第6話 静かなる感染と次のターゲット
週明けの月曜、登校早々に保健室へ呼び出され、寝不足の目をこすりながら、自分は白衣姿の女性と向かい合っていた。
神条冴子。この学校の養護教諭であり、裏では学園内の異能トラブルを処理する担当者でもある。
「……金曜の件、清掃用具入れの倒壊事故として完璧に処理しておいたわ」
冴子はコーヒーカップを傾けながら、冷ややかな視線を向けてくる。
「手を抜きすぎじゃないかしら。まあ……私がつけたロッカーの凹み具合だけはいい味を出していたけれど」
「手厳しいですね。あれでも現場の痕跡を覆い隠す最善の力技だったのですが」
「まあいいわ。それより……小林の端末から吸い上げたログ、あなたも見たでしょう?」
冴子の声から軽さが消える。自分は淡々と頷いた。
「はい。アプリ『アウェイク・バズ』の感染IDが、校内だけで三十以上確認されました。小林くんの暴走は氷山の一角でしょう」
「頭が痛いわね。これ以上校内で暴走騒ぎを起こされたら、上や警察への言い訳が立たないわ。……影原、校内で怪しい気配があれば、爆発する前に摘発しなさい」
「お断りします。自分は慈善事業でリスクコンサルをやっているわけではありませんので」
即答すると、冴子は呆れたようにため息をついた。
「働きに見合った対価は用意するわ」
「今後の特別補習の永久免除、それと放課後の完全フリーの保証です。自分の平穏なゲーム時間を邪魔されない権利を提示していただけるなら、喜んで事前消火に協力しましょう」
「わかったわ。その条件、呑んであげる。その代わり、問題が起きる前に対処するのよ。私が求めているのは消火じゃなく、防火なの」
「それと、全額を払うのはアプリを根絶してからよ。途中経過は分割で払うわ」
「分割、ですか。……いいでしょう。積み上げれば同じことです」
「交渉成立ですね」
自分は静かに一礼し、保健室を後にした。
◇
放課後。日課となった屋上で、自分は天宮凛と合流していた。
柵に肘を預け、夕風に髪を揺らす凛に、今朝の冴子との会話と感染IDのデータを共有する。
「三十人以上……。そんなにアプリが広まっているの?」
凛の顔に暗い影が落ちる。己の暴走のトラウマを思い出したのか、彼女の細い指先がかすかに強張っていた。
「ええ。ですが、無理に片っ端から潰す必要はありません。自分たちの目的は学園の平和を守ることではなく、自分の放課後を守ることですから」
「影原くん、そんなこと言ってる場合?」
凛が半眼でこちらを睨みつけてくる。
「このまま野放しにしたら、毎日どこかで暴走が起きて、あなたの放課後やゲームの時間が潰されることになるのよ? 分かってる?」
「……痛いところを突きますね」
それに——ちらりと隣を見る。不安そうにグラウンドを見下ろす凛の横顔があった。
暴走の恐怖を知る彼女が、これ以上、同じ苦しみを味わう被害者が出ることに心を痛めているのは明らかだった。彼女の余計な精神的負担を減らしておくのも、コンダクターの仕事のうちか。
「神条先生から特別補習免除と放課後フリーという報酬も約束してもらったので、ぼちぼち進めますよ」
「えっ、それ、本当に通るの? さすがに無理でしょ……」
◇
ターゲットの絞り込みは手間だが、地道に「噂話」と「観察」から行う。
時間は、昼休みに遡る。廊下で囁かれていた噂。
『陸上部エースの三年の先輩が、来週の地区大会を前にひどいスランプに陥っているらしい』
『普段は温厚なのに、最近はピリピリしてて部員に当たり散らしているとか……』
偶然を装って、その先輩とすれ違う。人工的な甘ったるい匂いと、金属じみた生臭さに顔をしかめる。金曜の小林からも漂っていた匂いだ。
凛が暴走した際は彼女自身の放つオゾンが匂いを消していた可能性が高い。
過剰な脳内物質の分泌に伴い、皮脂とともに特有の代謝物質が排出される副作用なのかもしれないな。
◇
「……あそこですね」
屋上の柵越しに、夕映えのグラウンドを見下ろす。トラックの隅で、陸上部のエースが一人でうずくまっていた。その傍らには、画面を点灯させたスマホ。遠目からでも、あの濁った蛍光グリーンの光が不気味に明滅しているのが見えた。
「顔色が急激に悪くなってる……。周りの部員たちもざわつき始めてるわ」
凛が身を乗り出し、鋭い眼光で眼下を注視する。
「過覚醒ですね。記録への焦りから、過剰投与に手を染めたのでしょう」
自分はポケットの端末を握り、頭のスイッチをカチリと切り替えた。
防犯カメラのジャック準備、周囲の目撃者の誘導ルート、そして現場の物理偽装のシナリオ——思考の海の中で、すべてのピースが瞬時に組み上がっていく。
「行きましょう、天宮さん。部活終了までに解決して、速攻で帰りますよ」
「……了解。……って、私、生徒会の仕事もあるんだけど……」
夕映えが校舎を染める中、自分と凛は屋上をあとにし、危機が迫るグラウンドへと駆け出していった。




