閑話休題2 第三話 職員会議
「これより、七聖学院職員会議を始める」
教頭クィジル・ロバートが、議事録用の紙束を前にして宣言した。校長アンディアナは、扇子を閉じてうなずく。集まった教師達は、皆が押し黙っている。
会議卓には、旧塔事案に関する報告書が並べられていた。
禁書の調査記録。
医務室の診断記録。
関係生徒への処分記録。
そして、オーレリア・キルシュの提出した記録写し。
微妙に長い耳を持つハーフエルフの教頭は、それらを一度見渡してから、最初の議題を告げた。
「まずは、旧塔事案の経過報告から確認します。アルフォンス先生」
「はい」
アルフォンスは、いつも通り静かに答えた。
「禁書『ハンナの日記』は、既に脅威と見做される魔力や呪詛は探知できず。今後は、悪影響を及ぼす心配はありません。また、禁書それ自体は、今後の研究に用いる為、白磁の塔へと送付しました」
「送付時の異常は?」
「ありません。封印状態も安定しています」
「結構です」
クィジルは短くうなずき、次に視線を移した。
「つばめ先生」
「はい」
つばめは、医務室からの診断記録を手にしたまま、穏やかに報告した。
「関係した生徒は全員、その後の健康に問題なし。後遺症の恐れもありません。一時的な呼吸困難、軽い打撲、精神的な疲労は見られましたが、現在は授業復帰に支障ありません」
「ミコト・サトーも同様ですか?」
「はい。言語や環境への負担はありますが、旧塔事案による身体的後遺症はありません」
「分かりました」
クィジルは書類に短く記入した。
「ジークハルト先生。処分状況を」
ジークハルトは腕を組んだまま、低い声で答えた。
「首謀者のヴァン・ラドーレ、及び立案者のハリス・ヤクトブレオ、当該二名は既に罰則を終了。反省文の提出も終了。それと、提案書も」
クィジルの手が止まった。
「提案書?」
「衛生管理に関して」
ジークハルトは、脇に置いていた紙束を差し出した。
クィジルはそれを受け取り、表紙を見た。
『校舎内共同便所における衛生管理上の問題点と、清浄術式導入に向けた段階的改善案』
数秒、沈黙が落ちた。
「……後で確認します」
「そうして下さい」
ジークハルトは、どこか疲れた声で言った。
「他に報告する事は?」
クィジルが会議卓を見渡すと、ヴァルクが手を挙げた。
「ヴァルク先生」
「はい」
ヴァルクは立ち上がった。
「この度の件は、不肖の弟がしでかしたことじゃき、兄であるわしの監督不行き届きでもあります」
普段は軽く笑っていることの多い顔が、この時ばかりは真面目だった。
「ヴァンは、昔から一度決めると止まらんところがあります。けんど、それを知っちょって止められんかったなら、やはり、兄であるわしの責任でもあります」
彼は会議卓に向かい、深く頭を下げる。
「まっこと、申し訳ありませんでした」
会議室に、短い沈黙が落ちた。ヴァルクは頭を下げたまま動かない。
その沈黙を破ったのは、校長アンディアナだった。
「不問。ヴァルク先生は、不問ざます」
言い切った。
あまりにも強い言い切りだった。
ジークハルトが眉をひそめた。アルフォンスは表情を変えない。つばめは少しだけ目を伏せた。クィジルは何か言うべきか考えた顔をしたが、校長の判断は既に決定事項のように会議室を制圧していた。
誰も口にはしなかった。
けれど、会議室には確かに、美男子は得だな、という空気が流れた。
ヴァルクは、少し戸惑ったように顔を上げた。
「……ええがですか?」
「よいざます。もう過ぎたことなんて、どうでもよいではありませんか」
アンディアナは、満足そうにうなずいた。旧塔事案に関する報告は、そこで一応の区切りを迎えた。
誰もが、次は生徒指導か、旧塔に対する今後の施設管理の話だと思っていた。
だが、アンディアナは静かに手を挙げた。
「それよりも重要な案件を決議したいと思います」
クィジルが、嫌な予感を覚えた顔をした。
「それは一体?」
「それは動物愛護の観点から、優先すべき課題ざます」
アンディアナは、胸の前で手を組み、晴れやかな顔で言った。
「つまり、ぷーちゃんの放し飼いについて」
「即刻、街の害獣管理局に預けるべきかと」
ジークハルトが即答した。
速かった。
旧塔事案の報告よりも速かった。
「ジークハルト先生! 害獣ではないざます!」
「校長。犬です。学院内で放すには管理責任が発生します。噛みついた場合、吠えた場合、脱走した場合、糞尿の始末、食事、散歩、衛生管理。どれも看過できません」
「ぷーちゃんは、そんな粗相はしないざます」
「犬です」
「ぷーちゃんざます」
「犬です」
クィジルが静かに咳払いをした。
「私も、ジークハルト先生の意見に概ね同意します。動物愛護は尊重すべきですが、学院施設内で飼育する以上、規則が必要です。糞の始末、食事の管理、散歩の時間、世話をする担当者、医療費、事故時の責任、授業中の扱い。問題は山積みです」
「教頭先生まで……」
アンディアナの顔が曇った。
会議室の空気は、一気に反対へ傾いていた。ジークハルトは腕を組んでいる。クィジルは既に問題点を紙に書き出している。アルフォンスは静かに様子を見ている。つばめは困ったように微笑んでいた。校長は、最後の希望を見るように、この中で唯一、もう一人の女性であるつばめを見た。
「だれか、他に意見のあるものは、ございますか?」
「犬は、可愛いよね」
にこやかに、つばめが言った。
会議室の空気が、少しだけ緩んだ。
「つばめ先生!」
アンディアナの表情がぱっと明るくなる。
「でも、放し飼いはちょっと…、」
その表情が、すぐにしぼんだ。
そこでヴァルクが、腕を組んだまま言った。
「けんど、子供らには、生き物の大切さを教える機会も必要やと思います。世話をする、命を預かる、責任を持つ。そういう経験は、教室だけでは得られませんき」
アンディアナは、今度こそ味方を得たという顔をした。
ヴァルクは悪気なく続けた。
「もちろん、放し飼いがええかどうかは別ですけんど」
味方は、半歩だけ後ろへ下がった。
校長の表情は、忙しかった。
その時、アルフォンスが静かに口を開いた。
「校長」
「何ざますか、アルフォンス先生」
「私は、校長のお考えにも一理あると思います。生徒達に動物を愛する姿を見せることは、教育上、意味があるでしょう」
「そうざましょう!」
アンディアナは勢いよく身を乗り出した。
「では、教育上の意義を示すためにも、飼育責任者は最も責任ある立場の者が務めるべきでしょう」
「そうざます! 最も責任ある立場……つまり校長である私ざますね!」
「校長がそう仰るのであれば、異論はありません。では、まずは校長が率先して、生徒達に動物を愛する姿を示すべきかと存じます」
「ええ、ええ、そうざます!」
アンディアナの目が輝いた。
「ぷーちゃんの食事、散歩、糞の始末、日々の健康確認、吠えた際の対応、毛の掃除、来客時の管理。校長自らが飼育のお手本を示されれば、生徒達も命を預かる責任を学べるでしょう」
「その通りざます!」
アンディアナは、待ってましたと言わんばかりにうなずいた。
今まで隠れて飼っていたぷーちゃんを、公にする。しかも、動物愛護と情操教育の名目で。そのうえ、自分が責任者として面倒を見る。校長の望む結論は、まさにそこにあった。だが、ジークハルトはそこで眉をひそめた。
「校長にそのような負担を強いるのは反対です」
「え」
アンディアナの顔が止まった。
「校長は学院全体を見る立場です。犬の世話まで背負わせるべきではありません」
「ジークハルト先生、それは……」
校長は何か言おうとしたが、クィジルが真面目な顔でうなずいた。
「確かに、校長に負担が集中するのは避けるべきでしょう。それならば、私が飼育を担当します」
アンディアナの顔が、真っ青になった。
「教頭先生が?」
「はい。校長のご負担を減らす意味でも、教頭である私が管理するのは妥当です」
「そ、それは……」
アンディアナの声が揺れた。ぷーちゃんを手放したくない。
だが、会議の流れが、ぷーちゃんを教頭の管理下へ運ぼうとしている。それだけは困る。その顔には、全てが書かれていた。アンディアナは、すがるような目線をアルフォンスに向けた。彼は、淡々と畳み掛けた。
「クィジル教頭」
「何でしょう」
「犬の飼育経験はお持ちですか?」
クィジルは、そこで初めて黙った。
「……ありません」
「では、初めて犬を飼う教頭先生に、いきなり学院内の犬の管理を任せるのは危険かもしれません」
「確かに」
クィジルは納得した。ジークハルトも、つばめも、ヴァルクも、何となくうなずいた。アンディアナの顔が、ぱっと明るくなった。
「私には経験があるざます!」
その声は、少し大きすぎた。
「ぷーちゃんのことは、私が一番よく知っているざます。従って、ぷーちゃんの飼育については、私が責任を持って行うざます。生徒達に命を愛する姿を示すためにも、校長である私が率先してお手本を見せるざます」
アンディアナは、そこで会議卓をゆっくり見渡した。
ジークハルトはまだ納得していない顔をしていた。クィジルは議事録用のペンを持ったまま、慎重に言葉を選んでいる。つばめは苦笑い。ヴァルクは何か考えているように腕を組んでいた。アルフォンスだけは、いつも通り静かだった。
「では、この件について、他に反対意見はございますか?」
アンディアナは、にこやかに言った。
ただし、その笑顔は、反対意見を歓迎する笑顔ではなかった。
ぷーちゃんは校長が責任を持って飼育する。
それでよろしいですね。
よろしいざますね。
そういう笑顔だった。
誰も、すぐには答えなかった。
この雰囲気で反対できる者などいない。少なくとも、正面から校長の笑顔を受けて、ぷーちゃんを保健所へ、などと言い直せる空気ではなかった。
ジークハルトは眉間に皺を寄せたまま沈黙した。クィジルは議事録に何と書くべきか迷っているようだった。つばめは、ぷーちゃんという名前について少し気になっている顔だった。アルフォンスは、たぶん全部分かっていて黙っていた。
「反対意見は、ないようざますね」
アンディアナは満足げにうなずいた。
「では、ぷーちゃんの飼育については、校長である私が責任を持って行う。これを職員会議の決定とするざます」
クィジルのペン先が、少しだけ止まった。
「校長、正式な飼育規則については、後日改めて整備する必要があります」
「もちろんざます。詳細は教頭先生と相談するざます」
「承知しました」
クィジルは、諦めたように議事録へ書き込んだ。
アンディアナは、そこで改めて会議卓を見渡した。
「では、他に何か意見や質問はございますか? どんな些細な事でもよいざます」
誰も動かなかった。
今の流れで、些細な質問をする者などいるはずがない。ぷーちゃんの飼育は、校長の望む形で決まった。職員達は、それぞれ何か思うところがあったとしても、これ以上この件を長引かせたくない顔をしていた。
その中で、ヴァルクが手を挙げた。
果敢だった。
あるいは、空気を読んでいなかった。
「ヴァルク先生」
アンディアナは、機嫌よくうなずいた。
「何ざますか?」
「質問を一つだけ、よろしいでしょうか」
「許可するざます。どんな些細な事でもよいざますよ」
ヴァルクは、少しだけ申し訳なさそうに頭を下げた。
「わしは外来特別講師ですき、分からんことも多いがです。ここへ来てからも、まだ一年しか経っちょりません。じゃき、ほんに素朴な質問ながですけんど」
「ええ、何でも聞くざます」
アンディアナは、ぷーちゃんの件が通ったせいか、上機嫌だった。
ヴァルクは、真面目な顔で言った。
「ここは学院なのに、なんで院長じゃなくて校長ながですか?」
空気が凍った。
ジークハルトが目を伏せた。
つばめが、あ、と小さく言った。
アルフォンスは表情を変えなかった。
クィジルは、議事録用のペンを止めた。
アンディアナ校長だけが、笑顔のまま固まっていた。
その質問に答える者は、誰もいなかった。




