第十七話:蛇牙(ダガー)VS真愚魔(マグマ)
「蛇牙猛怒、だとォ……面白くなってきましたねェーッ!!」
刀に赤い罅が迸る。
溶岩が噴き出し、刀身に立つ春輔を焼こうとしたのも束の間、もう刀が軽くなっていることに気付く。
居ない。さっきまで目の前に立っていたはずの陰陽師が影も形も無くなっている。
「──後ろ、かァッ!!」
「あぶな-ッ!?」
舞うように刀を振り回した。
間一髪、頭一つ分で躱される斬撃。
捉えきれたとはいえ、確実に先程よりも速度が上昇している。
さっきならば偶然で済ませられた回避。しかし、今の春輔相手では自身の剣術では速度が間に合わない事を灼薬鬼は察しつつあった。
「それならば──噴災・双火砕──」
「させるかーッ!!」
大技を繰り出さんと詠唱する灼薬鬼。
二刀を振り上げ、黒い竜巻を再び巻き起こそうとした矢先、懐に陰陽師が潜り込んでいる事を悟る。
だが、もう遅い。技を出そうと妖力を溜めたこの一瞬は完全に無防備となっていた。
独楽のように回転しながら春輔の苦無が鎧を連続で斬りつけた。
「がっ、速──ッ!?」
「一撃で効かないならッ、何べんでもぶつけるだけだッ!!」
舞うような斬撃。
苦無が空中で青白い閃光を描き、次々に灼薬鬼を斬りつけていく。
思わず重い脚で彼の腹目掛けて膝蹴りを見舞う彼だったが、牛若丸の如き身のこなしで春輔は跳んで躱してしまう。
視線が上へ泳いだ。だが、刀で切り伏せるのが間に合わない。
膝小僧に掌が突かれた。
「たぁぁぁーっ!!」
そこを起点に逆立ちしてからの踵落としが兜の脳天に叩き込まれる。
思わず仰け反り、頭を抑える。
「うおぉッ……!!」
違和感を感じた。
裂けている。溶岩の兜に大きな一文字の切り傷が刻み込まれ、更に凍り付いているのだ。
見れば蛇牙猛怒の鎧の脚からは、氷の刃が備え付けられていた。
「苦無だけじゃない。全身が刃となって相手を切り刻む。それが騰蛇符の力だッ!!」
「ぜ、全身が凶器みたいなもんじゃないッスか! 攻撃面ではほぼ死角ゼロッス!」
「相手の懐に潜り込み、防御を捨てて速度と軽さにモノを言わせて切り刻む……これが、この鎧の戦い方でありますか。まさに、攻撃は最大の防御を地で行く猛怒でありますな!」
遠距離狙撃がメインでヒットアンドアウェイが主だった今までとは違い、蛇牙猛怒の機動力は春輔にアグレッシブな戦いをさせることになった。
最早、灼薬鬼に妖力の充填をさせる暇も与えない。
それどころか、鎧に傷をつけてそこから氷の妖力を流し込み、徐々に溶岩を無力化することが出来る。
灼薬鬼は笑った。
此処まで自分を愉しませることが出来るのか。
愉しくて、愉しくて──憎さも倍増する。
「……は、ははは、やはり、やはり、こうでなければ死合う甲斐が無いというもの──ッ!」
「春輔、来るよッ! もっと激しいのが!」
「ああ分かってるよ!」
攻撃は更に苛烈さを増した。
最早飛び道具による殲滅は無意味と断じたのか、完全に妖力を自らの怪腕に回し、先程のそれを上回る速度で刀が次々に叩き込まれていく。
「気に食わない、二刀流に玩具の小刀で勝てるわけがないでしょうがーッ!」
「オモチャじゃ……ねぇよッ! 俺達の皆の力だッ!」
「臆病者で、雪女の力が無ければ戦えない癖に──女の影に隠れてイキがるな、小僧ーッ!」
一撃一撃が岩を砕くであろう斬撃をすんでの所で苦無でいなしていく。だが、今度はいきり立った灼薬鬼が押していき、遂に胴を切り裂かんとばかりに二刀が一挙に降り下ろされた。
しかし。
「ッ!? 手応えが──ぐぇっ!!」
両刃が灼薬鬼の腹を十字に切り裂いた。
一瞬、分からなかった。自らの二刀を何が受け止めたのかを。
「腹が、腸が、冷たいッ……!? 鎧に、穴が……!!」
「確かに……俺は三流陰陽師だ。よりによって雪女の力を借りてイキってる臆病者だ。だけど……臆病者なりに助けたいと思ったんだ。人間とか妖怪とか関係なく、仲間思いな、唯一人の女の子をッ!」
灼薬鬼は漸く理解した。
彼は二本の苦無で戦っていたのではない。
長く伸びた白いマフラーに、もう二本、刃が巻き付けられていた。
「仕込み苦無で受けられたのか……!」
胴を覆う鎧は既にボロボロに脆く崩れ落ちてる。
灼薬鬼も妖力を使い過ぎたのか、目の焦点が合っていない。
「ま、敗けて堪るかッ……我が娘の無念、晴らさずしてなるものかァァァーッ!」
「違う! あんたが恨みを晴らす相手は、あたし達じゃないッ!」
鬼が刀を怒りのまま乱暴に振り回す。
だが、それは防御を捨てたも同然だった。
先程の十字斬撃で鎧の腹が綻び、風穴が空いているのだ。にも拘わらず、怒りで我を忘れた彼は自らの大技を繰り出して全てを吹き飛ばそうとする。
「”噴災──」
「騰蛇符奥義──ッ!!」
刀から黒い竜巻が起ころうとした刹那、春輔が一気に距離を詰めて斬りつけた。
全身に騰蛇符の力と冬月の妖力を駆け巡らせ、更に加速して灼薬鬼の周囲を駆けまわり、そして次々に斬りつけていく。
彼の姿は目にも留まらない速さだ。
──ッ馬鹿な、目で追えない……これは──ッ!!
幾つもの残像。
圧倒的速度が生み出した分身が次々に灼薬鬼を刃で襲う。
最早受け身を取ることさえ出来ず、彼は斬撃を喰らうしかない。
蛇に締め上げられた獲物の如く無抵抗だった。
「「──”蛇牙・サイドワインダー乱舞”ッ!!」」
残像によって生み出された分身が収束する。
灼薬鬼の全身に青白い亀裂が走り──鎧が、そして握り締めていた二本の大太刀が砕け散った。
「ぐぅぁあっ……!!」
呻く灼薬鬼。
その身体が地面へ倒れ伏せる──
──と、思われた。
「んッ……ぐゥッ……!!」
地面に、足が踏みしめられる。
立っている。
灼薬鬼は、まだその場に立っていた。
「あぁ……はーッ、ち、畜生……ッ!! 膝は、着きませんよ……妖怪統と、溶岩鬼の誇りに懸けて……!」
「まだ、立ってる……!」
「娘の、無念……晴らさずしてなるもの、かァァ……!」
トウジローと秋帆も目を見開いた。
唯の溶岩鬼ならば、今の多段攻撃で沈んでいただろう。
しかし、目の前に居るのは灼薬鬼。弱体化して火の元素の力を直接借り受けられないとはいえ──歴戦にして最強の溶岩鬼。
幾多もの修羅場を千年近くの間乗り越えてきた妖怪のカリスマの姿がそこにはあった。
「そ、そんな馬鹿なっス!! 今のは、今のはやっつけられる流れだったッスよ!!」
「やはり妖怪統……いや、溶岩鬼。殺せはしないと思っていたでありますが、あれだけの猛攻を喰らって尚倒れもしないでありますか」
「笑わせる! 死ぬまで殺り合うのがァ……死合い、でしょうがァァァーッ!!」
「ッまだ、やるのかよ!」
灼薬鬼は地面に転がった鎧と刀の残骸を踏みしめる。
再びそこに火が灯り、溶解すると──溶岩となり、そして刀の形を成して練りあがる。
春輔も苦無を再び構えた。しかし、大技の後で妖力の出力が著しく落ち込んでいる。
しかし。
(椿姫はいつもカッコイイととさまが好きっ、椿姫の前ではずっとずっとカッコイイととさまで居てくださいねっ)
胸が詰まる。
疲弊した脳裏に、娘の声が木霊した。
「は、はは……椿姫……私は、カッコよくなんか、無いんです。貴女に、貴女に幻滅、されないように……振る舞ってただけ──汚い、本当の私を、心無き私を……見られないようにしていただけ──!」
娘は復讐など望んでいないという綺麗事など無意味だということは頭では分かっているつもりだった。
彼女を無意味に凍てつかせた氷には、無意味に滅んでもらうまでと言い聞かせていた。
娘の救済ではなく──自らの憎悪に、他でもない自らの救いを求めていた。
「だから、氷の妖怪は、滅ぶしか……無いのですッ、私の汚いエゴと、憎しみで──ッ」
(ねえねえととさまっ、雪女ってどんな妖怪なんでしょうっ。椿姫は一度見てみたいですっ)
「──ッ!」
だから、今の自分は本当に、彼女に誇れる自分なのか。
一度自問自答したが最後、もう灼薬鬼は前に進めなかった。
「あっ、うぅ……つば、き……」
狂い煮立った怒りの中から久方ぶりに愛おしい娘の声を思い出し、初めて地面に膝を突いた。
まだ戦える。大技を出したばかりの陰陽師に斬撃を見舞えば、今度こそ殺せる。
しかし──脚が動かない。身体ももう動かない。
溶岩鬼の静かな慟哭だけがその場に響いていた。
妖怪記録・灼薬鬼(真愚魔猛怒)
一般的な溶岩鬼はマグマを鎧として身に纏う。これを真愚魔猛怒と呼ぶ。しかし、灼薬鬼はこの姿を嫌っており、妖怪統になってから使った事は無い。今回、灼薬鬼がこの姿になったのは火の元素の権能を失ったが故、なりふり構っていられなかったからである。
だが、その力は大幅に弱体化した灼薬鬼の防御力を補強し、更に溶岩で自らを加熱して活性化させることで機動力も上昇している。彼が触れた鉄鉱石は全て溶岩と化し、練り上げればすぐに武器としてしまう。
噴災・双火砕龍は現在この姿でなければ撃つことが出来ない程に妖力の消耗が激しい大技だが、完全に力を取り戻した灼薬鬼ならばノーチャージ、かつ連発も容易に可能である。




