悪魔問答
「これでAPOCは終わった! これで我の脅威となる者はもういない、全部片づけてくれるわ!」
四方から現れた狂魔の大群。
普段の蒼斗なら悲鳴の一つや二つ挙げるのだが、今の彼には狂魔の存在すらも認識されていないのか全くの無反応だった。
「君だけは絶対に、僕がこの手で息の根を止めてあげる!」
「まだAPOCは終わっちゃいない。俺たちがいる限りね!」
亜紀が倒れ、嘆く余裕もなく瀬戸と千葉は銃を構える。
「しっかりしなよ、工藤蒼斗」
瞳に色失った蒼斗の前に立ち、襲いかかる狂魔を撃ち払ったのは、意外にも瀬戸だった。
御影は千葉が対峙して戦っている。
背中越しに引き金を引く手を止めないまま、口を開いた。
「亜紀を失って傷ついているのが君だけだと思わないでよね」
「彦さん……」
「いつまでそこで汚い面さげて這いつくばっているんだい? ペットは主人の言うことを聞くんだろう? 僕の亜紀の命令を無視する気?」
「命令……」
「亜紀は本当に認めた人間じゃなきゃあんなことは言わない。君がどれだけ自分のことを不必要な存在だと気色悪いくらい勘違いしようが、生に執着していることくらい僕にだってわかる」
「気色悪いって……」
「人は誰しも背負うべきものを持って生まれる」
「え?」
「亜紀がよく言っていたよ。その通りだと思う。そうでなかったら、君も僕も、こんな非現実的で残酷な運命に巻き込まれるわけがない」
この正義が逆転した世界に生まれたのには訳がある。
蒼斗が死神の力を授けられたことにも意味がある。
「これだけまだ言っても分からないなら、君は戦うことを選ぶしかない。みっともなくたって構わない。戦い続けることで生きる意味――存在意義を見つければいい。僕から言えることは、亜紀の命令を聞けってことだけだ。あとは勝手にしなよ」
僕は諦めてなんかいないけれど、亜紀がいなくなっても、生きる為に戦い続ける。
だって、僕はナンバーツー、亜紀の意思を継がなければならない。
――勿論義務だけでなく、それが僕の生き甲斐であり、望みだから。
狂魔の数が減ったところで、瀬戸は銃をしまうと千葉を呼び寄せて後ろに下がらせた。
我、いまここに真名を以て汝に命ずる。
深き闇に安座する気高き愚鈍の王よ、我の声を聞け。
そして我の意志に応えよ。
我が血肉と魂を糧に、その姿を我の前に示せ。
足元に浮かび上がる魔法陣。瀬戸が指を噛み切って血を垂らせば、風が吹き荒れる。
「エーイーリー!」
離れた魔方陣から姿を見せたのは、漆黒の獣だった。
鼻孔は広く、炎を帯びた二本の角、コウモリの翼、尾は獅子、全身を長い毛が覆う。
バチカルに劣らず凄まじい殺気を漂わせ、狼のようにひと吼えするだけで衝撃波が広がり、鎌を突き立てて吹き飛ばされないようこらえるのが精一杯だった。
隣にいる千葉は本人でも分かっていないのか口元に笑みが浮かんでいた。
「これが……十大悪魔の二体目……っ」
「はは……っ、久しぶりに彦君の本気を見たな」
「全ての腐敗物を焼き尽くせ!」
エーイーリーは主人の命令に唸ると、口を開けた。
力が渦を巻き、炎の球体がつくられるや否や勢いよく噴射された。
例えるなら、火炎放射器の何十倍もの威力を持ったものだろうか。
涎を垂らす狂魔は瞬く間に燃え、己の身に何が起こっていることすら理解できないまま消し炭となって世界から消えた。
一掃が完了し、静寂が訪れた。瀬戸は一息つくと、アバドンの結界で守られた御影を睨みつける。
脆くなり結界が割れたが、結果的に本体に届かなかったことに舌打ちが漏れる。
ところが、一方で御影は狼狽えていた。
「どうなっているんだ! 何故結界が壊れたんだ!?」
「?」
「奴の手元を見てくれ、蒼斗君。持っているあの術書がアバドンを召喚した時に使ったものだ」
千葉に促され視線を向ければ、御影が持っている術書から魔力が漏れていた。
御影の身体に溢れるほどの魔力があるとは到底考えられず、もしや魔力供給が不安定にあるのではないか――と、疑問を抱く。
だが、アバドンを操る以外に魔力を使うところが他にあるだろうか?
もし仮定通りだとすれば、アバドンの結界がエーイーリーの一撃ですぐに崩壊した説明がつく。
御影の動揺ぶりからして、彼自身も理解できないのだろう。
――きっと、御影は大きなミスを犯している。そうとしか考えられない。何かあるはずだ!
拳を握り、視線を彷徨わせ知恵を絞る。
「……ん?」
そこで目についたのは、ぴったりと閉ざされたはずの亀裂。目を凝らせば一点の隙間が残っていることに気づく。
「これって……地獄への、扉……?」
「完全に閉ざしたはずの扉が残って……!? どういうことだ、アバドン!?」
御影は憤慨した。
アバドンの鎖に繋がれたものは現界との関連をすべて断ち、そして地獄に閉じ込められる。
亜紀は確かに堕とされた。
しかし入り口が閉じないということは、アバドンの鎖を以てしても現界に繋ぐものが残っているということを示唆する。
――では、亜紀に残された現界との繋がりとは?
まだ亜紀を救い出すことができるという期待心が込みあがった。喚きたてる御影をよそに鼓動が速まった。
――何だ……何なのだ……? 亜紀を救う最後の希望は?
それを見出すことができないもどかしさに思わず目を固く閉じ、顔を伏せた。
――ふと、蒼斗は首元の違和感に気付いた。
それからすぐに自身の首に手をかけた。指先に感じる、首輪の感触。
――コイツは死神専用の契約魔の首輪。簡単に言うと、バチカルと同じようなものだな。
「僕だけの、首輪……」
葛城蒼斗――死神の、首輪。
「まさか……っ!」
――その時、蒼斗は確信した。
残された隙間をじっと見つめ、唐突に立ち上がると手にしていた大鎌を大きく振りかざし、そのまま力を込め刃先を突き立てた。
隣にいた千葉は仰天し、危機を察してその場から距離を置く。
千葉の予想通り、青い火花を散らしながら空間は徐々に拡大し、衝撃の反動で手や顔に小さな傷が飛んだ。
傷口を針で突かれるような痛みに歯を食いしばり、蒼斗は全身に力を込めて人ひとり分入れるくらいの余裕を作り出した。
「奈落の入り口をこじ開けただと!?」
隙間から吹き上がる暗闇の先。
しかし、蒼斗にはその先がしっかりと視えていた……自分の首輪から伸びた、一本の青い糸が。
この先に、亜紀がいる――と、蒼斗は迷うことなく飛び込んだ。
「工藤蒼斗!」
「蒼斗君!?」
背後から瀬戸と千葉の声が過ったが、きっと制止する言葉だろうと右から左に流した。
◆
中は不思議な感覚だった。
確かに重力に従って下に堕ちているはずなのに、静止――厳密には、浮遊しているような、そんな違和感を抱いた。
例えるならば、宇宙空間にいる、だろうか。
自分の姿も目視できず、ひたすら真っ暗な世界。
目を開けているのか、それとも閉じているのか混乱してしまいそうだった。
何よりも蒼斗に重圧を与えていたのは、闇の中に蠢く無数の悪意だった。
悲しみ、嫉妬、憎悪――あらゆる負の感情が全てを満たし、心の奥底まで見透かされるような視線もビシビシと感じた。
目に視えないものの、堕落に導く囁きが聞こえてくる。これが普通の人間なら、今頃発狂してしまっていることだろう。
蒼斗がこの場に呑まれないのは、人間ではない死神故なのかもしれない。
そう考えると、今だけは自分が人間ではないことに、多少なりとも感謝した。
亜紀は一体何処まで堕ちているのか?
距離が縮まる気配のない糸に手をかけ、巻き取りを試みる。強く手に手繰り寄せていると――ようやく手応えがあった。
くん、と糸が張る感触に喜びが込み上げる。
終わりの見えない作業の繰り返しに心に折れそうになるところ――、ついに終着点を見た。
「亜紀さん――っ!」
振り返るなと亜紀は言った。
そして、己のことより優先すべき多くの命がその手にかかっていると叱咤し、瞬く間に消えてしまった。
蒼斗は前に進み続けると約束した。
亜紀は赦さないだろうが、彼にとって、亜紀をこうして見つけることは、己の決意に背くものではないと信じていた。
それに――僕が生きる意味は、あなたなしには見いだせないんです。
見つけた亜紀は死んだように眠っていた。
鎖は手足を縛り、下へ下へと垂れ下がっている。身体を守るように包む、赤い光が闇の中で妖しく輝く。
いくら声を掛けても反応はなかった。恐らくこの光――バチカルの力が亜紀から空間で耐えられるよう守っているだろう。
いくら最恐の皇帝であり、アポカリプスの総帥だとしても、所詮はただの人間。蒼斗のように、耐えられるわけがなかった。
「馬鹿だと思っていたが、ここまで無計画、無鉄砲な馬鹿だとはな」
「っ、誰だ!」
直接脳裏に語りかけてくるような声に、蒼斗は鎌を握りしめた。声は嘲笑まじりに答えた。
「お前はよく知っているはずだぜ。同じ主を持つ契約魔なんだ、仲良くしようぜ」
同じ主を持つ契約魔――それつまり。
「バチカル、なのか?」
「ご名答」
姿は見せていない。
だが気配を辿り、亜紀から溢れているのを確認。声の主がバチカルなのだと理解。
バチカルは呆れた、と息を漏らした。
「半人前が人間をこんなところまで助けに来るなんざ大馬鹿のすることだぞ、本当」
「アンタこそ、主人が地獄に堕とされたっていうのに、助けようとは思わないのか?」
「アバドンの鎖は対悪魔、しかも上級悪魔であるバチカル用だ。オレが封じられてんのに、当人がどうこうできるわけねぇだろ」
アバドンの鎖の威力は、今もなお継続中なのか、バチカルは時折息を詰まらせる。
身体を蝕まれながら、亜紀が壊れないように五感を全て強制的に遮断し、結界を張るのが精いっぱいなようだ。
「半人前、悪いことは言わねぇ。ここから早くお前だけでも出ろ。今なら、お前一人だけでも現界に戻るくらいはできるはずだ」
「そんなことできるわけがないじゃないですか! 何のためにここまで来たと……!」
「地獄の最深部に着いちまったら、後戻りできなくなっちまうんだよ」
そうなれば鎖は亜紀共々、バチカルを繋ぎとめ、完全に地獄に幽閉されてしまう。
鎖がなくても、このまま一緒に堕ちれば蒼斗も出られなくなってしまう。
何が何でも蒼斗を生かそうとした主人の意思を汲み、バチカルは告げた。
「大体、なんで皇を助けようとするんだよ、お前」
皇というのは亜紀の呼び名だろうか。
「え?」
「皇はオレに似て悪魔そのものみてぇな性格だ。お前に理不尽なことばかりした上に、自分本位の行動しかしねぇ。……こんな奴が離れて、普通なら清々するだろ。命張って守る必要があるか?」
確かに、出会って早々に首輪に繋がれ、ペット扱いされた。
捻くれた性格で、他人が苦しむことを悦とし、目的のためならどんな惨いことでもする。
自分の信じるもの以外は全て切り捨てる。
他人に恨まれることだってした――けれど。
「僕は命を張るか否かではなく、守る必要のない命は存在しないと思います」
たった数か月しか経っていない。
その短い日々の中で、蒼斗はずっと、誰よりも傍で亜紀の背中を見てきた。
反発したくなることは吐き捨てるほどあった。
一見血も涙もない人間のように思えるだろう。
だが、蒼斗は理解した。
変化には、必ず犠牲が伴う。その規模が大きければ大きいほど、なおさらのこと。
「御影は大きな犠牲を以て今の実権を握った。国を動かすほどのことをするには、やっぱり奴と同等のことをする必要があるんだろうな」
ポツリ、と亜紀がそう、言葉を溢したことがあった。
「世界は闇に溺れている。人の数だけ正義は存在するのに、それを貫き通すには、いつだって犠牲がある……皮肉なもんだぜ」
鼻で嗤う亜紀。
蒼斗は、そんな亜紀の横顔が寂しげに見えた。外でこんな表情は、一度たりとも見せたことがなかった。
蒼斗は知っていた。
本当は、犠牲のない方法を模索し、徒労に終わり、己の信念を諦め……せめて最小限におさえられる最善の選択を採り、妥協をするしかなかったことを。
蒼斗は知っていた。
狂魔の犠牲者、戦闘で失った尊い部下の命。
人知れず彼らの死をひとり悼んでいたことを。
「亜紀さんは誰よりもこの国のことを考え、苦しんできた。例え、それが恨まれる結果を招くと分かっていても、自分の信念を犠牲に、多くの人を救おうとしてきた。常に皇帝として、APOCの総帥として強くあろうとした……御影の手から守るために、先導者としてあろうとした」
――突然、蒼斗の脳裏に注ぎ込まれる記憶。同時にグローブ下の手の痣が疼き、強く反応する。
「僕が亜紀さんを助ける理由? そんなの、決まっている」
――すべては安息の地の為に。
――悪しきものを薙ぎ払うため、蒼白の刃は弧を描く
「そんな亜紀さんが好きだからだ!」
振り下ろした青い刃が、色濃く染まる。同時に蒼斗の手の痣が色濃く浮かび上がる。
何事だと異変に気付く頃には、亜紀の身体に巻きつく鎖が一瞬で砕け散った。




