第七話 食堂
食堂は、昼の声で満ちていた。
ミコトが皿を持って入った時、食堂の席にはもう何人かが座っていた。
ミコトは皿を持ったまま、入口の近くで足を止めた。
一番近い卓には、小さな子供達が並んでいる。
星級の席だろう。
中央の卓には、それより少し背の高い子達。
月級の席らしい。
その奥、窓際に集まっているのが、ヴァン達と同じ陽級の生徒達だった。
「ミコトさん、こっち」
ハリエットが窓際から手を振った。
ミコトは小さく頷いて、陽級の席へ向かう。
ヴァンは、いつもの場所に座っていた。
隣にはハリスがいる。
ミコトはハリエットの近くへ座り、皿を置いた。
「先生は、何の用事だったの?」
ハリエットが尋ねた。
「通辞術を、もう一度かけてもらっていました」
ミコトは小さく答えた。
「朝のは、お昼前には切れるからって」
「そうだったんだ」
ハリエットは納得したように頷いた。
白い湯気の立つスープ。
焼いたパン。
小さな皿に盛られた煮豆。
水差しの中では、薄い青の小石が底で淡く光っている。
「それ、冷やす石?」
ミコトが聞いた。
「そう。水がぬるくならないの」
ハリエットが答える。
「不思議ですね」
「ミコトさんのところには無かったの?」
オーレリアが身を乗り出す。
「オーレリア」
ハリエットが止める。
「食べながら聞かないの」
「食べる前よ」
「そういう問題じゃないよ」
ヴァンは、そのやり取りを聞き流していた。
食堂のざわめき。
椅子の音。
皿の音。
子供達の声。
いつもの昼だった。
その時、星級の席の方で、少しだけ空気が変わった。
入口から、一人の少女が入ってきた。
星級の子供達の中では、少し年長に見える。
けれど歩みは慎重だった。
急がないのではない。
急げないのだと分かる歩き方だった。
その隣に、メイド服の少女が付き添っている。
「レオナ様だ」
誰かが小さく言った。
「それと、チャミー」
オーレリアが、手帳を開きながら呟いた。
レオナは、星級の卓へ向かった。
周囲の子供達が、自然に少しずつ場所を空ける。
怖がっているのではない。
触れないようにしている。
チャミーは、レオナの歩幅に合わせていた。
椅子を引き、膝掛けを直し、皿の位置を確かめる。
その動きは速くない。
けれど、迷いがなかった。
ミコトは、レオナを見ていた。
次に、チャミーを見た。
「星級?」
小さく、ミコトが言う。
「うん」
ハリエットが少しだけ声を落とした。
「レオナ様は、身体が弱くて……ずっと休んでいたから」
それ以上は言わなかった。
ミコトも聞かなかった。
食事が始まる。
ヴァンはパンを割った。
ハリスは黙ってスープに匙を入れる。
ミコトは、自分の皿の横を見た。
匙も、ナイフも、小さなフォークもある。
けれど、少し迷ってから顔を上げた。
「あの……箸はありますか?」
「箸?」
ハリエットが瞬きをする。
「あ、和之国の?」
「たぶん、それです」
「あると思う。あっちの棚に、来客用のものが置いてあったはず」
ハリエットが入口側を示す。
ミコトは立ち上がった。
「取ってきます」
食器棚は、星級の席に近かった。
ミコトは人の間を避けながら、そちらへ向かう。
星級の子供達がちらちらと彼女を見た。
見慣れない留学生が珍しいのだろう。
ミコトは棚の前で、箸を一膳取った。
そのすぐ近くで、チャミーが熱いスープ皿を受け取っていた。
レオナは、思っていたよりも近くにいた。
小さな顔。
柔らかそうな髪。
膝の上で揃えられた細い指。
星級の子供達の中では少し年長に見えるのに、どこか壊れやすい硝子細工のようだった。
ふわりと、甘い匂いがした。
花蜜のような、軽い香油のような匂い。
ミコトは一瞬だけ、その匂いに目を瞬かせた。
「ローティ、急ぐなって!」
入口の方で、ウォールの声がした。
振り返るより早く、小さな足音が食堂に飛び込んでくる。
「だって遅れる!」
ローティだった。
白銀色の髪が跳ねている。
その後ろから、ウォールが慌てて追っていた。
ローティは直ぐ脇を抜けようとして、チャミーにぶつかった。
その手元から、トマトスープの皿が跳ねた。
白い湯気がほどけ、中身が宙に散る。
熱い雫が、盛大に降り掛かった。
皿が床に落ちて割れ、甲高い破壊音が、平穏な食堂に響いた。
誰もが息を呑んだ。
……。
大惨事を予想した。
……………。
その静寂の向こうに、ミコトがいた。
レオナの前に立ち、庇うように差し出した袖と腕が赤く染まっている。
手にしていた箸は、足元に落ちていた。
ミコトは息を呑み、最初に見たのは自分の腕ではなく、固まって動けないでいたレオナだった。
「だいじょうぶ?」
それから、チャミーを見る。
「怪我、してませんか?」
最後に、固まっているローティを見た。
「ローティさんも」
やらかしたローティは青くなっていた。
ウォールも足を止めたまま、何も言えないでいる。
「ミコトさん!」
ハリエットが駆け寄った。
オーレリアは手帳を開いていた。
筆記具の先が、紙の上を走る。
チャミーはレオナを支えたまま、ミコトを見た。
「あ、あわ……すまねえだ。ありがてえべ、おらがちゃんとしてりゃ、レオナ様にかからなかっただに……ほんに、すまねえだ……!」
声は小さかったが、はっきりしていた。
レオナも、膝の上で指を握ったまま、ミコトを見上げていた。
食堂の入口側から、軍靴の音がした。
ざわめきが沈む。
ジークハルト先生が立っていた。
視線が、床の割れた皿へ落ちる。
次に、ミコトの濡れた袖。
ローティ。
ウォール。
「両名、食後に床磨きの罰だ」
ウォールとローティは、同時に姿勢を正した。
「はい」
「……はい」
ジークハルト先生は、それ以上二人を見なかった。
「ミコト・サトー」
「はい。あの、私は大丈夫――」
「医務室へ行け」
ミコトの言葉が止まる。
「火傷の確認だ」
それだけだった。
ハリエットがすぐに言う。
「私、付き添います」
ジークハルト先生は短く頷いた。
ミコトは濡れた袖を少し持ち上げた。
赤くなっているかどうか、自分でもよく分かっていないようだった。
チャミーが、もう一度頭を下げた。
「ありがとうございますだ」
レオナも、小さく頭を下げる。
「……ありがとう」
ミコトは少し困ったようにした。
「いえ。かかってなくて、よかったです」
そう言って、ハリエットに促されるまま食堂を出ていく。
「皇國暦1002年、覇竜11年、4月20日、孔雀曜日。午後0時23分」
オーレリアの筆記具が、また紙の上を走った。
「食堂にて、ミコト・サトーが、レオナ様を庇ってスープを浴びる」
ヴァンは席に残っていた。
皿の欠片は、まだ床に散っている。
スープの湯気が、床の上で薄くほどけていた。
黒髪の少年は、匙を持ったまま、割れた皿の欠片を見ていた。




