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【8】
アパートの一室、藍川と粳部は扉が開いた風呂場を覗き込む。あれから既に一日が経過し、彼女はもうそこに居ない誰かのことを考えていた。捜査に進展がないことから少し焦り気味の粳部は、どうにかして成果を得ようと一度調べた場所をもう一度調べていた。
藍川がため息を吐く。
「あれから一日……成果なしですか」
「ずさんな犯行の割に足跡を消すのは上手いな」
「不法侵入の上にシャワーだけ使って逃走……変ですよ」
職員からの報告を受け現場に急行した粳部とサンダー兄妹だったが、そこにはもう犯人の姿はなかった。目撃情報を収集している一般職員からの報告で犯人が侵入したと思われるアパートに到着したが、シャワーを使用した痕跡はあれどもぬけの殻でしかなかったのだ。
粳部がボイスレコーダーの再生ボタンを押す。シャワーの水音が響く。
『……クーヤー、シャンプー切れてるんだけど』
『これでいい?』
『ありがと』
情報らしい情報はシャワーを浴びていたことのみ。双子の犯人は玄関ドアを破壊して侵入するとシャワー室へ一直線に進み、迷いもなくシャワーを浴びて外に出て行った。今度は何も盗まず。意味の分からない犯行に捜査員は頭を抱えた。
彼女がボイスレコーダーの音声を停止する。
「レジェさんの権能で再生した過去の記録です」
「通報から急行して得た成果がこれか」
「進展ゼロ……」
「目撃者の心を読んで似顔絵を描いたが、そっちも駄目そうだ」
「食事を盗む……勝手にシャワーを浴びる……何すかこれ」
この異常な犯行の動機が粳部には分からない。それどころか誰にも理由が分からない。金目の物には手を付けておらず、目的に対し無駄のない行動を取っている。だが、声色からはその異常行動の動機が見えてこないのだ。狂人というわけでもなく『弱点』のように行動を縛られているようでもない。
「過去の記録に、双子、食べ物の単語でヒットする容疑者は居ない」
「クーヤーって名前を調べてもらってますけど、報告はないっす」
「別の任務の合間に来たが、終わりが見えないな」
先日は途中で粳部に仕事を任せた藍川だったが、時間ができた為に粳部に会いに来ていた。忙しく仕事をして睡眠も碌に取れていないが、長年司祭の人間は次第に睡眠を取らなくても生活ができるようになる。彼は粳部を優先したのだ。
「お手上げっす……この事件私じゃ無理ですよ」
「そうでもないさ。カルラは……駄目だがレジェなら解決できる」
風呂場から玄関へと向かう二人は靴を履き替え外に出る。扉の向こうにはアパート二階からの景色が広がり、珍しく天候が曇りだったことから風は少しだけ涼しかった。しかし、曇天は先が見えない現状を示しているかのようだ。
「……私、元気な人とずっと一緒には居られませんよ」
「そういや、あの二人はどうした?」
「目撃証言を元に潜伏先を絞ってます。徐々に北上してるとか」
白と灰の混じった空は重く、合間から差す弱い光は遠くの街を差していた。常人には耐え難い暑さだった昨日とは一変し、薄着の粳部には少し肌寒い気温。落ち着いた雰囲気が好きな粳部からすれば昨日よりは良い状況だ。レジェとカルラが居らず藍川と二人で静かなせいか、彼女は昨日と比べ気が楽だった。
「俺達よりもカルラを見本にした方が健全だぞ」
「まあ、悪い人じゃないので気は楽な方ですよ」
「……ふふっ、俺達は悪い人か」
「あっ、いやそういうことじゃなくて」
意地が悪そうに笑う藍川と慌てて訂正する粳部。人付き合いがあまり得意ではない彼女だが、それは普通の意味での苦手ではない。
心なしか楽しそうな両者の下に涼しい風が吹く。
「……他人に踏み込むことを躊躇しないのは気が楽です」
「お前は考え過ぎるからなあ」
「……鈴先輩も似たようなものじゃないですか?」
「ノーコメントだな」
彼は笑顔で返答を拒否した。粳部の想像は当たっていたのかそれとも外れだったのか、全ては闇の中である。確かに両者はある意味では似た者同士なのかもしれない。自分が傷付くことを恐れて他人に踏み込もうとしない彼女と、弱点の反動を恐れて権能を使わない藍川。二人の背中はどこか似ている。
「私が私である限り、ああはなれないでしょうね」
「そりゃそうだ。お前ちょくちょく引っ込み思案だし陰気だし」
「……何で時々デリカシーなくなるんですか!」
重要な場面にならない限りは基本的に人の心が分からないのが、彼という人間である。こればかりはもう本当にどうしようもない。
彼女が大きなため息を吐く。地平線の雲を見つめる藍川。
「でも、踏ん張ってる時のお前はあいつらとよく似てるぞ」
「……えっ?」
自分のことは自分が一番分からないものだ。人が鏡や水がない限りは自分の姿を見ることができないように、他者の存在がなければ自己を認識することができない。自己認識をどこまでも深めようとそれは所詮、不確実な推測でしかない。
粳部はそこまで陰気ではない。
「遺伝子系図学の観点から調べる。取れた毛髪を専門家に調べさせよう」
「へーそんなことまで……」
「まだ粳部には教えてなかったな。今度教えるよ」
「……益々私要らないような」
その時、藍川の携帯電話が鳴り始める。遅れて応答した。
「ああ、レジェか?……えっ?」
【9】
薄暗い地下通路にて、送水管に囲まれた下水処理場の地下で三人と一人の職員は集まっていた。二日目だというのに緊張気味の粳部とテンションが落ちることのないカルラ。そして、既に携帯電話の祭具を出したレジェ。
蛍光灯が足元を照らす。
「あの……急いで来ましたけどどうしたんですか?」
「よくぞ来た!俺の最強の妹が重要な手掛かりを掴んだぜ!」
「兄貴はうるさいけど犯人の情報は手に入った……」
ようやく事件に進展があった。容赦なく意味なく人を殺す犯人を野放しにしていては安全に関わる。度々犯行は起きていたが死者は今のところ一名、玄関扉を破壊して食べ物を盗み、何故かシャワーを浴びる。事態は急を要していた。
「本当ですか!?」
「下水処理場の地下のこの場所で、何者かが不法侵入した」
「この施設に潜入中の職員が、不法侵入があったって噂を聞いたと」
一般職員がUSBを粳部に差し出す。下働きとして各地から収集した情報を報告し、等級によってはデータベースの情報からも捜査を行うのが彼ら。USBをノートパソコンに挿すと、そこには空のカップ麺の容器とリンゴの芯の写真があった。
「食い散らかした後のように見えますけど……」
「権能で記録を再生した。ただ食べてるだけだった」
「日本語が読めないみたいだぜ。それに行き当たりばったりだ」
「もしかして……これって」
粳部が資料の内容全てに目を通す。会話の全文の中には犯人の名前らしき単語が出ており、その中から重要そうな事柄に粳部は注目する。蓮向かいのデータベースから情報を得られそうな、ヒントをここで得なければならない。
レジェが携帯電話のボタンを押して音声を再生する。
『これからどうしよっか』
『……することないね』
『……カーラー、私家が欲しい』
『家かあ。どこか空いてる家を探さないといけないね』
『ここは人が多過ぎるから、もう少し離れないと』
そこまでで再生を止めるレジェ。そこから読み取れるのは犯人二人に目的らしい目的などなく、人が居ない場所を探して進もうとしているということ。それだけで粳部は何かに気が付きハッとしたような表情を浮かべる。
「もしかして、犯人は北上してるそうですけど……」
「うん、ここから北は人口が少なくて廃屋もある」
「で、どうすんだ連中?どう稼いで食っていくよ」
粳部の脳裏に浮かんだのは最悪の想定。それが本当だったとすれば、今までの粳部達の考察は全て空回りをしていたということになる。恐ろしい事実ではあるがそれを認めないことには前進できない。
苦い顔をした粳部が口を開く。
「私達は相当な遠回りをしてたわけですか……」
「ん?それは……?」
「犯人は考え無しに……目的もなく思ったことを実行してただけです」
犯人には碌な知性がない。計画性も思慮も彼らにはなく、お腹が減ったら食べ物を奪う。シャワーを浴びたくなったら家に勝手に入って浴びる。家が欲しくなったら奪う。こんな極めて原始的な発想とは誰に予想できたのか。全て、全てが空回りしていた。
レジェが珍しく驚いたような表情を見せる。
「なるほど……だから規則性もなく大胆な犯行を……」
「じゃあこれで一つ分かったな!犯人は馬鹿ってことだ」
「初歩的過ぎます!予想の斜め下に馬鹿だなんて!」
「で、これからどうするの?」
犯人が馬鹿なのであれば、そこから調べようがある筈だ。そういう生活環境で生まれ育ったクーヤーとカーラーという名の双子。蓮向かいのデータベースを以ってすれば手掛かりが得られるだろう。毛髪という大きな証拠も残している。
耳元の無線に手を当てる粳部。
「鈴先輩、ちょっといいですか!?」
『おう、どうしたよ』
「毛髪の検査はできましたか?」
毛髪のDNAを分析してそこから血縁関係の者を探っていく捜査手法。データベースにDNAの記録さえあれば自動的に近縁の者を調べられるが、データベースになければそこでお手上げ。しかし、それでもやりようはある。
藍川が粳部の問いに応答する。
『いや、調べたがウチのデータベースに近いDNAはない』
「なら検索頼みます!」
『えっ?』
「犯人は金銭の概念がなく、貧困層または閉鎖的な環境の出かと」
金銭を盗もうとしなかったのはそういう弱点というわけではなく、そもそも彼らの中に金という概念がないからだ。特殊な環境で生まれ育ち、法律も倫理も何もない環境で力こそ全てだと思っていたのであればおかしな話ではない。
「日本語を理解していない節から海外出身、裏社会の人間かも!」
『待ってろ!今調べてる!』
「人さらいに捕まった可能性もある……行方不明者の線は?」
『……双子を産んだが病死して、子供が消息不明の貧困女性が居る』
行方不明と双子、そして貧困というキーワードから藍川は小さな情報を見つけ出した。確実な情報を求めていた為に今まで辿り着けなかったものの、数々のヒントからようやく少しずつ掴み始めたのだ。
『路上生活者が双子を見てたが、母親が死んだ時には既に消えてた』
「いつの話ですか?」
『二十年前の事件だ!』
カタカタとキーボードを打つ音が無線機のスピーカーから響く。
「それだぜ!赤子の時に人さらいに遭ったのなら辻褄は合う!」
「それなら……娼館行きか強制労働の可能性は?」
『待て待て検索で忙しい』
面倒なデータベースの検索機能を駆使して検索する藍川は、脳と全神経を駆使して犯人を追い詰めていく。確実に犯人を絞り込み始めている。
『双子が居た記録のある違法な娼館は……五件だ!』
「そこから絞ると……犯人には学がないと思う」
「少なくともお金の概念はないです!」
『旧中国圏のスラム街ならあるかもな……』
よく五件も候補を挙げられたものだ。違法な娼館という危険性の高い場所に出入りして情報を収集するのは、相当なリスクが潜み捜査員への負担が大きい。
藍川はマウスをスクロールし続ける。
『……似た特徴の双子の記述が二件!ここからどうする?』
「思ったんだがよお。どうやって外国から双子は日本に来たんだ?」
カルラのその一言を聞いて思わず二人はハッとする。無線の向こう側に居る藍川も今まで考えていなかった。犯人が謎だらけであった為に、そもそもどこから来ていたのかという根本的な問いを忘れてしまっていた。そこに鍵はある。
キーボードを叩き始める藍川。
『……客船で日本に来た娼館の経営者が到着と同時に逮捕されてる!』
「その船に居たんすね!」
「これでどの娼館に居たかは掴めた……藍川」
『ああ、海外の担当者に聞いてみよう』
正体不明の皮が音を立てて剥がれ始める。怪物の正体はいつだって小さな人間だと、四人はずっと前から知っていたのだ。
【10】
剥き出しのコンクリートで一面が灰色の立体駐車場。どこまでも続いていそうな駐車場を双子の姉妹は進んで行く。人が居ない場所を求めて進み続ける。現在は利用されていない駐車場に車は一台もなく、無人の環境は酷く静かだった。二人の足音だけが空しくコツコツと響く。
カーラーが足を止める。
「ここで休憩しようか」
「……うん、いいよ」
「大分歩いたから少し疲れちゃった……クーヤーは?」
「私は大丈夫、ご飯にしようか」
コンクリートの柱に背を預けて二人は休み始める。妹のクーヤーは背負っていた袋を下ろすと、中からトレーに入った牛肉とバナナを取り出す。牛肉のパックを姉のカーラーに渡し、自分はバナナの皮を剥き始めた。盗品の食料には余裕があり、暫くは盗みに入らなくても生活できそうだ。
カーラーはビニールを破いて生肉を取り出し、そのまま噛みつく。
「……焼いた方が美味しいかもしれない」
「あっ、そうだよね……火があれば良かったね」
「まあ、別に食べられるから良いんだけど」
彼女は生肉を噛み切り、食中毒を恐れずにあっという間に平らげる。それは勇気があるというよりも無知がもたらした行為。何も知らない双子を縛る者は何もないが、それは逆に守る者も何もないということ。しかし、二人で孤高の存在として生き続ける分には困ることはなかった。
蓮向かいからすればそれは厄介以外の何者でもないが。
「ライターがあれば良かったのに……あれなら焼けたよ」




