蒼魔
「葛城さん、検査の時間ですよ」
そこで看護師が迎えに来た。
黒羽はいいところに来てくれた、と言いたげに深く肩を落とした。
蒼斗は少し残念そうに口を尖らせ、渋々立ち上がった。
これで次に会うのはバスティールの中になる。胸に小さな痛みが宿っても、黒羽本人が決めたことの為、何も言うことはなかった。
寂しさを振り払うよう看護師に頭を下げ、持って来た花を代わりに生けて貰うよう頼む。
「じゃあ……またね、兄さん」
「あぁ――ありがとう、蒼斗」
蒼斗は黒羽の微笑んだ顔を見ると、病室を後にした。
それから数歩廊下を歩き、遠くなる病室から声を殺して泣く気配を背で感じた。
蒼斗は静かに目を伏せた。
あれだけの問題を引き起こし、亜紀だけでなくAPOCさえも利用した。
それにも拘らず、彼らは当たり前のように、さらりと皮肉は言うも、咎めることはしなかった。
変わらない彼らの優しさに涙を流さずにはいられなかった。
黒羽の選択がこれで正しかったのかは、本人自身が答えを見つけなければ分からない。
見送る者は、彼の帰る日を待つしかないのだ。
◆
病院を出ると、日差しが蒼斗の視界を白く遮った。
眩しさに顔をしかめ、片手で影を作る。
「遅い」
聞こえた声を頼りに視線を下に移し、階段下に見慣れた黒い車を見つける。
そこには身体を車に預け、煙草を片手に白煙を青い空に向けて吐き出す亜紀の姿。
いつも吸っていた煙管はケテルとの戦いで粉々に壊れてしまい、もう新調するのが面倒くさくなったらしい。
普通の紙煙草を吸っているのは中々に珍しい。
亜紀を追って行ったはずの千葉の姿はなかった。
「目が赤い。また泣いたのか」
空を見上げたまま亜紀は訊ねた。
蒼斗は恥ずかしそうに目をそらし指先で目元を隠すように覆った。
「……近衛に別れでも告げられたか」
「なっ!」
「アイツのことはもう忘れろ――とは言わない」
「え……?」
もう消える女ことなど忘れてしまえ、などと辛辣なことを言われるとばかり思っていた蒼斗は、どういう風の吹き回しだと怪訝そうな表情を隠さずに出した。
それは自覚しているのか、亜紀は気まずそうに視線を一度投げるとすぐに逃げるように煙草に口をつける。
オレンジ色の火が一瞬灯り、プスプスと燃えながら灰になって行くそれを蒼斗はただ見ていた。
「死んだ人間は、今を生きる人間の記憶の中でしか生き続けられない。役割を終えて還ったアイツのことを、忘れる奴は多いだろうが……せめてお前だけは、覚えておいてやってくれ」
「……勿論です。僕は生涯彼女のことを忘れません、絶対に」
「そうか……なら、アイツも喜ぶだろうよ」
ふっ、亜紀が笑った気がした。
珍しい亜紀の笑顔に仰天しそうになるのを胸の内にとどめ、蒼斗もまた嬉しそうに笑顔がこぼれる。
「そういえば千葉さんは……?」
「奴なら先に現場に向かった」
亜紀は携帯灰皿に灰を落とし、蓋を閉じると上着の内側にしまった。
「現場?」
「頭の回転が悪いなぁ、お前は。脳みそを働かせろ、仕事だって言っているだろうが」
階段を下りきった蒼斗は、いきなり暴言を吐かれたことに面食らい、投げて寄越された端末に表示された情報に急ぎ目を通す。
「え、強盗!?」
「こんな真昼にな。被害者は三十代の主婦、頭部に銃弾一発受けて即死。争った形跡が見られ、金銭関係は全てなくなっている」
「それって、前にニュースで言っていた話と似ていますね。同一犯による犯行でしょうか」
「さぁな」
「……あの、そういえば指揮権ですけど、僕たちAPOCは御影や狂魔が境界線を入ってこないように番人を務めていましたけれど、今後の僕たちの位置はどうなるんですか?」
「残務処理にしばらくは追われるだろうさ。御影は倒れたとしても、奴に続く者が現れる可能性もゼロじゃない。御影派の残党もまだ蠢いていやがるからそこにも目を光らせておく必要がある」
APOCは御影が倒れたことで残務処理が溜まりに溜まっている状況だった。
加えて幹部は皇帝としての仕事もあり、猫の手も借りたい状態。
核の命令では、御影及び狂蟲に関係するものは変わらずAPOCが対応し、STRPは通常どおりの業務をこなす、とのことであった。
故に、APOCも昼とはいえ事件が起これば現場に臨場することになった。
「事件発生地域は狂蟲のレベルが少し高いな。もしかしたら、この事件を一連づけると、また奈島たちと指揮権争いが起きそうだな」
「今度はちゃんと協力し合ってくださいよ、そうなったら」
「それは保障できないな」
――くくっ、相変わらず素直じゃねぇな、皇?
水面から浮かび上がるように存在を脳裏に焼き付けたのは、言わずもがなその名に恥じぬ悪魔の声。
アバドンの鎖のダメージからすぐに動けるよう復活させてから、時折こうして口を挟むようになったバチカルに、亜紀は深くため息をついてうんざりそうに表情を無にした。
「バチカル、体調はどうなの?」
――おお、青二才か。
「僕の名前は蒼斗なんだけど」
――お前なんざ坊で十分だ。
「一緒に戦った仲間!!」
「コイツに構うとどんどん玩具にされるぞ。俺とお前の魔力をここぞとばかりに奪って奪って貪り尽くしているから殺しても死なねぇよ」
「……なら、アィーアツブスは……?」
蒼斗の表情は暗かった。
その原因は間違いなく、先日の戦闘のことだろう。
アストライアの爆発を止めるためとはいえ、仲間でもある彼女に蒼魔弾を撃ち込んでしまったことが、蒼斗は気掛かりだった。
あんな悔しそうに自分たちを見据え、あんなに愛おしそうに黒羽の名を呼んだ彼女が今でも忘れられない。
蒼魔弾の威力はきっと、彼女のあの時の悲鳴を聞くに身体に堪えただろう。
だが、そんなアィーアツブスの身を案ずる蒼斗の心境など知ったことないのか、バチカルは鼻で盛大に笑い飛ばした。
――黒坊の魔力で蒼魔弾のダメージは完全に癒えている。治りに時間はかかっただろうが、支障は何も出ていないだろう。
黒坊――黒羽のことだろうか。
確かに彼女と黒羽の契約は終わっていない。故に黒羽の魔力で治癒はできる――そういう、ことなのだろうか。
「ほ、んとう?」
――オレがお前に嘘をつく理由が何処にある?
「バチカルは性根の腐ったクソ悪魔だが、くらだないことで嘘を言う奴じゃない。もし嘘を言うものなら、俺が蒼魔弾ぶちこんでやる」
「自分の契約魔のことをよくそこまで酷くけなせますね」
「俺のものをどうこうしようが俺の勝手だ」
「悪魔史上最低のデビリストだ!」
光速で蒼斗の顔面にパンチを入れた亜紀は、「へぶっ!」と情けない悲鳴を上げてひっくり返る蒼斗を放置しこれ以上話すことはないと遮り、煙草をもう一本取り出し火をつけた。
地面に転がった蒼斗は、軽く目を回しながら、ふとあることを思い出した。
「そ、そういえば彼女の力、よく亜紀さん耐えられましたよね、あの時」
「あ?」
「アィーアツブスの香りですよ。あれは男には効きすぎて腰抜かす手前でした……」
「……鼻の下伸ばしてるんじゃねぇよ、変態」
当時の香った匂いを思い出したのか頬をほんのり赤く染めた蒼斗。
どこぞのクラブにいる露出度の高い女の身体を見たかのような至極だらしない顔になり果てていたのか、そんな蒼斗を亜紀はゴミを見るような目で蔑み、ブーツのヒール部分で鳩尾をぐりぐりと念入りに踏み込んだ。
「俺があんな蠱惑物に惑わされるわけがないだろうが」
「え、全然効かなかったんですか?」
「当たり前だろう。でなかったらダブルマッチだなんてやろうとしなかった。あれはお前だけじゃ圧倒的に不利だった。俺がいて、初めて意味を成す戦いだった」
「そ、そこまで言います……?」
「現に俺には奴の匂いに対抗できる。まぁ、お前と俺とじゃ人間としての造りが違うってことだ」
バチカルと契約をしていたから、ということなのだろうか。
いや、それだったらもっとストレートに言っているはず。
造り――人間と、死神ということなのだろうか?
「――それより、どうするんだよ」
「へ?」
起き上がることもなくアスファルトと同化している蒼斗は首だけ起こし、亜紀を仰ぎ見た。
亜紀は車のロックを解除し、ドアに手をかけて蒼斗を一瞥した。
「お前も行くか?」
答えなど既に分かっているくせに、わざと亜紀は訊ねた。
蒼斗は拳に力を込めて当たり前だと答え、身軽に身体を起こすと、衣服に付着した土ぼこりをパンパンと両手で払い落とし、満面の笑みを見せた。
そしてグローブをしっかりと嵌めなおした。
「だって、僕は亜紀さんの相棒ですから!」
亜紀はもう口癖になっている蒼斗の言葉に呆れ、ふと笑った。
普段は嘲笑しか見せない亜紀の柔らかい表情に、蒼斗は思わず絶句し、開いた口が塞がらなかった。
車に映った、口元が緩んでいる自分の顔を見た亜紀はハッと目を見張り、顔を硬直させると黙って運転席に乗り込んだ。
それに煽られ、蒼斗も急いで助手席に座り、身を乗り出してエンジンをかける亜紀に、目に嬉しさを浮かべながら訊ねる。
「亜紀さん、今笑いましたよね! 口元が緩んでいました!」
「馬鹿か。俺がそんな腑抜けた面をするわけがねぇだろ。お前じゃあるまいし」
「どういうことですか、それ! ちょっとデレたくらいで何を――イタァァァ!」
調子に乗った蒼斗の顔面に、亜紀の強烈裏拳が一発撃ち込まれた。
蒼斗の身体は不意打ちの一撃を素直にその威力を受け止め、一瞬眩暈に襲われた。
「あー、もしもし亜紀、蒼斗君聞こえる?」
現場に臨場している途中の千葉から連絡が入った。
「どうしました?」
「先に現着している奈島君から連絡貰ったんだけど、現場近くの防犯カメラにホシの姿が映ってて、その様子からがっつり狂蟲だってさ」
「だとしたら、次の犯行が起こってもおかしくはないな」
「亜紀さん、急ぎましょう!」
亜紀は蒼斗を一瞥するとアクセルを深く踏み込む。
久しぶりのAPOCとしての仕事に、蒼斗は拳を握り締めた。
「ついに蒼魔の出動だね!」
「は? 何だそれ」
「蒼魔弾の生みの親コンビの愛称」
「やめろ」
話に付き合っていられん、と亜紀は通信を切り、運転に集中した。
隣で蒼斗がちょっといいかもとほくそ笑んでいるのに気付いているが、無視を決めた。
「さて、気合入れていくとするか蒼斗」
「はい!」
二人を乗せた車は、全速力でハイウェイを走りだした。




