死神の使命
――銃声の嵐が始まり、阿吽の呼吸で次々と仕留めていく亜紀と瀬戸を見ていた黒羽は、顔を蒼斗に戻した。
「私に本気で勝つつもりか?」
「やってみなければ分かりません」
切っ先を黒羽に向けた。
蒼斗が本気だということを悟った黒羽は、気の毒そうに嘆息を漏らした。
「守り続けてきた大事な身内の将来を摘み取ってしまうのは忍びない。――が、私の使命の妨げになるというのなら、ここで大人しくしてもらうしかない」
玉座から腰を上げた黒羽は何もない暗闇から漆黒の剣を抜き取り、階段を下りた。
それから流れるように、剣先を蒼斗に向けた。
不敵に笑う彼の取り巻く殺気は凄まじく、戦闘慣れをしていない素人の蒼斗にも痛いほど肌で感じられた。
針で身体中を突き刺すようだ。
「私たちの父は剣の達人だった。もっとも、お前は覚えていないだろうが」
「僕はもう過去の記憶にこだわりません。僕は死神としてではなく、工藤蒼斗として、自分の持つこの力で人々を救う――亜紀さんたちと一緒に。ただ、それだけです」
「愚かだな、お前は」
互いに武器を構え、暫し対峙。
蒼斗は黒羽の殺気に押されないよう歯を食いしばり、両足で身体を支えた。
周りでは銃声が飛び交っているというのに、二人の耳に騒音は入っていない。この場にいるのが自分たちだけのようだった。
蒼斗はこれくらい静かな空間で、穏やかに話し合いをしたかったと頭の隅で嘆いた。
足を地に付けたまま徐々に間合いを詰め、視線を絶対に外さない。額は汗が滲み、目に入って沁みた。
もう黒羽との距離は約数十メートル弱といったところだろう。
――遠くで大きな爆発音が闇夜に轟いた。
「ぐぅ……っ!」
鋼と鋼のぶつかり合う音。
振られる刃が空気を切り裂く音が、玉座の間を占める。
二人の周りでは、刃がぶつかる度にその場所から火花が飛ぶ。
切っ先が黒羽の首元を捉えようとしたところ、剣が受け止める。重心をずらして柄を振れば読まれていたのか躱される。
激しいぶつかり合いが続き、押し負けないよう力こめる手が小刻みに震える。
「あなたのやっていることが葛城として生まれた使命なら、もっと他にいい方法があるはずです! 何もオリエンス全てを消す必要なんて、何処にもないはずです!」
「まだ分からないのか? このオリエンスそのものが狂蟲製造所なんだよ」
「っ、何だって?」
「お前には視えているはずだ、あの研究所跡から溢れ出てくる狂蟲の卵を」
ゆらゆらと立ち込める黒い煙――その中に混じって地上に浮遊する黒い無数の球体。
アレが全て狂蟲の卵だとは信じたくなかった。
黒羽は、ゼロ・トランスから十年経った今でも櫻都に設置されていた旧研究所が手つかずの理由を考えたことはあるかと訊ねた。
普通なら事故収束宣言の前に調査が入り、結果を世間に報告するものだ。
ところが、現場はシートで始終覆われ、外部から情報が漏れないように徹底された。
「狂蟲は一度体内に取り込めば細胞に蓄積される。発生源にて蓄積すればするほど浸蝕され、瞬く間に苗床の心理状態よって狂い果てる。それを御影は知っていた……だから何も干渉せず、狂蟲を堰き止めることもなく垂れ流しのままにしている! 国を……人々を守るはずの統治者が! 保身のために、我が身可愛さに何もしないでいる!!」
漆黒の瞳に、静かに灯される怒りの炎。蒼斗はその圧力に息を呑んだ。
同時に、彼が悲しみ嘆いているのだと悟った。こんな人間を倒すために愛する肉親は命を落としたのかと、死神の血を恨んだことだろう。
「御影を倒したところで、腐敗しきったこの国があればペンタグラムだけでなく世界を脅かすことに変わりはない。ならばこの国ごと消滅させることが最善策だろう!」
狂蟲は人為的に生み出されたものであり、世界から抹消することは不可能だった。
強いて言うなら、半減期五十年だ。
発生した狂蟲は空気中に拡散し、雨が降れば地上に降り注がれ、そのまま地面に蓄積される。
その地で育てられた作物は狂蟲を含んだ土から栄養を受け、収穫時に実をつける。
人間はそれを口にし、体内に入れる。見えない地獄は延々と続く。
黒羽はオリエンスごと廃棄場として処分してしまおうと考慮しているのだろう。
「例えそれがペンタグラムにとって最善だとしても、まだ救いを求める人々を見捨てることなんて、僕にはできません!」
「ならば真実をオリエンスに住む人間共に告げればいい。そんなことを信じる者など、ほんの一握りに過ぎないに決まっている。この国の人間の大半はメディアの言葉を鵜呑みにし、自ら考えることを放棄したただの家畜に過ぎない!」
「それでも信じるしかないんです! 結果はいつだって後からついてくるんです、初めから決めつけたってどうにもならない!」
――こんな……こんなはずでは……
膝蹴りを食らって身体が傾いた蒼斗は、ふと夢で見た男を思い出した。
城下で起こっている火災と大きな爆発が、あの時の火の海を連想させる。
だがそれでも、ススまみれの蒼斗の両肩を掴み縋る、両頬を涙で濡らす男の顔が、よく見えない。
始まった衝突で張りつめていた蒼斗の緊張はプツリと断ち切られ、蒼白さを増す大鎌を身体が勝手に振るっていた。
――不思議だった。
一歩間違えればどちらかの首が吹き飛ぶというのに、頭の中では冷静にこの接戦を認識していた。
終わりの見えない衝突の間、黒羽は一寸の読みで間合いから後退し、左に薙ぎ払った大鎌の切っ先を服一枚破る代償を払って避ける。
大鎌を振り切った蒼斗はハッとした。
「大鎌は確かに威力がある。だが、振り切った時に隙が出来るのが弱点だ」
軌道を読んでいた黒羽は剣先を天に向け、そのまま真下に振り下ろす。蒼斗は剣が右腕を捕らえる前に右に横転して回避。
キィン、という衝撃音が木霊し、黒羽は蒼斗が起き上がって体勢を整える隙に間合いを詰め、真横に剣を振るった。
詰められた蒼斗は咄嗟に上体を後ろにそらし、天を仰いで腹筋と背筋に力を入れて状態を保つ――はずだった。
「ぐぇっ!」
蛙が潰れたような声が蒼斗の口から漏れた。
慣れない動きをしたことで、腰が悲鳴を上げたのだ。
思わぬ鈍痛に表情が引きつり、そのまま床に背を打ち付けた。
「いってて……っ」
「このバカ! さっさと避けろ!」
亜紀の叱咤する声に、目を開けた蒼斗は、闇を切り裂く銀色の線を見た。
瞬間で腹に力を入れ、身体を後転。
反動を利用して上体を起こし安定させる。
剣が床に突き刺さる音を捉えた。あのまま亜紀の言葉を聞いていなければ、今頃は串刺し状態だっただろう。
黒羽は静かに剣を引き、うすら笑った。
気の抜ける蒼斗の声と、「ヤバい」と目を剥いた表情を思い出したのだろう。腰に片手を当てて一息つく蒼斗は、顔から火が出た気分になった。
「まだ、戦闘技術は未熟のようだ。しかし、今のはよくかわした」
ゾワリ――緊迫した空気が、ふつふつと蒼斗の血を沸き立たせた。
亜紀のように戦闘狂でもない。
だが、この身に感じる身体中の血が沸騰するような熱さ――叩きつけるような激しい心臓の鼓動は、一体何か。
「お前の中の葛城の血が、戦うことに喜びを感じているんだ。言っただろう、私たちは御影によって道具として生まれた産物――今では人であって人ならざるものを始末し、その元凶全てを滅する使命を持つ、選ばれしもの」
「僕はあなたとは違います。僕は多くの犠牲を生まないで、このオリエンスを救える方法を見つけます」
「……おめでたいな、お前は。自分の身に宿る使命の辛さを分かっていない」
「あなたも何一つ分かっていません。虐げられてきた人たちの気持ちも、太陽の昇らないこの地獄の中で、いつかやってくる幸福を信じ待ち続ける人たちの気持ちも」
確かにこの国の人間の大半は、メディアを鵜呑みにし、考えることを放棄した只の家畜にすぎないかもしれない。
それでも蒼斗は……一途の希望を抱く人々を知っていた。
だから処刑時に御影に反発するものが現れていた。彼の統治に疑問を抱き、少しでも抗おうとしていた。
蒼斗はそんな人々の希望を掴みたかった。
「人は必ず変わります。あなたのやっていることは、自分の血の宿命に辟易し、一つの問題を面倒だから根本から全てなかったことにしてしまおうとする、ただのエゴにすぎない!」
一方、黒羽が玉座から降りたことでアストライアに近づくことが出来た千葉は、早速解除の作業に取り掛かっていた。
APOC参謀が自ら改造しただけあり、その構造は複雑で、解除には相当骨が入りそうだった。
そんな千葉を衛兵や狂魔たちは侵入者と気づいたのか、一斉に襲い掛かろうと玉座のほうへと向かい始めた。
「彦、千葉の援護に回るぞ」
「そろそろ終盤かい、残念だ」
蒼斗は黒羽が剣を握り直すところを捉えると、地を蹴って走り出した。
負けられない。
今だけは、どうしてもこの戦いに勝ちたい。
オリエンスを救って、御影から解放して、ペンタグラムに帰らなければならない。
――桐島さん。
会いたい人が、いる。
帰って、彼女に会って、約束を果たさなければならない。
激しい刃のぶつかり合いが繰り返され、蒼斗は間合いを詰めすぎていると承知しつつ、さらに一歩踏み込んだ。
「うわあああああああああ――っ!!」
大鎌を下から斜めに振り上げ――弧を描く刃が剣を捕らえた。
高い金属音の直ぐ後に、黒羽の剣が宙を舞った。
それは円を描いて床に突き刺さった。
「やるね。亥角から一本取ったよ」
「毎日ゲロ吐かせるほど鍛えてやったからな」
「羨ましいね、それ。僕にも今度やってよ」
「全力で断らせてもらおうか」
――それにしても、何故亥角は契約魔を使用しない?
唯一、亜紀に懸念事項があった。
第四皇帝の地位を得ている、放棄も現在していない。
悪魔の使役は契約者に一任されており核に制限されていない。
なのに、何故奥の手と言ってもいいアィーアツブスを使用しない?
黒羽の首元に大鎌を構える蒼斗。
本来なら、剣を弾かれた隙を突いてさらに第二撃を加える。
だが、蒼斗は柄を握る手が白くなるまで力を込め、二の足を踏んでいた。
青と黒の瞳が交差する。
黒羽は何も言わない。ただ、下唇を噛む蒼斗を見るだけ。
「……お願いです、黒羽さん。もうこれ以上無益な戦いはしたくありません」
顔を俯かせ、震える声で、懇願するような思いを込めて口を開いた。
全てを片付けた亜紀と瀬戸は武器を下ろした。
それから千葉に爆弾解除を急かしつつ、蒼斗と黒羽のやり取りを黙って見ていた。
「僕たちの宿敵である御影は、あなたが殺しました」
すっかり蚊帳の外に置かれていた御影の亡骸を、蒼斗は寂しそうに一瞥した。
「全ての根源を始末した今、これ以上犠牲者を出してどうするんですか? きっと、あるはずです。破壊をしなくてもリセットできる方法を」
「言っただろう……オリエンスの人間たちは、十年前から大量の狂蟲を身体に蓄積させている。彼ら個人にとって引き金となるものが引かれてしまえば暴動が増え、無法地帯となるのは時間の問題だ。お前の言う希望を信じる者がいたとしても、手遅れなんだよ」
「人の抱える闇は様々です。確かに、容姿や人種、環境、人とのコミュニケーション能力……一歩間違えれば、浸蝕された負の感情が爆発するでしょう」
「なら――」
蒼斗は大鎌を持つ手を下ろした。
代わりにもう片方の手で、それ以上黒羽が口を開くことを制した。
「今、御影は滅びました。それにより、人々はよりよい街を築くために互いに助け合い、手を差し伸べ合っていくでしょう。元凶の研究所を封鎖すれば、少しは狂蟲に浸蝕ことなく、平穏な日々を送れる――そう、僕は信じたい」
蒼斗は、人と人が結ぶ力がよき道へと導いてくれると信じていた。
御影が己の力をさらに求めた成れの果てに生まれた――世界に見捨てられたこの街を、ペンタグラムのように救えると。
黒羽は目を見開き、息を呑んだ。それからそっと目を伏せてポツリと零す。
「そんな時が、どれだけくればいいと願ったことか……」
次に瞼を開けた時――彼の瞳が哀愁漂わっているように見えた。
彷徨っていた黒羽の腕はだらりと下がり、蒼斗は彼の本心が知りたいと思った。
「――だから、お前は甘いんだ」




