21話 犯人は誰だ?
クルスは家族想いで優しく、きっと俺よりも利発で、妹のために行動を起こせる男の子だ。
そんな彼がどうして人を殺める存在になってしまったのか。それは彼自身のせいなどでは決してなく、全てはウイルスのせい。もっと言えば、俺の親父のせいだ。
ウイルスなんてものが無ければ、そもそも地球だってあんなことになったりしなかった。「たられば」を言えばきりが無いが、どうしてもそんなことを考えてしまう。
「ねえ、ウェス」
表情が沈んだままの俺を見かねたのか、ターナーが顔を覗き込んでくる。
「クルスの自我が、まだ少しでもあるならさ。エチェットさんの力を使って、突破口が開けるかもしれないよ」
「私の力を、ですか?」
名を呼ばれ、エチェットさんは驚いたように目を瞬かせた。彼は大きな頷きを返す。
「はい。クルスの記憶を見ることで、事件当時の彼に何があったのかを把握することが出来ます。それにより呼び掛けの方法も変わってくるでしょう。自我がわずかでも残されているなら、こちらの呼び掛けに、何らかの反応を示すはず」
ターナーと視線が合う。眼鏡の奥の瞳は力強かった。
そうだ、クルスの幼い魂はまだあの肉体の中に縛られている。ウイルスに侵食されているだけで、体も、その中にある心も、紛れも無くクルス自身のものだ。だとしたら、母親であるサリアさんのことも、ジースとロナも。〝殺したかった〟のではなく――……。
「……クルスを、助けたい」
ターナーとエチェットさんの視線が集まる。俺はエチェットさんの手を取り、強く握り締めた。
「助けたいんだ。協力して下さい、エチェットさん」
彼女は少しだけ呆気に取られてから、やがて柔らかな笑みを浮かべた。瞳は新緑のようなきらきらとした輝きを湛え、慈愛のこもった視線で真っ直ぐに俺を見つめていた。
「協力しろ、でいいんですよ。さっきも言った通りあなたは神託者で、私はその補佐役なんですから。それと、どうかエチェットとお呼び下さい」
エチェットさん――エチェットは、手を握ったまま立った。引っ張られて俺も自然と立ち上がる。両手を握っているので向かい合わせになり、屈んで顔を覗き込んでくるその表情が、はっきりと見て取れた。
「迎えが遅くなってごめんなさい、ウェス様。これからは幾らでも、お助けしますからね!」
その言葉を聞いた瞬間、脳裏に過ぎるものがあった。人波に流され、草地に転んで泥だらけになって泣いた幼き日。一人ぼっちで不安で、手元に握りしめた熊のぬいぐるみの手を、強く握りしめていた。
日も暮れだし、辺りは段々と薄闇に満ちていた。ここで俺はゾンビに囲まれて死ぬんだと、子供ながらに強く死を意識していた。そんな時に背中越しに聞こえてきた、柔らかく温かな声。
待ち望んでいた、その声の主は。
「…………かあ、さん」
そうだ。やっと、思い出した。
母さんに……前世の母の若い頃に、そっくりなんだ。実家から避難する時に持っていったアルバムで見た。紺のセーラー服を着せて、ブラウンのカラーコンタクトを着けたら丸っきり同じだ。……胸部だけ大分違うけど。
「え、ええっ!?」
エチェットは握っていた手を離し、目を白黒させた。
「た、確かに私は今現在、ウェス様の親権を握ってはいますけど! 母さん呼びはちょっと、せめて『お姉ちゃん』で!」
その反応が面白くて思わず噴き出すと、彼女はそれを不満に思ったのか「なんで笑うんですか」と膨れっ面になった。
「私はまだ一応、十八ですよ。お姉ちゃんでもおかしくないでしょう!」
「いや、そういう意味で笑ったんじゃないんだ。ごめん」
笑いを堪えながら、改めてエチェットを見る。本当にそっくりだ。目元も、口元も、纏う雰囲気も。そう思うと、もっと彼女の傍に居たくなった。彼女の笑顔を、見たくなった。
「やっと笑ったね、ウェス」
「え?」
振り返ると、ターナーがとても嬉しそうに微笑んでいた。
「ずっと、思い詰めた表情をしていたからさ」
言われて少し戸惑ったが、思い返してみると、森の前での一件以来ほとんど笑っていないことに気がついた。それどころでは無かったのもあるが、もしかして三人が様子を見に来てくれたのは、落ち込んでいるのを気にしてだったんだろうか。
「心配掛けてごめんな」
そう言うと、彼は困ったように笑った。
「まだ言うのは早いよ。これからでしょ」
「……うん。そうだな」
肩に下げたショルダーバッグを引き寄せる。
これを換金して、用心棒を雇う。そして俺たちでクルスを救い、孤児院の皆を助けるんだ。今の俺は独りじゃない。きっと何とかなる。
「エチェット、これを換金しに行って欲しいんだ」
ショルダーバッグを肩から外し差し出すと、彼女は不思議そうな顔で受け取り、まじまじと眺めた。
「何ですかコレ?」
「実家からの荷物が入ってる。それを売ったお金で、人を雇うんだ。魔法でも剣でもいいから、とにかく戦い慣れた人を雇いたい」
「雇う……って、何か当てがあるんですか?」
「ギルドですよ」
ターナーが俺の代わりに答える。
「この町には無いんですが、隣のウッドリッジという町に、小さな冒険者ギルドがあります。そこで依頼をすればクエストとして貼り出されますから、纏まったお金さえあれば、人手を得るのは案外簡単ですよ」
冒険者ギルド。確か、冒険者が仕事を請ける場所だったか。
クエストとは依頼のことで、モンスター討伐の他に、素材の回収や荷物の運搬などもクエストに含まれていたはずだ。
そして冒険者とは――……正直詳しく知らないが、向こうで一般的に知られているものと同じ、モンスター退治を主に請け負う職業だと思う。
なぜ知らないかというと、つい最近まで俺は貴族の子供だったので、まるで縁がなかったからだ。この世界でいう『冒険者』とは流れ者が多く、貴族から見れば汚れ仕事と同じだった。暮らしの上では必要でも、嫌厭される職業というわけだ。
壊れた壁の切れ端を拾ったターナーは、尖った角の部分で剥き出しの地面にガリガリと何かを書いていく。簡単な地図のようだ。
「この町の出入口の近くに、シオラスの花壇が目印のお店がありますから、そこで換金して下さい。そのまま町を出て、林道を抜けて真っすぐ行くとウッドリッジと書かれた矢印型の看板が見えてきますから、そこで落ち合いましょう」
この町とウッドリッジを繋ぐ線の真ん中に描かれた旗をちょんちょんと指し示し、俺達を交互に見る。
てっきり一緒に行動するのかと思っていたが、一旦別行動になるらしい。
俺たちは教会の子供として町の皆に顔を知られているけど、エチェットはつい最近外から来た人だから顔を知られていない。一緒に行動する方が見つかる危険性が高くなってしまうから、堂々と町中を歩く人と、隠れて町を出る人で分けるのか。
エチェットは自信満々といった様子で大きく頷いた。
「分かりました! では、行ってきますね。ウェス様もターナーさんも、道中お気を付けて」
「うん、エチェットも気を付けて。また後で会おう」
布の鞄を肩から提げ、馬小屋を後にするエチェットの背中に手を振る。
さて、これからは隠密行動だ。
俺たちはただ町を出ればいいだけだが、その足取りを誰にも見られてはいけないという制約が付いている。子供の身軽さがあれば楽なように思えるが、ここは小さい町だ。その分行動スペースが狭まり、誰かに遭遇する確率が跳ね上がる。気を引き締めないと。
壁に身を寄せてちらりと外を見ると、ちょうどお婆さんが家族らしき女性に手を引かれているところが見えた。耳をそば立てて、会話に集中する。
「お義母さん、畑なんて見てる場合じゃありませんよ。森の中に入った子供が、二人もやられてるんです。安全が確認されるまで外に出ちゃいけませんよ」
「そうなのかい? 怖いねえ……あの森には昔から人喰い大熊が住んでるからねえ」
人喰い大熊? 随分とぶっそうな名前だな。どんなやつなんだろう。
解説を求めてターナーを見る。視線を受けた彼は少し身を寄せ、小声で話してくれた。
「この町が出来た頃から森に棲息してる、狂暴な熊だよ。普段は鹿とか猪とかを食べるんだけど、たまに近付いた人も襲うんだ」
うわ、そんな危険なやつが町の傍の森に棲んでいたのか。
それじゃあ、あの電流線は元々熊避けで設置されていたのか。クルスがゾンビ化した原因が森の中にあるのは明らかで、人を積極的に襲う獣がウイルス感染していたのだとしたら、確かに辻褄が合う。