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第99話 豊穣の宴

深い白銀の光が収束し、見慣れた我が家の温かな木目の壁が視界に広がった瞬間、冷たい排気ガスの匂いは消え去り、澄み切った土と草木の豊かな香りが肺を満たした。


帰ってきたのだ。私たちの、本当の居場所へ。

エマと顔を見合わせ、深く息を吐き出す。コンクリートの迷宮と欲望の喧騒を離れ、足裏に感じる木の温もりが、私たちの帰還を静かに伝えていた。


玄関の扉を開けて一歩外へ踏み出すと、村の中央広場から畑へと続く道には、泥に塗れながら作物を収穫する村人たちの活気あふれる声が響き渡っていた。


村を取り囲む大地には、眼下一面に黄金色の絨毯が広がっている。

かつて私たちが地球から持ち込んだ農耕の知恵や品種と、アルカディアの古代システムが調和させた土壌の力が実らせた、見事な大収穫だった。風が吹くたびに、たわわに実った穂先がさざ波のように揺れ、豊かな音を奏でている。


「ハル……見て! すごい……村のみんなが、畑に集まってる!」


エマが声を弾ませ、私の手を引いて走り出した。


ヨハンは、己の手で粘り強く耕し続けた土から実った黄金色の稲穂を愛おしそうに撫で、感極まった面持ちで佇んでいる。その横では、レンが収穫物を満載にした巨大なリアカーを引いて汗を拭い、「ハル! エマ! 見ろよこの大豊作を!」と手を振っていた。


「ハル、エマ。無事に戻ったか」


広場の中央、杖を傍らに置き、木脚の椅子に静かに腰掛けたネルソン村長が、目を細めて私達を出迎えてくれた。


「停滞の枷が外れた事によって、土が、水が、息をし始めた。そしてこの大収穫だ。みんな、今夜は心ゆくまでこの実りを祝うといい。これだけの作物が実ったのだから」


ネルソン村長が穏やかに微笑みながら語りかけると、周囲にいた村人たちが歓声を上げた。

広場の隅ではグラックが、この夜のために仕込んでおいた巨大な鉄鍋と串焼き用の特製網をガツンと据え付け、煙草をくゆらせながら静かに頷いている。エリスとミルカは、採れたてのみずみずしい野菜や新米の湯気に包まれながら、楽しそうに大皿料理の盛り付けを進めていた。


やがて夜が訪れると、最北の村は賑やかな光と熱気に包まれた。

広場の中央に組まれた巨大な篝火が漆黒の夜空を焦がし、松明の明かりが人々の笑顔を赤々と照らし出す。バノックが昼間に森で仕留めてきた大物の獲物を豪快に焚き火で焼き上げ、香ばしい肉の匂いが風に乗って広がっていく。


レンが打ち鳴らす太鼓のリズムに合わせ、村の若者たちが手を取り合って円陣を組み、歌い踊る。心からの大収穫祭。エマもミルカたちと手を繋ぎ、ステップを踏みながら輝くような笑顔を弾けさせていた。


そんな宴が最高の盛り上がりを見せていた、その時だった。


広場の外れ、静かな木立の狭間から、ふっと淡い白銀の光の縫い目が立ち昇った。

宴の喧騒の中でそれに気づいたのは、転移の波動に敏感になっていた私とエマだけだった。空間の揺らぎが収束し、光の中から姿を現したのは――見覚えのある二人の影。


「……ハル? エマ?」


聞き覚えのある、懐かしい声。

そこに立っていたのは、一年前、それぞれの現実を捨てきれずに涙を飲んで地球へ残ったカイと、リリアだった。


「カイ……!? リリア……!?」


私が驚きの声を上げると、宴の輪からエマが弾かれるように駆け寄ってきた。


「久しぶりだな、ハル。……転移の座標をここに設定して良かったよ。まさかこんな賑やかな時に着くとは思わなかったけれど」


カイは懐かしい笑みを浮かべ、私の肩をぽんと叩いた。

かつて「要介護の母さんを置いて消えるわけにはいかない」と語っていたカイ。

「小さなプロジェクトの後輩たちを見捨てられない」と涙を流していたリリア。

彼らはあの試練の刻、この世界を愛しながらも地球でのしかるべき責任から逃げなかった。


「ふたりとも……どうして……? 地球に残ったはずじゃ……」


私が尋ねると、カイは静かに目を伏せ、穏やかな声で語り始めた。


「あっちに戻ってから……ずっと母さんの側にいたんだ。そして今年の春、静かに見送ることができたよ。後悔はない。最後までちゃんと息子として側にいられたから」


想いを馳せる様に目を細めるカイ。


「全て終わって…その時に『神域』の事を思い出したんだ。それから昔、『神域』でリリアが話してくれた会社の話を思い出してさ。無我夢中で探し回って、再会出来たんだ」

「驚いたわ。私も丁度その時には会社で抱えてた責任を果たし終えていて、それで……」


カイが自分の左手を俺たちに見せつける。


「……それで、二人で話し合って結婚した」

「そうなのよ、エマ」


リリアが柔らかく微笑み、カイと同じように左手を見せる。ふたりの薬指には、温かい篝火を反射させる幸せの光を宿した指輪が嵌められていた。


「地球での大切な責任を果たし終えたあとも、私たち、どうしてもこの村のことが忘れられなくて……。そうしたら、あの神様が、試練を受けられなかった私たちにも『次元転移能力』を下さったの。地球でちゃんと生きたことも、見守ってくれていたみたいで……」


「神の慈悲か……」


「ああ。だから俺たち、これからは二つの世界を行き来しながら、またこの村で生きていくことを決めたんだ」


カイとリリアの言葉に、エマの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。エマは二人へ飛び付き、何度も何度も抱きしめ合った。


「よかった……! 本当に、よかった……! ふたりが最後まで大切なものを守って、またここへ帰ってきてくれて……本当に嬉しい……っ!」


「おい! おい見ろよ、あれ!!」


いち早く二人の姿に気づいたレンが、手にしていた太鼓のバチを放り出して叫んだ。


「カイとリリアじゃないか! 戻ってきたぞ! カイとリリアが帰ってきたぞ――っ!!」


レンの声に、宴の広場が一瞬静まり返り、次の瞬間、地鳴りのような大歓声が巻き起こった。

バノックが肉をひっくり返していた大トングを放り投げて大足で駆け寄り、カイの首を太い腕で力強く抱え込んだ。


「がはは! 遅かったじゃねえか、カイ! リリア! どこ行ってやがった!」

「痛っ、痛いよバノックさん! 腕の力が強すぎるって!」

「まあまあ、バノック。カイたちが参ってしまうわ」


エリスが目を細めて笑いながら、ミルカと一緒に温かい果実酒の入った木杯を二人へ手渡す。ミルカも「カイさん! リリアさん!」と嬉しそうに駆け寄っていた。


奥から歩み寄ってきたグラックは、ふんと鼻を鳴らしながらも、どこか誇らしげに酒樽を叩いた。


「帰ってきたか、バカ者どもめ。……よし、わしが打った新しい薬研と裁縫鋏が、お前たちの分の仕事を待っとるぞ」

「グラックさん、開口一番それですか! でも……ただいま帰りました!」


二人が地球でそれぞれの責任を果たし終え、夫婦となってこの村へ戻ってきたことが伝えられると、広場の熱気は最高潮に達した。ヨハンが満面の笑みを浮かべて新米のおにぎりを二人に差し出し、中央の椅子に座るネルソンもまた、温かく木杯を持ち上げた。


「無事の再会と、新しき夫婦の門出に――乾杯しよう」

「『乾杯――っ!!』」


割れんばかりの歓声と酒杯のぶつかる音が夜空に響き渡る。

篝火の明かりが揺れる下で、カイは大杯を飲み干して豪快に笑い、リリアはエマやエリス、村の女性たちに囲まれて祝福の言葉に頬を染めていた。


私は、手にした木杯を傾けながら、その光景を静かに見つめていた。

現実を背負い、泥臭く生きてきたからこそ得られた神の恩寵。グラック、レン、バノック、エリス、ヨハン、ミルカ、ネルソン、村のみんな。そしてカイとリリア。かつて命を落としたケイルの面影を心に抱きながら、今この場所に生きる者たちが手を取り合い、ひとつの大きな家族として肩を組み、笑い合っている。


「ハル」


いつの間にか隣に歩み寄っていたエマが、私の腕にそっと自らの腕を絡めてきた。その瞳には、篝火の温かな光と、溢れんばかりの幸せな涙が揺らめいていた。


「みんな揃ったね。……私たちの、大好きな家族が」

「ああ。……ここが、私たちの生きる場所だ」


私はエマの肩を抱き寄せ、深くうなずいた。

響き渡る歌声と歓声、そして夜空に吸い込まれていく松明の火の粉を見上げながら、私たちは満ち足りた思いで、新たな時代の訪れを祝うのだった。

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