二十六、身支度に怖い話を添えて
昨日は流されてしまったけれど……
よく考えると昨日の今日で、しかもパーティーって唐突過ぎるわよね? ね!?
でもそう感じているのは私だけだと思わせるほど、周囲の統率は完璧だ。支度を担当してくれるニナたちの準備は万端だし、私が夜会に着ていくためのドレスも宝石も揃っている。となると自分の感覚が信じられなくなるのも仕方がないことだ。
「奥様、とても良くお似合いですよ!」
完成の合図を出してくれたニナに、私はようやくかという思いで鏡に映る自分を見つめた。普段とは比べ物にならない入念な支度に疲弊していたところだ。
サファイアのように青いドレスを身に付けた私。同じような色彩の青い人魚だったとはいえ鱗とドレスはまるで違う。ニナが施してくれた化粧のおかげでいつもより大人びて見える気もした。
急な夜会だと言いながらもサイズぴったりのドレスを用意しておいてくれた旦那様。まさか核心犯じゃありませんよね? 私が慌てふためくのを見て楽しんだりしていませんよね?
――なんて、疑うのは良くないわよね。
心を入れ替えてもう一度自分の姿を確認する。けれど自分よりも、背後で表情を曇らせているニナの方が気になってしまった。
「どうかしたの?」
話しかけるとニナは慌てて表情を取り繕う。私はもう一度、どうしたのと声を掛けた。
「あの、奥様……本当にこれから伯爵のお屋敷に向かわれるんですか?」
まるで否定ほしいと望んでいるような口調だ。
「そのために素敵に仕上げてくれたのでしょう。何か問題でもあるの?」
「実は私、伯爵様のお屋敷で働く友達がいるんです。その友達から聞いた話なんですけど……」
ニナは言葉を区切るとひときわ真剣な表情で告げた。
「出るらしいんです」
「出るって何が? 美味しい料理?」
「違いますよ幽霊ですっ!」
「幽霊?」
私ののんびりとした口調に痺れを切らしたのか、ついにニナは叫びだす。予想もしていなかった唐突な内容に、私はまたものんびりと聞き返していた。
「それは、とある夕暮れ時のことでした……」
ニナは急に意味深な語り口調で話し始める。表情からはいつもの明るさが消え、声のトーンも下がったような気がする。
「その日は洗濯物が良く乾く、晴れた日だったそうです。そのため屋敷中の窓を開けていたのですが、夕暮れ時になると急に不穏な空模様へと変わり、突然の雨風に見舞われたそうなんです。彼女は慌てて屋敷中の窓を閉めに回りました。屋敷中を走り回る間にも嘲笑うように雷が光っていたそうです。そんな時、聞えたらしいんです」
「な、何が……?」
ニナの雰囲気につられ、私まで神妙に聞き返していた。
「彼女は思い出しました。旦那様は外出していましたが、大切なコレクションを集めた部屋の換気をしていたことを。勝手に入ることは禁じられていましたが、この雨です。大切な品が濡れてはいけないと、彼女は咎められることも覚悟してその部屋に入りました。部屋の中は薄暗く、彼女は手探りで窓際へと進みます。その時、聞こえたんです。いるはずのないもう一人、悲しそうに歌う女の歌声を!」
「ひっ!」
話の内容というより詰め寄るニナの迫力に慄いた気がする。
「お、お屋敷ですもの。ご、ご家族がいるのでしょう?」
「伯爵様は奥様に先立たれ、現在は一人でお屋敷に暮らしているそうです。使用人以外に女性はいません。でも、彼女が聞いたのは確かに女性の声なんです」
「ほ、他にも、働いている女性はいるでしょう?」
「突然の嵐だっていうのにのんびり歌っているメイドがいますか!?」
話はわかったけれど、いちいち目を見開いて迫らなくてもいいんじゃない!?
「という話を聞かされたので、奥様に何かあったらと、つい不安になってしまったんです。でも、その子しか憶えがないみたいなので、気のせいだったのかもしれませんよね! すみません、出かける前に変な話をしてしまって」
「い、いいえ……」
ニナがいつもの調子で笑顔を見せてくれる。でも私の笑顔は引きつっていた。
「なかなか、興味深い話……だったわ」
強がってみたけどっ! 私、この手の話って苦手なのよね……お化け屋敷とか、怖くて一度も入らないまま生涯を終えてきたもの。もちろん後悔はしていないわ。友達には怖くなーい、怖くなーいと言われたけれど、頑なに拒否し続けた。今もあの判断を間違いだったと思ったことはない。
それにしてもニナったら、友達から聞いた話というのは本当だとして。随分と脚色が混ざっていない?
「ニナって、随分と語り上手なのね」
「そうですか? 妹や弟に話て聞かせることは多かったですけど……」
「とても感情がこもっていたわ」
「本当ですか!? 奥様にそう言ってもらえるなんて嬉しいです! 私、一生懸命練習したので!」
「練習……」
「仕事仲間たちの間で時々怖い話大会をするんですけど、みんながあまりにも私の話は怖くないって馬鹿にするので、頑張って練習したんです。一位になると賞品があって、その日の仕事量が少し減ったりするんですよ。あ、もちろんイデットさん公認です! それでその、最下位の子が肩代わりさせられるんですけど、私はいつも仕事を任されてばかりいて……」
「それは、大変だったわね」
「もうニナの話は怖くないなんて言わせません。そうだ! 定期的に開催していますから、次は奥様も一緒に参加しませんか? 異国の怖い話、ぜひ聞いてみたいです」
持ちネタなんてないわよ!? ま、まあ、私だって、幽霊を怖がるような歳じゃあないんだから……
私は辛うじて考えておくと返答しておいた。この話がこのままうやむやになってくれることを願って。
~☆~★~☆~★~☆~★~☆~
まだ明るい時間だけれど、伯爵の屋敷までは馬車で時間が掛かるらしい。私たちは余裕を持っての出発を心掛けるそうだ。
「旦那様、本日は素敵なドレスをありがとうございます」
待ち構えていた旦那様に感謝を込めてお辞儀する。
「喜んでもらえて嬉しいぜ。お前に似合うと思った俺の見立ては正しかったな。良く似合ってる」
「ありがとうございます。でも私には少し、もったいないほどの衣装ですわね」
布を重ねることで重量を増したドレスを着るなんて、もちろん初めてのことだ。私には勿体ないとさえ感じてしまう。
「んなことねーよ。お前はあんまり自覚していないようだが、これでも王子だからな。そしてお前は俺の妻だ。言っとくが、これでも控えめな方だぞ」
そうでした……私、王子様の妻なんでした。
「おい本気で驚いていないか?」
「そんなことは……」
声に出してはいないはずなのに、そんなに顔に出ていたのかしら……。
もちろん覚えていますわ。私、凄い人の妻になってしまったのねって。ただ旦那様があまりにも気さくで、もっと言うのなら旦那様の周囲も気さくで。本人の日頃の態度や、旦那様を王子様として扱う人がまわりにいないことも忘れてしまう原因だと思うのよ。
ただし今目の前にいる人は、正真正銘王子様という身分に相応しい格好をしていた。
「旦那様も良くお似合いですわ」
「ありがとな。お前の隣に立たせてもらうんだ。半端な格好じゃ釣り合わないだろ」
気合いが十分でいらっしゃる! でもそれ私の台詞ですから、取らないで下さい!
「さあて、せっかくもらった奥さんを見せびらかしに行くとするか」
欲望に忠実でいらっしゃる!
「ところで旦那様。少し腕を借りしても?」
私はぷるぷると震える足で進み旦那様の腕にしがみついた。旦那様の腕はさすが男性、私の腕とはまるで違う。有り難いことに力強くて、頼りがいを感じさせるものだった。すらりと立ちつくす旦那様のなんと凛々しいことでしょう。それに比べて私は……
「ハイヒールを履く特訓もしておくべきでしたわ!」
こんなに高くて細いヒールが世の中に存在するというの!? きっと前世にも存在はしていたのでしょうけれど、私とは無縁だったのです。
「抱えて運んでやろうか?」
「謹んで遠慮申し上げますわ」
淡々とお断りさせていただきました。旦那様にとっても冗談だったのか、すんなりと引き下がってくれる。
「なら、会場に着くまで特訓だな。しっかり掴まってろよ」
ああっ、私ってば情けない! ということは、世のご婦人たちはこのヒールで華麗に踊るのでしょう? 私、本当に踊れる日が来るのかしら……
そんな風に弱気になっていた私だけれど、隣で嬉しそうに笑う旦那様の姿を目にしてしまったらもう弱音は吐けなかった。
「妻に頼られるってのも悪くないよな」
たとえ習得までが道のりが険しくても私はめげない。諦めない!
でもまずは、一刻も早く独り立ち出来るよう、気合を入れて歩き出すことから始めよう。
閲覧ありがとうございます!




