第一話
「そこ、私の席なんですけど。どいてくれない?」
昼休みの教室。本来なら誰もが平和な時間を過ごすはずのその空間に、一人の女子が割って入った。
「え? あっ……うわ、マジじゃん……」
彼女に声を掛けられた、俺の友達である男は今自分が腰かけている机の正体に気付くと、慌てて距離を取った。
しかしながら、そんな男の言動を見た彼女……『佐倉春花』は、よりいら立ちを募らせているようだった。
「フン、そんなに嫌がるくらいなら最初から近寄るんじゃないわよ」
「わ、悪かった。わざとじゃないんだ」
「わざとじゃなくても机に座っていたのは事実でしょ? これだから男ってやつは……」
なんとか穏便に済ませようと男は謝罪をするものの、佐倉はそもそも聞き入れようとしない。徐々にザワめきだした教室内の空気を変えるべく、争いの傍観者だった俺は佐倉の後ろに立つ女子に目配せをした。彼女の事だ、上手いことやってくれるだろう。
「は~い春花っち、一旦落ち着こ。ほら、こっちゃこいこい」
「え、ちょっと玲奈?」
うむ、期待通りの動きをしてくれて助かる。佐倉の注意が彼女に逸れた隙を付いて、俺ももう一人の当事者に声をかける。
「ほれ西郷、早くさっきの話の続きを教えてくれよ」
「冬夜……あ、ああ。分かった」
これで良し。根本的な解決にはなってないが、話し合いが出来そうにないならお互いを離してやれば争いはこれ以上続かない。我ながら冷静な判断力である。だが、これには協力者が不可欠。
(助かったよ玲奈)
(お安い御用さ☆ こっちこそありがとね冬夜)
協力者との再度の目線によるお礼通信を終えた俺はホッと息を吐きつつ、同じく緊張から逃れて安心している西郷に話しかける。
「ドンマイ」
「それで済ませるなよなぁ……ったく、俺に原因があるとは言えあそこまで言うか?」
「しゃーねーよ、アイツに目を付けられたお前が悪い」
「アイツだもんなぁ」
気づけば俺と西郷の周りには同情のまなざしをした男子が数名集まっており、口々に佐倉へのヘイトをぶつけていた。
……まあ落ち着きを取り戻せばこういう空気になるよな。
「わり、トイレ行ってくるわ」
居心地の悪さを感じた俺は彼らに声を掛けるとそそくさと教室から出ようとする。その時、ふと佐倉の方に目をやると、彼女の周りにも玲奈を含めた女子の集まりが出来ていた。中でも玲奈が必死に佐倉をなだめようとしている様子が伝わってくる。
そう、これじゃ根本的な解決にはならない。だからといって西郷が以後今回のようなことをしないように気を付けるとしても、佐倉が俺たち男子に対してあのトゲのある態度をやめることはないだろう。
――佐倉春花の、あの極度なまでの男嫌いが治らない限りは。
◆
私がパパ以外の男を嫌うようになったのは、小学校の頃に起こったある事件がきっかけだった。
『涼風夏輝』……私が当時なっちゃんと呼び親しくしていた友達の女の子が、学校を辞めて急に遠くへ行ってしまったのだ。原因は、クラスの男子数名からのいじめ。
私はなっちゃんとはクラスが違ったから男子に何をされたかまでは知らないし、なっちゃんからも何も言ってくれなかったから、ただただなっちゃんが私の前から居なくなったことがショックで。
私からなっちゃんを奪った男子が許せなかった。
「……チッ」
嫌な事を思い出した。これも昼間の男のせいよ。汚いお尻で私の机に座るなんて、本っ当にありえない。玲奈が止めさえしなければ、もっと言ってやれたのに。
そういえば、あの男と一緒にいた……『水瀬冬夜』だったっけ。アイツも隣に居たんだから注意するなり謝るなりすればいいのにボーッと突っ立ってて……。
「ああ、ムカつく!」
っといけない、怒りのあまり口に出しちゃった。誰かに聞かれてないといいけど……。
周りに人はいないよね、と辺りを見回したところで、ふと今いる場所が普段の帰り道から若干逸れていることに気付いた。しかもこの道ってたしか……。
「うわっサイアク」
こんな日に限って、だ。
目の前には小さな、それでいて私の住む近所ではそれなりに有名な神社が現れた。この『山野神社』が有名で、そして私が毛嫌いする理由はただ一つ。この神社には「恋愛の神」が祀られているから。
なんでも境内にある石をカップルで一緒に触ると、生涯仲良しでいられるんだとか。
……恋愛なんて、男と付き合うなんて、考えたくもない。あんなのと生涯仲良くいるくらいなら死んだほうがマシだ。この神社は私を馬鹿にしているのか。
「――ッ!!」
いつの間にか私は、大切に祀ってあった例の手のひらサイズの石を叩き落としていた。その事に気付いたのはそれからどれほど経った頃だろうか。
すっかり冷静さを取り戻した私は慌てて石を元の位置へ乗せる。幸いどこも欠けたりはしていないようで、ホッと息をつこうとしたその時。身体を一本の氷柱が貫いたような寒気が私を襲った。
「あ……ご、ごめんなさいっ!」
今すぐにでもこの神社から離れなきゃ。その一心で、私は震える足を無理やり動かすように帰り道を駆け抜けた。
◇
「お帰り春花ちゃん。あら、ちょっと……顔真っ白じゃない、どうしたの」
「なんでもないっ」
心配そうに声を掛けるママに構う余裕もなく、私は階段を駆け上がり、自分の部屋に飛び込む。鍵をかけると、制服のままベッドに潜り込んだ。
バクバクと唸る心臓の音がやけに耳に響く。走って帰ってきたからとは思えないほど呼吸が浅い。
この時私は、何故自分がこんなにも何かに怯えているのかが分からなかった。分からなかったが、今はとにかく目を閉じ意識を遠くへやることだけを考えていた。
翌朝。目を覚まし、制服のポケットに入れたままだったスマホを取り出し時刻を確認する。まだ6時前、いつもなら熟睡している時間帯だ。
家に帰ったのが18時くらいだったから、約12時間も寝てしまったことになる。道理でさっきから頭が働かないわけだ。
とりあえず着替えよう……そう思いながら身体を起こし制服のボタンに指をかけたところで、違和感を覚える。やけに胸元が平らなのだ。それだけじゃない、股の辺りに何かが付いている気がする。強烈に嫌な予感がして、先ほど枕元に投げ捨てたスマホをカバーごと持ち顔に近づける。
スマホカバーに付いている小さな鏡には、見たことのない男の顔が映っていた。
「ママッ! パパッ!」
階段を落ちるように降り、リビングにいる両親の姿を見つけるやいなや、私は聞き覚えのない声で叫んでいた。
ママもパパも私の姿を見て慌てて駆け寄ってくる。もちろん表情は不審そのものだった。パパが先に声を掛けてきた。
「えっと……君は誰かな? なんでウチにいるんだ」
「私! 私なのパパ! 佐倉春花!」
私の言葉を聞いた二人の表情はますます険しくなった。お願い信じて。私だってこんな自分の声じゃない声は気持ち悪くて聞いていられないけど、今は私の言う事を聞いてほしい。
涙をボロボロ流しながら必死に訴える私を見かねてか、ママが優しく抱きしめてくる。ママは男女問わず優しく接する人だ。その態度は少年の姿になった私にすら変わることはなかった。
「一旦落ち着きましょう。あなたが悪い子じゃないことは分かったから、まずは落ち着いて。それからゆっくり事情を説明してくれる?」
事情を説明と言っても、私にすら分からない事だらけだった。とりあえず私に分かるのは、朝起きたら少年の姿になっていた、ということだけ。それでも二人は、私が「佐倉春花であることの証明」をあれこれしているうちに、私の身に起こった突拍子もない事を信じてくれたようだった。
「詳しい事情は分からんが、今は君が春花だということを信じよう。しかしそうなると問題なのがこれから君をどうすべきか、ということだが」
「び、病院で検査とかは」
「私やママはともかく、医者にこの話をしても100%信じてもらえないだろうなぁ。良くて精神病を疑われるくらいか」
こんな時にでも冷静さを欠かないパパはカッコいいと思うけど、今だけはその冷静さがグサリと心に刺さる……。何も言えなくなった私を余所に、パパとママは何事かを話し始めた。
「そういえばこの手の話って、小説で読んだことあるわ。頭をごっつんこしたら精神がお互いに入れ替わっちゃうとか」
「その場合だと入れ替わった相手はどこにいったという話になるな。しかしもし仮にそうだとしたらこの場に居るのは『その相手の精神が入り込んだ春花』じゃないとおかしくないか」
「ああ……それもそうね」
「ちょっと二人とも、私真面目な話してるんだけど」
私が抗議の目を向けると、パパも同じような表情で返事をしてきた。
「これも真面目な話だよ。医者に頼れない以上、我々で春花がどうしてその姿になったのかを考えるしかないからね」
そう言われると言葉に詰まってしまう。
「でもどうしてって言われても……」
そこまで口にした後、私はふと昨日の神社での出来事を思い出し、まさかとは思いつつも二人に打ち明ける。すると話を聞いた二人は何故か深刻そうな表情を浮かべた。
「不安をあおるような事は言いたくないが……今の春花の姿を見て、春花だと信じたからには……」
「う、嘘でしょ、ねえパパ」
「……」
「ママってば」
そんな、まさか。
私が、あの神社の石を落したから?
だから、男の姿に変えられたっていうの?
「嘘……そんな、そんなことって……うっ!?」
「春花!?」
「春花ちゃん!」
「……今日で四日目か」
「……ええ、あれから一度も部屋から出てこないわ」
「私が迂闊な事を言ったばかりに」
「パパのせいじゃないわ。春花ちゃんのためを思ってのことだもの……」
あれからもう三日も経った。
「金曜日」と表示されているスマホの日付を虚ろな目で眺めながら、私はベッドから起き上がる。
地面を這うような足取りのまま、外へ出る。
ごめんね、ママ、パパ。
今までありがとう。
誰もいない玄関に声を掛け、私はそのまま――――。




