第六十二話 姫と黒騎士
陽級一年。
演目、『姫と黒騎士』。
おれは黒騎士の衣装を着ていた。黒い外套。黒い胸当て。まるで悪役みたいな主人公だ。
兜は被らない。顔が見えないと台詞が届かないからだと、オーレリアが言っていた。
手袋をはめ直し、剣の柄を握る。舞台用の剣。本物の剣ではない。けれど、軽すぎることはない。エインが重さを調整してくれた。おれが振った時、嘘に見えないように。けれど、本当に誰かを傷つけないように。その中間を探して、何度も持ち手を変え、芯を変え、布を巻き直していた。
ローティが近くで肩を回していた。
「へっ。いよいよだな、黒騎士」
「お前も黒騎士だろ」
「俺は追手の黒騎士だ。悪い黒騎士じゃねえ。いや、悪い黒騎士なのか? まあいい。どっちにしろ、俺が格好良く負けてやる」
ウォールが隣で小さく頷いた。
「ぼくも、ちゃんと合わせるよ」
「頼む」
おれは、二人の肩に手を置いて答えた。
ローティは笑っていたが、目は真剣だった。こいつは、こういう時にふざける。でも、本番では手を抜かない。ウォールも同じだ。言葉は少ないし、少し肩に力も入り過ぎているけれど、逃げ腰の気配はない。二人とも、自分がどう倒れたら、黒騎士のおれがよく見えるかを考えてくれている。相手がそうしてくれるなら、おれも応えないといけない。
舞台袖の奥に、ミコトがいた。
白百合姫の衣装を着ている。
白いドレス。肩と袖に、百合の花を思わせる繊細な刺繍。薄い布が緩やかに重なっていて、歩くと少し遅れて揺れる。下ろした髪。頭には、白い花飾りを添えた小さな冠が載っていた。
眼鏡はない。顔が、いつもより頼りなく見えた。でも、それだけじゃない。知らない女の子みたいにも見えた。いつものミコトなのに、いつものミコトではない。黒縁眼鏡がないだけで、こんなに違って見えるのかと思った。
目元もよく見える。困ったように下がる眉も、何かを探すように動く視線も、普段よりずっと隠れずに見えた。おれは、しばらく観察していた。無意識に。
何か言おうと思った。けれど、言葉が出なかった。綺麗だ、と思った。でも、言えなかった。言ったら、何かが変わる気がした。それが怖かった。さっき皇帝を敵だと思った時の怖さとは違う。もっと近くて、もっとやわらかくて、けれど失敗したら壊れてしまいそうな、よく分からない怖さだった。
「ミコト」
オーレリアが声をかける。
「立ち位置、忘れないで。眼鏡がないから、床の印は見えにくいと思う。だから、歩数で覚えて」
「はい」
ミコトは頷いた。その声は少し緊張していた。たぶん、怖いのだと思う。眼鏡がない。舞台は広い。客席には大勢いる。ミコトは、その前に立つ。
白百合姫として。
「大丈夫」
ハリエットが、ミコトの手をそっと握った。
「ミコトちゃんなら、大丈夫」
「……はい」
ミコトは小さく笑った。無理に笑っているのが分かった。
おれは、そこまで見てから、待機位置に向かった。
幕が上がる。
最初に舞台へ出たのは、白百合姫だった。舞台は王城の大広間で、壁には白い布と花飾りが掛けられ、明るい照明の下で貴族役の生徒達が輪を作っている。舞踏会の場面だった。白百合姫はその中央にいた。
白百合姫が、相手役の手を取って一歩進む。
足取りは、少しだけぎこちなかった。それだけをやってきた月級一年の宮廷舞踏のように、完璧に揃っているわけではない。眼鏡がないから、床の印も見えにくいのだと思う。それでも、ミコトは踊り続けた。相手に合わせ、半回転し、手を離し、礼を返す。白いドレスの裾が、遅れてふわりと広がる。
何人か相手役を交代しながら踊りを続ける。練習で見たイネヴェアの白百合姫と違って、どうしても舞踏パートは見劣りしてしまう。
輪舞の途中で、小さな侍女役の子が花飾りを落とした。
貴族役達の輪が進む。侍女は拾えない。困った顔で立ちすくむ。その時、白百合姫が踊りの流れの中で一度だけ足を止め、落ちた花飾りを拾い上げて、侍女へそっと渡した。台詞もない。ほんの短い動きだった。けれど、おれには見えた。
花飾りを落とすところまで台本通りだった。だが、拾い方はミコト自身のものだった。たぶん、演技ではなく、ミコトは普通にしているだけだ。そのさり気なさが、イネヴェアの時よりも白百合姫らしく思えた。
その時、玉座の父王役が立ち上がった。
「白百合よ」
「お父様」
白百合姫は舞踏の輪を離れ、父王の前へ進む。父王は娘の手を取り、穏やかに笑った。
「お前は、昔からそうだな。誰かが困っていると、すぐ立ち止まれる」
父王の身体が揺れた。
「お父様……?」
音楽が止んだ。
「よい子だ」
白百合姫が手を伸ばす。父王は胸を押さえ、玉座の前に崩れ落ちた。貴族役達がざわめき、侍女役が駆け寄る。白百合姫は父王のそばに膝をつき、その手を握る。
「お父様、いやです。まだ、まだお話が――」
父王の手が、ゆっくり落ちた。
暗転。
明かりが戻った時、舞台は王の寝室に変わっていた。さっきまでの華やかさは消えた。照明は薄暗く、今は冷たい沈黙だけがあった。治療師役が、項垂れている。王は死んだ。白百合姫は、寝台に顔を伏せて声を殺して泣いている。
そこへ、継母妃役のハリスが現れる。
美しい衣装。冷たい声。笑っているのに、全然優しくない顔。さっきまで父王のそばで、脇役のように静かに微笑んでいた継母妃とは、もう違って見えた。いや、違う。別人になったのではない。ハリスが普段は隠していたもの。毒気を、隠さなくなったのだと思った。
「白百合よ」
ハリスの声が、講堂に通る。声変化の魔法を使っているから、ちゃんとハリスの声なのに、大人びた女の声色になっていた。
「王は亡くなりました。そして、王が口にした最後の杯を運んだのは、あなたの侍女でした」
白百合姫が顔を上げる。
「まさか……」
「毒です」
継母妃が言った。毒気たっぷりの声で言った。
「王は毒に倒れたのです。そして、その侍女に命じることができたのは、誰でしょうね」
舞台上の視線が、白百合姫に集まる。
白百合姫は首を振った。
「違います。わたくしはお父様を――」
「黙らっしゃい!」
継母妃の声が、稲妻のように落ちる。
「父王殺しの罪により、白百合姫を捕らえよ」
兵士役達が白百合姫を囲む。侍女役の子が前に出ようとするが、白百合姫は小さく首を振った。逃げない。言い訳もしない。ただ、何かを言おうとして、言葉を出さないまま、兵士達に連れて行かれる。
暗転。
次の場面は地下牢だった。
白百合姫は、石壁の前に座っていた。白い衣装は汚され、花飾りも外れている。さっき舞踏会で光っていた姫とは違う。けれど、顔は下げていなかった。
そこへ、小さな足音が近づく。
「姫様」
侍女役の子だった。
「どうして、ここへ」
「姫様が、あの時、助けてくださいました。今度は、私が助けます」
侍女は震える手で鍵を差し出した。
「裏門から森へ。早く」
白百合姫は一瞬ためらったが、侍女の手を握った。
「ありがとう」
それだけ言って、白百合姫は牢を出た。
背景幕が順々に巻き上げられ、場面が城の廊下、裏門、城下町、街道へと、次々に変わっていく。最後は森だった。
舞台の上に青黒い照明が落ち、木々を模した影が揺れている。白百合姫は一人で歩いていた。舞踏会の時の足取りとは違う。裾を踏まないようにしながら、何度も後ろを振り返り、進む道を探している。逃げている。けれど、どこへ逃げればいいのか分かっていない。そういう演技だ。
舞台の上の森は作り物なのに、ミコトが一人でそこにいると、本当に迷っているように見えた。たぶん、あのおどおどした感じは、演技ではない。フラフラしながら、舞台端へと消える。
そこで、おれの出番だった。反対側の舞台端から登場する。
照明が、おれの黒い外套に落ちる。アディの用意した音水晶からは、重低音の効いた切迫感のある曲が流れる。
「見つけた」
おれは、地面に足跡を見つけた演技をする。
「白百合姫。逃がさぬ」
背景幕が巻かれ、樹々が後ろへと流れていく。おれが足早に進んで、姫を追い詰めていく。やがて、前方から岩山を模した踏み台が流れて来る。おれはそれに登る。崖下を眺める演技。
「見つけたぞ!」
照明が集まった場所で、白百合姫が振り返る。
「黒騎士……」
「戻れ。継母妃様の命令だ」
「戻れば、わたくしは殺されます」
「同じこと。命令は、連れ戻すこと。さもなくば殺すこと」
おれは剣を向けた。
「逆らうならば、今ここで斬る」
白百合姫は一歩、下がった。
その時、足元の岩場が崩れる場面になる。舞台装置、踏み台の一部が傾き、黒騎士が足を滑らせる。肩から倒れて転がり落ちる。照明と音で、実際に高い崖から落ちたように見せる。実際に身体を張った演技だ。おれは、これを演技というよりは、レオナと一緒に岩場から落ちた時のことを思い出しながら、同じ状況を再現するだけだった。
おれは転がり、剣を落とした。うつ伏せになり、瀕死となる。黒騎士は動けない。白百合姫は簡単に逃げられる。今なら、姫は助かる。そういう場面だった。
白百合姫は、一度、森の奥を見た。逃げ道を見る。次に、倒れている黒騎士を見る。
おれは、床に伏せたまま、ミコトの足元を見ていた。白い裾が揺れている。迷っている。逃げたいはずだ。いや、逃げて生き残るべきだ。黒騎士は、自分を捕らえ、殺しに来た相手なのだから。
けれど、白百合姫は戻ってきた。
「しっかりしてください」
白百合姫が、黒騎士のそばに膝をつく。ドレスの一部を破いて、包帯代わりに使って治療をする。練習では、修繕祈祷の魔法を何度も使うわけにもいかず、実際の衣装を破く動きだけは、イネヴェアも数回しか試していなかった。ミコトにとっては、これが初めての、ぶっつけ本番だった。
「……あ」
やっぱり。
ミコトは、破くのに失敗した。単純に布を手で引き裂くだけの、その筋力が足りてない。おれは一瞬あせった。舞台袖で見守る他の生徒達も、かなりあせったに違いない。でも次の瞬間、ミコトは歯で噛んで、両腕と全身を使って、思いっきり仰け反るようにして、ドレスの布地を引き裂いた。
その後、おれの腕や足に包帯を巻く。丁寧に、ズレないように、締め付け過ぎないように、でもしっかりと巻く。本当の怪我人を前にして、他に治療できる人もいなくて、包帯もなければ、ミコトはきっと同じことをする。
「なぜ……」
黒騎士は、息を切らしながら言う。
「逃げればよかった」
「あなたが、死にそうだったからです」
「おれは、お前を捕らえに来た」
「知っています」
「斬るとも言った」
「それでもです」
白百合姫の声は震えていた。けれど、退かなかった。
「目の前で誰かが死にそうなのに、放ってはおけません」
おれは、その台詞を聞いて、息を忘れた。
稽古で聞いた台詞だ。何度も聞いた。分かっている。これは劇だ。決められた言葉で、決められた動きだ。けれど、その時、おれは白百合姫だけを見ている気がしなかった。
ミコトだ、と思った。
ミコトは、そういう子だ。自分が助かる道より先に、目の前で倒れている誰かを見てしまう。自分に何ができるかも分からないまま、それでも手を伸ばしてしまう。イネヴェアの時もそうだった。照明が落ちてきた時、ミコトは魔法も使えないのに走った。転んだ。眼鏡も飛んだ。それでも、前に出ようとした。
黒騎士は、そこで初めて姫を見る。捕らえる相手としてではなく。邪魔な相手としてでもなく。自分が斬ろうとしたのに、それでも手を伸ばしてくる奇特な相手として。
「愚かな姫だ」
黒騎士のおれは言った。だが、おれ自身はミコトを奇特だとは思っていない。愚かだとも思っていない。
「はい」
白百合姫のミコトは、小さく頷いた。
「そうかもしれません」
その時、森の奥から追手の黒騎士達、ローティと、ウォールが現れる。
「白百合姫を見つけたぞ!」
白百合姫が振り返る。
おれは、落ちた剣を拾った。まだ傷を負っている。立つのもやっとのはずだが、それでも、姫の前に立つ演技をする。
「黒騎士……?」
「隠れていろ」
「でも」
「いいから、隠れろ」
白百合姫は、木陰を模した舞台装置の後ろへ下がる。
おれは追手の前に立った。
「その姫を渡せ」
「断る」
「裏切るのか」
「ようやく、仕えるべきものを見つけただけだ」
追手の騎士達が剣を抜く。迫力のある高揚した音楽が始まる。
戦闘が始まった。
おれは傷を負った黒騎士として戦う。いつものように動きすぎてはいけない。強いが、万全ではない。足を引きずり、片手で胸を押さえ、それでも姫の隠れている場所へ行かせない。剣を受けて、逸らす。押し返す。倒す。派手に勝つのではない。ぎりぎりで守っているように見せる。
勝利を焦ったウォールが、不用意に突っ込んだところを、カウンターの一撃を腹に当てて倒す。鎧があるので、ちょっと強く当てても大丈夫だ。
「うっ」
本物の呻き声だった。ちょっと強く当て過ぎたかもしれない。ウォールは、膝をついて倒れた。後で、何かおごろう。
「よくも!」
激昂した最後の騎士として、ローティが大きく跳んで、空中から振り下ろしの一撃を放ってくる。
冷静に、時を無限に刻め。
兄貴から教わった。爺ちゃんの言葉だ。
跳躍術を使った大跳躍だ。舞台の天井近くまで高く昇る。ローティが自分の出番を格好よくするために自分で発案した演出だ。あの面倒くさがりのローティが、事前登録と許可申請のために職員室を何度も往復したほど、入れ込んでいた演出だ。
観客席の視線がすべてローティに集まる。
正直、おれも最初は隙だらけで簡単にあしらえる技だと思っていた。でも実際は違った。
先ず、照明の光が邪魔。まるで太陽を背にしたような、とても有利な位置だ。
次に、思ったより速い。重力加速度というやつは、絶対にバカにできない。
最後に、かなり重たい。その加速に乗せて、ローティは全体重と、振り下ろす腕の力、タイミングをきっちり合わせてくる。
「喰らえぇぇぇえっ!!」
おまけに、ローティの気合いも十分だ。いや、これは十二か、十三分ぐらいはある。
こんなもの、まともに受けては痛い目をみる。
かといって、大きく避けたらビビって逃げたようにしか見えなくて、ちょっと演劇としては見映えが悪い。
ここは勝負処だ。
おれは、大きく息を吸い込んだ。
おれは少し斜め前に、右足を踏み出した。その親指の付け根を軸に身体を左に回しながら、剣をただ持ち上げて、拍子を合わせて振り下ろす。真っ直ぐに。
中心がブレちゃいけない。外れちゃいけない。剣は真っ直ぐに垂直円で振り下ろすのに、身体は水平円に回転させる。
真っ向から剣の刃同士。互いに当たったと感じた時には、おれの刃はもう横手に貼り付いている。相手の剣、その横腹に食らい付く。
舞台用の剣だから、ここで百の力を出すと互いの小道具が壊れる。軽く払い落とすぐらいに留める。
本当なら、叩き落とした相手の剣の背を踏み台にして、その反発力で跳ねあげるんだけど、その力は今の手を抜いたやり方では生まれない。自分の腕力で強引に持ち上げる。これは下手くそなやり方だ。
でもいい。今は傷付いて、万全じゃない状態の黒騎士という演技だ。これぐらい下手くその方が、それっぽく見えるだろう。
おれは、剣をローティの胸板に軽く当ててから、思いっきり突き放すように振り抜く。
実戦なら床に着地する前に当てて、まともな受けを取らせはしないけれど、これは演劇だ。ローティの足裏が床に着いた直後を狙う。
空気が轟と唸って、風を巻く。
後方宙返り。いわゆるバク宙をしながら、ローティは、剣を食らって吹っ飛んだ。そのまま背中から落ちて、舞台袖まで一気に、二転三転しながら転がっていく。
あれ? 受け身をまともにとれてないぞ。首や背中を痛めるような、致命的な落ち方はしてないけれど、あれは痛い。演技のためにわざとか?
こういう立ち回りの演技は、受け手が本当に巧みだったら、掛け手が素人でも、達人っぽく見える。むしろ、受けの方こそ難しい技術が要求される。
ものすごい歓声が聞こえる。まだ演劇の途中なのに拍手が起きている。
おれは、しばらく場が落ち着くのと、音楽が止むのを待った。監督の演技始動では、合図があるまで構えを解くなだったし、そもそも相手がまだ動くかも知れないから、最後まで心を他所へ向けたりはしない。おれは、そう剣を習ってきた。
やがて、音楽が途切れた。合図だ。
黒騎士は膝をついた。
白百合姫が駆け寄ろうとする。
「来るな」
おれは片腕を伸ばして、手のひらを向ける。視線は向けない。
「城へ戻る」
「戻る?」
「戻って報告をする。白百合を斬った。だが谷へ落ちた。それで、おまえは安全になる」
黒騎士のおれは、ふらつきを抑えて立ち上がる。平気じゃないのに、平気だと嘘を言う。この嘘は、いつも言っている嘘だ。だから得意だ。
「問題はない。ここで待て」
「黒騎士様」
「必ず戻る」
そう言って、黒騎士は城へ向かう。
場面は短く切り替わる。
王城。
継母妃が玉座の前に立っている。王の証である短い杖。王笏を手にしている。
ハリスは、舞台の奥からゆっくり歩いてきた。その姿は、本当に嫌になるくらい継母妃だった。歩幅は大きくない。大声でもない。それなのに、存在感だけで注目を集めている。ハリスのことを誰よりもよく知っているハリエットが、ハリスに合わせて作った衣装だから、きっとそうなんだと思う。ゴーンズさんは、ものすごく笑っていたけれど。
それとハリスは、自分が何をすれば相手にどう映るかをよく分かっている。剣は上手くない。けれど、はったりが得意。それも、一つの戦い方なのだと思う。
「黒騎士。まさか、あなたが戻るとは」
「罪を返しに来た」
「罪?」
「白百合姫に着せた罪だ」
継母妃が笑う。
「愚かな騎士。あの姫に何を見たのです」
おれは、少しだけ森の方角を振り返る動きをする。
「命を大切に、愛する心を見た」
継母妃の顔が歪む。
「愚か者」
継母妃が王笏を翳す。最後の立ち回りだった。
ハリスの魔法は、狙いは正確だった。凍結針を連射してくる。おれに当たらないように、足元ぎりぎりの床へ、寸分違わず突き刺さっていく。この魔法は、手足に当たれば、死にはしないが怪我をする魔法だ。もしも急所に当たれば死ぬこともある。
この魔法の使用許可を得る為、先生達の前で、安全性を実演証明までした。
それだけじゃない。ハリスは安全を意識しながらも、自分が強く見える位置とか、角度、腕の伸ばし方にまで気を使っている。どうすれば悪役らしく見えるのか、どうすれば黒騎士が苦戦しているように見えるのか、ちゃんと考えている。
おれは継母妃の放つ最後の凍結針を、剣の腹で弾くように受ける。もう一度、踏み込む。衣装を突き破って、切っ先を突き込む。
ハリスは剣を脇に挟んでいるだけだ。でもドレスのたわみと仕込んだ血糊袋を貫いているので、本当に刺されたように見えている。
「お、の、れ……」
継母妃が倒れる。舞台上に、静けさが落ちた。
勝った。
そういう場面のはずだった。でも、終わらない。舞台の奥から、王国騎士達が現れる。
事情を知らない騎士達。彼らにとって、黒騎士は王城に忍び込み、継母妃を討った反逆者に他ならない。
「黒騎士、観念しろ!」
フェルトンの扮した白銀鎧の王国騎士の声が響く。別の騎士役達が、おれを囲む。
「王国に仇なす反逆者め!」
ここからが、黒騎士の最後だった。
反撃しない。
言い訳しない。
金属の音が響いた。
「白百合姫を、頼む」
黒騎士の最後の台詞。天を仰ぐ。
おれは、そう言った。
次の瞬間、騎士達の剣が重なる。照明が赤く落ちる。おれは膝をついた。そこから、ゆっくり倒れる。背中ではなく、横向きに。
騎士達は去る。入れ違いで、森で待っているはずの白百合姫が、城へ戻ってくる。
足音。はずむ息。
白い布が揺れる音。
「黒騎士様!」
白百合姫の声が聞こえた。
ミコトが近づいてくる。
ここからは最後の場面だ。
おれは動かない。黒騎士はもう死にかけている。動いてはいけない。分かっている。でも、胸の奥がうるさかった。
白百合姫が、黒騎士のそばに膝をついた。その頭を膝に乗せる。
照明が、ゆっくり落ちていく。
「誰も信じなくても、あなたは、わたくしの騎士です」
姫が黒騎士に別れを告げる。
「あなたのこと、忘れません」
嘆きの口付けをする。
それは照明を落とし、白百合姫の背中側で見せる。実際には触れない。寸前で止めて、重なる影だけで、そう見せる演出だ。
分かっている。演技だ。
これは、演技だ。
ミコトの顔が、ゆっくり近づいてくる。
おれは、目を閉じた。




