神の悪夢
「でも、痣が妙に薄い気がするんですけど……」
「これは単なる仮説にすぎないが、ゼロ・トランスによる被害で記憶を失ったからだろう。お前のやるべきことはまず、その記憶を取り戻すことから始めることだな」
「取り戻すなんてそんな簡単に言われても……」
「方法は少々荒療治になるかもしれないが、御影に近づけば……」
「いきなり本ボスですか!? どんだけ鬼畜なんですか!」
仰天して声をあげれば「うるさい」と鉄拳が頭の頂点に落とされる。一瞬星を見た蒼斗を侮蔑の眼差しで見据える亜紀。
「誰がお前みたいな狂魔のエサ以外クソの役にも立たない奴をいきなり御影にぶつけるかよ、馬鹿」
「暴言きついです!」
「御影は最期の審判計画のために狂魔を育て始めている」
「狂魔?」
狂魔とは、十年前のゼロ・トランスにより世界に放出された目に見えない物質――狂蟲が寄生し、浸蝕しきった人間の成れの果て。
狂蟲は、人間の体内に侵入すると外に排出されることなく蓄積される。蓄積されたのち、狂蟲は宿主の邪念、負の感情の具現化を促進させ、狂魔へと変貌させる。
宿主の心によって浸蝕レベルが強くなり、一瞬で心の闇の囚人に変貌させる。
その効果が現れるのは――約十年後。
「十年……っ、じゃあ……!」
「そう。今が、蓄積された狂蟲が人間に悪影響を及ぼし始める時期」
核はゼロ・トランス後に強力な結界を張り、狂蟲がペンタグラムに侵入しないよう策を打った。だが、全てが全て抑えられたわけではない。
そこで核は五賢帝を幹部に置き、オリエンスとペンタグラムの境界――乖離点の番人をつくり出した。
彼らは治安を維持し、御影の悪行を世に晒し、狂魔を摘発する役目も担っている。
その組織こそ、治安維持局らが忌み嫌うクロヘビ――正式名称アポカリプス。通称、APOC。
「ちょ、ちょっと待ってください。五賢帝が悪魔のクロヘビ幹部も担っているっていうんですか?」
「そう言ったはずだが?」
「じゃ、じゃあクロヘビ幹部……」
「APOC」
「あ、APOCのあなたは……皇帝なんですか?」
「APOCの総帥なんだから当然だろう。俺はペンタグラム第一皇帝だ」
「ちなみに、ナンバーツーの彦君も第二皇帝なんだよ」
「おまけみたいに扱うのやめてくれないかな」
「よ、世も末……」
銃器を平気でぶっ放している人間が国を統治しているなんて……!
他の皇帝三人もAPOC幹部に属しており、現在は自領地にて皇帝としての執務とAPOC幹部としての任務を両立させて進めているとのこと。
ただし、その内の二人は少々訳ありなようで、複雑な状況下にあるらしい。
「APOCでは現在、いくつか問題を抱えている」
「問題、ですか?」
「一つは、ここ最近の御影のペンタグラム侵攻だ。狂魔を見ればよく分かるだろう」
身の毛もよだつようなあの悍ましさ。思い出したくもないと頭の隅に追いやる。数回見ればすぐに慣れるという亜紀に対し、グロテスクな異形は絶対に馴染むのに時間がかかるだろうと内心否定した。
「奴らはオリエンスとペンタグラムの間に生じる境界線――乖離点と俺たちは呼んでいるが、そこからこちらに頻繁に侵攻してくるようになった」
「乖離点……じゃあ、副島君もそれでこっちに……」
「だろうな。そんなんじゃなかったらあんな汚物がペンタグラムに入れるわけがない」
「幸い、乖離点は互いの世界を保つ際に発生する自然現象で、人的に起こせるものじゃない」
「そ、それを聞いて安心しました……」
「もう一つは、皇帝の不在だ」
近衛を治安維持局に潜入させる任務を与える数週間前のことだった。――五賢帝の一人、第四皇帝が突如失踪したのだ。
どの皇帝よりも人々に慕われていた第四皇帝の不在。
彼――亥角愁の不在は表面的だけでなく裏――APOC内でも大きな痛手となっている。
「亥角、愁……」
位的には第四皇帝だが、APOCでは参謀として手腕をふるい、実質的にナンバーツーだった彼が失踪したのは大きな衝撃を与えた。
現在、亥角が抜けた穴は卯衣が埋め、参謀代理として体制が立て直されている。
前触れもなく、何も言わず、ただ忽然と姿を消した。
故意なのか攫われたのかは全く不明。しかし、何らかの事件に巻き込まれたのではないかという仮説が色濃い。
「皇帝が消えるなんて……亜紀さんたちはもしかして、この件に王が関わっていると……?」
「当然だ。確実に奴が関わっている」
「そんな……ここで起こっている悪いことを全て王のせいにするなんて……!」
「全ての根源は御影が引き起こしたゼロ・トランスだ。今世界中で起きている犯罪の大半は奴らが撒いた狂蟲が作り上げた狂魔が原因。責めて何が悪い?」
狂魔は狂蟲の浸蝕度合いによって左右されるが、大抵は一度堕ちてしまうと、もう人間に戻ることはない。
狂蟲は、人間の心の闇に巣食う『狂気』というガンを引き起こすものだった。
「狂魔は人の心に巣食う狂蟲が浸蝕してできた寄生虫、生物兵器だ。コイツのせいで、簡単に言えば犯罪が起きるということだ」
犯罪を予知することなどどんなに科学が発展しようとも不可能なことだ。
万が一可能だとしても、それは必ず抜け穴や見落としがある。加えて、狂蟲は人間の体内に入り込むと外に出ることはなく、そのまま蓄積され、気配を消してしまう。
御影の企てと通常の犯罪の区別は全くつけられない。
最悪、御影に先を越されてしまえば、ペンタグラムは危機にさらされるだろう。
「そこで、お前の力が出番だ」
「え?」
「お前は先の未来が視えると言っていたな?」
「!? なんでそれを……っ近衛さん、ですか」
「あぁ。近衛静を通じ、俺は治安維持局にいるお前のことなら何でも知っている。ずっと監視をしていたからな」
ずっと監視をしていた。蒼斗には理解できない話だった。
こんな空っぽの人間に、皇帝で、しかもAPOCの総帥が、何のメリットがあって自分の動向を探っていたのか。
近衛は何でも亜紀に報告していたのだろう。
その自信に満ちた表情を見れば一目瞭然だった。
――所詮、彼女にとって自分は、単なるボスに頼まれた監視対象でしかなかったのだ。
弱りかかった精神に罅が入り、考えるだけでじわじわと痛みが沁みこむ。
「……未来が視えると言っても、ただ映像が勝手に頭に流れ込んでくるだけです」
「頻度は?」
「その時によって違います。ここ最近だと銀行強盗、ショッピングモール連続爆破、隣ブロックでの処刑場、特機隊の襲撃前……それと、きょ、狂魔になった副島君が女性を殺そうとした現場」
「……ふぅん、なるほどな」
蒼斗が告げるたびにスライドに摘発報告書が映し出される。やはり全てAPOCが仕組んだことだったか。
胡坐をかいた膝を肘置き代わりに、亜紀は薄ら笑みを浮かべた。
「やはりお前は死神の血を引いているな」
「え?」
「今お前が言った場所は、全て御影が大きく関連している」
ここ最近のAPOCは、御影に深く関与しているとされる調査報告を元にした核からの勅令で動いた遠征摘発任務。
処刑場襲撃の件は、王に抗った狂魔に堕ちていない善良な人間保護のための緊急任務。
蒼斗への襲撃は、彼の死神発覚後の御影の特命。
その後の副島の暴動は蒼斗を殺しに追いかけてきたと考えて何らおかしいことはない。――全て裏で御影が裏で糸を引いていた。
「お前は御影の最期の審判計画阻止、そして抹殺使命のために、奴に関わる予知夢を視ることができるようだ」
「そんな……」
予知の先に御影あり。
蒼斗が視る人物こそ、御影に一番繋がる手掛かりなのだ――と、亜紀は推認した。
被害者になるであろう者を辿り、片っ端から潰していくことで最終的に御影を引きずり下すことができる。
だが今回の一件が偶然だとしたら――と、口にしかけたところで蒼斗は当ててつぐんだ。多少自信があるのか拳を握って語る亜紀の話に水を差すような真似をしてしまえば、殺されることはないだろうが酷い目に遭わされること間違いなしだ。
突きつけられた事態に、蒼斗は処理が追いつかず置いていけぼりだった。
「僕が王を倒すために生まれた死神……? そんなことが信じられるとでも?」
「信じる信じないはお前の自由。だがその手に浮かぶ証は、お前が奴を殺すために生まれた存在だと明確に示している」
「今までずっとこの十年間、王のために力を尽くしてきました。それを今更殺せだなんて……!」
「忠誠心が高いのは結構だが、現に奴は、お前が死神と分かったら一斉に殺しにかかったぞ」
掌を返したようにおびただしい殺気を放ち、自分を殺しにかかる、かつての上司や同僚、部下。
思い出しただけでも恐い。
彼らがもう、自分を仲間だと思ってくれていないことが、ひたすら胸を痛めつけた。
「だが安心しろ。俺と契約をしたことでお前は自由になった。お前の居場所は、主人のこの俺が保障してやる」
「どういうことですか?」
「君がつけている首輪のことだよ」
「首輪? そういえば、さっき変なものが首に……」
首に触れれば何の感触もない。
だが亜紀が手をかざせば首の周りに青い輪状のものが浮かびあがり、驚いた蒼斗は思わず手をかける。
何度引っ張ろうが何をしようがびくともしない。指先が痛くなるばかりで、蒼斗は一度首輪から手を離して赤くなった箇所に息を吹きかける。
「どうなっているんですか!」
「それは第一皇帝である俺の飼い狗だということの契約の証だ」
「契約? 僕はそんなことをした覚えはありませんよ」
「コイツは俺が任意で選択した対象を契約魔にするものだ。相手に拒否権は一切ない」
「お、横暴!」
認めもしない一方的な契約で所有物化されるなんてとんでもない話だ。人権侵害もいいところ。
そもそも所有物化されること自体間違っている。人間を何だと思っているんだ。
「第一、契約魔って……僕は人間ですよ」
「お前は死神、蒼馬なんだろ。俺がお前を契約魔として扱おうが別に構わないだろうが」
「ソウマ?」
卯衣と近衛の会話を思い出す。
「蒼い瞳を持ち、手に死神の刻印を持つ者。それこそ、蒼馬である証」
咄嗟に浮かぶ痣に触れた。それでも……。
「オリエンスが恋しいか?」
心を読まれたのかと疑いたくなるくらい、タイムリーな一言。蒼斗が弾かれたように顔を上げれば、亜紀は気の毒そうに眉を下げた。
「あんな国に執着する理由が俺には理解できない。自分たちは私腹を肥やし、民を不幸にする愚劣な統率者など殺してしまえばいい」
「でも、僕は……!」
「そんなにあの駄国がいいのならば、真実を見せてやる――オリエンスの本当の姿をな」
亜紀は蒼斗の首根っこをわし掴むと縁側へと引きずる。適当に投げ出され、セントラルが良く見える景色が広がった。
「あれを見ろ」
指で示すその先を追い、魔鞘塔の上空部へと視線を動かしていく。
「なん、ですか……あれ……?」
その上に浮かぶ黒く繭のような形をした物体。
「あれこそ、今のオリエンスの正体だ。お前らはこの十年間、あの中で過ごしていたんだよ」
「嘘だ……っ、あれがオリエンスだなんて……あ、あそこに浮いて……」
ゼロ・トランスが発生したことで、錬金実験が暴走を始め、オリエンスは櫻都を中心に次元が二つに割れた。
発生した狂蟲は互いに吸収し合い、巨大な生物となって瞬く間に首都を中心に櫻都を覆い尽くした。それは球体となって形を保ち、地の底へと沈み堕ちて次元の先へと消えた。
やがて球体内部は全てを暗黒に染め、太陽を奪った。
あそこに浮いて見えるのは、核がオリエンスの様子を監視するために投影しているものだと亜紀はさらに補足する。
だが、今の蒼斗の耳にその補足は届いていない。
「そんな……っ、じゃあ僕たちが見ていた太陽は……っ、次元越しのものだったって言うんですか……」
「次元が割れたことで、櫻都を乖離点としたある種のパラレルワールドのオリエンスが生まれた」
もう片方のオリエンスはペンタグラムという新たな国として再建し、豊かな国となった。
世界からはその功績でペンタグラムとして受け入れられ、反対にオリエンスは忘れられた国となった。
「俺たちは、あれを『神の悪夢』と呼んでいる」
正しいとされていたものは、その実大きな誤りだった。――そんな、正義が逆転した世界を例えて、誰かがそう名付けた。
あんな――あんな、悍ましいものが僕の守りたかった国なのか。
全ては間違っていた? ……いや、そんなわけがない。今自分がここにいることこそ、何かの間違いなのだ。これは祥吾に撃たれたという悪夢の延長にすぎないのだ。
「僕は……っ、信じません。こんな……こんな恐ろしいことが現実だなんて……!!」
「君はもっと物分かりがいいと思っていたのだけど、存外空っぽのようだね」
「僕は王を信じています。それに僕は死神なんかじゃない。ずっと忠誠を誓ってきた王を手にかけるつもりもありません。きっと話せば、分かってくれるはずです」
呆れてものも言えない――うんざりしたような亜紀の視線に耐え、蒼斗は卯衣の制止を振り切り瀬戸家を飛び出した。




