第四十四話 料理と推理
大事件が起きた。
こう言うと、またもやマリアンナは大げさだ、なんて言われるかもしれないけれど、今回ばかりは本当に大事件なんだから仕方ないよね。廊下で誰かが転んだとか、ぷーちゃんの尻尾にリボンが結ばれていたとか、そういう日常の小さな事件とは格が違う。森から運ばれてきたそれを見た瞬間、あたしは思わず取材帳を開いてしまったのだ。だって、そこにあったのは、どう見ても普通のイノシシではなかったのだから。あたし達の班が目撃した時は、遠くからだったけれど、こんな近くで見たなら、感じる事は、たった一つだけ。
まず、大きい。
とにかく大きい。
農耕馬くらい、と言えば伝わるかな。けれど馬みたいにすらりとしているわけじゃなくって、農耕馬も常用馬よりは、ずんぐりしているけれど、こいつはそれ以上。それに、皮も分厚くって、皮下脂肪はダイエットなんて無縁って感じで、毛もブラッシングなんて絶対に受け付けませんってぐらいに硬そうで、牙は刺さるとスゴく痛そうな角度で曲がっていて、鼻先には乾いた泥とか土がこびりついていて、何より血と獣の匂いがヒドい。あれを見て「まあ、かわいい野生動物ですね」なんて言える人がいたら、その人はたぶん、目か鼻か危機感のどれかが少し足りないか、動物愛が多過ぎる人ね。でも待って。
そこで、あたしは考えた。そもそも、これは普通の動物の範疇じゃない。魔物って呼ばれてるわよね。たぶん、生物学的に見れば、動物で間違いない。足がある。鼻がある。牙がある。毛がある。肉もある。空に浮かぶ悪霊でもなければ、古い本から出てきた呪いのオバケでもない。人語を使う使い魔とも、呪文を使ったり超常能力を宿した魔獣の類とも違う。食べられるかどうかは別として、少なくとも生き物としては動物の形をしている。
けれど、普通の動物ではない。確かダイアが頭に付く動物達は、古代種と呼ばれてる。ダイア・ラット、ダイア・ウルフ、ダイア・ベア、ダイア・イーグル、色々なダイア・モンスター。これはダイア・ボアで、太古の昔から生き続けている大型のイノシシ。つまり、動物ではあるけれど、今の森にいる普通のイノシシとは大きさも力も危険度もまるで違う。人の知っている獣の枠から、ずいぶんはみ出してしまっている。
だから、魔物。なるほど。これは記事になるかも?
それからジークハルト先生が「成体にしては小さい」と言っていたので、あたしはさらに考えた。つまり、これは子供である。ダイア・ボアの子供。言い換えれば、ダイア・うりぼう。
……だいあ・うりぼー。
あーん、音だけ聞くと、ちょっとかわいい!
でも実物はまったくかわいくない。大きいし、重いし、血の匂いはするし、あの牙で突っ込まれたら、あたしなら間違いなく飛ぶ。だから記事の見出しに「ダイア・うりぼう現る!」と書くのは、読者の印象を間違った方向へ誘導してしまう危険がある。記者たるもの、かわいさに負けてはいけないのだ。……でも、欄外には書いておく。ダイア・うりぼう。ちょっと惜しい。
そのダイア・うりぼうを狩ってきた四人は、つばめお姉様の診察と叱咤を受けていた。あれは、一部の男子にとっては、ちょっとしたご褒美。あたしも、大きくなったら、つばめお姉様みたいに、せくすぃになりたい。
「勝手に無茶して、もう……」
ローティ君は脇腹のあたりを押さえていて、服も裂けていて、血も滲んでいたのに、本人はなぜかちょっと得意げだった。
「これくらい、大丈夫っす」
「大丈夫かどうかは、あなたが決めることじゃありません」
「はい」
返事だけは素直だった。でも顔はちっとも素直ではなかったので、あたしは取材帳に「ローティ君、負傷。反省は浅い」と書いておいた。これはそのまま記事にはしないけれど。ロイ君は腕に打撲と大きな擦り傷があって、ヴァン君は背中を打って、あちこち擦り傷だらけらしい。ハリス君は慣れない武器を使って、手首を少し捻ったみたいだ。
本当に四人だけで狩ったのかしら。
疑うのは悪いことではない。むしろ記者として当然である。だって、四人の下級生が森で巨大な魔物に遭遇して、それを罠にかけて狩って帰ってきたなんて、あまりに記事になりすぎる。記事になりすぎる出来事は、少し疑った方がいい。たとえば、事前に準備されていた可能性。
ローティ君は、騎士を夢見ているという話を聞いたことがある。しかも、レオナ様の前で宣言しちゃったとか何とか。だからなのか、レオナ様を運ぶための籠まで用意してたし、ヴァン君と二人でお姫様を運んでた。うん、これは騎士っぽい。かなり騎士っぽい。もし、ローティ君がこのまま本当にレオナ様の騎士になろうとしているのなら、武勇伝の一つや二つ、欲しくなるかもしれない。
まさか、自作自演?
……と、そこまで考えたところで、あたしは自分の取材帳の中でその仮説に半分線を引いた。さすがに危険すぎる。ダイア・ボアを用意するなんて、普通の生徒にできることではないし、仮にできたとしても命がけにもほどがある。いくら武勇伝が欲しくても、自分が武勇伝の前に死んでしまったら意味がない。実際、ローティ君の怪我は脇腹だ。ちょっとでも間違えたら心臓を一突きの距離。これは危ない。本当に危なかったはず。
それなら、別の可能性。
レオナ様の親衛騎士や護衛達が、実は倒したのではないか。今この場では姿が目立たない。普段ならレオナ様の近くにいるはずの人達が、少し距離を置いているようにも見える。だとしたら、本当は彼らが倒した魔物を、ローティ君の手柄にした? 騎士として内定が出ている? あるいはヴァン君も関わっている? だってヴァン君は、あのヴァルク特別講師、有名な騎士ヴァルクの弟なのだ。まさか、そういう裏の繋がりがある?
うーん、これは怪しいわね。信憑性が少しだけある。でもでも、まだちょこっと証拠が足りないわね。いいえ、決定的証拠がなきゃダメ。だったら憶測だけで考えちゃダメよ、アンナ。あたし、マリアンナ・エメスフルは、公正なる記者を目指すんだから、冤罪記事はダメ。
でも本当なら、騎士団の不正を暴いた若き天才記者マリアンナとして、有名になれるのに。あーん、もどかしい!
そんなふうにあたしが取材帳の端に疑問符を増やしていると、ハリエットちゃんが走ってきた。
「ハリス!」
そして、そのままハリス君に抱きついた。ハリス君は少しだけ目を見開いたけれど、払いのけることはしなかった。ハリエットちゃんの声は震えていて、あれは演技ではない、とあたしは思った。少なくとも、最初から知っていた人の反応には見えない。
「良かった……無事で、本当に良かった……」
「姉さん、大丈夫です。大きな怪我はありません」
「それでも、危ないことに変わりはないでしょう」
「それは、そうですが」
ハリス君が言葉に詰まったのを見て、あたしは、仮説の頁を破って捨てた。ハリエットちゃんは知らなかった。たぶん、本当に心配していた。ということは、少なくともこの事件を女子達まで巻き込んで仕組んでいた可能性はかなり下がる。するとやっぱり、あたしのマル秘情報によれば、隠れシスコンで、実はお姉ちゃんが大好きスキスキの、あのハリス君に限って、お姉ちゃんに嘘や隠し事してまで、不正に加担するとは思えない。ないわね。この線はない。二人はジークハルト先生の所へ報告に行った。
次に、オーレリアちゃん。彼女はロイ君の前に立って、頬を膨らませていた。リスか、ハムスターかな?
「ロイ、ちょっと怒っているのよぅ」
「心配させて、悪かった」
「違うのよぅ」
「違うのか?」
「どうしてそんな面白そうな場面を、私に見せなかったのよぅ!」
ロイ君は黙った。つばめお姉様も一瞬だけ黙った。あたしも黙った。そしてオーレリアちゃんは、すぐに手帳を開いて、ロイ君の擦り傷と服の汚れと、たぶん本人が思い出したくないであろう戦闘経緯まで根こそぎ記録しようとしていた。うん、やっぱり、オーレリアちゃんだ。この子、あたしの助手に欲しいわ。
「さあ、怪我の具合を見せてなのよぅ。それから経緯も聞かせて。どこで見つけて、どう追って、どの場所に罠を作って、誰がどこに立って、何をどうしたのか、全部必要なのよぅ」
「全部か?」
「それはそうなのよぅ。でも治療も大事なのよぅ」
この反応も、知らなかった人の反応である。もし最初から仕組まれていたなら、オーレリアちゃんが見逃すはずがない。少なくとも、見逃したことをここまで悔しがるはずがない。というわけで、ダイア・ボア討伐そのものは偶発事件。ここはかなり確度が高くなった。
でも、それで全部が片付いたわけではない。むしろ、問題はそこからなのだ。事件が偶然でも、四人の連携まで偶然とは限らない。この手際の良さは、別の何かに向けて前から結託していた証拠かもしれない。最初からダイア・ボアがいると聞いて、事前に訓練していた可能性はある。
あたしの中で、例の秘密計画説はまだ生きている。
「僕のところに来ていれば、魔法で倒していたさ」
その少し離れたところで、フェルトン君が腕を組んでいた。いつもの負け惜しみか、肥大した自我の成れの果てね。同じ大貴族家でも、憧れの先輩、ミシェル様とは大違い。フェルトン、一緒の班になったから分かる。あれは、あたしの嫌いなタイプの貴族。でも、だからこそ記事にする時は公正に。嫌いだからって、陥れるような捏造記事なんて絶対にしない。それに何より、あのタイプの人は、勝手に没落すると読んでいる。っていうか、落ちぶれちゃえ。
「あなた、戦える魔法なんてないでしょう」
イネヴェアちゃんが、ぴしゃりと言い放った。いいぞ、もっとやれ。あんな上級生を屁とも思ってないような、とことん失礼なボンボンは、ちょっと分からせてやればいいの。
「い、いや、今はないだけで」
「今お持ちでないなら、今は無理ですわね」
「将来的には」
「将来の話を今しても、あれを狩ることはできませんわ」
強い。あのイネヴェアちゃん、相変わらず容赦がない。くふふ、いい気味だわ。けれど、彼女はそこで少しだけ視線を落とした。クリスちゃんはまだ顔色が悪くて、アディちゃんが隣についている。さっきまできつい言葉を投げていたイネヴェアちゃんは、小さく息を吸ってから、四人の方を見た。
「……クリスの仇を討ってくれて、ありがとう」
声は小さかったけれど、ちゃんと聞こえた。これは貴重な場面かも。ローティ君が、すかさず胸を張る。
「いやぁ、それほどでも」
「二人とも。クリス、まだ死んでないから!」
アディちゃんが叫んで、クリスちゃんが弱々しく片手を上げる。腰が抜けただけで、外傷は一つも無いはずなのに、戦って来た四人よりも死にそうになってるのは、なぜ?
「生きてまーす……」
その様子に野営地の空気が、少しだけゆるんだ。笑う子もいたし、ほっと息を吐く子もいた。あたしも思わず口元がゆるみかけたけれど、そこで気づいてしまった。あのイネヴェアって子、あんなに皆と打ち解けてたっけ?
前はもっと距離があって、冷静で、他人を寄せつけない感じだったような気がする。それが今は、フェルトン君を容赦なく切り捨て、クリスちゃんの無事を気にして、アディちゃんの突っ込みに少しだけ目を逸らしている。意外とかわいいわね。
林間学校というものは、人間関係を変えるのかもしれない。これは記事になるかも?
でも書いたら本人に怒られそうだから、今は保留。記者には勇気も必要だけれど、怒られる予感を嗅ぎ分ける生存本能も必要なのだ。前にその嗅ぎ分けに失敗して、校長先生の男性教師選びはルックス基準って書いたら、えらく怒られたっけ。
ミコトちゃんとレオナ様は、黒ネコちゃんを連れてヴァン君のところへ行った。ん、黒ネコちゃん? 小さな黒ネコが林間学校にいる時点でかなり記事向きなのだけれど、これはまだ書いてはいけない気がするので、あたしの取材帳の内側にだけ挟んでおく。ネコちゃんの安全を脅かすかも知れない記事は、例え真実であっても、書いてはいけないのだ。公正さはどこ行ったとか、今は聞こえないわ。
黒ネコちゃんはヴァン君に近づくと、鼻をひくひくさせた。血の匂い、土の匂い、獣の匂い。あたしにも分かるくらいだから、猫にはもっと強く分かるのだろう。黒ネコちゃんは、ぶるるっと身震いした。
「ルナ、大丈夫ですか」
ミコトちゃんが心配そうに言うと、ヴァン君は自分の袖を少し見た。そっか、ルナちゃんって名前か。これはメモメモ。
「血の匂いがする」
「怖いのでしょうか」
「たぶん、初めてだから」
レオナ様はルナちゃんを見つめて、少し静かな声で言った。
「ルナさんも、怖いものは怖いのですね。でも、珍しいものは、珍しい」
「猫だからな」
ヴァン君は当然のように答えたけれど、その当然が少し優しく聞こえたのは、たぶんあたしだけではない。ミシェル様に恋してなかったら、年下との結婚もいいかも、なんて思えちゃう。その時、ハリス君がヴァン君に近づいた。
「身体に支障はありませんね?」
「おれは大丈夫だ。ただ、ローティは脇腹をやられてる。無理させない方がいい」
「同感です」
「ロイと交代させよう」
「予定を変えますか」
「その方がいい」
予定。交代。待って。
今、予定って言った?
ただの夕食の手伝いなら、そんなに声を落とす必要はないはずだし、ローティ君の怪我がひどいならロイ君と交代する、というのも、妙に話が早い。何か先生に頼まれた力仕事の話かもしれない。けれど、それにしては二人の表情がやけに固い。
うーん、今のは怪しいわね。
でもでも全っ然、証拠が足りない。これだけで「下級生達、夜に秘密計画を決行!」なんて見出しを打ったら、あたしの記者生命が始まる前に終わってしまう。うあーん、さっきからもどかし過ぎる!
そうこうしていると、フェルトン君がまた言った。
「まあ、僕がいれば、もっと華麗に片付けていた可能性はあるけどね」
「それなら、フェルトン」
低い声がした。ジークハルト先生だった。フェルトン君の肩が跳ねた。
「貴様が罰を受けることになっていたぞ」
「え」
「戦える魔法もなく、勝手に魔物へ向かったのならな」
「い、いや、それは……」
フェルトン君が小さくなったところで、ジークハルト先生は改めて四人を見た。あたしには、その場の空気がすっと締まるのが分かった。先生が本気で話す時は、周りの子達も自然に黙る。その傍らには、ハリス君がいた。もう報告を終えた?
「詳しい経緯は見せて貰った。本来なら、即座に報告すべきだった。危険を確認した時点で、教師へ知らせる。それが基本だ。勝手な追跡、勝手な交戦は許されない」
四人は黙っていた。ローティ君も、今度は口を挟まなかった。見させて貰った……っていうことは、先生が記憶共有の魔法で記憶を確認した?
「だが、野営地に向かっていた危険を見過ごせなかったこと。限られた人数で状況を判断し、罠を作り、結果として被害を広げなかったこと。その緊急判断と結果については、認める」
ジークハルト先生の声が、少しだけ変わった。
「そして何より、皆を護るために動いた。その意気込みは、教えて教えられるものではない。今回ばかりは、誇りに思うぞ」
これは、必ず記事に使う。叱った後で褒める。しかも、ただの結果ではなく、皆を護ろうとした意気込みを褒める。これは良い。とても良い。先生の言葉として強いし、読者も絶対に読む。ジークハルト先生は厳しいけど、こういう所は良いよね。義侠心?
そういう良い雰囲気なのに、その直後にエア・クラッシャーのローティ君が、おずおずと手を上げた。
「じゃあ、罰はなしで?」
「それでも罰は与える」
即答だった。ほら、やっぱり。こういう所はイヤ!
「ボアの解体をやれ。力仕事だぞ。自分達で狩ったものだ。自分達で処理しろ」
ローティ君の肩が落ちたけれど、それは罰というほどの罰でもなかった。少なくとも、周りの生徒達はそう受け取った。肉が増える。夕食が豪勢になる。魔物って食べられるのか。ホワイト・シチューに入るのか。声があちこちから上がって、大事件の緊張感はあっという間に夕食への期待とワクワクに変わっていった。
*
夕食の支度が始まると、野営地全体が一つの大きな料理場みたいになった。木の実を選ぶ子、キノコを茹でる子、山菜を洗ってサラダにする子、川魚に塩を振る子、芋を潰してパンの生地に混ぜる子、大きな鍋でボア肉のホワイト・シチューを作る子。誰かが上手にやって、誰かが失敗する。そういう細かいところこそ、記事の味になる。
ハリエットちゃんは山菜の選別が上手かった。フェルトン君は性懲りもなく、自信満々にキノコを鍋へ入れようとして、三度止められた。イネヴェアちゃんは水の扱いが丁寧で、茹で加減も正確だった。紅茶の淹れ方と通じるものがあるのかも知れない。アディちゃんはなぜか虫も食材候補に入れようとして、周囲をざわつかせた。エルフの食文化、恐るべし。クリスちゃんはまだ休んでいたけれど、アディちゃんに「それは入れない方がいい。刺激が強すぎる」と弱々しく助言していた。
ロイ君は重い鍋を運び、オーレリアちゃんは肉の切り方や火の強さや鍋の位置まで記録しようとしていた。ヴァン君は刃物の扱いが妙に慣れていて、ミコトちゃんは湯気で眼鏡を曇らせながらも一生懸命手伝っていた。レオナ様は座ったまま木の実を選び、危ない作業には近づかないけれど、黒ネコちゃんを抱っこしながら、ちゃんと皆と同じ料理の輪の中にいた。こんな光景、レオナ様が入学して以来、初めてかも。
そこが、少し胸に残った。レオナ様は、見ているだけではなかった。一般生徒と同じように参加していた。これは記事になるかもしれない。でも、記事にしていいかどうかは少し迷う。皇妹殿下の私的な時間でもあるし、本人の小さな表情まで書くのは、ちょっと違う気がする。記者って難しい。書きたいことほど、書いていいか悩むのだ。特に皇家の者を記事にしたら、それだけで不敬罪とか言われるかも知れない。
その時、ミコトちゃんがレオナ様に顔を寄せて、何かを耳打ちした。レオナ様はほんの少し目を丸くして、それから小さく笑った。あたしは見逃さなかった。あたしは、レオナ様から離れた隙を狙って、ミコトちゃん目掛けて駆け寄った。
「ねえねえ、今のは何?」
すぐに尋ねると、ミコトちゃんはこちらを見て、少し困ったように笑った。
「ひみつです」
ひみつ。
その言葉は、記者にとって挑戦状に近い。決闘状と言っても過言ではない。
「それって、恋愛相談に関係する何か?」
「詳しくは言えませんが……」
「レオナ様も恋愛相談するってことね。相談内容は誰にも明かさないってことよね。あ、大丈夫よ。記者として、その辺はちゃんとわきまえてるから」
「……あ。……は、はい。それは、もちろんです」
なるほど。つまり、信用できる。アーノウズの巫女であると広めたのは、このあたし自身だし、そろそろこの辺で、ちゃんと検証も必要よね。あたしは取材帳を閉じた。これは記事ではない。私用である。
「じゃあ、あたしの恋愛占いもしてよ」
ミコトちゃんが瞬きをした。
「恋愛占い、ですか」
「そう。ある方との未来。今回のために、あれこれ準備したの。話すことも考えたし、見せたい記事の案もあった。でも、その方は林間学校に参加されてなくて。このままじゃ、卒業までに両想いになれないかもしれない」
言ってから、ちょっと言いすぎたかもしれないと思った。でもミコトちゃんは笑わなかった。茶化しもしなかった。真面目に聞いて、それから少しだけ考えるように視線を下げて、目を閉じ、それから静かに開いて、あたしを見た。眼鏡がキラリと光って、なんかちょっとコワい。
「その方は、マリアンナさんにとって、とても眩しい方なんですね」
あたしは息を止めた。そう。眩しい。
「それに、とてもとても遠くにいると感じていますね。自分じゃ釣り合わないとも」
あたしは心臓が飛び出るかと思った。
その通りだった。ミシェル様は、あたしにとって眩しい方だ。容姿と性格、今年で卒業してしまう憧れの先輩。そして、遠いお方。九大貴族の筆頭、皇家に次ぐ名門中の名門大貴族、シルヴァード家の跡取り候補。雲の上の存在。でも、あたしは名前を言っていない。シルヴァード家のことも言っていない。それなのに、ミコトちゃんはそこに触れて来た。これ、やっぱり本物よね。自分で記事にしておいてなんだけど、本物よね。
「あの、あたしに脈は、ありますか?」
ごくり、つばを呑み込む音が聞こえた。結果を聞くのは少しコワい。全然ダメとか言われたらどうしよう。ミコトちゃんが笑った。
「大丈夫です。今のまま、マリアンナさんが自分の道を大事にしながら進むなら、可能性はかなり高いと思います」
「本当?」
「はい。無理に近づこうとするより、自分が何を見て、何を伝えたいのかを大切にした方がいいと思います。その方は、きっと、そういうところを見てくれる人です」
うん、決めた。今日からアーノウズ様も信仰しよう。あたしの言っていないことまで当てた。しかも、希望がある。新聞記者の道も、恋の道も、両立できる。ミコトちゃんがそう言うなら、あたしは信じる。かなり信じる。信じたい。
この件については記事にしない。絶対にしない。あたしの取材帳の、かなり内側に挟んでおく。ちょっと待って、なんか重要なことを忘れているような……。
*
やがて、キャンプ・ファイヤーに火が入った。
盛り合わせた木の実、ボイルしたキノコ、山菜のサラダ、川魚の塩焼き、芋パン、そしてボア肉のホワイト・シチュー。飲み物は天然の炭酸水で、これも現地調達したらしい。そこへ各自で果汁を絞る。甘い果物を入れる子、酸っぱい果物を入れて顔をしかめる子、混ぜすぎて変な味にする子。フェルトン君は酸っぱい果汁を入れすぎて涙目になり、イネヴェアちゃんに「自業自得です」と言われていた。アディちゃんはクリスちゃんの分まで果汁を絞ろうとして、入れすぎだと止められていた。
レオナ様は、皆と同じホワイト・シチューを食べた。
「……あたたかい味がします」
その一言で、周りが少し静かになった。あたしは、その言葉だけを取材帳に書いた。丸はつけなかった。大事な言葉ほど、すぐに記事へ使ってはいけない気がしたからだ。
食事の後は、皆で歌った。
誰かが手を叩き、誰かが調子外れに歌い、誰かが笑った。キャンプ・ファイヤーの火が揺れる中、少しずつ輪ができて、踊る子も出てきた。ロイ君は踊らなかったし、ヴァン君も踊らなかった。そこは予想通り。でも、ローティ君なら混ざると思っていた。あの子は、こういう場で黙って座っていられる子ではない。歌う。騒ぐ。武勇伝を話す。怪我をしていても、ちょっとくらいなら動きたがるはずだ。
ところが、姿がない。ハリス君もいない。
あたしはロイ君のところへ行った。
「ハリス君と、ローティ君はどうしたの?」
ロイ君は火の方を見たまま答えた。
「ローティの怪我が痛むというから、先に休んでいる。ハリスは付き添いだ」
「そう」
あたしは頷いた。でも、取材帳の中では頷かなかった。
変だ。
あのローティ君が、その程度の痛みで、歌って踊って、こんな楽しい時間をすっぽかす道理がない。しかもハリス君まで一緒に消えている。怪しい。ものすごく怪しい。状況証拠は、どんどん積み重なっていく。疑惑と疑念は、どんどん強まっていく。
その少し後、レオナ様を迎えに来たチャミーさんが現れた。そろそろ休ませる時間なのだろう。すると、オーレリアちゃんがチャミーさんに近づいて、何かを渡した。紙束のようにも、折り畳んだ記録のようにも見えた。
あたしは、もちろん見逃さない。駆け寄って、すぐに取材する。
「今のは何?」
オーレリアちゃんは、いつもの調子で答えた。
「今日一日のレオナ様の記録よぅ」
「記録?」
「そうなのよぅ。何を見て、何を食べて、どんな顔をしていたか。チャミーさんに渡しているのよぅ」
オーレリアちゃんが記録魔なのは知っている。それはもう、よく知っている。でも、それは専属メイドのチャミーさんが欲しがるような情報なのだろうか。体調のことなら、つばめお姉様の方が把握していそうだし、今日の思い出なら、レオナ様本人の口から聞けばいい。
なのに、オーレリアちゃんが記録を渡す。しかも、このタイミングで。うーん、今のも怪しいわね。なに? この子達は何を企んでるの? もしかすると、水晶湖も関係するのかも知れない。ハリス君が前に舟で何か調べていた。ここから距離も、そこまで遠くはない。でも、林間学校は今夜で終わる。行くなら今夜。でも、夜に行って何をするの?
うーん、分からない。それに少し眠くなってきた。けれど、こういう時に眠ってしまう記者は、大事件を取り逃がすのだ。
その後、つばめお姉様が横笛を取り出した。和之国の笛だと、誰かが言った。クィジル教頭先生が、オカリナで伴奏した。エルフ族の笛だと、誰かが言った。
二人の細くて静かな音が、夜の森へ伸びていく。さっきまで騒いでいた皆が、少しずつ黙った。火が鳴り、水の気配が遠くにあり、風が枝を揺らす中で、つばめお姉様の笛と、教頭先生のオカリナの音は、ばか騒ぎを打ち消すのではなく、騒ぎの後に残った余韻を、そっと拾い集めて、束ねて、みんなの心にそっと置いてあげる感じがした。
あたしは、残っていた木の実を一つ口に放り込むと、取材帳を閉じた。今日の料理と推理は、これで終わり。
けれど、記者の勘が告げている。
恐らく今夜、何かが起きる。




