基本は大事です
ロイドは不貞腐れながら、恋愛指南書のページを捲っていた。
本当は、レンと一緒に世添い寝をしたいのだが、主君にレンへの接近禁止令を下されてしまったのだ。その命令の解除の条件が、大霊廟主からもらった恋愛指南書を読み切る事だったので、ロイドは勉強がてら百科事典並みの厚さがある書物を読んでいるところだった。
ちなみに、恋愛感情が絡む犯罪行為とその悪影響について(ヤンデレが萌えになるのは二次元のみ等)書かれた第一章は、適当に読み飛ばしてしまっている。何故この内容を始めに持ってくるのか、作者の意図がロイドにはよく分からない。
ロイドが今読んでいるのは、如何にして意中の相手との心の距離を縮めるか、告白のための素地を作るのかがかかれている、第二章だ。ロイドは今まで食欲優先で、対人関係に全く注意を払っていなかったため、中々に興味深い。
時折通路を通る人間が、何とも言えない目をロイドに送っているが、敵意がなかったため、ロイドは無視していた。
ロイドが今いるのは、公共の場である王城の廊下の片隅である。正確には、レンが滞在している部屋の前だ。
ロイドは部屋の中に入ろうと試みたのだが、大霊廟主がレンの傍に居るせいで、廊下に締め出されていた。
「きゃー、すとーかーっ!」
最近主君の周りをうろついている幻虹蝶の娘が、ロイドを指差して棒読みしていたが、それよりもロイドは、彼女がレンの部屋に入っていったことの方が気になっていた。
——自分は駄目なのに、レンの傍に行けるなんて、ずるいではないか。
というわけで、ロイドはやり場のないモヤモヤを、目の前の不可視の壁にぶつけてみた。
ロイドは拳を固め、目の前の空間に叩き付ける。
派手な音はしたものの、特に良い手応えはなかった。
相手が神器であるだけに仕方がないものの、不満である。
そのまま虚空を殴りつけること、数十回。
固く締められていた扉が、開いた。
「——いい加減にするのだ」
うんざりとした表情の子供が、扉の隙間から顔を出す。
「気の惹き方がなってないのだ。もう少し、好感度を上げるやり方を試すのだ」
見た目だけは十歳前後の子供だが、ロイドでも聞き入れる気になるほどには、言葉に重みがあった。流石に、ほぼこの国と同等の年月を生きているだけはあるらしい。
言うだけ言った子供に閉められてしまった扉を前に、ロイドは思案する。
——どうすれば、レンは出てきてくれるのだろうか?
今まで気にしたことも無い、壁一枚分の距離が妙に遠く感じた。
ちなみに、ロイドは壁があったら壊すタイプだが、主君に怒られるので、器物損壊は除外しておく。
そして困った。
ロイドは、自分に壁を壊す以外の選択肢がなかったことに、気が付いたのである。
「ん」
ロイドは、潔く発見した自分の新たな面を受け入れた。——自分は、対人能力が皆無なのだ。
自分に足りないものがあるからと言って、ロイドは無暗に絶望はしない。足りないなら、補えば良いだけだ。
幸い、欠乏を補う手段は、ロイドの手の中にあった。
ロイドは、分厚い恋愛指南を黙々と読み始めた。
◆◆◆
「本当に、申し訳ないのだ」
小さな頭の旋毛を見ながら、レンは困り果てていた。
現在、彼女は滞在している一室から出られないという状況に陥っている。
別に彼女が何をした訳でもないのに、半ば監禁状態と言うのは理不尽極まりない。が、しかしながら、レンに土下座している子供を責めたところで、事態が改善することがないのが、一番困ったところである。
「……別に、貴方が悪いわけじゃ……」
「あの男は一応遠くても、縁戚なのだ。 とりあえずの親戚でも、親戚だから、私も責任があるのだ」
「はあ……」
生真面目な子供の言葉に、レンは反応に困る。
だったら、あの男をどうにかしてくれ、と喉元まで出かかったが、自分でも無理だと思うことを他人に押し付けるようなことはしたくない。
「……一体何なんですか、あの人……」
「意思伝達能力が著しく欠如した、万年腹減り男なのだ」
「……」
真顔で言い切った子供に、レンは何と言っていいかわからなかった。
確かにそうなのだが、もっと、言うべきことが無いのだろうか。
困り果てたレンを見ていた虹色の少女が、考える様に口元に手を置く。
「……うん。 似非人間?」
更に酷い評価がきた。
似非ということは、人間ではないのか。
「……あ、あれは、いちおう、人族の胎から、生れてきたのだ……」
子供に動揺しながらそんな事を言われても、レンの疑念が増すだけだ。
「先祖代々地神に弄られ続けたせいで、ちょっと人族の括りから外れているだけだって、ルクが言ってた」
「それって、あの人は普通じゃないってことですよね……?」
レンの言葉に、子供は無言で目を逸らした。
レンは虚ろな表情で、溜息を吐く。
正直、あの男が人族の括りから外れているのは、別にいい。
レンは幼い頃から、人外の存在と縁があったため、そういうものには慣れている。
なんせ、父の後妻は真竜だ。
人族の父と真竜の義母の間にあった、劇的な諸々はさて置き、ぶっちゃけレン自身はただの人族でしかない。
具体的に言うと、神域なんて危険地帯に一人放り出されれば、即行で死ねる自信がある。
レンは、婚姻の適齢期を過ぎてしまっているが、人外魔境を大冒険するにはまだ早いのだ。
……その前に、病みが入った某真竜にうっかり喰い殺されるところだったが、それは心の棚の一番高いところに置いておく。
結論から言うと、レンには人外に付き合う気力体力能力は皆無なのである。
「……気持ちだけじゃ、どうにもならない事ってありますよね……」
あの男は色々と無理だと、レンは思った。
自分と相手の間に横たわる断絶の深さに、眩暈しか覚えない。
また、生憎と、レンはあの男に運命的なナニカを感じてもいない。
「——つ、強く、生きるのだ……」
何故だろうか?
自分と子供との会話が、全くかみ合っていないように、レンは感じた。




