予備軍
◆
「お疲れ様です」
警備員がぴしりと姿勢を正し、頭を下げた。
彼の言葉に無言で手を挙げて答え、颯爽とその横を通り抜ける。
――やはり、この姿は便利だ。
消毒の臭いが立ち込める施設へと入っていく。
ところどころで紺の上着を着た男たちに頭を下げられ、そんなやり取りを繰り返して行く内にある一室に辿り着いた。
ポケットからカードを取り出してリーダーに通し、ドアの前に取りつけられたキーのランプが赤から緑に変わったのを確認。
白いカーテンに囲まれた、ベッドの上で酸素マスクをつけて深く眠る大倉を見た。峠は越えてもまだ麻酔は切れていない。
誰もいないことを確認し、ズボンの裾の下に隠しておいたサイレンサーをホルダーから抜き取り、安全装置を外した。
手が多少震えているが、息を深く吸い、もう片手を支えに銃を向けた。銃口を定めた時には既に迷いはなかった。
――静かな発砲音が病室に木霊した。
大倉の額には一つの穴が開く。
血が噴き出し、純白のシーツをじわじわと赤く染め上げた。瞬きよりも早い作業を終え、止めていた息をゆっくりと漏らし、肩の力を抜いて銃を持つ手をだらしなく下げる。
「……これであとは――」
「あと一体、何をするというんだ?」
第三者の声に息を呑んだ。
何故なら――その声は殺したはずの大倉から発せられたものだったから。
血みどろになった大倉はその隙を見逃さず、左足を蹴り上げ、サイレンサーを弾き飛ばす。
「銃を確保しました、亜紀さん!」
床に転がったサイレンサーを咄嗟に拾って叫ぶ蒼斗。
呆気に取られる相手に対し、大倉は上体を起こし、意地の悪そうな顔をして笑った。
「何故……っ」
「俺に変装するなら、撃つのに躊躇するのはいただけねぇな――辰宮」
全てのカーテンが開き、銃を構えた警官とAPOC捜査官が二人の亜紀が対峙する奇妙な個室を取り囲む。
大倉は自身の顎下を指先で掴み、一気に引き上げる。
皮膚がゴム状に引き伸ばされたことでその顔が晒された。その下には血糊袋が弾けており、さらに剥がすと亜紀の顔が現れた。
亜紀――否、亜紀に化けた辰宮は、ベッドの上で片膝をついてふんぞり返る姿を見て何も言葉が出なかった。
これまで慎重に物事を進めてきた彼女が、初めて調子を崩された瞬間だった。
「どうだ、辰宮? 俺の変装も中々だろう?」
「……大倉は?」
「奴なら数十分前に死体袋に入れられて別の場所に移送された。勿論、生きているがな」
辰宮はここに来る途中で擦れ違った担架を思い出した。目の前の目的に囚われ、周りに気を配ることを忘れていたことを今になって後悔する。
「辰宮……本当に、君が……?」
蒼斗の言葉に辰宮は何も言葉を返せずにいた。
それが、彼女がこの一連の事件の犯人であるという証拠だった。
辰宮はがっくりと項垂れた。
しかし、捜査官らが取り押さえようとした時――辰宮の眼光が鋭くなった。
亜紀が離れるよう注意する間に辰宮の拳が風のように捜査官一人の顔面を殴り、膝で腹を蹴り上げた。
神業ともいえる動きに捜査官らは怯み、辰宮はその隙を突いて間を縫うようにすり抜け、窓から外へと飛び出した。
「辰宮!」
ここは七階。いくら辰宮でも無事では済まされないと背筋が凍った。
慌てて窓の外を見下ろせば、辰宮は落下途中で巨木に着地し、幹を伝って地上に降り立つとそのまま振り返ることなくその場を走り去った。
亜紀はすかさず無線から奈島の名を呼んだ。蒼斗から預けておいた馴染みの上着を受け取り、経過報告をする。
「ターゲットはここから北に向かって逃走中だ」
「了解した。……ターゲット捕捉、追跡を開始する」
「卯衣ちゃんの作戦が上手く行きましたね」
「アイツは亥角の代理とはいえウチの参謀だからな」
この辰宮捕縛計画は卯衣が考えたもの。
しかし、亥角の穴埋めとして務めているがまだ高校生の身。
現場に一人で向かうなど出来ない代わりに、零号館のシステムを取り扱い、知恵を与えるAPOCの頭脳の役割を果している。
今回は安全地帯の奈島、東城に同行させている。
「俺たちも行くぞ、蒼斗」
「はい! ……何か本当に亜紀さんの相棒になったみたいだ」
「あ? 何か言ったか?」
「何でもないです!」
用済みになった病室を飛び出し、無線から入る辰宮の逃走ルートの報告を頼りに、辰宮に気付かれないようサイレンを鳴らさずに車を飛ばす。
いつもより数倍速く流れる景色を眺めながら、蒼斗は未だに現実を目の当たりにしても辰宮が黒幕だったとは信じ難かった。
そんな蒼斗に、亜紀は千葉から受け取っていた資料を膝元に投げて寄越した。読めと言っているのだろう、蒼斗はすぐに中の資料に目を通した。
「コレって、辰宮のカウンセリングの結果報告……」
「精神が正常か否かの判断レベルは五段階で決められる。一が異常なし、お前のような結果だ。そして五はレッドゾーン――所謂狂魔予備軍だ」
「予備軍って……じゃあ、辰宮は狂魔だっていうんですか!」
辰宮の資料にはレベルの段階は五――浸蝕状態が最悪の状況にある、又は既に堕ちているかもしれないと記されていた。
辰宮は幼い頃、放火事件で両親を亡くした――彼女を守る為に、建物の下敷きになって。そしてゼロ・トランスでたった一人の兄を失った。
彼女は心を病み、親戚に連れられ逃げるようにこのペンタグラムにやって来た。
その後彼女は高校を卒業すると親戚から早くに独立し、APOCの一員となった。
「辰宮がこんな過去を抱えていたなんて……。でもいいんですか、勝手に見て?」
「本来、診断結果は守秘義務で非公開にされるが、核の許可は下りている。まぁ今となっては関係ねぇだろうが」
例外として、患者が犯罪行為に及んだ場合、担当医は公開することが出来る。
「亜紀さん……僕には辰宮を斬れません」
「いいか、蒼斗。これからお前が目にするものは、全て現実だ。それを頭の中に叩きこんでおけ、絶対に逃げるな」
亜紀の横顔はいつもより険しく――でも、怒りの矛先が何処か別の場所に向けられているように見えた。
根拠はない、それでも無意識に、本能的にそう思ったのだ。
◆
昔から、何をやってもすぐに飽きてやる気がなくなってしまう。
特に苦手なものも嫌いなものもなく、可も不可もなくこなせてしまう器用な人間だと自負してもいいくらい彼の世界は簡単で、実に味気ないものだった。
ゼロ・トランスで家族を亡くし、ペンタグラムに逃げ親戚の家に預けられた彼は全ての世界を歪に感じていた。
近づく人間は何でもできてしまう彼をブランドのアクセサリーのようなものと勘違いし、傍に置きたがった――男だろうが、女だろうが。
前者はこんな友人がいるんだぜというプライドの構築要素として、後者はこんなハイスペック、完璧な恋人がいるんだと自分を誇示するためのアクセサリーとして。
親戚は彼の優秀さをひけらかし、自分のことのように自慢話をするようになった。
汚い、醜い――実に醜悪なものだった。
人間というものはどうしてこうもどす黒い生き物なのだろうかと不信感を抱くくらい理解できなかった。
――そんなある日、彼は中等部に通い始めたころにいじめの現場を目の当たりにした。
彼と違って体格も、性格も、成績も運動神経も――何もかもが真逆で、他人から劣等生のレッテルを強引に貼り付けられ晒しものにされていた。
いじめられていた子どもは、彼に手を伸ばし涙と鼻水で汚くなった顔でたった一言告げた。
「たすけて……っ」
救済を求めた。
彼は稲妻を受けたような衝撃を受けた。
物として、飾り物としか見られず求められなかった自分が、まさか弱者から救済を求められるとは思いもしなかったからだ。
初めて必要とされたことが嬉しくて彼は勿論と手を差し伸べた。
助けられた少年は彼を見て安堵の笑みを浮かべて言った。
「君が助けてくれたら、これからきっと、みんなからいじめられなくなると思ったんだ」
その言葉で、彼の中の春の日差しを浴びたような胸の温かさと、大きな達成感がその一言で凍り付き、無慈悲なくらい音を立てて砕け落ちた。
――結局、必要としていたのは彼自身ではなく、彼が庇い、今後傍にいることで得られるオプション、利得が目的だったか。
それが分かると、彼は一途の望みを自ら放棄した。
次の瞬間には、彼は少年を蹴り倒していた。
少年をいじめていた者たちも、蹴り飛ばされた少年も目を見開いて驚愕の感情を顔にありありと浮かべていた。
床に這いつくばる形になった少年は呆然と彼を見上げ、言葉を発しようにも身体が震えて声が出なかった。
「ふざけんじゃねぇぞ」
瞳は荒み、怒りに染まり切った表情は今まで彼が見せたことのない感情だった。
「テメェなんかの豚野郎をこの俺が助けるわけがねぇだろうが。夢見てんじゃねぇぞ」
――物でしか見ないのなら、それ以下のお前らなんざ、駒のように使ってやるまでだ。
彼はつまらない、物足りない生活を自分より下等な人間を甚振ることで至極愉快なものに変貌させた。
欲しいものは必ず手に入れ、不要なものはすぐさま切り捨て、目につくものはただちに始末する。
しかし同じことを繰り返していれば、いずれ飽きが来る。
そこで目を付けたのはペンタグラムの水面下で動く裏の組織――APOCの存在。ここで生きれば今までにないことが待っていると直感した。
十岐川大学に入り、世界の内情やAPOCの組織というものを知り、自分の生きる道がより一層面白く彩られることを確信していた。
――なのに。
鬱陶しいくらいに目立つ男……工藤蒼斗の存在が彼の神経を逆撫でした。
オリエンス、しかも御影直属の治安維持局特別機動隊隊長という役職の男を自分のボスである亜紀は易々と自分の懐に入れ側近に置いた。
自分では何年、何十年経とうが到底立てない場所に、たった数日の間で腰を落ち着かせてしまった蒼斗が気に入らない、憎くてたまらなかった。
何故? 何故APOCは御影の息のかかった人間を助けた?
何故亜紀は新たに名字を与えてまで蒼斗を傍に置いた?
全くもって理解できない。
どうせ自分には敵いっこない、いつものように気に入らない人間は潰していけばいい――そう思っていた彼の期待を、蒼斗は悉く裏切っていった。
勉学はそつなくこなし、体術訓練では、再起不能になるまで痛めつけてやろうと思えばあっさりと返り討ちに遭い、摘発訓練ではどんなに狂魔と同じようにカラーボールで染め晒しものにしても蒼斗は諦めることをしなかった。
――というより、蒼斗は彼を見てすらいなかった。
いや、見ていないとまではいかないが、今の自分が目指す目標への単なる通過点としか認識していないのかもしれない。
なんにせよ、彼にとっては面白くない話だった。
極めつけは、想いを寄せる女からの痛いくらいの指摘。
本当に欲しいと思うものは、いつだって手元に来ない。
多くを求めないもの同士なのに、必ず蒼斗の元に誰もが集まる。
誰一人、自分を見てくれやしない。
――憎い……憎い憎い憎い憎イ…ニクイ、ニクイニクイ!!
「邪魔ナ者ハ、全部消シチャエバイインダヨ?」
――ソウダ、イママデヤッテキタヨウニ……今度ハ、確実ニ……殺シテシマオウ。




