二十五、肩凝りも気になるお年頃
こうしてエリク様と秘密を共有することになった私。一応誤解のないように、エリクから文字を教わることは旦那様公認だ。報告をした時の旦那様はとても驚いた様子で、何度も本当にと確認されたけれど。主にエリクがね!
あれから数日、私は毎日のように机に向かっている。エリクが用意してくれた教材と格闘しながら、真面目に勉強に励んでいるのよ。勉強は大変だけど、メニューのためにも頑張らないといけないわ。それに今の私には読みたい本もある。
「早く読んでみたいわね」
エリクから借りた本は大切にしまってある。エリクと友達のような関係になれたこと、そして新たな楽しみが出来たことに、私は笑みが溢れるのを感じていた。
それはそれとして。一つ解決すれば別の問題が浮上する。それが人間というものだと私は思い出していたところだ。
「もっ、だめ……限界……」
本来なら夕食後の勉強タイムのはず。けれど今日ばかりは我慢の限界にペンを投げてしまった。
「どうして人は肩が凝るの!?」
この懐かしい首回りのびきびきとした感覚、忘れようがない。勉強に仕事に、人間の生活とは切っても切り離せないもの。それが肩凝りだ。
そういえば旦那様も自分で肩を揉む仕草をしたり、首を回していることがあったわね。あの人も執務仕事で疲れていたりするのかしら……
悩んだ私は旦那様を突撃しました。
「旦那様! 私といいことしませんか?」
そんな私の誘いから、夫婦による初めての肩叩きが始まろうとしている。最初は驚いていた旦那様だったけれど、ちょうどいいと言って私の訪問を歓迎してくれた。
何がちょうど良かったのかしら? その件については肩を揉みながらじっくり話し合えばいいわよね。
「さあさあ旦那様、座って下さいな。私から言い出したのですから、まずは私からですわ。いきますわよ!」
旦那様の肩に手を乗せると、広くて逞しいことに驚かされた。
そうよね。しっかりお腹に筋肉がついている人だもの。肩だって、それはしっかりしているわよね……羨ましいっ!
私は妬みを動力に旦那様の肩揉みを始める。
あ、やっぱり凝っているのね……いつもお疲れ様です。
「お前、上手いな。細い指のくせして、的確に良い所を刺激してくる」
「ふ、ふ、ふ……私の肩揉みは指名が入るほど人気だったのですよ。無償で私の肩揉みが体験出来るなんて、旦那様の特権です!」
「そりゃいいな」
「旦那様、いつもありがとうございます」
「こうして奥さんに労ってもらえるんなら頑張りがいがあるよ」
「私で良ければ、またいつでも揉ませていただきますわ。肩叩きくらいお安いご用ですもの! その代わり、時々で構いませんから私も揉んで下さると嬉しいのです」
「それこそお安いご用だな。さて、俺も可愛い妻を労うとするか。交代するぜー」
「もう良いのですか?」
まだ五分くらいしか経っていない気がする。
「しっかり満足させてもらったから安心しろよ。それにしても、女性に肩を叩いてほしいって頼まれたのは初めてだな」
それは、王子様に肩を揉ませようなんて不届き者は私くらいでしょうね。言い換えるのなら、私だけの特権だと思ってもいいのかしら?
軽く腕まくりをした旦那様が今度は私の肩に手を置いた。
「痛くないか?」
そっと力を入れていく様子はあまりにもじれったい。慎重すぎると笑いそうになったけれど、きっと私のためを思ってのことだろう。
「もっと強くしても大丈夫ですよ。そんなに柔じゃありませんもの!」
「ははっ、女性の肩を叩いてこんなに喜ばれたのも初めてだな」
「貴重な経験になりました?」
私は心地良さに酔いながら他愛のない話をする。すると不意に旦那様が思い出したように言った。
「明日、夜会に出席することになったぞ」
旦那様からの世間話に、私は気を付けていってらっしゃいませと返事をする。
「おい、奥さん。可愛い奥さんがいるってのに俺を一人寂しく出席させるつもりか?」
……もしかして、私に言ってます?
「む、無理です無理っ!」
飛び上がろうとした身体を旦那様の両手がソファーに押さえつけた。そして一言。
「大丈夫だ。お前なら出来る」
押さえつけられ上手く振り向くことも出来ない中、なんとか私は訴えた。
「夜会って、つまりパーティー!?」
「いわゆる貴族の集まりという奴だな」
貴族の妻として、その役目が迫っていることに早くも私は慌ててしまう。
というか旦那様、急すぎません!? 明日ってなんですか明日って!
「私、心の準備が!」
「飯は美味いぞ」
「えっ!? って旦那様、それ言えば私が頷くと思っていませんか?」
「興味あるだろ?」
「ありますけど!」
高級ホテルのレストランに一人で出没する根性ならあります。でも貴族のパーティーに旦那様の伴侶として出席する勇気はまだありません!
イデットさんやニナからこの世界の振る舞いやマナーについては教えてもらっているけれど、まだまだ付け焼刃は拭えない。
「私が一緒では旦那様に恥を書かせてしまいます」
「俺は気にしないぜ」
「気にして下さい! パーティーって、どうせ踊るのでしょう!? 言っておきますけど私、踊れませんから。俺がリードしてやるぜとか、どや顔で言われたって、まったく踊れないんですからね!?」
パーティーといえばダンス。一般人が踊れると思わないでくださいよ!?
もちろんいつかはと身構えてもいたけれど、まだまだダンスの習得までは至っていない。
「安心しとけ。これはダンスパーティーというより社交パーティーだな。あの伯爵は自慢のコレクションを他人に見せびらかすのが大好きなんだよ」
「伯爵? コレクション?」
わざわざ口に出されたその表現に疑問を覚える。
伯爵……貴族?
コレクション……珍しいもの?
それはきっと、美しくて綺麗な物。そう、たとえば――
「まさか、人魚ですか? 伯爵のお屋敷に人魚がいるのですか!?」
「確証はないが、その伯爵というのが以前話していた男だ。探ってみる価値はあるぜ。そいつは俺が人魚を保護すると提案した時、誰よりも熱心に反対してくれたからな」
もっともらしいことを口にしてはしていたが、あまりにも食い下がったという。そこで旦那様が追いかけていたところ、取引の疑惑が浮上したらしい。
「もちろん口では知らないと否定しているがな。探りを入れるためにも偶然を装って顔を合わせてきた。そしたらちょうど屋敷で夜会を開くと聞いてな。招待されてやったぜ」
伯爵は美術品や宝石といった美しい物を集めるのが好きらしく、かねてより屋敷で行われるパーティーに呼ばれていた旦那様は一度顔を出して以来、自慢話にうんざりしたのだとか。けれど今回は自ら偶然を装い、褒めたくもない品を褒めまくってきてくれたそうだ。
「以前誘われた時に俺は興味がないと公言してしまったからな。怪しまれないために、最近結婚したばかりの妻が珍しいものが好きだと話しておいた」
「私ですか?」
「そっ、お前。高価なものばかりを強請る困った妻ってな。恩人と結婚したのはいいが、恩人だからこそ強くは叱れないという設定だ。伯爵は俺に同情すると言ってはいたが、ぜひお前と話てみたいそうだぜ。こちらも妻が貴殿のコレクションに興味を持っていると話を合わせておいた」
「ありがとうとございます旦那様! 私、旦那様の妻で本当に良かったですわ!」
「おいおい、礼を言っていいのか? 俺はお前のことを困った妻だって言いふらしてきたんだぞ」
「精一杯困った妻を演じますね」
「頑張れよ。ああそれと、いつかは踊れるようになって俺の相手もしてくれるんだよな?」
「旦那様のためなら頑張りますわ」
まだまだ踊れはしないけど、人間として旦那様の隣で生きていくのなら、これから先も必要になる場面はあるはず。その時こそはきちんと妻の役目を立派に果たしてみせましょう。意気込む私に旦那様は嬉しそうだった。
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