番外編其ノ四 桃斬童子の物語
桃斬童子は、その真名を桃斬丸と言う。桃斬童子と呼ばれるようになったのは、彼が数多の鬼をまとめ、頭領として認められるようになってからだ。その半生もまさに激動の人生だが、彼の人生が大きく動いたのは、物質の世界に来てからだった。それが、約3000年ほど前の話。そこから、彼が藤樹瑠衣に討たれるまでを書こう。
「ここが、物質の世界……。」
その日、俺が来たのは霊視で認識できない世界だった。もしかすると、酒呑童子が言っていたのは、この世界だったのかもしれない。霊力で作られていない世界、物質の世界、――俺達の世界の対世界。眼の前に広がる、見たことのない物体、光と電気で認識する植物、音で聞く動物、肌で感じる太陽。さっきまでとは、すべてが違う世界。全くを持って、異世界。
「桃斬童子、ここには夜があるらしい。だから、明るいうちに拠点を作ったほうがいい。」
そう言ったのは、俺の部下の頼だった。
「そうだな。」
俺はチームに拠点を作るように指示した。人間のいない孤島で、俺達は今後1800年間この世界を管理する必要があった。眼の前に広がるのは、俺達の世界より格段に文明の遅れた世界。できたばかりの、未開の世界。この頃は、俺達の他にこの世界に来ている連中もたくさんいた。エルフ、ドワーフ、吸血鬼、巨人、ティタン神族、特に吸血鬼は、この世界への完全移住を決めるほどに、この世界にのめり込んでいた。
最初の100年こそ故郷を懐かしんだが、この世界にもなれる頃には、もはやここが故郷じゃないかと思えてくるようになった。俺はチームの鬼と恋に落ち、家族となった。頼も同じように妻帯した。500年が経つ頃には子供も生まれ、チームの人数も大きく増えていた。
「さすがに、もうこの島で暮らすのはきついんじゃないか?」
「そうだなぁ、しかしこれだけの数が暮らせる大きさの島って言ったら、もう人間が住んじまってるんだよなぁ。」
さすがに、他の種族が住んでる島に行くのも気が引ける。俺と頼は、今の島を動かして、新しい島を作ることにした。物質の世界で、鬼の世界と同じことができるのかは不安だったが、できたときは、島の鬼たち全員で宴をした。きっと、この頃が一番楽しかったと思う。
「父上、父上の仕事は何なのですか?」
「俺の仕事はな、この世界に、俺達以外の鬼が来れるよう、この世界を細かく調べることさ。」
それは時に、この世界の在来種の一掃を含むが。――そんなことは、この子に教えられまい。
「そうなのですね!父上の仕事はかっこいいです!」
「母上も同じ仕事だぞ。」
「なら、母上も父上も、とても立派なお仕事ですね!」
「そうだろう。」
心は傷まない。俺達の仕事は、こういう汚れた仕事なのだから。せめて、この子がおとなになる頃には、この仕事を終わらせて、この子が汚い世界を見ないように、汚い仕事を受け継がないように、汚れ仕事を終わらせよう。俺は、仕事にのめり込んだ。頼と一緒に、チームを引き連れて、人間たちから多くの島を隠し、奪った。文明を持たない、下等な生物だ。今はまだ、許される。
人間の国がそこらに出来始め、さすがにもう、人間から土地を奪うのが難しくなってきた頃、神々から、鬼の世界にお達しが来た。
「人間の世界に、一度に40000人ほどの、わずかに霊力を帯びた人間を混ぜることになった。これらは、人間の世界の文明レベルを一気に上げるようになる。」
「人間の世界に、鬼と同程度の霊力を保有した人間を200人ほど混ぜることになった。なお、これらは遺伝されない。そのため、その技術が受け継がれることはなく、其の方の脅威になることもない。受け入れよ。」
「人間の世界に、神と同程度の霊力を保有した人間を、3人ほど混ぜることになった。彼らは、生殖行為の一切ができず、その体質は、一切が受け継がれない。其の力は、神をも殺すことができる。彼らは、人間を導く存在となるだろう。彼らを神の愛子とし、我々は其のすべてを祝福する。なお、鬼の次元の神からの寵愛者に、彼らを殺す権利を与える。故に、其の方の脅威になることはない。受け入れよ。」
対の神から達しが来た。無情に読まれるそのすべてが、鬼の次元の、物質の次元への不干渉を指示していた。
「物質の次元は、神の庇護下にあり、対なる世界の住人が、この世界を占有することは許さない。これが、我々の見解である。なお、この世界をこの次元への干渉、及び滞在を許可する。」
おそらくは、この世界の同胞全てに、伝えられたであろうその連絡は、我々の栄華の終わりを告げていた。多くの同次元の生物を迫害、支配してきた我々は、エルフに技術で追い越され、ドワーフに先の戦争で負けた。せめてもの救いを求めて送った開拓員はすでに遅く、神にその道を絶たれた。たった今、鬼は負け犬に成り下がった。
結局、どれだけ強くても頭がいいやつには勝てやしない。筋肉は、脳の支配下に、軍は、国王の支配下にある。鬼には、力はあったが、頭が足りなかった。島に響く鬼たちの悲痛な泣き声が、鬼の時代の終わりを締めくくるレクイエムとして、俺の頭に響く。
(あぁ、終わってしまった⋯⋯。)
「施行日は、今より1000年後とする。」
光が差したように感じた。真暗な世界に、光の道が現れた。これは、鬼族の希望だった。俺達は、1000年かけて、人間を滅ぼすことを決めた。
もちろん、その決定の前に、人間を鬼化する研究もしたが、結局下等生物は、劣化した鬼にしかならなかった。
決めてしまえば、簡単だった。小さい人間の群れを見つけて地道に潰す。それだけの話だ。見つける、潰す。見つける、潰す。見つける、潰す。見つける、潰す。見つける、潰す。見つける、潰す。見つける、潰す。見つける、潰す。見つける、潰す。見つける、潰す。見つける、潰す。見つける、潰す。見つける、潰す。
「最近、血の気が多くてよ?鬼族の皆様?」
「どけ⋯⋯、エルフの⋯⋯。」
目の前に立ち塞がる白い服に身を包んだエルフの開拓員に、俺達はありもしない威勢を出す。
「できない相談でしてよ。ここより先は、私達の可愛い人間が住んでまして、野蛮人の鬼族を、通すわけにはいかなくてよ。」
鬼族の崩壊が、静かに始まっていた。
「童子、大丈夫なのか?最近顔色悪いけど…。」
「大丈夫だ、悪いな。みんなに拠点任せきりにしちまって。」
「そこは、問題ないけど。」
数カ月に一度、拠点の島に帰ってはまた戦にに戻る。神が、あのルールを適用する前に、早くより多くの土地を占有しなければ。ルールより前にあったことを裁くことは出来ないのだから――。
「頭ー!頭ー!」
拠点で一番騒がしい鬼が、急いで俺の部屋に入ってきた。
「どうした。」
「それが……。人間が、1人小舟で来やがって……。」
「なに?」
たった1人で、カチコミに来たわけでもあるまいが、人間がすることは理解できない。もとより、下等な生物の考えていることなど、知りたくもない。
夜だった。その男は、1人小舟に座り込み、杖のようなものを支えにして体を起こしていた。傘を頭から被り、顔は見えない。しかし、体つきは貧相な着物越しでもわかるほどよく、服と身体が一致していなかった。
「お前、一体どこからの差し金だ?」
「バレてるかい。」
「それだけ変装が下手だったらな。」
「なら、もう隠す必要もないな。」
男は、それだけを言うと立ち上がり、杖のようなものを構えた。月明かりで見えたそれは、杖などではなかった。エルフが好む両刃の剣。その剣に使われている技術は、俺が落としてきた人里の力量を遥かに超えていた。そして、その男は霊力を帯びていた。
「神より授かりしこの力!我これを使って悪鬼を討ち取らん!」
剣を高く掲げ、そう叫んだその男は、まっすぐに俺に切りかかった。
「!」
俺は咄嗟に剣を防いだが、男は俺が切れないとわかると、隣の頼をに斬り伏せた。男が近くに来たことでわかった。霊力を帯びているのは男ではない、剣が霊力を帯びているのだ。
「恨むぞ!エルフ!」
俺は、そう叫びながら男に雷を落とす。男は当然のように雷を剣で防いだ。
「お前は、まだ面白くない。」
瞬く間に距離を詰めた男は、一言そう言うと、拠点の方に走った。
「待て!」
「行くな!」
追いかけようとする俺を、頼が引き止めた。
「行かせてくれ!」
「お前が行ったら、誰がこの惨状を報告するんだ。」
息も絶え絶えに、されど必死にそう言った頼は、俺の足を掴んで離さなかった。
「頼む!お前は死ぬな!」
「まだ、生きておったのか。しぶとい化物だな。」
頼の頭の上に、さっきの男がいた。
「もう、この島に鬼はお前ら2人だけだ。さっさと往ね。」
男はそう言うと、頼の頭に剣を突き立てた。ザクリ、と嫌な音がして頼の手が足から離れる。
「さて、もうお前しかおらんのだが、我はお前に勝てん。そこで、我は逃げることにした。――止めまいな?家族が心配だろう。見に行っても、いかなくてもいいぞ。なぜか、お前たちの死体は消えるからな。それに、我は悪くないものな?我らの世界に居座る異界の害虫どもを駆除したまでだ。なに、仮にそうでなくても、今までお前らが我らにしたことを返したまで。因果応報よのう。」
かかか……と笑う男を見て、俺は間違いを悟った。来るべきではなかった、この世界に。手を出すべきではなかった、この世界に。ここで死んでは、死体も残らない。俺達は、すべてを間違ってしまった。
結局、島を出る男を俺は終えなかった。ただただ、消えていく友人を見て、呆然と立ち尽くし、消えた頃に涙を流しただけだった。10年泣き、200年悲しみ、300年途方に暮れた。
「俺を食ってくれないか?そこの落ちぶれた鬼よ。」
「あ?」
「死にたいってんならよ、その生命、俺にくれよ。」
そう言ってきたのは応声虫だった。
「俺なら、お前を本心のままに殺してやれる。」
「それでは、お前になんのメリットがあるって言うんだ?」
「俺は、鬼の身体だけは、使ったことがなくってな。」
――食えば、いいのか?
――そうさ、俺にかじりつけ。
応声虫は、不味かった。食った瞬間に、身体が拒否していた。それでも俺は、死を求めて応声虫を食い切った。
瞬間、俺の中を怒りが支配した。なぜ、俺が殺されなかったのか。あの人間には、それを可能にする技量があったのではないか。俺が、一番早く殺されるべきだった。なぜ頼だったのか、なぜ我が子だったのか。なぜ、最愛の相手だったのか。俺は、人間の寿命を知らない。俺は、怒りのままに海へ出た。
多くの里を滅ぼし、あの人間を探した。多くの人間を殺した。向かってくる人間は、全員殺した。俺の手は血に塗れ、霊力から、手から、足から、身体から、血の匂いが消えなかった。人を殺す感覚が消えなかった。汚れ仕事だ。俺をここにつれてきた、俺達をここにつれてきた祖国の鬼は、これを予想していたのだろうか。鬼は結局、戦の中でこそ光り、輝く。
「汝が、悪鬼、桃斬童子と見受ける。」
「誰だ、お前は。」
「我、日の昇る国の御門の命承りて、悪鬼に引導を渡す者、大和防守と申す。覚えて逝かれよ。」
「死ぬのはお前の方だ。」
そいつは、強かった。でも、俺のほうが強かった。いや、俺のほうが弱かったのか。大和防守は、自分を贄にした最高レベルの結界を張って、更には現人神になってまで、俺を抑え込むことに尽力した。覚悟のレベルで、俺は負けていた。対の世界で、何万人もの人間を殺しておいて、死にたいと願った俺への神罰だったのかもしれない。それを俺に与えた彼はきっと、この時代の神に匹敵する人間だったのかもしれない。
「我が心残りは、汝をこの手で葬れなかったことのみ。」
「俺は、お前に殺してほしかった。」
「悪いな、殺してやれなくて……。」
「謝ってくれるな。殺されない、俺が悪いんだ。」
「いつかきっと、汝を殺してくれるやつが現れる。それまでは、俺の寝具で安らかに眠れ。」
「悪いな。」
俺は、桃斬童子ではないのだが。それに、お前の部下は死んだのではなく、俺が身体の霊能を使って鬼に変えた、劣化した鬼なのだが。
「起きた?」
「誰だ、己は。」
起きたときには、応声虫は消えていて、あとに残ったのは、片腕を失った鈍い痛みだけだった。
「私は、現代最強の霊能者だよ。」
「そうか、俺を殺しに来たのか?」
一撃で殺してくれなかったことに、筋違いな恨みを感じた。
「そうなる。私は仕事だから、お前を殺さなきゃならない。」
「ならば、俺もお前を殺しに行かなくてはならないな。」
見栄っ張りな俺は、ここでも見栄を張った。――生きる気も、無いくせに。
「だから、互いに有益な殺し合いにしない?」
「?どういうことだ、殺しとは本来無益なことだろう。」
「せめて、お互いに新しい発見があれば、完全な無益にはならないよ。殺しは、可能性を潰すから無益で、無意味なんだから。」
新しい、価値観だった。俺は、殺し合いを有益と思ったことはなかった。有益な殺しなど無い。この子は、何を言っているのか。その答えは、その子の霊力を見れば、一目瞭然だった。
――可哀想に。感情が、無いのだな。
「この右腕は、お前がやったのか。」
「応声虫は、この話し合いに必要ないからね、仕方なく。」
「そうか。」
あいつは、生ききれたのだろうか。この、鳥かごのような山の中で。檻のような、寝具の上で。
「何がしたい。」
「情報交換だよ、鬼と霊能者の。」
「悪くないな。」
俺は、情報交換とは名ばかりに、封じられていた1000年間のことを、あれもこれもと聞き出した。結局、大和防守のことは、ほとんど記録になかったし、こいつに勝つ気も、生きる気もなかったが。せめて、地獄にいる鬼たちに、最後の土産を持っていこうと。
「さて、互いに知りたいことは聞き尽くしたか。」
「……そうだね。」
彼女は不満げだったが、――「なら、」「殺ろうか。」――俺の呼びに応えてくれた。
彼女は、強かった。恐ろしいほどに。
霊力の限りを尽くし、俺は戦った。
雷を落とし、炎で山を燃やした。岩を投げ、それを壁にして死角から殴りつけた。その全てに、彼女は応えた。より強い雷で相殺し、洪水で炎を消した。刀で受け止め、霊力を帯びた攻撃で切り返す。踏み込めば、大地が揺れる俺の蹴りを、彼女は真正面から打ち返した。
「あは、あははははは!」
ふと、笑いが溢れた。そうだ、俺は鬼のために戦っていたんじゃない。もっと、もっと単純に、戦うことが好きなのだ。戦いこそが、鬼の本分で、死こそが鬼の誉れなのだ。もっと、もっともっと、殺し合いたい。命がいくつも欲しい。この戦いを、永遠に続けたい。俺は、なんのために戦いを憂いたのだ。こんなに……、戦いはこんなにも、楽しいじゃないか!
「もっと、もっと。もっとおおぉぉぉ!」
つい先程までの、平和主義者の俺はそこにはいなかった。そこにいるのは、狂気に満ちた一体の鬼と、それを弔う最強だけだった。
最強もまた、笑っていた。不気味なまでに口角を上げ、逆さ身が月に両目を細め、俺の猛攻に答えるさまは、霊力を持つものは総じて、戦うことが好きなのだと、そう思わせた。
楽しいときは、永遠には続かない。山一つを消し飛ばし、両腕を失った頃、俺は敗北した。
「ありがとう。」
ただ一言に、凝縮された最強への感謝は、彼女に届いただろうか。きちんと、伝わっただろうか。
ただただ、感謝する。こんなに楽しい戦いを、蹂躙以外の幸せを、教えてくれた最強に。
番外編「桃斬童子の物語」です。お楽しみいただけましたか?ここをもっと書いてほしい。等のリクエストは、感想していただければできる限り応えますので、その話に感想してください。次は後日談です。お楽しみに!