5-1
【1】
『昇格おめでとうございます!』
「……昇格って?」
蝉の鳴き声がうるさい夏の真っ最中。それすら突き破るようなラジオのノイズと声が店内に響いた。誰も客の来ない駄菓子屋、カウンターで客を待つ藍川とパイプ椅子に座る粳部。彼女はラジオの唐突な言葉に顔には出ずとも驚いている。
粳部が上体を起こす。
『審査の結果、粳部さんはα+に昇格です。良いでしょ?』
「確か……調べられる権限が増えるってことですよね?」
「給料と仕事もな。良い話じゃないさ」
そう言ってカウンターに突っ伏す藍川。こうして店長が余裕でいられるのも、店の売り上げを気にしなくていいからだろう。蓮向かいで任務に当たれば基本給だけでなく、任務の内容に応じて毎度ボーナスが付与される。彼の言う通り楽な仕事では決してないが、金に困らないこともまた事実だ。
粳部はコンセントの抜けたラジオを見つめる。
「一歩前進っすか。でもこの調子ならすぐ半分まで行けますね」
「まあ、βくらいなら行けるだろ。γからは話が変わるが」
『収入増えますよ。何に使います?バッグとかホスト?』
「そういうの興味ないんで……」
粳部の主な出費は食費が大半を占め、残りはオカルト雑誌や映画などが占めている。残りはトレーニング器具だ。粳部は料理ができるものの外で済ませることが多く、ハンバーガーなどのファストフードが食費を占めていた。栄養バランスが悪いことには変わりない。
粳部は都合が悪そうにポリポリと頭を掻く。
「えっえっと、ご飯とか雑誌買ったりするくらいですよ……」
『まあ、あなたの個人情報把握してるし知ってんだけどね』
「あなたねえ!?」
「でラジオ、本題に入らないか?」
藍川の家に集まったのは粳部が暇だったからではない。次の任務についての説明をするとラジオが言って、緊急の要件でもないことから藍川の家に一度集まることになったのだ。まだあまり慣れていない粳部は、状況を伺ってばかりなせいか口数が少なかった。
『司祭の可能性がある方が居ます。つまり、確認してスカウト!』
「なんだ、そんなことなのか」
「えっ、司祭の可能性と言うと……新しく司祭になった人が?」
司祭はある日突然選ばれる。基準も何も分からず無造作に人の中から選ばれる。弱点と権能を与え、司祭として生きることを死ぬまで強制させるのだ。世界中の普通に生きる人々がある日突然力を得て、視界は百八十度変わってしまう。困惑する新たな司祭に道を示すことも蓮向かいの仕事の一つだ。
『司祭は突然、偶然選ばれますから。一年に何人か覚醒しますよ』
「へーそこそこ居るんですね」
「まあ、司祭も一年で何人か死ぬしな。プラマイゼロか?」
『距離的にあなたが近いし、手空きだと思うのでお願いします』
何故手空きなのかと言うと怪我がまだ残っているからなのだが、仕事はまだまだ残っている。前線にそのまま投入というわけではない為、藍川は大人しく何も言わないでいた。それに、素性の調査という点において藍川以上の適任者は存在しない。どんな計器でも人の心までは読めない。
「こういうのも仕事なわけですか」
「で、今回の対象についてのデータは?」
『それについては担当者からお願いします』
ラジオがそう言い残して通信を切断すると、古いラジオのノイズが途絶えて店内がシンとする。好きに喋り倒して突然去った彼女に疲れた粳部だったが、蝉の鳴き声に混じって近付いてくる足音に気が付き振り返る。鞄を持った老婆の入店、粳部は特に何も気にしない。
老婆は商品をゆっくりと見て回りながら彼らに近寄る。
「……話は後にしましょうか」
「あら、このお菓子昔より数が少なくなってない?」
仕事の話をする為にはこの場を離れなければならないと思った粳部だったが、暫くするとようやく彼女も察し始める。確信がない為に彼女は尋ねることができなかったが、藍川はもう既に理解していた。権能を使うまでもなく、長年の仕事の勘からそれを理解していた。
老婆は顔を上げて商品から藍川の方を見る。
「時代の流れさ」
「嫌な話ね」
「で、今回の対象は?」
「や、やっぱりそうだったんですね……!」
今回の任務の担当者はこの老婆。蓮向かいの職員はどんな場所にも潜伏している。年齢も性別も経歴も問わず、どんな見た目の人物も蓮向かいで仕事をしているのだ。中には蓮向かいについての情報を何も知らされず、ほぼ使い捨てのように扱われている階級の下の者も居る。全ては機密の為に。
微笑む老婆。
「対象は雨田圭、三十二歳。現在は児童養護施設の経営者」
そう言って老婆は鞄から取り出した資料をカウンターの上に置く。そこに載っていた写真の男性は柔和な表情を浮かべており、粳部からすれば今まで会った司祭とは似ても似つかない様相だった。どこにでも居そうな人物があんな破壊的な力を保有しているというのは、あまり落ち着かない話である。
「元は信心深い教会の司祭。四年前に辞めてこの養護施設に務め始めたわ」
「教会の司祭様が……あっちの司祭になったと?」
「洒落が効いてるな。神に祈る仕事の奴が祈れない体になったと」
「評判は良く性格面では満点。ただし、司祭の可能性が浮上してる」
二人が資料に目を通す。元は信心深い司祭で今は児童養護施設の経営者。まるで慈悲の塊のような穏やかな人物だが、彼は司祭の疑いを掛けられている。単独で一国の軍隊を凌駕する最強の存在。蓮向かいのような組織が彼らを管理しなければたちまち犯罪に利用され、その異能で本物の怪物になりかねない。
「と言うと?」
「有毒な毛虫が首に付いても症状ゼロ。夏場も冬場も温度を気にしてない」
「それは……確かに司祭っぽいですね」
「屋根から転落した時も傷一つなかった。漆でかぶれていない」
外から司祭かそうでないかを見抜く方法は殆どない。権能を人前で自ら使わない限り、一般人に溶け込んで普通の日常を送れる。特に荒事がそうない日本であればその人物が司祭だと知らずに一生を終えることもある。そうならない為にも蓮向かいは情報網を広げて些細な情報を必死に集めているのだ。
藍川は資料の端から端まで目を通す。
「可能性はなきにしもあらずか」
「うーん……決定的な証拠はないと」
「だから、俺達が行くんだろ?主に俺の権能でだが」
藍川の権能を前に逃れられる者は居ない、隠し通せる者も居ない。その権能は必死に抱える秘密を丸裸にして晒上げ、全ての人間のプライバシーを侵害する。唯一の例外は彼より精神面で弱い者には通用せず、使えばその分の反動が彼に帰ること。それでも、諜報において彼に並ぶ人物はラジオくらいだ。
「鈴先輩のそれ反則レベルですよね……」
「お前とか精神面が弱い奴には効かないんだ。バランス取れてるだろ?」
「……今凄い失礼なこと言いませんでした!?」
「気のせいだろ」
彼の権能はラジオや谷口には通用するが、彼よりも精神面で弱い粳部には通用しない。最強の司祭であっても昔馴染みには勝てないというのは不思議な話だ。
「明後日、孤児院へ見学に向かう。そこで司祭か見分けるとしよう」
「……明後日ですか?」
「予定があった気がするが……まあ、谷口にでも任せるか」
「了解、手続きはこっちで済ませておく。じゃあ、私は帰るわ」
そう言うと老婆は二人に背中を向けて外の日差しへと歩いて行く。粳部からすれば普通の老婆だったが、その正体は蓮向かいの職員の一人。日常に紛れて情報を収集する影の存在。そんな人間がありとあらゆる場所に潜伏していることを理解し、彼女はようやく蓮向かいがどういう組織なのかを理解する。
ふと、店の外に出た老婆が振り向いた。
「ところで、昔売ってたピンク色の飴はもう売ってないの?」
「あれか。今年販売が終わって在庫はないよ。俺も欲しいんだが……」
「世知辛い世の中ねえ」
「何の話ですか」
そんなくだらない話をしている場合ではない。老婆が立ち去ると周囲は再び蝉がけたたましく鳴き始め、粳部は再び熱気を感じ始めた。司祭と違って概念防御を持たない彼女は酷暑の熱を全身で受け止めている。
資料を読み終えた彼は資料をシュレッダーへ雑に突っ込んだ。
「ああーっ!まだ私覚えてないですよ!」
「あっ、悪い……ついいつもの感覚でやっちまった」
「そんなすぐ暗記できる人居ないですって!」
「ラジオと谷口はできるぞ」
「化け物と比べんな!」
粳部は十分優秀なエージェントだ。講習はまだ途中ではあるが既にその才能の片鱗を見せており、現状で出来ることを全力で行っていた。だが、谷口やラジオと比較しては遥かに劣る。天才と異能だけを集めた一級品のチームと比べることは酷だが、それは確かに事実だ。
「まさか私……とんでもないチームに居たりして?」
「とんでもないとは失礼だな……まあ、優秀な部類ではある」
こんな連中に追いつかなければならないということを考えると、粳部は先の遠さに憂鬱になってしまった。毎日行われる講習を完璧にこなすことができず及第点で終わらせていることは、彼女のささやかな悩みになっていた。
彼女は大きなため息を吐いて何とも言えない顔をする。
「ところで、何で明後日にしたんですか?調査」
「気になるか?」
「別に予約を取らなくても、鈴先輩の権能なら会えばいいだけじゃ?」
そう、会っただけでケリが着く。対面した瞬間に心を読み司祭かそうでないかを確認すれば、後は蓮向かいに入るかどうかを聞いて終わり。粳部を連れるまでもなく簡単に捜査は完了する。わざわざ面倒な手続きをしてまで行くその理由とは何か、彼女はずっと考えていた。
ふと、彼が遠い目をする。
「一つはお前に調査の手法を教えたいから。残りは個人的な興味だ」
「も、もしかして危ない人だったり?」
「気になるんだよ。祈れなくなった聖職者が何を思うのか」
司祭は神に祈れない。その理屈は判明していないが、何故か彼らは祈ろうとすると強烈な嫌悪感に襲われて止めてしまう。神に仕える身であった人物がその生活を手放し、児童養護施設で何を思うのか。
「さて、早速明後日の段取りを説明するぞ」
「できる限りはやりますよ!」
「まず、俺達は子供を引き取りたい夫婦だ」
「はい!……えっ?」
思わず、情けない声が出た粳部。大きく目を見開く彼女は何も言わない。
「動機は子供を作るよりも愛を欲するこ……どうした?」
「……鈴先輩は子供欲しいですか?」
「今の設定の話か?それなら……」
「あーもういいです……私が馬鹿でした」
【2】
「面会なんて久しぶりに来ますね」
「ええ、こんなとんとん拍子で話が進んだのは初めてです」
職員の女性と話す経営者の男、雨田圭。穏やかでどこかおっとりとした表情の男は、見学の時間がもうすぐだというのに呑気だった。経営者という立場でありながらテーブルの雑巾がけをするその様に威厳はなく、何も知らない人からすればただの清掃員に見えることだろう。
汚れが雑巾で拭き取られる。
「どんな人ですかね?」
「役所の面倒な手続きを終えたのですから、やる気はあるでしょう」
「まあ、あの養育里親研修をやっただけはありますか」
雨田はこれから来る人物が里親の条件を満たした者だとは知っている。二日前に児童相談所から連絡があり、面会させる児童について説明するととんとん拍子で面会の日程が決まった。
雨田がこの児童養護施設で働き始めたのは四年前。今まで一度も里親の希望者と会ったことはなかったが、彼が緊張を抱くことはなかった。
彼は掃除を終えてシンクで雑巾を絞る。
「後はもう、なるようになるだけです」
「……雨田さんってたまに適当ですよね」
「いえ、決して適当というわけでは」
そう言ってその場を立ち去る女性の職員。その時、暇をした少年がふらっと部屋の中に入って来る。
「せんせ、トランプ見てない?いつもの場所にないんだけど」
「見ていませんね……誰かが変な場所に置いたのかも」
「あーチビ共が忘れてんのかーめんどいなあ」
「そういえば裕君、今日は友達と遊びに行くのでは?」
裕君と呼ばれた子供はバツが悪そうな顔をすると冷蔵庫の扉を開け、中にあった麦茶を持つとコップに注ぐ。小学校高学年くらいの少年はそれを飲んでから雨田の疑問に答える。
「ドタキャンだってよ。あいつ俺のこと舐めてるな」
「ツイていませんね。でも、相手の真意は分かりませんが最初から疑うのは」
「あーいいっての。所詮俺は心が汚い人間ですよー」
「まさか。汚い心の持ち主はトランプ探しを引き受けはしませんよ」
少年が麦茶をむせそうになるもギリギリで堪え飲み干す。それはひねた性格を気取る少年には予想外の応酬だった。彼は空のコップをシンクに置きながら返事をする。
「がー何で分かったの!」
「トランプをやらないあなたが探すとしたら、小さい子に頼まれた時でしょう」
「ったく、これじゃ箔が付かねー……」
照れた少年がそそくさと退散して部屋から去る中、先ほどここを出た女性の職員が戻ってくる。雰囲気を変え真面目な表情でやってきた彼女は明らかに仕事の話をしに来ていた。
「雨田さん、例の見学の方がお見えになってます」
「ああ、もうそんな時間でしたか。分かりました向かいます」
すっかり忘れてしまっていた。彼は慌てて絞った雑巾を干すと、手をタオルで拭いて入口へ向かう。この経営者らしくない姿が人気の理由ではあるが、そのマイペースさが玉に瑕だった。小走りで廊下を駆けて行くと入口が見えてくる。
そこでは二人が雨田を待っていた。
「お待たせしました、施設長の雨田です。本日はよろしくお願いします」
「どうも進藤です。今日は急だったのにありがとうございます」
「つ、妻の縁です……どうも」
どう見てもぎこちない笑顔を浮かべる粳部と、手慣れた演技をする藍川。彼による仕込みのおかげで多少マシになっているとは言え、粳部に潜入の才能はなかった。嘘の身分として彼の妻を自称したことが、粳部にデバフを掛けているのかもしれない。
彼女の目は泳いでいた。




