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緋鋼皇国物語Ⅰ 第一期 第一部 七聖学院編  作者: ふみの世界樹
第四章 やくそく

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第四十六話 背中


「先生!」


 ロイ様の大きな声が、夜の中にひびきました。


 わたくしは、びくっとしました。


 何が起きたのか、すぐには分かりませんでした。前を歩いていたロイ様が、急に大きな声を出したのです。誰かに呼ばれた声ではありません。何かを見つけた声でした。


 けれど、ヴァン様はすぐに止まりました。


 わたくしの手を引いて、テントの影へ寄せます。動きはしずかで、速くて、少しもまよいがありませんでした。


 ロイ様は、こちらを見ませんでした。


 ヴァン様にも、わたくしにも、目を向けませんでした。


 ただ、背中だけをこちらに向けていました。


 その背中が、言っているようでした。


 止まれ。


 隠れろ。


 あとは、僕がやる。


 その時になって、わたくしにも分かりました。


 ロイ様の前に、誰かがいます。


 先生です。


 たぶん、ジークハルト先生です。


 ロイ様の声は、先生を呼ぶ声であり、わたくし達への合図でもあったのです。


「あちらにダイア・ウルフがいるかも知れないので、確認に出ました」


 ロイ様の声が聞こえました。


「ダイア・ウルフだと?」


 低い声でした。


 やはり、ジークハルト先生です。


「はい。ウォールが、向こうで音がしたと言っていました。フェルトンも一緒に確認へ向かっています」


「なに?」


 ジークハルト先生の声が、少し変わりました。


「案内しろ」


「はい!」


 ロイ様は、すぐに答えました。


 そして、先生を連れて、わたくし達とは別の方へ歩いていきました。


 ロイ様の背中が、夜の中へ遠ざかっていきます。


 振り返りません。


 大丈夫とも、行けとも、言いません。


 でも、その背中は、ちゃんと言っていました。


 今のうちに行け。


 わたくしは、その背中を見つめていました。


 ロイ様とヴァン様は、何の打ち合わせもしていないはずです。それなのに、見つかった瞬間に、すぐに役目を分けました。ロイ様は先生を連れていく。ヴァン様はわたくしを連れて進む。


 言葉がなくても、分かり合える。


 まよわずに、動ける。まるで、マナ姉様と、マギ兄様みたいです。


 それが、少しだけ、うらやましいと思いました。


「行く」


 ヴァン様が言いました。


「はい」


 わたくしは、小さく答えました。


 けれど、すぐに分かりました。


 わたくしの足では、間に合いません。


 少しなら歩けます。でも、夜の森を、みなさまのところまで急いで進むことはできません。走ることなど、できるはずがありません。


 ヴァン様は、置いてある籠を見ました。


 わたくしも、籠を見ました。


 ここまで、ヴァン様とロイ様が運んでくださった籠です。わたくしのために作ってくださった、大切な籠です。でも、それは二人で持つ必要があるのに、ロイ様はいません。


 ここから先、それを持っていくのは無理なのだと分かりました。


「籠は置く」


 ヴァン様が言いました。


 わたくしは、少しだけ息をのみました。


 籠がなければ、わたくしは長く歩けません。


 でも、持ち手がいなければ、籠で先へ進めません。


 ヴァン様は、わたくしの前で少し身を低くしました。


「背負う」


「……え」


「その方が早い」


 わたくしは、すぐには返事ができませんでした。


 背負っていただく。


 それは、いちばん早い方法です。


 きっと、そうです。


 でも、少しだけ、はずかしいと思いました。


 わたくしは、女の子です。


 男の子の背中にしがみつくなんて、そんなことをしてよいのでしょうか。ヴァン様は、護衛でも、侍女でも、騎士でもありません。わたくしと二つしか違わない、男の子です。


 ヴァン様は、急かしませんでした。


 ただ、しずかに言いました。


「レオナが決めて」


 わたくしは、はっとしました。


 わたくしが、決める。


 そうでした。


 わたくしが、行きたいと言ったのです。


 湖へ行きたい。白く光る湖を見たい。


 みなさまと一緒にいたい。


 そう思ったのは、わたくしです。


 ミコト様が、他のみんなが、湖で待っているはずです。


 なら、わたくしが決めてよいのです。


 こんな当たり前のことを、わたくしは少しだけ忘れていました。


「お願いします」


 わたくしは、そう言いました。


 声は小さかったけれど、ちゃんと言えました。


 ヴァン様は、うなずきました。


「腕、首に」


「はい」


「苦しくしないで」


「はい」


 わたくしは、ヴァン様の背中におぶさりました。


 腕を首に回します。


 落ちないように、しっかりつかまります。


 少し、はずかしいです。


 でも、それよりも、落ちてはいけないと思いました。わたくしが落ちれば、ヴァン様の足を止めてしまいます。みなさまの作戦を、だいなしにしてしまいます。


「行く」


「はい」


 ヴァン様は走り出しました。


 夜の森が、流れていきました。


 わたくしは、今まで走ったことがありません。


 少なくとも、自分の足で、風を切るほど速く走ったことはありません。馬に乗ったこともありません。馬車には乗ったことがあります。もっと速い皇國鉄道(ライヒスバーン)にも、何度も乗ったことがあります。


 けれど、これは違いました。


 馬車とも、皇國鉄道とも、ぜんぜん違いました。


 わたくしは、しっかりつかまっていなければなりません。手をはなせば、落ちてしまいます。体をかたむけすぎれば、ヴァン様のじゃまになります。


 足もとから、土をける音がしました。


 枝が近くをかすめました。


 夜の風が、ほほに当たりました。


 これは、運ばれているだけではありませんでした。


 自分の足ではないのに、自分も一緒に走っているみたいでした。


 こわいです。


 でも、胸がどきどきします。


 少しだけ、楽しいです。


 ヴァン様は、まよいませんでした。


 まっくらな森の中なのに、どちらへ進めばいいのか、分かっているみたいでした。


 木の根元に、小さな光が見えました。


 夜光苔です。


 ハリエット様が置いてくださった目印でした。


 一つ。


 また一つ。


 岩のそばに一つ。


 曲がるところに一つ。


 小さな光です。強い光ではありません。でも、その光があるだけで、森の夜道は、ただの暗やみではなくなりました。


 ハリエット様が、ここにいる。


 そう思えました。


 ハリエット様は、この場にはいません。でも、あの方が置いてくださった光が、わたくし達をみちびいてくれています。


 こっちです。


 まよわなくていいです。


 そう言ってくれているようでした。


 わたくしは、少し安心しました。


 道は少しずつ登り坂へと変わっていきます。


 ヴァン様の背中に、もう少し強くつかまりました。


 ヴァン様の背中は、大きかったです。


 わたくしと二つしか違わない、子供の背中です。大人の騎士の背中ではありません。ドルガンみたいな、くまのように大きな背中でもありません。


 それなのに、とても大きく感じました。


 とても、たよりになる背中でした。


 背中。


 わたくしは、いくつかの背中を思い出しました。


 お父様の背中も、大きかったです。


 先代皇帝であったお父様。


 戦場へ行き、そのまま帰って来なかった方。


 わたくしの中にあるお父様は、いつも少し遠くにいました。近くにいるのに、遠い背中でした。


 わたくしが生まれてすぐ、母様は亡くなりました。


 だから、お父様にとって、わたくしは母様をうばった子だったのかもしれません。生まれて来てはいけなかった子だったのかもしれません。


 そう言われたわけではありません。


 でも、小さいわたくしにも、分かりました。


 抱き上げられることが、あまりなかったこと。


 名前を呼ぶ声が、いつも少しかたかったこと。


 わたくしを見る目が、わたくしではない誰かを見ているようだったこと。


 そして、すぐに背中を向けてしまうこと。


 お父様の背中は、大きかったです。


 でも、遠かったです。


 ヴァン様の足が、地面を強く蹴りました。


 わたくしの腕に、少し力が入りました。

 

 それから、ヴェナリスお兄様。


 今の皇帝であるお兄様。


 すごく年のはなれたお兄様は、わたくしが病気だと聞いて、一度だけ見舞いに来ました。


 大きな部屋でした。


 とても静かでした。


 侍医達は、みんな下を向いていました。


 寝台の上から見上げたお兄様の目は、冷たかったです。


 不治の病だと知った時、お兄様は言いました。


『弱者は皇族に不要だ』


 その言葉を、わたくしは覚えています。


 お兄様は、その時、わたくしへの興味をなくしました。


 そして、背中を向けました。


 遠ざかっていく背中。


 あれは、わたくしの家族ではありません。


 わたくしは、そう思ってしまいました。

 

 でも、わたくしには家族がいます。


 お爺様がいます。


 お爺様は、わたくしの無理を聞いてくださいました。学院に通わせてくださいました。ドルガンとチャミーをつけて、わたくしが少しでも安全に過ごせるようにしてくださいました。


 そのおかげで、わたくしは学院に来られました。


 みなさまに会えました。


 こうして、林間学校にも来られました。


 ヴァン様。


 ミコト様。


 ハリエット様。


 ハリス様。


 オーレリア様。


 ロイ様。


 それから、わたくしの騎士になると言ってくださったローティ様。


 ルナさんもいます。


 みなさまと、おそろいのマスコットを持っています。


 小さなものです。


 でも、とても大切なものです。


 あれを見た時、わたくしは、とてもうれしかったです。とても楽しかったです。


 わたくしは、ただ守られているだけの病人ではなくて、みなさまの輪の中に入れてもらえたのだと思いました。


 でも。


 大公領主として、城の執務室に、一人で座っているお爺様の背中は、いつもさみしそうでした。


 苦しそうでした。


 お爺様は、わたくしにやさしいです。


 でも、そのやさしさの奥に、痛みがあることも分かります。わたくしのことで、思いなやませているのだと分かります。


 助けたい。


 でも、助けられない。


 その苦しみを、お爺様はずっと背負ってくださっています。


 わたくしは、それがうれしくて。


 そして、つらいです。


 マナ姉様とマギ兄様も、そうです。


 お二人は、ぜったいにわたくしの治療法を見つけると言ってくださいました。


 本に向かうマナ姉様の背中。


 研究に没頭するマギ兄様の背中。

 

 わたくしのために、がんばってくださっています。


 やさしいお二人です。


 わたくしは、お二人が大好きです。


 大好きな家族です。


 でも、あの二人の人生を、わたくしのために使わせたくはありません。


 わたくしが病気でなければ、あの二人は、もっと自由にふるまえるはずです。


 もっと好きなことをして。


 もっと遠くへ行って。


 もっと笑っていられるはずです。


 わたくしの命は、たくさんの人の背中に乗っています。


 お爺様の背中。


 マナ姉様とマギ兄様の背中。


 ドルガンの背中。


 チャミーの背中。


 そして今、ヴァン様の背中。


 どうして、わたくしは、こんなに重いのでしょう。


 こんなに軽い体なのに。


 わたくしは、みんなにとって、おもりでしかない。


 そう思ったら、目の奥が熱くなりました。


 夜の風が、ほほに当たります。


 小川の上流、水のせせらぎも聞こえます。


 その瞬間、ヴァン様の背中が、ほんの少し沈みました。

 

 走り方が変わります。

 

 わたくしを落とさないように、支え直したのだと分かりました。


「力、抜けてる」


 ヴァン様の声がしました。


「すみません。大丈夫です」


「泣いてる」


 わたくし、泣いていたようです。


「いえ、大丈夫です」


 そう答えました。


 でも、ヴァン様はしばらく何も言いませんでした。


 ぜったい大丈夫じゃないって、ばれている気がします。


「そうか」


 でも、ヴァン様は、そう言ってくれました。


 それから、少し間がありました。


 じっと何か考えているようでした。


 ぽつりと、ヴァン様は言いました。


「くまの騎士」


 わたくしは、瞬きをしました。


「チャミー」


 ヴァン様は、前を向いたまま言いました。


「マギ、マナ」


 夜光苔の光が、また一つ、また一つと、足もとを過ぎていきます。


「ミコト、ハリエット、オーレリア、ハリス、ロイ、ローティ」


 ひとり、ひとり、その人たちの顔が、思い浮かびます。


「ルナも」


 ヴァン様の言葉は、いつも短いです。


「レオナは、大丈夫」


 本当に短いです。でも。


「みんなが、いる」


 でも、なぜか、とても胸の奥に届きました。


 わたくしは、ヴァン様の肩に、もう少し強くつかまりました。


「ヴァン様もいます」


 ヴァン様は、少しだけ黙りました。


「そうか。おれも、いた」


「はい、ヴァン様もいました」


「ヴァンでいい」


「そうなのですか?」


 その時でした。


 ヴァン様の足が、大きな石を踏みました。


 その石がゆれ、足場が大きく崩れました。


「しくった」


 ヴァン様の声が、いつもより少し近く聞こえました。


 体が、ふわりと浮きました。


 地面が消えました。


 夜の森も、夜光苔の光も、ヴァン様の背中も、月の光も、ぜんぶ一度にひっくり返りました。


 わたくし達は、崖の外へ投げ出されていました。


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