悲しき面影
「亥角は死んだ! 次は貴様の番だ。葛城蒼斗ぉ!」
御影が銃口を構えても蒼斗は恐怖も怒りも見せず、どういうわけか無表情のまま。
黒羽の手の甲に浮かぶ痣に手を重ね、祈るように目を閉じた。
それから外套を身に纏い、ゆっくりと立ち上がる。
「あなたでは僕を殺せない」
狂魔に守られ無防備状態の御影を見据え、蒼斗はこの絶体絶命の状況の中、ふと笑った。
「僕が先に、あなたを殺すから」
「何だと……?」
殺気に当てられた御影は形容し難い不安を抱いた。
こみ上げる恐怖に駆られ、狂ったように悲鳴まじりの指示を出した。
「ケテル、コイツを殺せ!! 今すぐ殺せ!!」
ケテルの矢が蒼斗に定められた。その量は先ほどの比ではない。
本気で蒼斗を殺しにかかっている。
「蒼斗、避けろ!」
焦燥で心臓が潰れそうになる亜紀をよそに、当人は慌てる素振りもなく、放たれる矢の雨を一発も受けることなく躱していく。
そこだけがスローモーションのように時の流れが遅くなり、容易く歩きぬけていく様は、今までの蒼斗にはありえない動きだった。
矢の再装填のため轟音がやんだ頃には、玉座の間は死んだように静寂が貫いていた。
小石を踏む音がしたと思えば、蒼斗は亜紀たちの近くに移動しており、動かない黒羽の身体を瀬戸に託した。
「亜紀さん、お願いがあります」
あれだけの攻撃を綺麗に避けておきながら息切れ一つしない蒼斗は、穏やかな面持ちで口を開いた。
その際に手を差し出され、亜紀はその手と蒼斗を交互に見遣ったあと、自然と片膝ついていた身体に鞭を打って立ち上がった。
身体は使い物にならないはずなのに、不思議と体勢を保っていられた。
依然潰れたマメだらけの手を差し出したまま、蒼斗は申し訳なさそうに訊ねた。
「もう少しだけ、バチカルを貸してくれませんか?」
「……当たり前だろ」
亜紀は血で汚れた手を、しっかりと力強く握った。
流れるように大鎌の柄を掴み、一瞬呆ける蒼斗を睨む。
「相棒なんだろう、俺たちは」
「! ……っ、はい!」
亜紀は目を閉じ、蒼斗の魔力がバチカルに供給されるのを感じる。
「串刺しにしてくれるわあああ!!」
ケテルの再装填が完了した。
今度はフロアに万遍なく行き渡るくらいの膨大な量だ。下手をすれば自分の部下も木っ端微塵に吹き飛ばしかねない。
怒りが引き起こした鬼のような形相から完全に冷静さを欠いているのは明白。
弓を構え、第一矢が蒼斗に狙いを定める。
蒼斗の魔力も死神といえど底を尽きかけている。
これが本当に、最後の迎撃になる。
「気合い入れろよ」
「はい!」
現界させるには程遠いが、大鎌に蒼斗の魔力を喰らったバチカルの力が集中する。
「蒼魔の力、その身に受けろ!」
蒼紫のオーラを纏い、軌道を描く刃が先頭の鏃にぶつかる。
そのまま両腕を真横に振り抜けば、打ち負けることなく刃が矢を次々と破壊し、蒼斗たちが立っている場をくり抜いたように無数の矢が地面に刺さる。
「――これでもくらいやがれ!」
間髪入れず小爆発が起こっている間を好機とさらに動く。
亜紀は蒼斗に背後から身体を支えられながら銃の照準を定め、蒼魔弾を放った。
ど真ん中を突いた銃弾は張られていたケテルの強固な結界を見事に粉砕。
結界はガラスの破片のように散らばり、状況が、大きく変化した。
「ど、何処に行った!?」
立て続けに起こる衝撃で巻き上がる土煙で視界が乱れる。
ケテルと御影は蒼斗たちの姿を探した。
「っ、そこか!?」
ぼう、と背後に再び浮かび上がる影に気配で気づいた御影は振り向きざまに一矢注いだ。
仕留めたかと期待する御影は瞳孔が開き、血走った目でその先を凝らして見た。
「かかったな、馬鹿が」
――しかし、ゆらりと煙の中から現れたのは、蒼斗ではなかった。
地に膝をつき、しめたと悪魔のような笑みを浮かべる亜紀がそこにはいた。
――蒼斗の姿は何処にもない。
そう、亜紀はあくまで、囮。
亜紀の声を合図に、煙の中から飛び出た影――蒼斗。
出所は、御影の背後。大胆不敵にも、囮の亜紀に気を取られるまで、御影の真正面で身を隠していたのだ。
外套がはためき、負傷した頭部から伝う血は涙のように頬へと伝う。
逆光で隠れたその奥では、ギラギラと狙いを定めていた。
その姿は、まさしく狩人……否、死神そのもの。
完全に不意を突かれたケテルは武器の弓を斬られ、渾身の一太刀を受けて怯んだ。傷口からは血が溢れ、冷めた表情が苦悶に変わった。
「ケテルが死神ごときに負けるだと!? そんな馬鹿な!!」
「あなたは僕たち死神の力をまだ理解していないようだ」
「それに、ケテルの力を全く使いこなせてねぇ」
ケテルに十分対抗できるのは、同じ階級のバチカル。
双方が衝突すれば相打ちに終わる――そう御影は考えていたのだろうか。
『予想外』という言葉が面白いくらい顔に出ており、嘲笑をこらえるのに苦労した。
「確かにあなたの考えはおおむね正しいです。けれど、そのバチカルの力を使役した人間が、僕であることを考慮していなかったのが問題だった」
御影が与えた死神がそれぞれ秘める四つの力の由来は、もとより神が人間界に罰を下すために寄越した天使とはまた別の天災の一部。
そんな蒼斗が例え上級天使相手だろうが、その力に勝らなくとも、劣るはずがない。
悪魔と死神の連携の一撃は最強としか言えない。
「それにしても、これだけの魔力消費の中、肩で息をしているとは……自殺行為にもほどがある」
上級天使、悪魔を召喚するには必ずそれに見合った器が必要となる。
それは以前亜紀や卯衣から聞いたことがある。
もう今の御影では、最大魔術を使うことも通常のケテルの使役も不可能だろう。
案の定、現界させることもできなくなったのか、ケテルの姿が消えた。
「もう、これで終わりだ」
低い蒼斗の声で終焉の時を察したのか、狂ったように声を裏返らせた御影は懐から銃を取り出し、狂魔を出現させた。
「まだだ……まだあああああああ!! ケテル!! 早く我を守れ!! この虫けら共を殺せええええええ!!」
早く仕留めようと引き金を引いても、無意識に震える手で弾道が大幅に外れる。
その間にも、蒼斗は立ちはだかる障害物を斬り払い、距離を縮めていく。
最後の狂魔を蒼斗が斬った時、御影は弾切れとなった鉄の塊を落とし、足が竦んでいた。
「あなたの……お前の罪は、存在そのもの」
「や、やめろ……」
青い瞳が境界線を失い、完全に狂蟲と同化している御影を捉える。
ここまで浸蝕されていると気の毒に思えてきた。もっと早ければ別の手段が……いや、遅かれ早かれ、彼を斬ることに変わりはなかっただろうか。
「お前は僕が――葛城家四代目当主、葛城蒼斗が狩り取る!」
真上に大鎌をかざし、全身の力をこめて一気に斜めに振り下ろした。
「馬鹿な……っ、この我が――」
御影は瞠目した。
――貴様は我を憎んでいるはずなのに。
――なのに何故、そんな泣きそうな顔をするのだ?
脳裏に蘇る記憶の断片――それは、十年前、自分が切り捨てた部下が災害の生き残りだと言って連れてきた時のことだった。
右も左も分からず、それでも王という絶対的な存在を目の当たりにし、純真無垢の憧れと尊敬の眼差しで自分を見上げた幼い少年。それが酷く懐かしい。
この笑顔を――たくさんの民を笑顔にするための世を夢見てきたはずなのに。
何故こんなことになってしまったのだろうか?
今となっては何処で道を間違えたのかすら、分からなくなってしまっていた。
少年の笑顔は渦を巻いて崩壊し、愛でていた面影は彼方に消えた。
そして躊躇いもなく牙を剥き、瞳に憎しみを注ぎ尽くした悪魔に変貌を遂げた。
驚きと同時に、死神とはまた違う狩人の眼光が貫き、恐怖に襲われた。
だが御影をより一層畏れさせたのは、悪魔のような、鬼のような蒼斗の背後に視えた――かつての友だった。
裏切りに怒り震え、本気で殺しにかかってきた友と重なり……首に刃がかかったところで、御影の意識はぶっつりと断ち切られた。




