5 果たされる預言
「……は?」
「おや?」
猜疑の声と素朴な疑問が重なる。
一瞬のち、先に口を開いたのは流だ。
「なに言ってんだ、あんた……。破壊だと? 『都市』を攻撃するのか? 何で?」
「いえ、破壊とは言葉のあやでした。正しくは侵略です。あの壁の内側を我々の領土としたいのです」
「……何、勝手なこと言ってんだよ」
「実は、我々は今存命の危機に立たされています。種族全体の危機です。一刻も早く安寧の地を手に入れることは、この老いぼれが身命を賭して全うすべき任務であり―――」
「ああ、いい! うるせえ、やめろ!」
「はい?」
「あんたらの細かい事情はどうでもいい。どんだけ聞いたって理解なんかできねえよ。要は、なんか大変なんだろ? 分かるさ、なんとなくだけどな」
語られる演説の遮り方は乱雑そのものだったが、一部理解を示した言葉に嘘はなかった。
人間が生きていく上で発生するあらゆる障害は、心を酷く不安にさせる。その一切を消し去るために、流たちは冬眠を選んだ。それを放棄した側が苦しみ苛まれ続けているのは当然の帰結といえる。
「だから、あんたたちはあの場所が欲しいんだ。中には楽園が広がっているって本気で思っているんだろ?」
「その通りです」
「ここに比べれば、あながち間違ってはないけどな……」
舌打ちとともに認め、流はテディを睨みつけた。
「で、具体的に何をする気だよ? 中がどういう状況なのかは、ある程度知っているんだろう?」
「ええ。人間たちは皆眠り、機械たちが人間の代わりとして活動していると伝え聞いております。無論、実際に目にしたことはありませんが」
「そうだ。あそこには人間が眠っている。……全員殺すのか?」
声を潜めて問う流に対し、テディは首を横に振った。
「分かりません」
「は? 分からないって何だよ……」
「正しくは決めていないのです」
テディは言葉を探す素振りを見せながら、自らの展望を語る。
「我々は立ちはだかる壁の向こうへ到達し、そこを住処としたいのです。中の人間たちは皆眠っているはずなので、機械人形さえどうにかできれば、容易に侵略できるでしょう。眠った人間たちをどうするかは、まず交渉して出方を伺うのが良いかと考えております」
「それじゃあ、あんたらが攻撃しようとしているのは、あくまでアンドロイドだけってことか?」
「その通りです」
「……」
鷹揚に頷く老齢の笑みを図りかね、流は喉を唸らせ黙り込む。果たして、彼の話をどこまで鵜呑みにして良いものか。
「それにしても、伝え聞いただけの割に『都市』の内情に妙に詳しいな?」
流は、小さな疑問を挟む。
彼らの情報源は、五百年前に冬眠を拒否して外に残った者たちのはず。しかし、その彼らもまた『都市』の中へ入ったことがない者たちだ。それなのに、テディはその不確かな情報を強く信じ過ぎているきらいがある。
「もちろん。今日に至るまで我々もできる限りの調査を行ってきました。しかし……」
「調査って……まさか、ここから『都市』に出入りできるのか?」
流は焦って聞き返した。もしそうだったら……、と考えただけで寒気がする。
「いいえ、不可能です」
幸いにも、テディは流の懸念を簡潔に否定した。次いで立ち上がり、「お見せしましょう」と言って、頼りない足取りで部屋の右奥に向かう。
近づいてきた流に見えるよう、岩壁に垂れ下がっていた幕を捲り上げる。すると、その部分だけ岩肌が剥がれ落ち、まったく材質の違う白い壁面が露出していた。
流には見覚えがあった。『都市』を囲む壁だ。
「これは……!」
「ええ。我々が拠点を構えた場所は、『都市』の外壁の目の前なのです」
驚く流に柔らかく相づちを打ち、テディはひたりと壁に手のひらを当てた。
表面はつるりと磨かれたように滑らかで、岩壁というより鋼鉄に近い印象を受ける。
「長い歴史の中で『都市』への侵攻を試みたのは、一度や二度ではありません。しかしすべてはこの堅牢な壁に阻まれてきました。当時まだ健在だった大型機も軒並み壊れ、爆薬も通用せず……。この壁はただの石材ではありません。残された祖先たちが何万回とつるはしを振り下ろそうと、小指ほどの穴を穿つのが精いっぱいでした」
「なるほどな、だから周りを掘ったのか。下からなら何とかなると考えたわけだ?」
新人類が拠点とするこの洞窟街は、『都市』を守る壁に沿うようにして広がっている。彼らは祖先に倣い、『都市』へと続くトンネルを掘り抜こうとしていたのだ。
しかし予想に反して、壁は地中深くまで続いていた。高度な科学技術を失った新人類には、到底太刀打ちできるものではなかった。
「それでも我々は掘り続けました。いつか終わりに辿り着けるはずだ、と。唯一の希望に縋ったのです」
そして、あまりに無謀な夢物語の果て。彼らに残ったのはどうにもならない現実と、心象風景を皮肉に表したかのような巨大な空洞のみだった。
「それじゃあ、あんたらの調査っていうのはもう……」
「ええ。これが我々の限界です」
流が確かめるように問うと、テディは自虐的な笑みを浮かべて悲しげに頷いた。
「堅牢な壁を前に膝を屈した我々が、どうして『都市』内情に詳しくなれましょうか。すべては伝え聞いた過去の逸話から読み解いたもの。確証は何もありません」
彼らには、伝承以外に信じられるものがなかった。新たな情報を得ることができなかった。故に、それに縋り付きながら、惨めに足掻くことしか道が残されていなかったのだ。
妄執とも呼ぶべき彼らの信念を垣間見て、流の胸中に言いようのない感情が募る。
凝然と見つめる先、力なく頭を振ったテディは、突如一変して流の肩を力強く掴み、濁った瞳を爛々と輝かせた。
「しかし、我々にも希望はあった! それはあなたです! 我々はあなたを待っていた!」
「何だって? 俺を?」
「あなたがすべてを解くカギとなるのです!」
流は困惑し、一体どういうことかと問い返した。
テディは、酷く興奮した様子で言葉を連ねていく。
「預言です。数百年前、我々の祖先を導いた預言者がとある言葉を残したのです。”いずれ必ず『都市』から使者が現れて、迷える民の力となるだろう”、と!」
「ちょっ、ま、待て! 預言者だと?」
いきなりすぎて話についていけない。流は一旦テディを引き剥がし、視線を真っ直ぐ突き合わせて問いを重ねる。
「何の話をしているんだ? 預言者ってのは誰だ?」
「『都市』から来た機械人間です」
「機械……アンドロイドか。『都市』から来た……?」
「そうです! 彼は未知なる超科学によって人体を捨て去り、機械の肉体を以て不老を体現していました」
「な……っ、それって!」
流は、驚愕に目を見開いた。『都市』で秘密裏に進められていた人体の機械化研究。その被験者に違いない。
そして、コネクターが言っていたことを思い出す。研究チームのうち、生き残りの一人は『都市』の外へ出て行った、と。
しかし、同時に疑問を抱いた。壁門を開くことができたのは、一部の特別な権限を持つ人間のみ。その被験者が権限を持っていたかは定かではないが、壁門が正しい用途で開かれたのは流が初めてのはずだ。
もしも、どちらの情報も正しいとするならば、そのアンドロイドは門を使わず、それ以外のルートで『都市』から出たということになる。
その答えはここにあった。
「ダストシュートか……。ゴミと一緒に『都市』から、この洞窟へ……」
「そうです。ある日、突然の事でした。投棄された大量の廃棄物の山から、機械の身体を持つ人間が現れ出でたのです」
肉体の機械化による拒絶反応から運よく逃れ、一人『都市』から脱したその機械人間は、そこで新人類の祖先たちと会合を果たした。
機械人間はしばらくの間祖先たちと行動を共にし、洞窟の中で暮らしていたらしい。祖先たちが『都市』の内情を知ったのも、おそらくその時だ。
幾何かの年月を経たのち、最期に例の予言を伝え、機械人間は動かなくなったという。
「彼が現れた穴の奥は、壁と同じ石材で閉ざされていました。破壊することは叶わず、開閉時を待って飛び込もうにも、いつ廃棄が行われるのか分かりません。その先がどうなっているのかも……。そこで我々は、彼の言葉通り待つことにしたのです」
「一体何がしたかったんだ、そいつは……」
流はわずかな間閉口し、会ったこともない人物へ思いを馳せる。しかし、その言動から何かを見出すことはできそうになかった。
そもそも、長い年月を経る中で伝聞に伝聞を重ねた預言に、彼自身の意志が残っているとも思えない。都合の良いように解釈されていることは間違いないだろう。
だがしかし、奇しくも預言はここに実現した。彼の者が亡きあと、流が『都市』を脱し、テディたちの前に現れたのだ。
だから新人類たちは流を殺さず、ここへ連れてきた。コミュニケーションが取れるようにと、日本語を伝え残してきたのもそのためだ。
数百年にも渡って脈々と受け継がれてきた確かな意志が、テディの瞳に宿っている。
今、その熱い眼差しを向けられて、流は小さく口を開く。
「……それで、俺に何をしろって?」
「我々が欲するのは情報です。あなたは『都市』に住んでいた人間だ。『都市』の構造に詳しく、機械人間たちのことを熟知している。―――そして、『都市』への出入りの方法も知っている!」
付け加えられたひと言が本命なのは、間違いようがない。テディは声色を熱くして、懇請する。
「ナガレ、我々に協力して欲しい!」
流は、短く拒絶した。
「無理だ」