしなくなっていた。集中してマンションに入る人間を監視しなければならないが、退屈な時間が彼女の集中力を奪っていた。
粳部が両腕を高く伸ばす。
「鈴先輩は来ないですし……谷口さんコンビニですし」
「犯人は来ないし。陽が沈んだら車を捨てて別の場所から監視しよう」
「……了解です」
それでも、隣の異常者に対する警戒心だけは失われていなかった。監視をしながらスプラッター映画の話を延々とする男に対して、警戒心を解ける筈もなく。そもそも、解けるような人物であれば地下に幽閉されている筈がないのである。
「粳部君は死体の夢を見ることはあるかね?」
「い、いやないですけど……」
「その夢を見る心理は『生まれ変わりたい』だとか」
「……見るんですか?死体の夢」
そりゃそれだけ人の処刑について考えていれば死体の夢も見るだろうと思う粳部だった。人は見た目では分からないと言うが、自分達と何も変わらない見た目の人物がこうも中身が違うとは彼女は思いもよらなかった。人の心の機微に敏感な彼女でも、彼の心だけは理解できない。
「いや、見ない。見るのは洪水の夢だよ」
「それはどういう意味なんです?」
「さあ、そこまでは。だがいい夢ではないな」
微笑みを絶やさない映画監督。おぞましい想像が底なしの彼ではあるが、どういうわけか粳部は彼から悪意を感じ取れない。どう考えても社会に不適合の危険人物ではあるが、彼に何かを憎み嫌う心はないのだ。
それはただ、純粋な善意によるもので。
「夢の中で映画が観れたらと、つくづく思うよ」
「普通の映画なら私も観たいですがね……」
「まるで私が普通の映画を撮らないみたいな言い草だね」
「実際そうでしょうが!」
彼は自分の懐をまさぐり、DVDの入ったケースを取り出す。それを見てまたグロテスクな映画を見せられるのかと粳部は恐怖する。彼はケースを開くとDVDを取り出して挿入する。監督の表情は無表情だったが、それはこわばったものではなく安らかなものだった。
映画が再生される。
「うわうわうわうわ」
「これは冤罪の男が処刑され、遺族が死後に逆転無罪を勝ち取る映画だ」
「それでも処刑が絡むんじゃないですか!」




