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【特選】《観測外圧縮終端バーガー》

◆序章 この宇宙の物理法則



この宇宙では、神が実在する。


神話の比喩ではない。観測可能な事実として、神が実在する。


宇宙が誕生して百三十八億年。最初の三十億年で物理法則が確定し、その物理法則の根幹に十二柱の神が存在することが判明した。神は宇宙の外側に存在し、宇宙の内側に起きる全ての因果を把握し、任意に操作できる。


神の能力を列挙する。


全知。過去・現在・未来を問わず宇宙内の全事象を同時に把握。全能。物質・エネルギー・概念・確率を含む宇宙の全構成要素を任意に編集。時間干渉。因果の流れを遡行・加速・停止・逆転させる権限を全件保有。概念的不死。神に「死」という概念を適用しようとした時点で、その概念が神によって否定される。


百三十八億年間。


この宇宙において、神に抗い、神を傷つけ、神を驚かせた存在は、ただの一度も存在しなかった。


それは今日まで、事実だった。






◆第一部 抵抗の三百年



宇宙暦百三十八億年。


人類の居住する銀河系第三惑星の軌道上に、一隻の戦艦が静止していた。


艦名は「不可逆」。


全長五十二キロメートル。反物質炉を十二基搭載。主砲の出力は毎秒十の四十三乗ジュール——恒星の全エネルギーを一瞬で消滅させる規模。宇宙の観測史上、物質文明が到達した最大の破壊力。


しかし神は傷つかない。


それはわかっていた。


それでも人類はこの艦を建造した。三百年かけて。百二十の国家が連合して。三世代の科学者が命を費やして。


なぜか。


三百年前、人類は神に一つの問いを立てた。


「自由意志は存在するか」


神は答えた。


「否」


全知全能の神が全ての因果を支配するなら、人類の全ての選択は神の設計した結果の一部に過ぎない。神がそう答えた。全知の存在が、事実として回答した。


人類はその答えを拒絶した。


三百年間、人類は抵抗した。


科学者カルロ・ヴェインズが二十年前に発表した「自由場理論」が突破口になった。全知の神の観測には一つの盲点がある——選択肢が確定する前の「選ぶ瞬間」だけは、因果として記録されていない。その瞬間は宇宙の内側に存在しない。だから神にも見えない可能性がある。


この理論を実証するために、「不可逆」は建造された。


艦橋に、元帥アイラ・セレスタが立っていた。


齢三十七。人類史上最年少で元帥に就いた女性。三百年の抵抗の最終決戦を指揮するために選ばれた。


全スクリーンが赤一色だった。宇宙の外縁で神のエネルギーが収束している。十二柱全員が、今日の人類の動きに注目している。


「報告」とアイラは言った。


「神の観測圏が全宇宙に展開されています」とオペレーターが答えた。「推定観測密度は——計算不能です。あらゆる粒子の状態が同時に把握されています」


「自由場発生装置の状態は」


「チャージ完了。作戦実行可能です」


アイラは副官のカルロを見た。


「準備はいいか」


カルロ・ヴェインズは齢四十二。背が低く、眼鏡をかけた、軍人より研究者に見える男だった。この作戦の立案者。この三百年の意味を、この宇宙で最もよく知っている人間。


カルロは頷いた。


「いつでも」






◆第二部 神聖評議会



宇宙の外縁。


物理法則が適用されない場所。


十二柱の神が集まっていた。


最高神劉芽亜は光の集合体として存在した。姿を持たず、声を持たず、意思だけが全宇宙の知性に直接届く形で存在する。


「人類が最終行動を開始した」と劉芽亜は伝達した。


「処理するか」と闘争を司る亥位米が応じた。


「否」


「なぜ」


「見届ける」と劉芽亜は答えた。「三百年前、我々は自由意志の問いに答えた。人類はその答えを拒絶し、証明しようとしている」


「無駄だ。因果は全て我々が把握している」


「そうだ。だから、この問いには意味がある」


神の間に沈黙があった。全知の存在が沈黙するのは稀だった。


「カルロ・ヴェインズの自由場理論は正しいか」と別の神が問うた。


劉芽亜は少し間を置いた。


「……観測中だ」


神聖評議会が揺れた。


「確認できていないのか」


「選択肢が確定する前の瞬間——あの人間が言う『選ぶ瞬間』が、我々の観測に含まれているかどうか、現時点では——」


劉芽亜が止まった。


百三十八億年間、劉芽亜が言葉を止めたことは、記録上一度もなかった。


「確認を続けろ」と劉芽亜は言った。「今日、人類が何を証明しようとしているのかを、最後まで見届ける」






◆第三部 選択の設計



「不可逆」の作戦室で、カルロは一人で椅子に座っていた。


窓の外に地球が見えた。


青い星。百三十八億年、神が見下ろし続けた星。三百年前、人類が「否」という答えを受け取った星。


カルロは自分が立案した作戦の手順を反芻した。


主砲を神に向けて照準を合わせる。エネルギーをフルチャージする。そしてカルロが一人で、発射するかどうかを決断する。事前に決めない。アイラにも告げない。どこにも記録しない。神にも観測させない——もし自由場理論が正しければ。


その決断の瞬間を自由場発生装置が記録する。


もしカルロの決断が神の予測に含まれていなければ——自由意志の証明になる。


傷つけることはできない。勝てない。でも証明できる。


三百年の問いに、答えを出せる。


カルロは手帳を開いた。娘の名前が書いてあった。七歳。この作戦が終わったら誕生日に帰ると約束していた。


帰れるかどうかはわからない。


でも帰るかどうかを、カルロは今から決める。


それが自由だとカルロは思っていた。


「元帥から呼び出しです」とインカムが鳴った。


「行く」とカルロは言った。






◆第四部 作戦発動



艦橋全体が静まり返っていた。


主砲のエネルギーチャージが最終段階に入っていた。艦全体が微かに振動していた。反物質炉十二基が全出力を主砲一門に集中させている音が、壁を通して伝わってきた。


「エネルギー出力、九十八パーセント」


「自由場発生装置、スタンバイ完了」


「神の観測圏、維持中。全宇宙規模での展開を確認」


アイラはカルロの隣に立った。


二人は前を向いていた。


「カルロ」とアイラは静かに言った。「三百年分の全員を代表して言う」


カルロは前を向いたまま聞いた。


「証明してくれ」


カルロは答えなかった。答える必要がないと思っていた。


「エネルギー出力、九十九パーセント」


艦橋の照明が一段暗くなった。全電力が主砲に向かっている。


「百パーセント。チャージ完了」


静寂だった。


全員がカルロを見た。


カルロは目を閉じた。


何も考えなかった。


三百年の問いも、神の答えも、娘の顔も、地球の青さも、全部止めた。


何もない瞬間があった。


その瞬間の中に、カルロは一人でいた。


そして——


「発射」


カルロは言った。


主砲が放たれた。


恒星消滅級のエネルギーが、宇宙の外縁に向かって直進した。






◆第五部 証明



光が宇宙を走った。


神はそれを見た。


劉芽亜は沈黙した。


光が宇宙の外縁を超えた瞬間に物理法則の適用範囲外へ出て、自然に消えた。


神は傷つかなかった。


砲撃は届かなかった。


しかし。


「……見えなかった」


劉芽亜が言った。


神聖評議会が静止した。


「もう一度言え」と亥位米が言った。


「あの人間の決断の瞬間が——観測できなかった」


百三十八億年間。ただの一度も「観測できなかった」という言葉を使ったことがない最高神が、その言葉を使った。


「自由意志が」


「存在した」


宇宙の外縁に、神々の沈黙が満ちた。


百三十八億年の全観測記録の中で最大の沈黙だった。


艦橋では、自由場発生装置の記録表示に「観測外事象:確認」という文字が点灯した。


アイラが笑った。


オペレーターが叫んだ。


カルロは目を開けたまま、表示を見ていた。


証明できた、とカルロは思った。


自由意志は——


その瞬間だった。






◆第六部 来訪



艦橋の後壁が、音もなく裂けた。


裂け目の縁が混沌のエネルギーで揺れていた。


裂け目から、少女が出てきた。


黒髪。長くボサボサのツインテール。琥珀色の瞳。黒と赤のフリルドレス。どこの星系の衣装でもなかった。人類の文明の産物でも、神の象徴でもなかった。それは単純に、どこにも属さないものだった。


少女は艦橋に出てきて、床に立った。


全員が静止した。


少女は艦橋を見回した。


主砲の余熱で揺れる空気を見た。「観測外事象:確認」という表示を見た。アイラを見た。カルロを見た。窓の外の地球を見た。宇宙の外縁に収束する十二柱の神のエネルギーを見た。


少女は何も言わなかった。


ただ、見ていた。


「——警衛!」とアイラが叫んだ。


六人の警衛兵が少女に向かった。


少女は動かなかった。


六人が触れた。


六人は元の位置に立っていた。触れた記憶だけがあって、結果がなかった。体当たりした腕に衝撃が来なかった。壁に当たった感触もなかった。ただ、触れることができなかった。


「自由場センサーの値が——」とオペレーターが震える声で言った。「この存在の『選択肢の密度』が——センサーの計測上限を超えています」


「計測上限を超えるとはどういうことだ」とアイラが問うた。


「この存在は……因果の外にいます。我々のセンサーは因果の内側にある選択肢しか測れません。この存在には——因果の概念自体が適用されていない可能性があります」


カルロが少女を見た。


「神では、ない」


少女はカルロを見た。


カルロと目が合った。


カルロは口を開いた。


「あなたは——」


少女は首を少し傾けた。






◆第七部 問い



「ねえ」と少女は言った。


全員が固まった。


「さっきのやつ、何」


「……主砲を発射しました」とカルロが答えた。


「何に向けて」


「神に」


少女は窓の外の宇宙の外縁を見た。十二柱の神が収束しているエネルギーの揺らぎを見た。


「当たったの」


「当たりませんでした。神は傷つかない」


「じゃあ何のために撃ったの」


カルロは少し間を置いた。


「証明のためです」


「何を」


「自由意志が存在することを」カルロは「観測外事象:確認」の表示を指さした。「あそこに結果が出ています。撃つかどうかを決めた瞬間が、神にも見えなかった。それが証明です」


少女はその表示を見た。


長い間、見た。


「……なんで証明したかったの」


カルロは答えた。


「神は三百年前、自由意志は存在しないと言いました。人類の全ての選択は神の設計の中にある、と。我々はそれを受け入れられなかった」


「なんで受け入れられなかったの」


「……」


カルロは少し考えた。


「受け入れたら、選ぶことに意味がなくなるからです」


少女はカルロを見た。


アイラを見た。


艦橋の全員を見た。


地球を見た。


「……ふうん」と少女は言った。


何も読めない声だった。


感心しているようにも、興味を失ったようにも聞こえなかった。ただ、聞いていた。


少女は両腕をゆっくりと広げた。


「ちょっと待ってくれ」とアイラが言った。「あなたは何をしようとしている」


少女は答えなかった。


「話を聞け!」


少女の琥珀色の瞳が、一瞬だけアイラを見た。


それだけだった。


「——〝全因果喰らい砲・世界線混沌圧縮カオスフレア〟!」






◆第八部 圧縮



宇宙の物理法則が溶け始めた。


光速が変わった。


重力定数が崩れた。


電磁力の係数が消えた。


強い力と弱い力の境界が失われた。


物質が概念の定義を失った。


空間が次元の定義を失った。


時間が前後の定義を失った。


神が——


劉芽亜が「これは——」と言いかけた。


初めて劉芽亜が言葉を止めた理由が、観測できないものに直面したからではなかった。


止まったのは、全知の神が存在ごと圧縮されていたからだった。


十二柱の神が消えた。


百三十八億年の宇宙が消えた。


三百年の抵抗が消えた。


「観測外事象:確認」の表示が消えた。


自由場発生装置が消えた。


主砲の余熱が消えた。


アイラが「カルロ——」と言いかけた声が消えた。


カルロが「自由意志は——」と言いかけた言葉が消えた。


地球が消えた。


銀河が消えた。


宇宙が消えた。


全てが消えた。






◆第九部 ビッグマック



虚無。


何もない。


空間が存在しないから、広さがない。時間が存在しないから、経過がない。物質が存在しないから、重さがない。光が存在しないから、明暗がない。


虚無だった。


その虚無の中に、少女が立っていた。


少女の足下に、バーガーが一個あった。


ビッグマックだった。


ただし、これは普通のビッグマックではなかった。


二枚のバンズは、百三十八億年分の宇宙の物質総量を圧縮した密度で構成されていた。一枚のバンズに、この宇宙に存在した全ての恒星と惑星と衛星と塵の総質量が収められていた。表面の焼き色は、宇宙誕生時のビッグバンの熱が瞬時に焼き付けたものだった。


二枚のパティは、十二柱の神の情報密度で構成されていた。全知全能の神格が、肉の形に圧縮されていた。一口噛むたびに、数十億年分の宇宙の因果が溶け出す。パティの内部では今も劉芽亜の意識の残滓が揺れていた——「これは——」という、完成しなかった言葉の断片として。


特製ソースは、三百年間の人類の抵抗の感情が液状化したものだった。怒りと悲しみと誇りと希望が混ざり合い、甘く、苦く、辛く、長い後味を持つソースになっていた。


シュレッドレタスは、百三十八億年分の生命の記録が繊維状に分離したものだった。最初の単細胞生物から、文明を持った種族まで、全ての生命の歴史が、一本一本の繊維に刻まれていた。


スライスチーズは、自由意志の証明が固体化したものだった。「観測外事象:確認」の瞬間——カルロが「選んだ」瞬間——が、物質として固まっていた。神にも観測できなかった一瞬が、チーズの形をしていた。


中央のバンズは、宇宙の物理法則そのものが圧縮されたものだった。光速定数、重力定数、プランク定数、全ての物理定数が、一枚のパンの中に収まっていた。


少女はビッグマックを拾い上げた。


重かった。


宇宙一個分の質量が手のひらに乗っていた。


少女は口を開けた。


かじった。


虚無の中で、咀嚼する音だけがあった。


神格の味がした。百三十八億年の重さがした。三百年の意地の味がした。「選んだ」という事実の硬さがした。


少女は食べ続けた。


何も言わなかった。


食べながら、虚無を見ていた。


さっきまで宇宙があった場所に、何もなかった。


さっきまで神がいた場所に、何もなかった。


さっきまで艦橋があった場所に、何もなかった。


さっきまでカルロが「自由意志は——」と言いかけていた場所に、何もなかった。


少女はビッグマックを食べ終えた。


虚無の中に立っていた。


どのくらいの時間が経ったかはわからない。時間が存在しなかったから。


少女はやがて、空間の一点を指で裂いた。


裂け目の向こうに、別の何かが見えた。


少女はそちらへ向かった。


向かう前に、少女は一度だけ振り返った。


何もない虚無を見た。


何も言わなかった。


振り返るのをやめた。


裂け目に入った。


虚無が閉じた。


◆グリマス博士の収蔵記録


nの次元・アーカイブ室 グリマス博士の手記より


《観測外圧縮終端バーガー》

(アンオブザーブド・ターミナル)


【収蔵番号】COSMOS138億年001

【バーガー形態】ビッグマック(渾沌担当)

【世界線分類】全知全能神格支配型宇宙/物質文明抵抗期/自由意志証明完了直後


◆成分報告


バンズ(上下)——宇宙全質量圧縮体。

外形は標準的なビッグマックのバンズと同一だが、内部密度は

ブラックホールの特異点を上回る。クルーおよびnの次元関係者

には影響なし。香ばしい。


パティ(二枚)——神格情報体。

十二柱の神格を二枚に分割圧縮。一枚目に劉芽亜の全知情報が

収録されているため、食べた者は数秒間、宇宙の全事象を同時

観測する副作用が発生する。数秒後に情報量が限界を超え、通常

の知覚に戻る。頭痛を伴う場合あり。


特製ソース——三百年分の抵抗感情液。

甘味・苦味・辛味・旨味が特異な比率で混合。感情成分の分析

によれば、最後の成分「誇り」の割合が他の感情成分の合計を

上回っている。


シュレッドレタス——生命記録繊維。

百三十八億年分の全生命履歴が記録された繊維状構造物。食べた

場合、それぞれの生命の記憶断片が一瞬ずつ流れ込む。摂取時間

が長いほど洪水量が増加する。速食い推奨。


スライスチーズ——観測外事象固体。

カルロ・ヴェインズが「選んだ瞬間」が物質化したもの。

全知の神も観測できなかった一瞬が、常温固体として安定存在。

チーズとしての味はない。噛むと「何かが確かにあった」という

感触だけがある。初収録例。学術的価値高。


中央バンズ——物理定数圧縮体。

本宇宙の全物理法則の定数値が収録されている。食べた場合、

その宇宙の物理法則に一時的に適応した身体特性が発現する

可能性あり。


◆総合評価

食材として申し分ない密度。中身の規模は同形態の過去収蔵例と

比較して最大値を更新。


◆食後クルー(渾沌)特記事項

食べ終えた後、次の世界線へ移動する前に一度だけ振り返った。

虚無を見た。何も言わなかった。振り向くのをやめた。


店長が食後に振り返った記録は、本件が初例となる。

振り返った理由は不明。

記録に値する。


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