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【3】
「これでですか……」
「それをここに差し込め、閲覧できる範囲の情報が表示される」
粳部がカードをパソコンに差し込むと機械音が鳴り、ラジオがパスワードを打ち込むと検索ボックスが中央に表示される。ラジオがパソコンへ距離を詰め、キーボードを鳴らすといくつか単語を入力してエンターキーを押す。ほんの数秒の硬直の後、英文の検索結果が表示された。それにマウスカーソルを合わせる。
「……何ですこれ?」
粳部には書かれている文章の内容はよく分からず、そこに不鮮明な写真が三枚載っていることだけが分かっていた。粳部の英語の成績は中の上程度だ。写真の一枚には黒い人形が写っており、気味の悪さが更に謎を深める。
新人の彼女には何が何だか分からない。かすかに彼女の黒い怪物に似た容姿をしていたが、そこにはあの底知れない恐ろしさが圧倒的に不足していた。
「上はアメリカで目撃された『枝男』って概怪。森に居る黒い人型だ」
「これがあれの正体ですか?何か違う気が」
「いや、外見こそ似ているが、奴は少女の誘拐以外に興味を持たない」
「都市伝説によくある奴っすかね」
どの国にも子供を拐う怪物は居るが、どれも人攫い等の逸話から来ているのではと粳部は疑っていた。だが、もしかすると概怪が気付かぬ内に子供を拐っていたのかもしれない。おぞましい気配と人知を超越した力。しかし、共通点はあるかもしれないがアレと遠くの国の概怪は毛色が違う。
「明るい場所を嫌う性質も、お前のそれとは似ていない」
「なら、この下の概怪は?」
「『指差す男』という概怪です。秋田で捕獲されて、特に害はないタイプです」
「え?概怪なのに害はない?」
生物に対して攻撃的で、その超常的な力を殺人ばかりに使うのが彼らなのではないのか。画面の写真の中に居る帽子を被ったような黒い人型は、一体何だと言うのか。粳部の記憶ではそれは概怪の原則に逆らっている。
「概怪である以上、人を殺そうと考えてる。でも、実行するだけの能力がない」
「やりたくてもできない……ってわけですか」
「こいつは自分を見た奴に自殺に最適な場所を指差す。心を読んだ俺の見解だ」
「随分と他力本願な概怪っすね……」
自分の力でも教唆等でもなく、場所だけ示して全てを委ねて選ばせる。その自然さは間抜けに映ることもあるが、考え方を変えれば酷く恐ろしく見える。危害を加えてこない概怪の存在は隔離しない理由にはならない。殺意を持った不安定な存在は、まだ可能性という名の爆弾を秘めている。
「隔離された以上、常に監視されてます。あなたの所に行く筈はない」
「じゃあ、これが最後っすね」
粳部がスクロールして表示された画像を見ると、途端に神経を張り詰められる。心音が大きくなり、映り込む概怪に眼球と魂を引き付けられる。これはあの黒い怪物ではない。だが、その底知れない黒さとおぞましさは限りなく近い。
「これって……」
「これだけ概怪か分からんが『海坊主』現代での目撃件数は少ない」
「二百から百年前に目撃証言がありますが、謎が多過ぎるというか」
この黒い姿、吸い込まれそうな瞳。四肢がないという差異はあるものの、粳部の直感はそれがあの怪物と似ていると告げている。空虚、ガランドウといった言葉が似合うあの瞳を見れば、皆分かる。その奥には何もない。
「信憑性は低くてな。職員が海で撮影しなきゃ実在を信じられなかった」
「……海坊主というと、船を沈めたりするアレっすか?」
「ええ、全長が数メートルから数キロと言われてるデカ物です」
海坊主は泳いでいる人や漁船を呑み込む、日本古来の恐ろしい怪物。恐らく、台風等で天気が荒れた日の高波がそう見えたのだろう。昔の人の想像力がそう見せていた、大抵の妖怪や都市伝説はそうだ。
だが、粳部の『海坊主』は違う。
「か、形が違いますし……大きさも人間くらいっすよ?私のは」
「だな……でも、これ以外に共通点がある概怪は見つかっていない」
「今のところ、開示できる情報はこのくらいです」
「そもそも、これが概怪とは思えないな」
では、これは一体何なのか。人間の知識を凌駕した怪物、粳部も敵も攻撃する動機の見えない何か。司祭ではない時点で権能や祭具でもない。何もかもがランダムで意思があるようで見えない怪物。
これは誰なのか、粳部は誰なのか。
「試しに出してくれ、あの怪物を」
「ここで!?勘弁してよ!ここで出したら罰金と始末書……」
「俺が全部やる」
「い、いいですけど……」
粳部が側に怪物を呼び出すと、それは物陰から溢れ出して直立不動で待機する。そこに怪物の意思など介在せず、ただ粳部の動きを待ち続けている。無機的な人型だ。だが、それは出現する度に形を変えている。
彼が目を細くしながら怪物を見つめる。
「……やはり、心が見えない。俺の権能が心を認識していない」
「じゃあ概怪じゃないんですか?これ」
「心を隠す権能なのかも。一概に概怪でないとは言えないな」
「噓つけ、天下無敵の心の司祭が見抜けないことなんてない癖に」
藍川が触れられない心はない。相手のメンタルに関わらず、軽く触れること自体は誰にでもできる。心の有無を試すことであればできるのだ。だが、そこに心はなかった。目の前に居ても藍川の目に心は映らなかったのだ。
操っているのは粳部だというのに、彼女はその怪物を理解できない。
「だが概怪なら、何でお前は他の概怪を操れないんだろう」
「……確かに。そんなこと一度もできていないですよね」
「何が起きても変じゃない。正直、どんな司祭よりもやりづらいな」
まだそこに粳部に開示されていない情報があるのか。昇格し、調査して情報を収集しなければ真実には辿り着けない。この世にはまだ彼女が知らないことが多過ぎる。だがそもそも、あの怪物に正体など存在するのか。振り返ってみれば謎はそこからある。
「しかし、あの不死身は何なんだ。怪物の力か?お前の力か?」
「あっ、それはサッパリですね……一応、いつでも不死身ですけど」
「権能は心を隠す力か、人を不死身にする力か。何でしょう」
「……どうにも謎だけ増えていくっすね」
分かったことは、海坊主と呼ばれる概怪のような何かと似ていることのみ。だが、それは粳部の直感でしかないのが難点だ。この組織に加入しても、分からないことはまだ多い。自分の弱さと無知を呪う粳部は力を欲していた。
怪物が影の中に沈んで消える。
「概怪にも心はある。なのに、あれには欠片もない」
「私にも分からないことがあるんだけど。いい?」
ラジオが笑みを浮かべ鋭い目つきで彼に問う。そこにはほんの少しの疑いと恐れに近い何かが混じっていることを粳部は悟っていた。しかし、粳部に口を挟む気はない。スピーカーから明るく冗談を口ずさむラジオが肉体で姿を現した途端、彼女は会話し難くなってしまった。
「祭具を出さずに権能を使える司祭は存在しない」
「まあ、全ての司祭がそうだな」
「私も、この刀の祭具を出してるおかげで権能を使えるから」
そう言って腰の刀を指で弾いて見せるラジオ。金髪に似合わない日本刀、司祭によって異なる祭具は彼女の場合は日本刀だった。そして、その祭具を出すことで司祭は権能を使えるようになる。
しかし、何事にも例外がある。
「何で祭具なしで権能が使えるんです?」
「……そういえば、先輩使えてますよね?」
「心の操作はできないが、読むくらいならこれでもできる」
それはもう、司祭ではない。
「あなた、本当に司祭?」
「……さあな。俺も知りたい」
【4】
「……生き残っただけマシか」
診断書とベッドに横たわる被害者を見比べながら、谷口はそっと言葉を零す。目の前の生存者に両足はなく腕も足りていない。全身包帯の憐れな犠牲者。これではとても元の写真の人物とは思えない。谷口は病院にて、先日に粳部達が倒した概怪の腹から出てきた生存者を確認していた。
彼の隣に居た看護師が落ち着きなく話しかける。
「あの、本来は面会謝絶で……」
「三分ぴったり。ちゃんと出ますよ」
谷口は腕時計で時間を確認すると話を切り上げ踵を返す。廊下に踏み出し、端にあるトイレへ向かった。病院の無機質さは彼の肌に合わない。
個室に入るとゴム製の変装マスクを外し、胸ポケットから仮面を取り出して着用する。PHSを取り出し電源を入れようとしたその時、画面が明るく輝き起動していないというのに電話が掛かってきた。
「……ラジオか」
『おお、正解。よく私だって分かりましたね』
「こんな芸当ができるのはお前くらいだ。電源入れてなかったんだぞ」
周囲の音を聞き分ける谷口。このトイレに近寄る者は居らず、ここでの会話が他に漏れる可能性は低い。安全を確認してから彼女の話を聞く。
『どうでしたか?先日の概怪の生存者は』
「写真は撮った。報告書通りだが目視で確認すると気分が悪い」
『腕の概怪は凶暴でしたからね……』
「藍川が粳部に噓を吐いた理由が、よく分かったよ」
『……あれは私もどうかと思いましたよ』
藍川は粳部が意識を取り戻した後、生存者はついて聞いた粳部に嘘を吐いた。生存者の容態を心配して聞く彼女に、彼は嘘を吐いたのだ。
『生存者はどんな状態っすか?治せますよね?』
『……全員もう医療班が治療したよ。今はピンピンしてるさ』
『早っ!何とかなったみたいですね』
だが、実際のところは違う。被害者の状態は悲惨そのものだ。既に蓮向かいの医療班が基本的な施術を終え命に別条はないが、痛み止めが投与されていても感じる苦痛は骨折の比ではない。
すぐに再生した手足を接合する手術が行われるものの、被害者の心の傷までは完治しない。彼は粳部に、被害者の悲惨な状態について明かさなかった。
『言うべきだと思いましたけどね……まだ勘違いしてますよ』
「すぐ手足を治す予定だが……それでも一週間は掛かるぞ」
『まあ、知ったらショックでしょうね』
「……藍川は彼女に過保護すぎやしないか?」
粳部の蓮向かいへの加入も彼は私情で拒み、最後は彼女の執念に押されて諦めていた。生存者が悲惨な状態だというのにもう元気だと嘘を吐いていた。谷口は考える、彼女に惚れているなんていう理由は流石にない。
粳部は馬鹿ではないのだから素直に教えておけばいいものを。
『彼女、過去に精神病院に入院してたんです』
「何?どうしてだ」
数秒の空白の後、ラジオは答える。仮面の奥にある目は大きく見開かれた。




