奈島拓海
十岐川駅前で待っていた卯衣と合流した亜紀と蒼斗。
車を走らせてから数十分後に辿り着いた建物を、下から上にゆっくりと視線をずらし、あまりの高さに思わず感嘆した。零号館の一回りくらいあるだろう。
「STRPにアテでも?」
「まぁな、ここのボス――奈島拓海だ」
「奈島……」
自動ドアを通過し、ちらほらと一般人が来ており、捜査官と話をしているのが目に入る。
一般人からすれば、『STRP』は昔の『警察官』と同義の意味を成しており、彼らはその名残を使用し続けている。
人の間を造作もなく縫うように先に進む亜紀の後を、多少肩がぶつかりながらも追う。
忙しなくフロアを行き来する制服を着た人々の波を見つめていると、一人が亜紀に気付き、表情に嫌悪を滲ませた。
それが周りに拡散して冷たい視線が注がれた。
警官独特の帯びた気迫に思わず恐怖で腰が抜けそうになる蒼斗に対し、亜紀だけでなく卯衣は平然として立っていた。
奥から出て来た大柄な警官が、上体をそらしながら亜紀たちを見据えた。それは汚いものを見るようだ。
「核のお犬様が何の用だぁ?」
まさに一触即発というのはこの事だろう。緊迫した空間にひとり蒼斗は息が詰まって窒息死してしまいそうだ。
「図体がデカいだけの能無しに用はねぇ。とっととお山の大将を出せ」
「何だと!」
「ドーナッツの食い過ぎで思うように身体が反応出来ないことは分かっている。恥をかきたくなかったらすっこんでいろ」
「舐めた口聞きやがって……!」
「あの、ここってSTRP本部ですよね? 暴力反対!」
「やっちまえ!」
「ちょ、人の話聞いてよ!」
「亜紀ちゃ……」
不良の喧嘩みたいだ、と頭を抱える蒼斗を余所に事態は悪化。
警官が振るった拳は動作が大きすぎることから容易にかわされた。
卯衣が口を出す前に、亜紀は背後から飛んできた他の警官の拳を避けた。
警官の拳は勢いのままに避けられた弾みで隙が出来た目の前警官の顔を直撃し、床に崩れ落ちた。
あまりにも情けない有様に思わず笑いが広がったフロア。
振り向いた亜紀は平然として「どうした、卯衣?」と、首を傾げた。
「――それ以上失態を見せるな」
冷たい声が笑いに満ちた空間に差し込まれた。
奥の扉から黒のコートを肩に引っ掛け、ガムを噛む男が出て来た。その容姿からして、亜紀よりも年上のようだが、まだ若い方だろう。
蒼斗は彼の一声であれだけ騒いでいた警官たちが完全に沈黙してしまったことに威厳性を感じた。そして亜紀が探していた奈島なのだろうと直感した。
「ボス……すいません」
「気にするな。相手が悪魔なら尚更な」
「悪魔……?」
「亜紀ちゃんはここの人たちから残虐な悪魔だって言われているの」
「でしょうね。現に今も悪魔みたいな顔していますもん、亜紀さん」
――何てことを吐けば、有無を言わさずに渾身のラリアットを食らって三途の川を渡るはめになるだろう。容易に想像がついた。
ミジンコといった水中の微生物ほどの心臓しか持たない蒼斗は、苦笑いをするしか出来なかった。
無言で対峙するAPOCとSTRPのトップ。
先に口を開いたのは亜紀だった。
「本山優の事件資料を見せろ」――と、早々に本題を切り出して。
亜紀の発言に犬の分際で偉そうに、という罵倒があちらこちらから交錯する。
蒼斗は盗難届を出しにやって来た一般人に紛れてこの場から去りたいと切に願った。彼らに付き合っていたら命がいくつあっても足りない。
「APOCに情報を渡す義理はこちらにはな、い……」
当たり前のように奈島は煩わしそうな顔をする――が、亜紀の後ろの卯衣を捉えると、言葉が途切れ、数拍動作が停止した。
何事かと眉を顰めると、奈島は数秒の空白の後、ゆっくり口を開いた。
「……こちらが要求する情報と交換だ。それが飲めなければ、とっとと失せろ」
「ボス!?」
「ウチのヤマを解決するために利用するだけだ。街の人間を救うのが俺たちの目的だろう?」
亜紀たちへの情報提供が屈服に思えた部下たちは、奈島の言葉に数度頷く。何処からか利用するものはとことん利用するだけだ、と呟く声が聞こえた。
「ついて来い」
「俺に命令するな、チンピラ猿」
奈島の後に続こうだなんて微塵も考えていない亜紀は、話がまとまると彼の横を颯爽と抜け、既に把握しているのか彼のオフィスへと無遠慮に入って行った。
奈島は怒りを露わにせず、卯衣と蒼斗について来るよう促すと歩き出した。
「で、お前は何だ?」
卯衣を先に行かせた奈島は、ふと顔だけ向けて蒼斗に訊ねた。
ただの雑用係です、と自分で言うのも悲しくなった蒼斗は咄嗟に口にしてしまった。
「あ、亜紀さんの相棒です!」
「相棒、だと……?」
奈島はもの問いたげに蒼斗を見据え、品定めをするような視線を下から上にずらしていくと含み笑いを浮かべた。
「お前が、相棒……ねぇ?」
座り心地の良さそうな大きな革張りのイスに腰を下ろし、机に足を乗せて奈島たちを迎えた亜紀に誰もが呆れてものも言えない。
腰に手を当てて溜め息をつく、頭を抱えて項垂れるなど反応は様々。
奈島はブラインドを下ろして外から中の様子が見えないよう施すと、大きく息を吸って盛大に息を吐き出した。
「はーっ! 一体何しに来たんスか、もう!」
「……え?」
蒼斗は乱暴に両手で髪を乱し、呻き声を上げる奈島に思わず拍子抜けした。
先程の、部下に信頼と尊敬の眼差しを向けられていた威厳ある姿は何処にも見当たらない。
傍にあったイスに座り、不貞腐れるような奈島に亜紀は楽しそうに笑い、置いてあったまだ湯気が立つコーヒーを勝手に飲んだ。
「何だ、このクソ不味いのは?」
――と、客人のくせにケチをつけるのを忘れずに。
「亜紀さん、これは一体……?」
「コイツはAPOCの幹部の最後の一人だ」
「……えぇぇぇ!」
「おい勘違いするなっスよ、そこのヒヨッ子! オレはあんな組織の、まして幹部なんかじゃねぇっス!」
奈島拓海――検挙率ナンバーワンの実力を持つ彼の正体は、APOCの幹部にして、五賢帝第五位の皇帝だった。
ただ、本人は皇帝としての責務は果たしているが、APOCの幹部の肩書きは否定している。
「紹介しておくぞ、奈島。お前の下っ端でもある工藤蒼斗だ」
「だからオレはAPOCじゃないって言っているじゃ……ん? ソイツって確か死神の……」
「情報が早いな。ウチの中でしかコイツの情報はないっていうのに、ちゃんと情報持っているじゃないか」
「なっ……」
「それに奈島、俺はまだお前をAPOCの幹部から外してないからな」
「あぁ……もう! アンタのそういうところが気に入らないからここに入ったのに……っ、やっと逃げられたと思ったら全然ダメじゃないっスか!」
「優秀な人材をこの俺が易々と逃すとでも? しかも十大悪魔従えておいて逃げられるわけがないだろ」
「え、悪魔?」
「皇帝ということは、当然悪魔と契約しているに決まっているだろう」
二人のやり取りを眺めていると、卯衣は蒼斗にそっと耳打ちをした。
奈島は唯我独尊の亜紀の態度に嫌気がさし、幹部を抜けた。
当時、亜紀は奈島が尊敬していたSTRPの刑事をこれでもかと罵り倒し、彼の怒りを買って大喧嘩騒動になった。
だがそれは天敵であるSTRPから情報を手に入れるのを可能にするための亜紀の掟攻略法――つまり、それにまんまと彼は乗せられたのだ。
「昨夜、白井科学技術研究員がゴミ処理場で発見された。お前らが先日横取りした本山優の友人であり同僚だ。俺は今回の一件と関係があるのかどうか知りたいんだ」
「白井……」
「奈島、お前を信頼してここまで来た。お前がいなければこんな猿どもの巣窟など誰が赴く?」
「うっ……」
諭すような亜紀の声調に一瞬怯む奈島は、頭を振って毛を逆立てる犬のように威嚇。
この光景を蒼斗は目にしたことがあり、彼も自分と同じ手に引っ掛かったことがあるのだろうと同情の目を向けた。
「奈島君、今回だけで良いから力を貸して欲しいの」
「う……卯衣、さん……」
見かねた卯衣は奈島の手を取って懇願し、穴が開きそうなくらいに見つめた。
これを狙っていたのか、亜紀は奈島が自分に背を向けるや否やしてやったりといった表情を滲ませた。
あとは卯衣に任せておけばいいのか、自分は背もたれに体重をかけて寛ぎ始める始末。
手をしっかり握られた上に真っ直ぐ見つめられた奈島は、瞬間沸騰器のように顔が赤くなり、湯気が立ちこめそうだった。
口元はだらしなく緩み、目が泳ぐ。
流石の蒼斗も気づいた。――奈島は卯衣に好意を……それもかなり抱いていると。
大の男が、女子高生を相手になんて有様だ。
「……こ、今回だけっスからね! 事件ファイルはオレの机の引き出しにあるっス!」
「心配するな、もう見ている」
「おい東崎ぃぃぃぃ!」
書類の保管場所など既に把握していたのか、亜紀は当然の様に目を通し始めた。
もう、やりたい放題である。




