十二、愛しの妻とか聞いてません
「ちょっと待て。誰と誰が形だけだって?」
旦那様の声は低く、纏う空気も険悪だ。
ニナが席を外したからって私の口からそこまで言わせるつもりなのかしら。わかっていると言ったのに、随分と意地が悪い人なのね。それとももっとしっかり自覚しろということ?
いくら考えても悪趣味だという結論しか浮かばない。
「私と旦那様がでしょう。私、物わかりはいい方なのです。三食寝床さえいただければ第何夫人だろうと文句はありません」
「その第なんとか夫人てのは?」
「旦那様はいずれ私の他に何人もの美しい奥様を迎える予定なのでしょう? だって王子様ですし」
「だってってなんだよ! どっから湧いたその歪んだ王子像!?」
「創作知識ですけれど何か間違っていたかしら?」
「間違いまくりだってのっ! 俺の妻はエスティだけだ」
「あ、もしかして私を第一夫人にしないといけない決まりがありました? それは失礼しました。では地位だけはいただいておきますね。お役目はそっと譲っておきますから、安心なさいませ!」
「いや誰にだよ!」
「未来の正妃様に」
「だから俺はっ――」
旦那様はそれまで唖然と開きっぱなしだった口を閉じる。沈黙すること自分を落ち着かせ、何やら葛藤しているようだった。やがて伝えるべき言葉がまとまったのか、改めて私の目を見て告げる。それは正真正銘、私への想い。私たち二人だけの、どこにも逃げばのない真実。
「俺はエスティ以外、他の誰とも結婚するつもりはない」
「まあ、旦那様ったら……なんですって!?」
ようやく事の重大さに気付いた私も思わず立ち上がる。私たちはテーブルを挟んで顔を付き合わせていた。もしかしたら私は、最初から大きな勘違いをしていたのかもしれない。
「ど、どういうことですか!?」
「どうもこうも、そんなの理由なんて一つだけだろ」
そのたった一つの答えを私は見落としていたのだ。
「ずっとお前のことが忘れられなかった。けどお前は、手が届かないほど遠い存在だと思って諦めた。遠すぎて、もう一度会うことすら叶わないと思ってたんだ。それなのにお前が目の前に現れて、俺は自分を抑えられなかった。それくらいお前のことが好きだったって、俺自身思い知らされたんだぜ」
それで突然の抱擁だったのかと今更ながらに納得させられる。
「お前はやっと手に入れた愛しい妻だからな」
熱のこもった告白に頬を染めている暇はない。どちらかというと私は青ざめている。
「わ、私、本当にラージェス様の妻なの!?」
「そう言ってんだろ。だから嫁にきたんじゃないのか?」
「そう、です……そうですけど!」
認識には天と地ほどの差がありました!
「私の認識では妻と書いて人質と読むくらいの意味合いだったのです!」
「いや妻って書いたら素直に読めよ!」
「今そこは大きな問題ではないのです! 問題は、もしかしなくても私はラージェス様の正妻!?」
「正妻もなにも俺の妻は一人だけだ! そんでもって、それお前な。俺はお前が好きなんだからさ」
嘘……それって、なら私、私は……いわゆる王太子妃ってこと!?
所詮人質。名ばかりの妻。人質としての妻なら公務も忙しくないわよね! 人前に姿を見せることも滅多にないだろうし! 夜の心配もなし!
なんて気軽に考えていた自分が恥ずかしいっ!!
旦那様ったら、とんでもない人だわ。見た目はチャラいくせに……いえとても失礼なんですけれど。それなのに一途だなんて聞いていないわよ!
けれど思い返してみれば――
幼い頃の思い出を現在まで引きずり、なおかつ一目見て私だと確信する執念。肌身離さず持ち歩いていた片方だけのイヤリング……もしかしなくても、とんでもなく一途に想ってくれていたのではないだろうか。
「さては旦那様は末っ子なのね! 上にお兄様が何人もいらっしゃるのでしょう?」
そうそう。王位継承権を持つ人が他に何人もいて、末っ子は自分の手で身の振り方を考えなければならないとか!
「なんの確認かは知らんが俺は長男だ」
それは王位継承権も高そうでいらっしゃいますわねえ!
「俺にはお前以外必要ない。エスティがいてくれたら、それだけでいいんだ」
ふわりと笑う旦那様に私はたいして食べてもいないのに胃もたれを起こしそうだった。
あ、甘い……
こんなにも蕩けそうな台詞を、まさか自分に向けられる日が来るなんて想像したこともない。突然の事態に私は激しく混乱していたと思う。そのためまずは落ち着いて食事の続きをと旦那様に勧めていた。食べているうちに私も少しは冷静になるだろうと考えて。
「ところでお前は?」
「はい?」
「俺のことをどう思ってる?」
「ごほっ!」
「おい大丈夫か!?」
「……も、問題ありませんわ」
至急水を取り入れ流し込むことで難を逃れた。まったく食事中には心臓に悪い話題だ。
「旦那様の発言の方が、よっぽど問題でもすもの」
「普通気になるだろ?」
「私、正直なのです」
「嘘つかれたくて聞いてるわけじゃねーよ」
「……いい人間、だとは思っていますけれど、でもそれだけですわ。私はまだラージェス様のことを知りま……その件に関しては、忘れしまったことは本当に申し訳なく感じていますけど! 私は旦那様、ラージェス様のことをほとんど知らないのです」
「なら、早く好きになってもらわないとな」
んんっ!? どうしてそうなったのかしら!?
「……旦那様って、結構前向きでいらっしゃる?」
運は悪そうだけれど……。
私はまじまじと旦那様の顔を眺めてしまった。
「不幸だって認めたら負け。これが俺の座右の銘だ。なあ、明日からも食事は一緒に食べようぜ。俺との食事は嫌か?」
「いいえ。楽しいですわ。私一人だと料理の名前もわからないんですもの。それに食事って、誰かと一緒の方が楽しいですよね。でもお忙しいのでしょう? 無理はしてほしくないのです」
今日も忙しくしていたと聞いている。無理をしてまで私との時間を作る必要はない。そう説明したのだけれど、旦那様は不敵に笑ったように見えた。
「それは最初に謝っとく。悪いが約束は出来ない。多少無理することもあるだろうが、それでも俺はお前と一緒にいたい。たくさん同じ時間を過ごして、早く好きになってもらわないと困るからな」
――なんて、綺麗に笑ってみせるからっ!
今度こそ私の頬は真っ赤に染まってしまった。恋愛感情を自覚してはいなくても、イケメンにときめくのとは別問題だ。
「困ったことがあればなんでも言ってくれ。遠慮すんなよ?」
よほど頼られたいのか、また同じ質問を繰り返される。
「本当にこれ以上望むことなんて、今の私には思いつかないのです。だいたい、そんなに甘やかされていては私がだめ人間になってしまいますわ」
「やっと手に入れた愛しの妻だからな。たっぷり甘やかされてくれよ」
とっさに飛び出す私の発言よりも、長年の想いを実らせた旦那様の方が一枚も二枚も上手なのは当然だ。
くうっ……! 食事と一緒に飲みこむには向けられた感情が重すぎるわ! 付け合わせにしたって胃もたれよ!
呑みこむ度にキッシュは重く喉の奥へと消えていく。こうして人間になって初めての食事は大変思い出深いものとなった。
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さて、勘違いも明かされたエスティーナたち夫妻。これからどうなるのか……続きはまた明日。




