黒と青
亥角愁、いや黒羽は蒼斗の兄――たった一人の肉親だった。
だが、突き付けられた事実をすんなり受け入れる頭は持ち合わせておらず、声を出そうにも、言葉が喉の奥でつかえて息しか吐き出せない。
「そういうことだったか」
数発の銃声を背後に捉え、振り返ればそこには顔に血を浴びせた亜紀が立っていた。
その周りには、頭部に一発ずつ狂魔弾を撃ち込まれ事切れている狂魔が転がっていることから返り血に間違いない。
狂魔の気配に気づけないくらいの衝撃を受けた蒼斗は、止めていた息を全身から吐き出した。
「亜紀さん……無事だったんですね!」
「情けない面してんな。これくらいでくたばってたまるか」
亜紀は不満そうな顔つきで悪態をつく。
「雑魚は取りこぼしなく狩れっていつも言ってんだろうが、馬鹿共」
「酷いなぁ、これでも亜紀の為に弾を節約しながら必死にここまで来たんだよ? それに、僕はインドア派」
「そんなこと知るか」
黒羽は揃った顔を見ると懐かしそうに微笑んだ。
「やぁ、生きていたんだね、亜紀」
「訳の分からないことばかり言って消えたと思ったら、こんなこと企んでやがったか」
「ここまで来るのに本当に長かったよ」
御影が支配するオリエンスが誕生してから二十五年――悪魔のような力を受けた葛城の血を引く者は、逃れられない使命を遂行しようと命を懸けて来た。
黒羽は血により縛り付けられた呪いに終止符を打とうとしていた。
「私が幕を下ろせば、全てに平穏が訪れる」
「だが、その代償はあまりにも大きい。今お前がやろうとしていることは、御影と何ら変わりねぇぞ」
「心外だな。僕は全てに責任を取ろうとしているだけ」
「どういうことだ?」
「言葉の通り。ゼロ・トランスは先代葛城当主、つまり父が死闘の末に起こしてしまったもの。それはお前たちも周知の事実のはずだ」
「あぁ。他でもないお前から聞いたことだからな」
あの事故のせいで多くの人間の人生が良くも悪くも変わった。
片や市場が栄え、世界からも認められ、御影にも狂蟲にも脅かされることなく平穏な日々を送れるペンタグラム。
片や、御影の支配下で怯え震え、陽の目も見ることもできず家畜のような暮らしを送らされるオリエンス。
人間はみな平等に生きる資格がある、いや、あって当然の権利だった。
その権利を奪ってしまったのは紛れもなく、御影と……葛城だ。
オリエンスがまだ一つだった頃、争いごとに自ら介入することを拒んでいた性格の父は、使命を果たすことを支えに、虐げられていた人々を一人でも救おうと御影に抗ってきた。
暴挙を振るう御影と水面下で闘うその大きな背中を、何度も目の当たりにしてきた。
真実を知る者は父を救世主と称え、一方では全て人生を台無しにした悪魔と罵った。
そんな父が引き起こしてしまった現状に、黒羽は胸を痛めた。
――ある時、黒羽に転機が訪れた。
ペンタグラムに流れ、第四皇帝として就任した頃。懲りもせず、御影が最期の審判計画の再開を目論んでいることを知った。
この時から黒羽の心は決まっていた。
父の意思を継ぎ、自分が今度こそ葛城の当主として、その責任を果たさなければならない。
彼を含む先代の嘆きを、無念を晴らさなければならない。そして、これ以上重い枷を後世に繋げたくない。
「これからの未来のために、私はこの手を血に染める」
遠くから爆発音が聞こえた。
「何だ、この揺れは?」
「あれを見て下さい!」
窓の外から人々の悲鳴が広がり、街がパニックに陥っているのを確認して息を呑んだ。
御影が建てた神殿全てからオレンジ色の炎が踊るように燃え上がり、街からも名所と呼ばれるオブジェからも爆炎が立ち込めていた。
周りの人間を押しのけ、我先にと安全地を求めて走り、逃げ惑う。
「炎……」
「オリエンスを火の海にする気ですか、亥角さん! 堕ちていない人間がどれだけいると思っているんですか!」
「狂蟲の苗床など不必要だ。最期の審判計画阻止は、オリエンスの滅亡と共に終結する。これが私の――父の望みだ」
黒羽は御影に代わって玉座に座り、足元に置かれているアストライアに視線を落とした。
「これを見てごらん? APOCで押収したアストライアを改造して作ったんだ。これ一つで櫻都丸々吹き飛ばすことが出来る」
「何だって!?」
「ただ、稼働には三十分かかるというのが難点でね。せいぜい彼らには残り僅かな時間醜い姿を晒して踊ってもらおう」
ポケットから小型のリモコンを取り出し、蒼斗たちが制止する暇も与えず、迷うことなくボタンを押した。
ピピッという機械音の後、三十分からゼロへと時を刻み始めた。
アストライアが起爆した後に起こる悲劇を想像したのか、愉しそうにほくそ笑んだ。
「亥角……お前、死ぬつもりか?」
亜紀の問いに、黒羽は答えなかった。
玉座に深く腰掛け逃げる素振りのない黒羽の様子から、容易に想像がついた。
全てはオリエンスを滅ぼすために人生を懸けてきた。
目的は果たされたのであれば、これ以上生きている必要もなくなる。
元々御影の道具として遣われるために生まれたのであれば、オリエンスとともにその存在は消えてなくなってしまうべきだ。
――そう、黒羽は考えているのだろう。
「もうじきオリエンスはこの力を以てさらに枯れ果て、大地震を迎え、次元の藻屑となって消える。巻き込まれたくなかったら早々に逃げることを勧めるよ」
「……いや、俺は別の選択肢を採らせて貰おう。核の勅命により、お前を阻止する」
亜紀は黒羽に向き直り、ホルスターから銃を引き抜いた。
同様に瀬戸と千葉も銃に弾を装填しなおす。
黒羽は彼らの選択を分かっていたのか表情を一切変えていない。
蒼斗は大鎌を構えた。
「亥角……いえ、黒羽さん。多くの犠牲の末に得る平和なんて、僕は絶対に認めません。APOCの一員として、あなたを全力で止めます」
「雑用だけどね」
「うるさいですよ、彦さん」
いらない言葉を吐く瀬戸に、蒼斗は物言いたげな目を向けた。
すると、廊下の奥からこちらに向かって来ている気配を感じ取った。
爆発の騒ぎで御影に指示を仰ぎに来た衛兵や、蒼斗たちの城への侵入の応援を受けてやって来た部隊だろう。
「千葉、君はさっさと爆弾の解除をしなよ」
「彦さん!」
「雑魚は僕に任せなよ」
瀬戸は踵を返し、ひとり銃を両手に廊下の奥を見据えた。
もうすぐ彼らはここに雪崩れ込んでくる。
千葉はやれやれと首を横に振った。
「まったく、どうしてこう面倒臭いんだろうねぇ、俺の役割は」
「千葉さん……」
「まぁ、核の勅命だし、やるしかないんだがね」
「でも、アストライアの解除ってそんな……」
「起動しちまったものはどうにもならない。専門の千葉に任せておけ。――それよりも、お前にはやることがあるだろう」
亜紀は前を見据えていた。
その先は城下に見える惨劇を恍惚とした顔つきで眺める黒羽。黒羽を止めない限りオリエンスは救われない。
そこで蒼斗は、前に出ようと足を一歩踏み出そうとする亜紀を片手で制止した。
止められた亜紀は何だという視線を蒼斗に注ぐ。
「ここは僕にやらせてください」
「お前、何を言って――」
「黒羽さんの力は触れた相手を餓死させる。死神の力を持つ僕なら関係ありません」
「奴の力がお前に通用しないことは分かっている。だが、お前は――」
「お願いです、亜紀さん……僕を、信じてください」
青い瞳が亜紀を捉えた。
その瞳はいつものような不安は滲んでいない、とても力強い光を秘めていた。
爆弾が起動するまでもう猶予は残されていない。
いつ死神の力を使われるかわからない現状下、妥当なのは蒼斗しかいない。
それは亜紀自身、よく理解していた。
「……分かったよ」
亜紀は軽く両手を顔横まで挙げて溜め息ついた。
「出来るのか?」
「はい。僕は戦います。例え、刃を向ける相手が僕の兄だとしても」
衛兵や応援部隊が玉座の間に押し寄せてきた。
もう悠長に話をしている暇はなくなった。
蒼斗は拳を握り、亜紀に笑いかけた。
「僕は絶対に大丈夫です。だって、亜紀さんの相棒ですから」
何か言いかけた口を亜紀は閉じた。
もう覚悟を決めたペットに自分から言ってやれることはない。唯一、亜紀から言えるとしたら……ただ、一つ。
「任せたぞ、相棒」
「……っ、はい!」
満面の笑みで、蒼斗は返事をする。
百年早いだの、いっぺん死んで出直して来いだの暴言を吐かれ続けてきた蒼斗は、予想外の返答で気が引き締まった。
亜紀は取り囲む狂魔の群れを強引に切り開き、身軽に入り込む。それから瀬戸の背後に迫る狂魔を撃ち抜く。
「亜紀」
亜紀は狂魔の悲鳴をバックに瀬戸の一言を耳に入れ、間髪入れず弾倉を後ろに放った。
浮いた弾倉は待ち構えていた瀬戸の手に収まり、スライドさせて装填。
間近に控えていた狂魔の顔面を吹き飛ばし、返り血を浴びて嫌悪に表情が歪む。構え直した後、瀬戸は背中越しに声を掛けた。
「こうやって背中合わせに戦うのは久しぶりだね。高揚しちゃうよ」
「ふん、勝手にしろ」
「懐かしいなぁ……こういうのも、たまには悪くないね」
転がる御影の無残な姿を見た衛兵たちは、亜紀たちが殺したのだと殺気立たせ一斉に襲い掛かった。
「全員、やることはやれ。分かったな?」
「了解、総帥」




