22、皇帝
十五で婚約して、十八で結婚した。それから三年、夫と共に皇帝に呼び出されていた。
ファリーナ帝国の皇宮にある大広間。その奥には、黄金の玉座がある。無論、その玉座に座る男こそが、即位して三十年、無敗を誇る現皇帝だ。
皇帝、アルミロ・ファリーナは、一目で分かる鍛え上げられた体に十字架のような宝剣を膝に乗せている。自ら戦場に立つことも多いこの皇帝は、日に焼けた金髪を短く刈り込んでおり、髭も整えられていた。エヴァリストと同じ青の瞳に親愛の色はない。
「参上しました。父上」
エヴァリストが片膝をつく半歩後ろで、リュシアーナも深く頭を下げる。
「誰か、エヴァリストに説明してやれ」
皇帝は、大儀そうに言った。
リュシアーナは頭を上げると、揃っている面々を素早く確認した。
何かの会議の途中だったらしく、父親であるボナート公爵を含め、国政に関わる貴族たちが揃っている。
そして、貴族の一団から少し離れたところにエステルがいるのが見えた。
エヴァリストの生母にして、側妃の彼女が後宮ではなく、皇宮の中心にいる。その意味にリュシアーナはすぐに思いあたる。
(先日の無断外泊でも咎められているのかしら。それにしては大事ね)
エヴァリストが遠征に行っている間、エステルがリュシアーナを訪ねてきたことがあった。エステルは、エヴァリストの皇子宮への出入りが許されているが、それは金翼騎士団の監視付きという条件がある。
しかし、監視についてきた金翼の騎士たちは、皇子宮で泥酔する醜態を晒し、監視もおざなりだったのを覚えている。
エステルの近くには、初老の男性がいた。彼女の兄であるメラーニア子爵だ。生家にまで責任を問うつもりらしい。
「――私から説明させていただきます」
誰が話すのか、顔を見合わせ合っていたが、声を上げたのは、不思議な雰囲気のある青年だった。
金があしらわれた黒の騎士服を身につけたその青年は、驚くことに黒い布で目元を覆っていた。
「金翼騎士団の第三騎士を務めております。リアンです」
同じ服を着た騎士の中でも彼は一回り若い。だが、本人は、落ち着いており、物腰柔らかだ。
リアンは、他とは違った雰囲気を持っていた。
「金翼の第三騎士、母上がなぜこちらに?」
エヴァリストは、リアンを見てわずかに顔を歪めた。
「そちらの側妃様は、二十日前に第一皇子殿下の皇子宮に訪問されました。その際にこの二名の騎士を伴ったのですが、聞くところによると、職務を放棄していたようなのです」
リアンは、末席に連なる二人の騎士に手のひらを向けた。二人とも見覚えがあるが、今は苦い顔つきだ。
「ですので、騎士団内で処罰を検討しておりましたが、騎士の言い分だけでは、把握しきれないことも多く……側妃様を含め、第一皇子殿下、妃殿下におきましても事実確認をさせていただければと存じます」
事のあらましはわかった。エステルはすでに尋問を受けた後のようだ。職務放棄した金翼の騎士やエステルが何を語ったのかは知らない。
(一番問題なのは、誰が伝えたのかということ……)
あの時、そばにいたのは、皇子宮の人間ばかりで、第一皇子の生母のことを告げ口する利点はない。
皇子宮に訪問したエステルを第二皇子妃のシェリルと白狼の第一騎士の夫人であるブリジッタは知っている。だが、宿泊したことまでは知らず、利点も少ないため、彼女たちの仕業ではないだろう。
……となれば、犯人は一人。
(ルカが頑張ってなんて適当なことを言っていたわけはこれね)
泥酔した騎士たちを仲裁した本人が、金翼騎士団に通報したのだろう。
「どういうことだい? 母が私のところに来たのは知っている。だが、職務放棄とはなんだ? 母の護衛をしていなかったのなら、そちらの騎士の問題では?」
諍いがあったことをエヴァリストは知らないようだ。白狼騎士団の第二騎士も第三騎士も報告どころではなかったからだろう。
だが、金翼騎士団内で処理すべきことだという意見には、リュシアーナも同意する。
「それはそうなのですが……」
リアンは困ったように言葉尻を弱くした。どうやら彼自身は、大事にするつもりはなかったようだ。
「リアン、こういう時に弱腰なのはおまえの悪い癖だぞ」
その時、皇帝が口を挟んだ。目元の布のせいで表情がわかりづらいが、リアンは一礼して、皇帝の言葉に服従する姿勢を見せる。
皇帝の一番近くにいた金翼の騎士が、代わりのように声をあげた。
「側妃という皇帝を支える立場でありながら、その騎士を誘惑する。これは由々しき問題ではありませんか?」
騎士の名は、サガン・レスター伯爵。金翼騎士団の第一騎士だ。皇帝が即位する前から騎士として付き従っており、皇帝が最も重用する家臣だ。
そして、ボナート公爵の政敵でもある。
だが、リュシアーナは、この金翼の第一騎士の台詞に神経を疑った。
(買収に靡く騎士がいる方が問題でしょう。表沙汰にした方が、体裁が取り繕えてないのでは?)
ちらりと父親を見ると、視線に気づいた父は、ほんの少しだけ肩をすくめて見せた。
どうやら皇帝とその騎士は、身内である騎士を咎めるよりも妃を処分したいようだ。仮にも第一皇子を産んだ妃を――。
(所詮、女は子を産む道具。産めば用もない……ということね)
皇帝の側妃であってもあまりにも軽い扱いだ。金翼の第一騎士であるサガン・レスターは、エステルとその兄であるメラーニア子爵を睨みつけていた。
第一皇子とリュシアーナの婚姻により、メラーニア子爵家とボナート侯爵家は、協力関係にある。政敵であるサガン・レスターは、メラーニア伯爵を失脚させて、ボナート公爵の力を削ぎたいのだろう。
だから、皇帝をそそのかして、エステルの監視の放棄を表沙汰にしたのだ。実にくだらない。
「本当に母上が騎士をそそのかしたと思っているのですか? 金翼騎士団の騎士に対して、そのようなことは不可能でしょう」
エヴァリストもあまりにも酷いこじつけだと思ったのだろう。反論する。
「古来より女というものはそういうものです。男の歓心を買うためなら、なんだってする。若く有望な騎士だったためにその女の毒牙にかかってしまったのでしょう」
サガン・レスターは、そう言い切った。
「母上はそこまで損得勘定のできない方ではない。ただの騎士から一時の観心を得て、何の利益がある?」
「そういう愚かな生き物なのですよ。第一皇子殿下はまだお若いので、詳しくないのかもしれませんが……」
真っ当に言い返したエヴァリストにサガン・レスターは首を横に振った。やれやれとでも言いたそうだ。
(付き合ってられないわ)
リュシアーナは、微笑みを浮かべたまま、内心で毒づいた。
この場は、皇帝が白と言えば白になり、黒といえば黒となる。金翼の騎士が職務を放棄したことと、側妃が騎士を誘惑したこと、どちらをとるかは皇帝次第であり、サガン・レスターは、皇帝が好みそうな理由を論っているに過ぎない。
「一般的な女の話などしていない。母上の話をしているのだ。子爵家の令嬢であった母がそのような品のない行為をしないことなど分かり切ったことだろう」
「子爵家程度では……品性を養えたかどうかは分かりませぬ」
サガン・レスターは、慇懃無礼にも言い切った。ここには子爵家の貴族も揃っている。だが、不快そうな顔をしながらも誰も口を挟まない。
サガン・レスターは、その様子を満足そうに見ていた。彼は、今や皇帝の右腕だ。誰もが敵対することを恐れていた。
――ただし、ボナート公爵家を除いて。
リュシアーナは、サガン・レスターの物言いに顔を顰めていたエヴァリストの袖を少し引いた。エヴァリストは、すぐに気づいて、顔を寄せる。
「……どうしたんだい? リュシー」
「わたくしが呼ばれた理由がわかりません」
サガン・レスターと言い合っても仕方ない。彼は、皇帝の嗜好を熟知している。
「それは……私が不在だったからではないのか?」
「では、わたくしにも発言が求められていると解釈してもよろしいですか?」
エヴァリストは少し考えた後に頷いた。その時、父であるボナート公爵を一瞥したのがわかった。
「――リアン第三騎士。第一皇子妃殿下を招待した理由も、当時の証言をしてもらうため……で、あっているかな?」
父は、サガン・レスターを無視して、リアンに話しかけた。
「はい。エステル様とお会いになられたのは、第一皇子妃殿下とお聞きしていますので」
「では、第一皇子妃殿下にもお聞きしましょうか」
リアンが首肯し、父が水を向ける。周囲の人々の視線が、リュシアーナに集まった。
「わたくしが把握していることでよろしければ……。そちらにいらっしゃいます騎士様方は、その日の夜、ボナート公爵領産のワインとクローチェ伯爵領産のワインをそれぞれ二本ずつお召しになられてました」
リュシアーナがどちらが正しいのかを主張しても意味はない。ただ職務放棄に値する事実を述べるだけにとどめる。
(エステルはともかく、メラーニア子爵がこんなことで害を被るのは止めたいわ)
「騎士が酒を飲みたいと強請ったため、母上が宿泊を選んだのでは?」
エヴァリストもまた、騎士に目を向ける。
目論見通り、空気が変わった。職務放棄した二人の騎士に呆れを含んだ目が向けられる。
「――そのようです。皇帝陛下、規則通りに謹慎と減俸を彼らに課します」
リアンは、事態の収集に取り掛かった。
「よい。そうしろ」
皇帝もそれを覆す気はないようだ。だが、納得いかない者が一人。
「……とはいえ、騎士たちに罰は下されるのに、勝手に外泊した妃には何もないのはいかがなものでしょうか?」
サガン・レスターはどうしても一矢報いたいらしい。エヴァリストが冷めた目で彼を見ている。
(レスター伯爵は、第一皇子の不興を買うことに躊躇いがないのね)
「うむ……であれば、メラーニア子爵領の課税を一段、重くする。それでこの話は終わりだ」
皇帝は面倒そうに手を振って、解散を命じた。
メラーニア子爵の目が大きく見開かれている。皇帝に何か言おうとしたのだろうが、彼は諦めて項垂れた。
皇帝は意識していないようだが、ほとんどの貴族は、今、払えるギリギリの課税が課されている。これ以上、重くなり、税が払えなくなれば、爵位を返上し没落するしかない。
つまり、皇帝は、メラーニア子爵に没落しろと言ったも同然なのだ。
メラーニア子爵家は、堅実に領地を経営し、これまでファリーナ帝国に寄与していた。切り詰めれば、没落も回避できるかもしれない。
なにより、彼は簡単に切り捨てていい人材ではないはずだ。
(各領地の状況を把握せず、簡単に税を上げ、戦に費やす。それが、今の皇帝……)
リュシアーナは、去っていく皇帝の背中を見て、誓う。
(その座から一刻も早く引き摺り下ろさないといけないわ)
これ以上、ファリーナ帝国を滅茶苦茶にされないために――。




