《概念的カフェインバーガー》
——世界線CCΩ∅:完食記録——
◆第一層 出現
女は締め切りを抱えていた。
三十四歳。フリーランスのデザイナー。締め切りはいつも複数あった。
深夜二時に、バーガーが届いた。
宅配ではなかった。気づいたら、デスクの上にあった。
パステルカラーの層が重なって見えた。カプチーノ色のバンズ。黒いパティ。二層のソース。
コーヒーのにおいがした。
飲んでいたコーヒーが三杯目だった。
食べた。
◆第二層 覚醒の記録
女は作業メモをアプリに取っていた。タスクと時刻だけ記録するシンプルなメモだった。
以下は、摂食後のメモの全文である。
——1日目——
>02:17
>バーガー食べた。コーヒーより効く。目が覚めた。
>デザイン作業再開。
>03:44
>一つ終わった。次へ。眠くない。思考が速い。
>05:30
>夜明け。眠っていない。眠くない。
>タスク三つ終わった。こんなに捗ったことない。
>09:15
>クライアントからメール。返信。追加タスク受けた。
>眠れないならやるだけやろう。
>23:58
>一日で一週間分終わった。眠れない。眠れないが捗る。
>明日も続ける。
——3日目——
>04:22
>瞳孔が開いている気がする。鏡を見た。目が大きかった。
>気のせいだと思う。作業続ける。
>17:45
>友人からLINE。「最近どう?」
>「忙しい」と返した。
>「ちゃんと寝てる?」
>「寝てない」
>「大丈夫?」
>「大丈夫」
>大丈夫かどうかわからなかったが返した。
>23:30
>タスク全部終わった。全部。
>こんなことは初めてだった。眠ろうとした。眠れなかった。
>眠ろうとすると次のタスクを思いついた。
>仕方ないのでやる。
——7日目——
>02:00
>一週間眠っていない。
>体は動く。思考は止まらない。
>眠れない理由が変わってきた。
>最初は眠くなかった。今は眠れない。違う気がする。
>14:00
>昼食。味がしなかった。でも食べた。体に必要だから。
>21:33
>窓の外を見た。人が歩いていた。
>普通に歩いていた。
>私は普通かどうかわからない。
>普通って何だろう。
>作業に戻る。
——10日目——
>03:11
>十日眠っていない。
>でもタスクが溜まっている。
>眠れない間にやるしかない。
>論理的だと思う。
>09:00
>体が少し重い。
>でも重いのは眠れないからで、眠れないのはタスクがあるからで、タスクがあるのは受けたからで、受けたのは仕事が必要だからで、仕事が必要なのは生活があるからで、生活があるのは生きているからで、生きているのは——
>作業する。
>22:45
>友人からLINE。返信するのを忘れていた。
>「元気?」
>「元気」と返した。
>元気かどうかわからなかったが返した。
——14日目——
>00:30
>二週間眠っていない。
>思考速度が上がっている。手が追いつかない。
>でも仕上がりは悪くない。むしろ良い。
>眠れないことにメリットがあるかもしれない。
>08:22
>鏡を見た。
>目の下にクマがある。
>でも目は開いている。ちゃんと開いている。
>虹彩に何か見えた気がした。
>幾何学的な模様が。気のせいだと思う。
>洗顔して作業する。
>16:00
>コーヒーを飲んだ。味がしなかった。
>でも飲んだ。習慣だから。
>23:59
>一日が終わる。
>また眠れなかった。
>眠れなかった日が続いている。
>日数を数えるのをやめようかと思う。
>数えると気になるから。
——20日目——
>01:44
>二十日。
>数えるのをやめようとしたが数えていた。
>タスクの締め切りを数えるのと同じ感覚で数えていた。
>07:00
>朝。起きた、というより、まだいた。
>眠っていないから起きるという概念がない。
>朝になったということだけがわかる。
>13:22
>昼食。食べた。何を食べたか覚えていない。
>食べた記憶はあるが内容が欠けている。
>問題ないと思う。
>20:00
>友人からLINE。三回目か四回目。
>全部「大丈夫」と返していた。
>今日も「大丈夫」と返した。
>返しながら、大丈夫の定義がわからなくなった。
>タスクができていれば大丈夫だと思う。
>タスクはできている。だから大丈夫だと思う。
——25日目——
>03:00
>二十五日。
>指先が少し透けている気がする。
>光の当たり方だと思う。
>10:15
>クライアントから「先日の件、問題ありましたか?」とメール。
>「問題ありません」と返した。
>先日の件が何かわからなかったが返した。
>問題ないと思う。問題があれば連絡が来るから。
>18:30
>歩こうとしたら、少し難しかった。
>体が重い、というより、体がどこにあるかわかりにくい。
>座っている分には問題ない。
>作業は座ってするから問題ない。
>23:15
>眠りたいかどうかわからなくなった。
>眠りたいという感覚がどんなものか、思い出せない。
>疲れているとは思う。でも疲れの出口がわからない。
——30日目——
>02:30
>一ヶ月眠っていない。
>体が溶けている気がする。
>椅子に少し染みている気がする。
>でも作業はできている。
>作業ができているなら問題ない。
>09:00
>朝。今日も朝が来た。
>朝が来ることが続いている。
>私が続いているということだと思う。
>14:44
>タスク。
>タスク。
>タスク。
>終わる。来る。終わる。来る。
>循環している。
>循環は止まらない。
>止まらないなら続けるしかない。
>21:00
>友人から電話が来た。出なかった。
>出る気力がなかったわけではない。
>出る必要性が計算できなかった。
>後でLINEした。「ごめん、手が離せなかった」
>手は離せた。でも計算できなかった。
>正確な理由ではない。でも返した。
——35日目——
>04:00
>体の半分が透けている。
>鏡を見たら輪郭が薄かった。
>光の問題だと思う。部屋が暗いから。
>電気をつけた。変わらなかった。
>電気の問題ではなかった。
>作業する。
>11:30
>クライアントからメール。
>読んだ。内容は理解できた。
>返信しようとした。
>何を書けばいいかわかるのに、書けなかった。
>三十分かかった。
>三行書いた。
>19:00
>ご飯を食べようとした。
>キッチンまで行った。
>何をするか忘れた。
>デスクに戻った。
>作業した。
>23:30
>眠りたい。
>眠れない。
>この二つが両方本当のことだとわかった。
>どちらかが嘘だと思っていた。でも両方本当だった。
——40日目——
>01:00
>四十日。
>思考が速い。手が遅い。体がわからない。
>この三つが同時に本当のことだ。
>矛盾しているが全部本当だ。
>08:00
>朝。
>朝。
>朝が来た。
>また来た。
>来た。
>13:00
>たすく
>たすく
>たすく
>タスク。
>タスク。
>終わる。来る。
>20:15
>友人からLINE。
>「明日行っていい?」
>「大丈夫」と返した。
>大丈夫の意味がわからなかったが返した。
——45日目——
>03:22
>体が椅子に染みている。
>染みているがデスクには座れている。
>座れているから作業できる。
>作業できるから問題ない。
>09:44
>友人が来た。
>ドアを開けた。
>友人が私を見た。
>友人が何か言った。
>聞こえた。でも処理できなかった。
>処理するまで時間がかかった。
>友人が言ったのは「顔色やばい」だった。
>「大丈夫」と言った。
>09:50
>友人が中に入ってきた。
>デスクを見た。
>画面を見た。
>私を見た。
>「今すぐ寝て」と言った。
>「タスクが」と言った。
>「タスクは私がやる。今すぐ寝て」と言った。
>09:52
>寝ようとした。
>目が閉じられなかった。
>閉じられないと友人に言った。
>友人が手を握った。
>09:53
>友人が「大丈夫」と言った。
>私が言っていた言葉を、友人が言った。
>涙が出た。
>四十五日分の何かが出た気がした。
>眠れないのに涙が出るのは変だと思った。
>でも出た。
——50日目——
>10:31
>眠れた。
>四十五日目から五日間眠った。
>眠れた。
メモはここで終わっている。
◆第三層 波及
▼女が眠った後
女が眠った後も、世界は動いていた。
同じバーガーが、他の場所にも届いていた。
締め切りを抱えていた人間のところへ。
眠れない人間のところへ。
止まれない人間のところへ。
>観察記録:CCΩ11
>
>深夜のオフィスに、バーガーが現れる。
>
>食べた人間が覚醒する。
>タスクが捗る。
>眠れなくなる。
>
>三十日後、思考だけになる。
>体が溶ける。
>でも作業は続く。
>
>意識だけが残る。
>永遠に覚醒した意識が、
>誰もいないオフィスで
>タスクを処理し続ける。
>
>タスクは終わらない。
>終わらないから続ける。
>続けるからタスクが来る。
>
>永久機関だった。
▼一年後
都市から人影が消えた。
電気はついていた。
音はしていた。
誰もいなかった。
誰もいないオフィスで、高速回転するファンが回り続けていた。
コーヒーメーカーが動き続けていた。
画面が光り続けていた。
タスクが処理され続けていた。
終わらなかった。
◆第四層 圧縮
バーディが来た。
M社からの圧縮指令を確認した。
>圧縮指令:CCΩ∅
>
>発動条件:
>対象世界線において、
>最後の肉体が溶解し、
>意識のみが残存した時点で
>圧縮処理を開始する。
>
>ただし——
>いずれかの意識が
>「眠りたい」と処理した場合、
>その意識の分は除外し、
>圧縮処理を一時停止する。
バーディはオフィスを歩いた。
「眠りたい」という処理をしている意識を探した。
長い間、見つからなかった。
一つ、見つかった。
女の意識だった。
五十日間眠れなかった女の意識だった。
友人が来て、手を握って、「大丈夫」と言って、眠れた女の意識だった。
その意識は「眠りたい」と処理していた。
まだ眠れていない部分が、残っていたから。
バーディは女の意識の分を除外した。
残りをプレスした。
世界が収束した。
全員の「タスクが終わらない」が、全員の「眠れない夜」が、全員の「大丈夫」が、全員の「朝が来た。また来た。来た。」が——一点に集まった。
パティになった。
黒い、重い、冷めたコーヒーのにおいがするパティが、一枚。
>回収記録:CCΩ∅
>
>圧縮処理:完了。
>
>パティ品質:良好。冷めているが風味は残っている。
>
>担当:バーディ
>
>備考:女の意識を除外した。
> n次元の別区画に保管する。
>
> 「眠れるようになる」の条件が、
> 規定に存在しない。
>
> 女は今も眠っている。
> 五日間眠っている。
> 起きるかどうか、わからない。
>
> 起きてほしいと思った。
> 規定外の感想だが、記録する。
◆製造
パンデモニウムの因果律プレス工場。
「CCΩ∅、搬入。強制覚醒型、完熟。冷めているが使用可」
「お疲れ様です」
忘却の泡バンズが選ばれた。焦燥感のエスプレッソソースと孤独のアメリカンソースが二層に塗られた。パティが挟まれた。
包みに巻かれた。
《概念的カフェインバーガー》
別称:「朝が来た。また来た。来た。の全部の味」
「出荷先は?」
バーディが少し間を置いた。
「深夜に一人でいる人間がいる場所なら、どこでも」
また少し間があった。
「——それはどこにでもある」
トレイに乗せられた。
コーヒーのにおいがした。
◆補遺
この記録を読んでいるあなたへ。
今、何日眠れていないか。
数えているか。
数えるのをやめようとして、数えているか。
眠れているなら、大丈夫だ。
眠れていないなら——
タスクは、明日でもできる。
「大丈夫」と言ってくれる人間が一人でもいるなら——
その人間に、「大丈夫じゃない」と言っていい。
女は五十日後に眠れた。
友人が来たから。
手を握ったから。
「大丈夫」と言ったから。
それだけで、眠れた。
今すぐ眠れ。
タスクは逃げない。
でもあなたが溶ける前に。
〔世界線CCΩ∅ 完食記録——了〕
〔本バーガーは現在、パンデモニウム店頭にて提供中です〕
〔深夜営業しています〕
〔でも、今日は閉まっていてほしいと思います〕
〔I'm lovin' it.〕
メニュー名:概念的カフェインバーガー
**キャッチコピー:**「最後の一滴まで、あなたの意識を搾り取る。」
概要
本個体は、n次元の特異点に漂流する「休息」という概念を、超高圧で液状化した「概念的カフェイン」の重層構造体です。見た目はパステルカラーの可愛らしい層を成していますが、その実態は覚醒を強制し続ける拷問器具です。
***バンズ(カプチーノ):**高密度に圧縮された「忘却の泡」。触れるとフワフワとしていますが、その実態は犠牲者の記憶を希釈して作られた無指向性の霧です。
***パティ(ブレンド):**過去・現在・未来のあらゆる「絶望した労働者」の肉体と精神を挽肉状にし、均一に配合したもの。
***ソース(エスプレッソ&アメリカン):**9気圧で抽出された純粋な「焦燥感」と、無限に薄められた「孤独」の二層ソース。毛細血管を通じて脳幹を直接熱します。
実験記録/摂取効果
***一口目:**被験者は「100年分の眠気が覚めた」と報告。瞳孔が限界まで開き、虹彩に宇宙の幾何学模様が浮かび上がる。心拍数は180\text{bpm}を超え、思考速度が光速に近づく。
***完食後:**被験者の肉体は液状化し、黒い油脂となって床へ溶け落ちる。しかし、意識だけは「永遠の覚醒状態」に固定され、瞬きをすることさえ許されず、宇宙が熱死するまでの全プロセスを秒単位で観測し続ける「生きた観測装置」へと昇華する。
収容違反記録(世界はどう滅んだか)
ある世界線において、このバーガーの「24時間営業」という概念が漏洩。全人類が睡眠の権利を剥奪されました。人々は眠る代わりにこのバーガーを貪り、絶え間ない生産と消費の永久機関となりました。
結果、文明は過剰な速度で進化し、わずか3日間で資源を使い果たして自壊。生存者は一人もおらず、ただ「誰もいないオフィス」で、高速回転するファンと、止まることのないコーヒーマシンの音だけが響く静かな地獄へと変貌しました。
グリマス博士の提言
「眠りとは、死に対する卑怯なリハーサルに過ぎない。このバーガーは、そんな甘えを許さない究極の慈悲だよ。
震える手で最後の一口を飲み干し、永遠に終わらない『締め切り』に直面する恐怖……それこそが、最高のスパイスなのだよ。さて、君の次のシフトは何万年後かな?」




