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《ただ雨だったバーガー》


この国では、雨は無料ではない。


一リットル、十二円。


農業用なら九円。


洗濯物を干している時間帯だけ自宅上空を晴らす「個人晴天契約」は、月額二千八百円。


雷は一発三万円からだった。


だから久瀬ナギの仕事は、空を売ることだった。


「来月から値上がりします。今なら梅雨パックがお得ですよ」


窓口の向こうで、老婆が財布を開いた。


「三日でいいの。畑が乾いててね」


「最低契約は七日です」


「そんなに払えないよ」


「でしたら曇天のみのプランもございます」


「曇るだけ?」


「はい」


老婆はしばらく考え、千円札を二枚置いた。


「……それで」


ナギは端末を操作した。


翌日、老婆の畑には雲だけが来た。


雨は隣の企業農場へ降った。



---


空が民営化されて四十七年。


天候は完全に管理されていた。


巨大な気象塔が雲を作り、風を送り、契約者の座標へ雨を落とす。


台風も廃止された。


干ばつもない。


豪雨災害もない。


金さえ払えば。


ナギはそれを便利な世界だと思っていた。


七月十四日までは。


その日、午後二時から雨の予定だった。


ところが降らなかった。


二時五分。


十分。


三十分。


窓口には苦情が殺到した。


「返金しろ!」


「作物が枯れる!」


「結婚式だから晴天契約したのに曇ってるぞ!」


ナギは端末を叩いた。


全国の気象塔は正常。


雲量正常。


湿度正常。


降水命令も実行済み。


なのに、


雨だけが存在しなかった。


午後三時十二分。


空から魚が落ちてきた。


一匹ではない。


数万匹。


銀色の小魚が道路を埋めた。


続いて蛙。


砂。


赤い花びら。


最後に、古い靴が降った。


誰のものか分からない靴が何百万足も、町を埋め尽くした。


気象庁は発表した。


「自然現象ではありません」


国民は笑った。


当然だった。


自然現象など、とっくに存在しない。


翌日。


南部で空が割れた。


青空に一本の亀裂が走り、その向こうに巨大な配管が見えた。


白い管。


無数のバルブ。


錆びたタンク。


作業員が気象塔から亀裂へ入り、三時間後に戻ってきた。


一人だけ。


彼は記者会見で言った。


「空の上に、工場があります」


記者が笑った。


「気象設備でしょう?」


「違う」


作業員は震えていた。


「うちのじゃない」


翌朝、彼は消えた。


代わりに全国民へ請求書が届いた。


《大気利用料 四十七年分》


一人あたり、


八億六千万円。


支払期限は三日後。


誰も払わなかった。


三日後。


風が止まった。


木の葉一枚動かない。


煙突の煙が真上に伸び、そのまま固まった。


四日後。


雲が回収された。


空中の雲が一本の白い管へ吸い込まれていく。


五日後。


青空が剥がれた。


巨大な青い膜が端から巻き取られ、その下から黒い金属天井が現れた。


人々は初めて知った。


この世界には、


空そのものがなかった。


夜。


星は天井に開いた小さな穴から漏れる光だった。


月は照明器具だった。


太陽は巨大な加熱灯だった。


そして海岸では、海が排水口へ吸い込まれ始めていた。


政府は地下施設から古い文書を発見した。


世界気象民営化計画。


第一条。


「惑星環境の賃貸契約を締結する」


契約者は人類。


貸主の欄だけが黒く塗り潰されていた。


「私たちは天気を買ってたんじゃない」


ナギは書類を握った。


隣の職員が青ざめる。


「じゃあ、何を?」


窓の外で太陽が消えた。


加熱灯の契約も切れた。


「借りたものを、小分けにして売ってただけだ」


その夜から気温が急落した。


政府は緊急放送を流した。


未払い金を国家予算で支払う。


しかし送金は拒否された。


理由は一行。


《通貨による支払い受付期間は終了しました》


代替決済方法。


《現物》


翌朝。


北部の山脈が消えた。


削れたのではない。


一瞬で平地になった。


請求額が三パーセント減った。


次は森林。


七パーセント。


砂漠。


二パーセント。


都市。


十一パーセント。


人々は逃げ始めた。


だが、どこへ行っても同じ天井が続いていた。


世界そのものが倉庫だった。


最後まで残ったのは、ナギの町だった。


あの老婆もいた。


乾いた畑に立っていた。


「結局、一度も降らなかったねえ」


ナギは何も言えなかった。


老婆が空を見る。


「昔は雨って、勝手に降ったらしいよ」


「知ってます」


「濡れたら困る日に降ったり」


「はい」


「お金も払ってないのに」


天井が開いた。


巨大な機械の腕が降りてくる。


先端には銀色のヘラ。


大地の下へ差し込まれた。


ゴゴゴゴゴ、と地平線が持ち上がる。


「そんなの」


老婆は笑った。


「一回くらい見たかったねえ」


その瞬間。


ナギの頬に冷たいものが落ちた。


一滴。


もう一滴。


雨だった。


気象塔は停止している。


契約もない。


料金表示もない。


町中の人間が空を見上げた。


黒い天井から水が漏れていた。


故障だった。


誰のものでもない雨が降る。


人々が笑った。


子供が水溜まりを蹴った。


老婆は両手を広げた。


ナギも顔を上げた。


生まれて初めて、


請求されないものに濡れた。


三十秒後。


世界は回収された。


大地が折り畳まれる。


都市が砕け、黒胡椒になる。


森林は刻まれてレタスへ。


山脈の岩肌は焼かれ、香ばしい全粒粉のバンズへ変わった。


海の塩分が凝縮し、肉へ練り込まれる。


人間も道路も家畜も鉄道も、巨大な圧搾機へ落ち、赤黒い挽肉になった。


最後まで残った雨水だけが回収されなかった。


故障による漏水。


資産台帳に存在しないからだった。


鉄板に厚いパティが落ちる。


じゅう、と焼ける。


チーズ。


レタス。


黒胡椒。


乾燥玉ねぎ。


焦げ目のついたバンズ。


最後に、どこからともなく三滴の雨が落ちた。


肉汁と混ざり、


透明なソースになった。


完成したバーガーの横へ、細長い伝票が吐き出される。


惑星環境返却:完了


未回収資産:降水 0.000003L


請求額:0


その下に商品名。


《ただ雨だったバーガー》


値札は付いていなかった。


たぶん、この世界で初めて、


売り物ではなかった。

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