4日目 魔をのむ
雷太の魔法習得はまだまだ行き詰ってばかりだった。
魔力と親和性の高いインクの製作は上手くいったが、まだ雷太が魔力を扱えるようになったわけではない。幸いというかなんというか、魔力をもつあらゆる生物は意識せずとも多少なりとも魔力を垂れ流しているものであるらしく、流れろ! と念じて失敗していてもインクの性能からそれなりの魔法を、記術を通じて扱えるようになっている。
記術を学んでいくにつれて雷太が感じた記術への第一印象は、算数よく似ている、というものだった。しかも数字は三種類しかないのでそれ自体を覚えるのはとても簡単だ。
そこで雷太は記号を数字におきかえ、陣を小学生レベルの式のような形に置き換えておぼえやすいようにし、あわよくばその陣が引き起こす魔法の結果の予測までできないだろうかと考える。
既に自分の頭のなかにある知識と置き換えて学習を効率化する、というのはよくある事だ。極めることなどはじめから考えず、とりあえずスパッと魔法を使えるようになりたいという雷太の考えからすれば当然の成り行きだ。が、それも結局行き詰る。
風を1、水を2、土を3とした場合、1+3の4と、2+2の4、はたまた1+1+2の4とでは、全てまったく違う現象になる。
さらに厄介だったのは火の天元素が示す符の存在だ。これを雷太は、記号化するならばダッシュが適当だと考えた。天元素は魔力の消費をつかさどるとされているためだ。
火の単体で魔法を使いたい場合は、必ず風1に符をつけて使わなくてはならない。空気がなくては火はつかないのだから納得できる話ではある。ところがこれが複数種類の数字をふくむ陣に組み込まれた場合、計算はより複雑に困難になる。
結局、数字や関数に置き換えて記術をおぼえるという雷太のアイディアは没に終わり、地道に一から記術の法則をおぼえていく。
それでも、簡単にはいかないと腹をくくった雷太はカッシェルフからしてみれば実にもの覚えのいい生徒だった。はじめ、まったく新しい考え方に戸惑っていた雷太は、一度コツをつかむと一つの例題から十の疑問を浮かべ、それを一つ一つ丁寧に説明されると百を学んでいるような飲み込みの早さだ。
千年以上も生きていれば教鞭を取った回数は一回や二回ではすまないだろう。そのカッシェルフが講義が進めば進むほど勝手に学んでいく雷太を見て神妙な面持ちのまま口数少なくなっていくのだから、相当なものである。
ところが、やはり行き詰まりである。
雷太が上手くなるのは座学ばかり、実技においてはインクの性能を超える魔法を使えるようになかなかならない。
「ふむぅ。よし、このあたりで少し方向性を変えてみるとしよう」
雷太が一通りの知識を頭に叩き込んで紙に描かれた陣を前にうんうんとうなっていると、ずっと黙って見守っていたカッシェルフが声をかけた。
「見たところおまえはちゃんと魔力を持っている。だがその存在を知覚できていない」
問題点の確認だ。雷太も陣に向かうのをやめ、カッシェルフへ向いて聴く姿勢になる。
「通常、生まれつき魔力を持てない体質でない限りは感覚で物事をとらえる子供のうちに自分の体内にある魔力の存在に気づき、ある程度の操作を自然に身につけるものだ。ところが、おまえはその年まで育ってからこの世界に来れからはじめて魔力の存在にふれるせいで魔力を感じるための器官が育っていないのだろう」
原因の理由を推測し、そこから解決策を案じる。
「わたしも長く生きてきたが、実を言うとこんなケースははじめての事だ。魔力や魔法がらみでさまざまな問題にぶちあたってきたつもりだったが、そのどれとも類似すらしないというのは、なかなか珍しい。まあ、異なる世界からの客人に教えを……という時点で、いまさらではあるのだがな」
ククッ と小さく笑うとカッシェルフは改めて雷太に向き直る。
「要するに、魔力を知覚することは誰かに教わる事ではないのでわたしがいまさらおまえにそれを教える事はできない。自力でどうにかしろ、といいたいところだが、わたしは一つ可能性を思い出した」
もったいぶるカッシェルフ。雷太は表面上は真剣に聞いているが、内心ではこうおもう。
「(やっぱ年くうと話が長いな)」
おもうだけ、口には出さない。せっかく教えてくれる気になっているのだ、話が長いのは些細なことだ。
「これは本来、ある程度まで魔力を扱えるようになった者が、自身の内包魔力の容量を底上げするために行う修行の一つだ。それまで自然に、意識することなく魔力を扱えていたものも、容量が増えた直後は短い間だが、増えたという感覚があるから、それをしっかりとおぼえていればあるいはなんとかなるだろう」
まだもったいぶるか、と内心ではさすがにイライラしてきたが、雷太はまだ表面上で取り繕う。すると唐突に、カッシェルフが満面の笑みになる。
「おまえは人の話を最後まで聞く、いい生徒だな」
雷太が真剣なままの表情で動かなかった事がよほどうれしかったらしい。
「ありがとうございます」
素直に礼は述べたものの、雷太もいいかげんその褒め言葉すらわずらわしい。
「で、問題のその方法なのだが」
ようやく本題か、とおもったところでまた話が途切れた。あさっての方向を向いたかとおもったカッシェルフの視線の先を見ると、アルフェーイが何体かで強力してガラスコップを一つ運んできてくれているところだった。カッシェルフはそれを受け取ると、さきほど指先から出していた光る塗料こと液状化した魔力を、マヨネーズがパックから絞りだされたようにニュルリとコップへ注がれる。
「うっ……」
コップに注がれる、光る粘液。見た目には綺麗なものだが、雷太は嫌な予感がした。
「さて、飲め」
「やっぱりか……」
しつこいようだが、見た目には綺麗だ。綺麗なのだが、それは宝石やイベント事のイルミネーションのような綺麗さであって、決して食べ物につけるべき綺麗さではない。子供用の駄菓子ですらまだ優しい色合いをしている。
しかもそれを出したのが髪も髭もボサボサの老人からときている。せめて妙齢の女性から、とかだったならまだためらいも少なかった、かもしれない。
「言いたい事はなんとなくわかっとるぞ。だが、早くみにつけたいのだろう?」
差し出されたコップを睨みつけ、受け取るか否かを悩んでいた雷太へ向け、カッシェルフが挑発的な笑みを浮かべる。
「ぐっ! やってやらあ!」
あまりに見事な嘲笑だったものだから、雷太はまんまとのせられた。
ガッとコップを掴み取ると、グッと口元に近づけ、やはり一瞬はためらう。
だが意を決すると一気にそのドロドロの輝く液体をあおった。
「!!! !?!?!」
声にならない。声も出せない。純度の高いアルコールを飲んだときのように喉がカッとあつくなって瞬く間に全身へ、特に頭からは火が出ているのではないかと思うほど強烈な熱を感じ、毛髪の毛穴という毛穴が開いている気がした。
「ほう! 耐えたか!」
そんなカッシェルフの嬉しそうな声はずいぶんと遠くの方に聞こえた。聴覚にも不調がでているのか。そういえばさっきから骨伝導のスピーカーが雷太のバイタルの異常を示しているような気がしないでもない。
「ああ、耐えられなんだか」
やはり遠くに聞こえたその声を最後に、雷太はぱったりと気を失った。
帰還可能時刻まで、あと約222時間。
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