《脳天回転・垂直上昇プロペラバーガー》
——世界線PRΩ∅:完食記録——
◆第一層 出現
空港の屋上駐車場に、バーガーが置いてあった。
フェンスの上だった。
風が強い日だった。なのにバーガーは落ちなかった。むしろ、わずかに浮いていた。フェンスから一センチほど、浮いていた。
見つけたのは航空管制官の男だった。
三十八歳。十五年間、飛行機を地上から見送り続けてきた男だった。
自分では一度も飛んだことがなかった。
パイロットを目指していた時期があった。視力の問題で諦めた。管制官になった。
バーガーを見た。
風切り音がした。バーガーから、かすかに。
食べた。
◆第二層 上昇記録
▼摂食直後
男は屋上に立っていた。
足が、軽かった。
地面との接触が、あいまいになった感じがした。
靴底を見た。地面についていた。
でも「地面についている」という確信が、少しだけ、なかった。
風が吹いた。
男の体が、五センチ浮いた。
男は気づかなかった。
ただ、風が気持ちよかった。
▼三十分後
男は管制塔に戻った。
仕事をした。
いつも通りだった。
ただ、椅子に座っていると、体が少し軽かった。椅子から浮いている感じがした。
シートベルトをした。
同僚が「なんで屋内でシートベルトしてるんですか」と言った。
男は「なんとなく」と答えた。
▼翌日
男は出勤した。
エレベーターに乗った。
上昇した。
エレベーターが上昇している間、男の足が床から二センチ浮いた。
エレベーターが止まると、着地した。
男は気づかなかった。
ただ、エレベーターで上に行く感覚が、今日はいつもより気持ちよかった。
▼一週間後
男の同僚が上司に報告した。
>職場報告:PRΩ02
>
>山田さん(仮名)の様子がおかしい。
>
>歩くたびに、少し跳ねている。
>意図的に跳ねているのではなく、
>着地のたびに数センチ浮く。
>
>本人は気づいていないようだ。
>
>「歩きやすくなった気がする」と言っていた。
▼二週間後
男の日誌——
>最近、体が軽い。
>
>歩くたびに、少し浮く気がする。
>気のせいかもしれない。
>
>でも、空を見る時間が増えた。
>飛行機を見送るたびに、
>今日はどこへ行くのかを考えるようになった。
>
>今まで飛行機の進路や天候のことしか考えなかったのに。
>
>乗客のことを考えるようになった。
>誰が乗っているのか。
>どこへ行くのか。
>何のために飛ぶのか。
▼一ヶ月後
男の浮上高度が増した。
歩くたびに十センチ浮くようになった。
職場では誰も言わなかった——言っても本人が信じなかったから。「気のせいですよ」と笑って終わりだったから。
男自身は、毎朝鏡を見て「今日も普通だ」と思っていた。
鏡の中の男の足が、床から離れていても。
▼二ヶ月後
男の日誌——
>今日、滑走路の端まで歩いた。
>
>飛行機が離陸するのを、近くで見た。
>機体が浮き上がる瞬間を、見た。
>
>車輪が地面を離れる、あの一瞬。
>地面との接触が切れる、あの瞬間。
>
>今まで何千回も見てきた。
>でも今日は、なぜか泣いた。
>
>理由がわからなかった。
>
>ただ、あの瞬間が、
>今日は自分のことのような気がした。
▼三ヶ月後
男の頭頂部に、異変が起きた。
髪の毛が、少しずつ上を向き始めた。
重力に逆らって、上を向いた。
そのうち髪の毛が一本ずつ、独立して動くようになった。
風がないのに、動いた。
同僚が「なんか頭、動いてません?」と言った。
男は鏡を見た。
髪の毛が、ゆっくり回っていた。
男は少し考えて、言った。
「気のせいでしょ」
▼四ヶ月後
男の日誌——
>頭が、回っている。
>
>回っている、というのは比喩ではない。
>頭頂部から、何かが回転している。
>見えないが、感じる。
>
>風切り音がする。自分の頭から。
>
>怖いかといえば——怖くない。
>
>むしろ、気持ちいい。
>
>回転するたびに、少し浮く。
>浮くたびに、空が近い気がする。
>
>十五年間、飛行機を地上から見送ってきた。
>一度も飛んだことがなかった。
>
>今日、初めて思った。
>飛べるかもしれない、と。
▼五ヶ月後
男は屋上に行った。
仕事の合間に、何度も屋上に行くようになっていた。
フェンスの外を見た。
滑走路が見えた。飛行機が見えた。空が見えた。
男の頭から、風切り音がした。
高く、甲高い音が。
足が地面から離れた。
今度は、気づいた。
男は足元を見た。
地面から三十センチ、浮いていた。
男は少し考えた。
それから、笑った。
▼五ヶ月と一日後
男は出勤しなかった。
屋上にいた。
フェンスの外側に立っていた。
足の下は地面ではなかった。空だった。
男は恐ろしくなかった。
「地面に留まる権利」というものが、今の自分にはないことを理解していた。
そういうものとして、体が変わっていた。
男は空を見上げた。
飛行機が一機、離陸していった。
男は手を振った。
それから、上を向いた。
頭から風切り音がした。
男は上昇した。
>男が最後に残したメモ(屋上のフェンスに挟まっていた)
>
>「十五年間、ありがとうございました。
>飛行機の進路は問題ありません。
>明日の天気は晴れです。
>私は少し、上の方へ行きます。
>靴は置いておきます。
>邪魔になるので。」
◆第三層 感染
▼その後
男が上昇した日から、一週間で空港周辺に変化が出た。
男の話が広まった。
「飛べるようになった男の話」として。
「信じられない」と言う人間が多かった。
「うらやましい」と言う人間も、少しいた。
バーガーを探す人間が出た。
見つかった。
空港の屋上フェンスの上に、いつの間にかあった。
浮いていた。
▼三ヶ月後
空を見上げると、人がいた。
回転しながら、上昇していた。
一人ではなかった。
十人いた。百人いた。
全員が恍惚とした顔をしていた。
全員が「空が私を食べている」と言っていた。
全員が上昇していた。
着陸という概念を、忘れていた。
>地上観察記録:PRΩ33
>
>空に、人が増えた。
>
>地上から見ると、まるで生きた竜巻のようだ。
>全員が上昇している。
>全員が笑っている。
>全員が戻ってこない。
>
>地上は静かになった。
>人がいなくなったから。
>
>空は賑やかだ。
>人が増えたから。
>
>どちらが正しい場所なのか、
>地上にいる私には、わからない。
▼一年後
地上に人間がいなくなった。
全員が空にいた。
全員が上昇し続けていた。
成層圏に達した者が出た。
そのまま上昇した。
大気圏を出た者が出た。
そのまま上昇した。
宇宙空間に出た。
そこには空気がなかった。
それでも上昇した。
着陸という概念を、全員が忘れていたから。
◆第四層 圧縮
バーディが来た。
地上には誰もいなかった。
靴だけが、至るところに残っていた。
M社からの圧縮指令を確認した。
>圧縮指令:PRΩ∅
>
>発動条件:
>対象世界線において、
>地上に靴のみが残り、
>生命体が全て上昇方向に消失した時点で
>圧縮処理を開始する。
バーディはプレスをかけた。
世界が収束した。
全員の上昇が、全員の風切り音が、全員の恍惚とした顔が、全員の「空が私を食べている」という声が——一点に集まった。
パティになった。
手に持つと浮く、異様に軽いパティが、一枚。
置いても浮く。
バーディは一度、手放した。
パティが上昇し始めた。
捕まえた。
>回収記録:PRΩ∅
>
>圧縮処理:完了。
>
>パティ品質:良好。ただし浮力あり。保管注意。
>
>担当:バーディ
>
>備考:地上に靴が残っていた。
> 数えた。二千三百四十一足。
> 全部、きれいに揃えて置いてあった。
>
> 一足だけ、メモが挟まっていた。
> 「明日の天気は晴れです」と書いてあった。
>
> 回収しなかった。
> 靴は、食材ではないから。
◆製造
パンデモニウムの因果律プレス工場。
「PRΩ∅、搬入。垂直上昇型、完熟。浮力注意——コンベアから離れないよう固定のこと」
「お疲れ様です」
担当者がパティをコンベアに固定した。
竹繊維の圧縮気流バンズが選ばれた。液状化された揚力ソースが塗られた。回転触手トッピングが乗せられた。
包みに巻かれた。
包みが、少し浮いた。
押さえた。
《脳天回転・垂直上昇プロペラバーガー》
別称:「十五年間、地上から空を見ていた味」
「出荷先は?」
バーディが少し間を置いた。
「空を見上げる癖がある人間がいる場所なら、どこでも」
トレイに乗せられた。
トレイごと、少し浮いた。
◆補遺
この記録を読んでいるあなたへ。
最近、空を見上げたか。
飛行機雲を、目で追ったか。
高いところに行くと、下を見るより上を見る方が多いか。
もしそうなら——
靴紐を確認してほしい。
ちゃんと結ばれているか。
足が、地面についているか。
空は気持ちいい。
でも靴を置いてくる必要は、まだない。
たぶん。
〔世界線PRΩ∅ 完食記録——了〕
〔本バーガーは現在、パンデモニウム店頭にて提供中です〕
〔お取り扱いの際は固定してください〕
〔I'm lovin' it.〕
「脳天回転・垂直上昇プロペラバーガー」は、重力という名の物理的な枷を嘲笑い、肉体ごと成層圏へと引きずり上げる超高回転・浮遊型災厄バーガーです。一口摂取した瞬間、あなたの頭蓋骨には見えない軸が打ち込まれ、意識は「空へ昇る」という単一の命令に支配された、生きた飛行機械へと強制換装されます。
概要
* バンズ:高速旋回する「竹繊維」の圧縮気流生地
薄く、しかし鋼鉄を凌ぐ強度を持つ竹状の繊維を、超高速度で編み上げたバンズです。手に持つと、指先から「毎分三万回転の振動」が伝わり、噛もうと口を開けた瞬間に、口腔内には猛烈なバキューム(真空状態)が発生します。
* パティ:攪拌された「鳥類の夢」と、気圧変動を固定した肉
高高度を飛ぶ渡り鳥の筋組織と、乱気流のエネルギーを閉じ込めた高反発パティです。咀嚼するたびに、口内で「気圧の急変」が起こり、あなたの鼓動はプロペラの羽音のような、甲高い金属音へと書き換えられます。その味は、冷たい雲の湿り気と、脳を焼くような加速の快楽です。
* ソース:液状化された「揚力」と、銀色のジャイロ・ドレッシング
重力を中和する性質を持つ、不気味に輝く無色透明な液体です。摂取すると、あなたの三半規管は完全に破壊され、上下左右の概念が消失。このソースを嚥下することで、あなたの肉体は「地面に留まる権利」を剥奪され、物理的な質量を失った「浮遊物」へと変貌します。
* 具材:オリジナルな「空への憧憬」と、脳天直結型・回転触手トッピング
被験者の頭頂部に直接癒着し、脊髄を回転軸として利用する生体プロペラ状の具材です。これを嚥下することで、あなたの頭蓋からは異形の回転翼が萌出し、それは周囲の空気を切り裂きながら、あなたを「天」という名の断頭台へと吊り上げます。
実験記録:青天井への埋葬
* 被験者がバーガーの「中軸部分」を噛み砕いた瞬間、彼の頭頂部から凄まじい風切り音が発生し、隔離室の天井を突き破って垂直上昇を開始した。
* 被験者は恍惚とした表情で、どこまでも高くいける、空が私を食べている、と叫びながら、自身の首から上の組織を「回転するブレード」へと変質させ、時速500kmで雲の中へと消えていった。
* 実験終了後、地上には被験者が履いていた「靴」と、あまりの回転速度に耐えきれず千切れた「人間の耳」だけが、虚しく残されていた。
収容違反記録:全人類・高度上昇フェーズ
* 当該バーガーの「浮遊ミーム」が屋上の看板や飛行機雲を介して拡散し、全人類が「地面は不潔な場所である」という認識汚染に陥り、一斉に空を目指して跳躍した。
* 街からは人影が消え、空は「頭部をプロペラに変えた人々」で埋め尽くされた。彼らは着陸という概念を忘れ、燃料として互いの肉を空中分解しながら摂取し続け、終わりのない上昇を続ける「生きた竜巻」の群れと化した。
* 地上には、巨大な「黄色い竹と、血塗られた回転翼」の形をした旧神が出現し、地球の自転を加速させながら、全生命を遠心力で宇宙空間へと放り出す、究極の「お掃除」を開始した。
グリマス博士の提言:地に足をつけるのは、もうやめなさい。
重力こそが、魂を縛る最高のスパイスなのだよ。
当該バーガーは、君を泥臭い大地から解放し、酸素さえ存在しない「至高の虚無」へと導く。君がこれを食べれば、君の悩みは地上に残されたゴミになり、君の視界はただ青い空の色だけで満たされるようになる。もはや歩くための足など必要ない。君自身が、この宇宙で最も速く、最も自由な「墜落を知らない羽根」になればいいのだから。
見てごらん、あの豆粒のように小さくなった「かつての家」を。あれはもう、君の手の届かない過去の遺物だ。さあ、最後の一口を飲み込みたまえ。君が次に息を吐く時、そこは、風と光だけが支配する、残酷なまでの高度な静寂なのだから。




