第21話 凍てつく静寂
本格的な冬が、静かに、そして確実に過疎村を覆い尽くしていた。
連日降り続いた雪は、村のぼろ屋の屋根や細い小道をすっぽりと覆い、大人の膝ほどまで深く積もっている。
外に出ると、頬を刺す冷気が鋭い刃物のように皮膚へ突き刺さり、わずか数分呼吸をするだけで肺の奥までツンと痛んだ。
かつて私とレンで復旧させた水路も、表面には分厚い氷の板が張り、その下を冷たい清流が静かに脈打つばかりとなっていた。
村全体が重い白銀の静寂に包まれる中、人々はそれぞれの家で小さく身を縮め、過酷な季節が過ぎ去るのをじっと耐え忍んでいる。
だが、私の借りているぼろ屋の中は、静かではあったが不思議な温もりに満ちていた。
パチ、パチ、と薪のはぜる心地よい音が室内に響く。
秋のうちにバノックやレンとともに森から切り出し、軒下で十分に乾燥させておいた割薪。
それが囲炉裏の中で柔らかな橙色の火柱を上げ、土壁に塗り込んだ泥漆喰が室内の熱を外へ逃がさず捉え続けていた。
かつて隙間風が吹き荒れていた廃屋の面影は、もはやどこにもない。
「ふう……」
私は囲炉裏の傍らに腰を下ろし、手に持った角材と小ナイフに再び静かに視線を落とした。
冬の間、外での農作業や大規模な土木作業はすべて休止となる。
だが、この手作業の時間をただ漫然と横になって過ごすわけにはいかない。
私は秋の間にグラック老人から譲り受けた古道具や、森で見つけておいた堅木の倒木を使い、室内でできる手仕事を進めていた。
今作っているのは、春の農作業で使うための「種まき用の木製定規」と、村の古老たちに届けるための「平たい削りスプーン」だ。
刃先を角材にあて、親指で木肌を押し出すように丁寧に削り出していく。
シュッ、シュッ、と小さな削り音が静かな室内に心地よく刻まれる。
木肌の繊維に沿ってナイフを滑らせると、芳しい木の香りが漂い、削り出された薄い木片が囲炉裏の火に舞い落ちて小さな火の粉を上げた。
手のひらで形を確かめ、角を落とし、肌に触れてもトゲが刺さらないように丁寧に撫で上げていく。
一筋の削り跡、一滑りの刃の加減が、そのまま完成品の手触りとなる。
現実で培った職人仕事のような集中の中に身を置いていると、指先の冷たさも時間の経過すらも忘れて引き込まれていくようだった。
その時、外の雪を踏みしめる重い足音が近づき、木引き戸がコトンと静かに叩かれた。
「ハル、いるか?」
扉を開けると、そこには頭や肩に粉雪を載せたバノックが立っていた。
彼の抱えた大きな背負い籠には、塩漬けにされた小動物の干し肉と、ワラでしっかりと縛られた大ぶりの根菜がどっさりと詰まっている。
「バノックさん、こんな雪の日に……どうぞ、中へ入ってください。火が起きています」
「……すまんな、お邪魔するよ」
バノックは雪を払い、靴底の氷を落として室内へ足を踏み入れた。
囲炉裏の温もりに触れると、彼の厳めしい顔がふっと緩み、白い息とともに安堵の吐息が漏れ出た。
「お前の家は、相変わらず温かいな。村のどの家よりも隙間風がねえ」
「土漆喰が上手く乾いてくれたおかげです。白湯しかありませんが、どうぞ」
熱い湯を満たした木コップを渡すと、バノックは無骨な手でそれを受け取り、深く一口飲んだ。
「……ふぅ。ありがたい。ハル、これを持ってきたんだ。村の共同倉庫で保管していた塩肉と、エリスのばあさんが『ハルに渡してくれ』って言ってきた根菜だ」
「こんなにたくさん……良いのですか?」
「当たり前だ。お前が秋のうちに水路を直してくれたおかげで、今年の根菜は例年の倍は獲れたんだからな。それに、この塩肉もお前が罠の仕掛け方を手伝ってくれた時の獲物だ。お前には受け取る権利がある」
バノックは当然のように言って、背負い籠からゴロゴロと肉と野菜をテーブルへ並べた。
与えられるのを待つだけの存在ではなく、村の生産と維持に汗を流してきた仲間。
バノックの言葉と差し出された食材には、過疎村の住人として共に冬を越す者同士の、深く静かな信頼が宿っていた。
「……ありがとうございます。大切にいただきます」
「おう。ところで、何を作っていたんだ?」
バノックがテーブルの上の角材とナイフに目を留めた。
手に取って、親指で削り面を撫でる。
「ほう……滑らかに削ってあるな。節の避け方を知っている手の動きだ」
「春になったら、村の皆さんに使ってもらおうと思って削っていました。スープ用のスプーンと、畑の計測用具です」
「フン……手隙の時間を無駄にせん奴だ。グラックのジジイが『あいつは鍛冶屋の筋もある』って零していた理由が分かったよ」
バノックは不器用な笑みを浮かべ、コップの白湯を飲み干すと、立ち上がった。
「長居すると雪で道が埋まる。また雪が弱まったら来るよ。無理をして外へ出るなよ、ハル」
「はい、バノックさんも足元にお気をつけください」
バノックが去った後、私は彼が置いていった大きな根菜と塩肉を手に取り、囲炉裏の上の小さな土鍋へと投入した。
水路の清らかな水と、村人たちが手仕事で仕込んだ塩肉の出汁。
コトコトと小さな泡が立ち始め、やがて豊かな香りが小さな部屋いっぱいに広がっていく。
匙ですくい、口に運ぶ。
じっくりと煮込まれた根菜は口の中で柔らかく解け、塩肉の濃密な旨味が冷えた身体の隅々にまでじんわりと染み渡っていった。
ただ腹を満たすためだけの食事ではない。
この村の土と、この村の人々の手仕事、そして私自身の汗が交じり合って生まれた、生きた「食」の重み。
窓の外では、ヒュウと風が吹き荒れ、粉雪が木枠を小さく叩いている。
だが、泥漆喰で固められた壁と、パチパチと燃える暖炉の火が、世界を凍てつかせる冷気を完全に撥ね退けていた。
私は再びナイフを握り直し、木の角材へと刃をあてた。
静かな冬の夜。
手仕事の音だけが響く温かな室内で、私は過疎村に訪れる春の芽吹きを、静かに、そして確かな実感とともに待ち続けていた。




